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2005年07月24日(日)
1573, 日本人の苗字 −読書日記
−30万苗字の調査から見えたことー
図書館で借りてきた本だが、身近なことのためか面白い内容であった。
知っていることといえば、佐藤などの藤は、藤原氏の藤から頂いたこと位である。
日本人の約30万姓をデータに日本人の苗字を探って、その苗字の驚くべき由来などを紹介している。
中国人の姓、約3500、韓国人の姓、約250。
欧州では、全てあわせても30000というから、いかに日本が多いかわかる。
まず「鈴木」がもともとは熊野方言で、稲束の中心の一本棒であると述べている。
江戸時代末期の人口が3000万人、そのうち苗字があったのが4?の100万人。
苗字の数は10000と推測されるから、明治以降から三十倍に増えたことになる。
この本によると、苗字の由来には様々なタイプがあるが、
大体次の三つになる。
1、地名型
2、職業・屋号型
3、官職型
1、苗字の8割が地名に由来するという。
たとえば、全国に無数ある田中、内田、中村・・といった地名。その地と何らかの関わりがあると考えられる。
それが領主の血筋か、領民か、単に地名から名を貰ったかである。
田中などの地名は全国に数千とあるから、それだけの源がある。
何代かを遡れば自分が何処の田中か解るだろう。 逆に、黛は埼玉県児玉郡上里町にしかない地名。
そこしかないから解りやすい。どこかに転じると、自分の出身の名前を残しておきたくなるのが人情。
2、職業・屋号型
戦国時代が終わって、豊臣、徳川の時代になると、百姓町人は刀を取り上げられ、苗字を名乗ることが禁じられた。
武士を特権化するため、差別的階級制度を構築したのである。
そこで何々の在の〇〇兵衛、で用が足りたかというと、それだけでは 無理であった。
特に江戸などの都市圏の町人は、名前も自分の商売と考えた。
取引上、必要になった。たとえば、糸屋の九兵衛とか。 俵屋、枡屋、針屋、飴屋などなど。
元は蕎麦屋でも、職業を布屋になれば布を売っていても 「蕎麦屋」という屋号にしていた。
明治時代になって、目出度く苗字を名乗ることを許された時に、屋をとって苗字にすることが多かった。
綿屋を綿矢とか、綿谷とかにした。
3、官職型
官職型としては、
大蔵ー勘定方 監物ー出納係 工藤ー今でいう国土交通方
左近ー宮中を警護する左右に分かれていた役所の官史
太宰ー九州統監の役人 などなどある。
その他にも、
信仰由来のもの(神、釈、三輪)
芸名型(幸若、善阿弥陀、世阿弥)
名前型(太郎、源内、為貞、源五郎)
外来型(高麗、百済、秦) などがある。
ー つづく
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光文新書 丹羽基二著
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