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2006年07月23日(日)
1937, ローマから日本が見えるー15
\(^▽^*)おはよう \(^▽^*)おはよう!
待ちに待ったカエサルの章である。ローマ帝国といえばカエサルと言ってよいほどカエサルの業績は大きい。
現在のヨーロッパはカエサルが作ったといってほどの改革をしてしまった。
その意味では現在の世界システムのベースを作り上げたといっても
決してオーバーではない。実際に、この本を読むまでは知らなかった。
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第七章「創造的天才カエサル」−1
ーカエサルの登場−
元老院側BC44年に立つポンペイウス派との内戦を終えたカエサルが終身独裁官に就任した。
前回のスッラに似ているようだが、その意味するところは全く違う。
スッラの独裁官就任は、一種の緊急避難的措置である。スッラは自分の改革を独裁官権限で全て実現をすると、
ただちに職を辞しただけでなく、政界からも引退してしまう。
本来、独裁官とはローマ共和政の危機管理システムであった。
カエサルが、「独裁官に終身という名を付ける」ことによって彼が生きている間はローマの共和制度が停止することを意味する。
これがローマの政治体制を事実上変えてしまった。
スッラは「共和政の浄化のため必要」と政治改革と粛清をした。
それに対してカエサルは「ローマの領土の拡大によって、共和制度の寿命は尽きていた」ことを知っていた。
イタリア半島内に留まっているうちは機能していたが、地中海が我らが海になった時点で、元老院は機能不全におちいっていた。
スッラが元老院の定員を600人に増員してからは、その機能は更に酷い状態に陥ってしまった。
カエサルは「スッラは何も分ってなかった」と、辛らつに評言を下したのは、このような理由があった。
=カエサルの改革とは
まずは首都ローマに張りめぐらされている城壁を取り壊すことで、デモンストレーションをしてみせた。
城壁は内と外の区別を産み出す。元老院の特権意識も、壁が産み出したものといえなくはない。
「都市国家ローマの時代は終わった」ということを明らかにした。
この後、ローマは城壁なしの首都として存在続けます。「ローマによる平和」の時代の始まりである。
彼は「属州もまたローマなり」という考えを実際の政策にどんどん取りいれていった。
属州を『ローマ本国によって直轄支配されるされる土地』から『ローマの一地方』という位置づけに
変えていった。 徴収に対しても公平に基準を明示をしたことなどが、その象徴と言ってよい。
カエサルは元老院の定員を更に300人増やして、900人にした。
スッラは元老院の力を増やすためだが、カエサルは力を減らすために増員をした。
その300人の新参者の中にはアルプスの向こう側のかっての宿敵のガリアの部族長たちがいた。
これは、元老院のものたちにとって、非常に不愉快なものであった。
カエサルはガリアを征服したが、ガリアを支配し搾取する地とは考えなかった。
たとえ民族や文化が違っていても、ひとたびローマの覇権下に入れば、
そこはもう国家ローマ帝国なのである。それこそがローマにとって最良なやり方であった。
こういう思い切った改革は、既存の利益受益者に恨みをかうことになる。 そして・・
−つづく
(。・ω・)ノ☆゚+.バイ!
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