2002年07月22日(月)
464,煮た豆

母から聞いた言葉で印象的な言葉で「煮た豆」がある。もう出来上がってしまって芽が生えて来ない豆をいう。
人間に喩えると「もう出来上がってしまって、潰しのきかない人間」をいう。
この言葉は自分の自戒の言葉であり、常に前向きでチャレンジと変化と闘いを自分に課し続ける姿勢だ。
ある同?会の大部分が煮た豆だけでなく、納豆のようだ。
腐ってしまって、お互い粘粘している。仕方がないが、もうオカラのような人もいる。

豆の質も10歳で殆ど決まってしまうらしい。「3歳では遅すぎる」というソニー創立者井深大の本があるが。
私の見るところ、95?はいや99?はその範疇だ。もっともその時の優等生も大部分がただの人だが。
私のよくいう子狐は「煮た豆」が必死になって「生豆」を演じている姿だ。
いや「生豆」を粘々で絡もうとする姿だ。そういう自分ももう煮た豆か?
こういう文章を書いているといろいろ気づきがでてくる。

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