2005年07月22日(金)
1571, 五稜郭

幕末の混乱期、軍艦・開陽丸を駆って官軍と戦い蝦夷地に共和国を樹立しようとした男たちがいた。
この時期、オランダに派遣されていた榎本は帰国、同じ幕臣として勝海舟の幕引きに反発。
新政府に不満を持つ幕臣新撰組の土方と合流して未開の地・函館の五稜郭に共和国を樹立する。

そこで、官軍の参謀に就任した薩摩の黒田了介(後の内閣総理大臣黒田清隆)率いる軍と熾烈な戦いを繰り広げる。
その戦いの中で、榎本の人柄を知った黒田は全面降伏を勧め彼の命を救う。しかし土方など幕府方の残党は殆んど
ここで最期を遂げる。やがて刑期を終えた榎本は新政府のロシア交渉特使として活躍する。

阿部公房が「五稜郭」という小説で、榎本武楊が政治的に江戸幕府の残党を纏めて整理する
役割になってしまった矛盾を書いている。 学生時代に読んで、その複雑多層の立場を初めて知った。

攘夷か開国か、尊王か佐幕か倒幕か、公武合体か。それらの混沌とした中で維新の歴史は作られていったが、
その中で榎本武楊の果たした役割は、結果として皮肉な結果をもたらした。

阿倍公房の小説は、函館の五稜郭で負けた幕府軍の囚人300人が脱走して、厚岸(あっけし)の海岸から上陸、
山の奥深くへ消えていった、という地元の伝承をもとにそれを追う男の話から始っていた。
蝦夷共和国」という、とんでもない構想に魅力を感じて読んだが、
実は?その背後の複雑な背景を抱えた夢の世界であったという阿倍公房の世界観があった。
もう三十数年前に読んだ本だが印象に深く残っている本である。

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ー榎本武楊ー
 1836-1908

江戸御徒町生まれる幕臣、幕府留学生としてオランダへ3年造船、
機械が学ぶため留学し滞在地で国際法を習得、開陽丸回航と共に帰国、
帰国後幕府海軍教官として基礎を築き海軍副総裁となる。

戊辰戦争では、江戸陥落後に徳川残存艦隊を率い蝦夷箱舘へ脱出、
蝦夷地を占領『蝦夷共和国』を樹立し総裁になるも、明治2年函館戦争で降伏。
新政府に拘束された後、敵将であった黒田清隆の強い要望により新政府に仕官し
北海道開拓使に任官、その後日露関係の外交交渉の為、海軍中将に任官するとともに
ロシア派遣特命全権公使となり力を尽くした。

ちなみに彼は明治22年子爵の爵位を受け明治23年文部大臣に就任した。
生前最も愛した向島にちなんで、その地の木母寺境内に銅像が建てられ
その後現在の梅若公園内に整備された

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