この随想日記を7年以上毎日書き続けたためか、
 以下のように左から右へと変わってしまった。 但し重心だが。
  ということは、過去の自己否定の辛い日々になっている? 

根本を突き詰めない日々  −>   考える日々(考えざるを得ない日々))
日常に流される日々    −>   新しい知識を求め続ける日々
役立つことを追求する日々 −>   役に立つとか立たない外を求める日々
常識を加える日々     −>   常識を根本的に疑う日々
実生活のプラスを加える日々ー>   真実とは何かの知を求める日々
社会的真実を求める日々  −>   真実そのものを求める日々
マスコミに左右された日々 ー>   自分の道理を最優先にする日々  
群れを求める傾向     −>   孤独の時間に重心を移動

要するに、自分の話す言葉、書く言葉を大事にするようになった。
その反面、これまでの表層的な自分の姿を思い出しながら赤面している。
そういえば、二十・三十歳代半までは右側の傾向が強かったようだが・・・

インターネットと、印刷の発明とドチラが人類にとって大発明になるのかといえば(私自身の判断だが)
数段、インターネットだと思う。その人類の大きな転機の大事件に立ちあっているのである。 
それぞれがブログを通して「語ること」を始めたのである。
ブログで語り始めて、語りを継続をして、私の場合、哲学づいたのである。
自分の知識と経験の限界を知ることは、何か空しい気もする。 知っていることより、知らないことが
膨大に広がっているのを知ると、先ほど書いた右側の傾向になっていくのである。
それにしても、面白い岐路を生きたものだ。

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