2006年07月12日(水)
1926, 教養について
            おっ w(゚Д゚)w ハァョ〜

先日のTV「田舎に泊まろう」という番組の中のできごと、お笑い芸人の一人が、田舎の家に泊めてもらうことになった。
(この番組については、今度チャンスがあったら書いてみる。たまたま泊まった家に14歳の少年がいた。番組が進むうちに、
その子が不登校ということが解った。ところが、少年と打ち解けてくるうちに、そのお笑い芸人(現役の広島大学生)が、
その子に説教を始めた。

   その内容が良い。表現は違うかも知れないが、趣旨はこうだ。「学校は行かなくてはいけないよ。学校に行かないと、
   それだけで自分の選択の余地を自分で小さくしていることになる。さっき自分は何になりたいか希望がないといったね。
   これから自分で何かになりたいとか思うようになるだろう。その時学校に行ってないと、
   何かになりたいという幅が小さくなる。チャンと学校に行ってな、勉強をして幅はつくっておかなければ!」

その子は、何かハッとするところがあったようだ。
両親は「何をいっても聞かない!」と嘆いていたのが嘘のように素直に聞いていた。
人生を振り返ってみると、特に中学生時代に何をしていたかで、ほぼ決まってくる。!
大人になっても同じことがいえる。教養は一生ついてまわるだけでなく、子供にもそのまま影響してくる。
歳を重ねると、そのことが身に沁みて解ってくる。

    そこで教養について、考えてみる。こういう場合、インターネットはよい。
    幾つかのHPを読むうちに教養の大枠が見えてくる。

・「教養」概念は、英語では「文化」を意味するculture、ドイツ語では「形成」を意味するBildungに対応している。
・ 豊かな人間性の形成のための素養としての知識・経験。
・「いかに生きるか」という問いが教養の始まりであった。
  古代ギリシア人にとって教育の目的とは、一人一人が教養を身につけることであった。
  それは専門知識の集積ではなく、市民としてよりよく生きるための知恵の獲得を意味した。
・「世間」とは、建前の無教養に重なる。世間には、当然と思われる価値観が厳然としてある。
  しかし、概して知識のない人種のコントローラーとして機能している場合が多い。それを知るのが教養である。

    なぜ人生の後半になってから、そのことに気づくのだろう。何が大切で、何が大切でないかが、
    経験を通して見えてくるのだろう。見えてない人が殆んどだから始末に悪い。それが世間とかいうヤツだが。
    だから娑婆は面白いのだが・・・  面白すぎる、人間というのは!
    もっとも、一番おもろいのは自分だが!!   へ( ̄_ ̄へ)(ノ ̄_ ̄)ノ ♪
 私にとっての教養とは、「感動すること、感激すること、感謝すること、
 その響きを可能な限り大きくするための知識・経験を蓄積すること」
 「知ること、愛すること、創造すること、そしてそれらを楽しむこと、このために必要な知識・経験」である。
 「お前を見ていると、どうしても教養があるように思えないが・・」という声が、何処かから聞こえてきそうだが・・
  まったく、もう。 自分でも、そう思っているから間違いないことです。
                              バイヾ( ̄ー ̄ヾ))))(((((ノ ̄ー ̄)ノ
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