2004年06月27日(日)
1181, カント ー 哲学についてー11

カントは、一般的にギリシャ以降の哲学の世界に登場した最大の思想家とみなされている。
ドイツのケーニヒスブルクの貧しい馬の蹄鉄屋の家に生まれます。 因果なことに、“ せむし ”で、
背中にコブがあり、身体がゆがんで胸が小さく、生まれついての喘息もちだった。
脈はいつも120をこえ、いつもゼイゼイと今にも 死にそうな子供であったのだそうです。
毎日毎日苦しみながら、それでも17歳を迎えたとき、 父親はカントを「 駄目でモトモト 」
と半ばあきらめつつ、年に数回巡ってくる有名な医者のところへ連れて行く。
そうするとこの医者は、じっとカントの様子を見てからこう言います。
「 あなたは本当に気の毒な身体をしている。辛かろう、苦しかろう。それは医者として
見ただけでわかる。しかし、それは身体だけのことだ。身体は確かに気の毒な状態だけれど、
心はどうでもなかろう。心までも“ せむし ”みたいにゆがんで、息苦しくてゼイゼイ
しているのならともかく、あなたの言うことも心もしっかりしている。
身体のことで辛い、苦しい、といくら騒いでも、父さんや 母さんやみんなが辛いだけで
何にもならない。それよりも、心のしっかりしていることに感謝しなくては。
死なずにいるのはそのおかげなんだよ。そのことを喜びと感謝にしていけば、
身体の方も次第に軽くなって 良くなっていくものなんだ。
このことがよくわからないようだったらお前は本当に不幸なんだよ。」

カントは、家に帰ってからこの言葉をじっと考えます。
人間というのは、 身体あってのものだろうか、心あってのものだろうか・・・。
そしてついにカントは、世界が誇る大哲学者への道を歩み始めた。
終生独身だった彼の生活は、平凡で真面目いっぽうにみえた。
毎日きまった時間に散歩をする姿を見て、街の人は時計の時間を修正をしたという。
しかし彼は、聡明で闊達な楽しい人物だったという。
気に入った人と時間を過ごすことを好み、昼飯はかならず人を招待をしていた。
講義のすばらしさも、今も伝説になっている。

中世以降、哲学を教えることを職業にした初めての人物であり、彼以降は高名な哲学者が大学教授に
なるのが珍しくなくなった。 彼は*経験論と合理論の統一*をして観念論をうちたてた。
それは、一言で言えば人間に知りうることと知りえないことを明らかにすること、
言い換えれば「経験」つまり「認識」の成り立つ条件を原理的に究明することによって、
認識能力の範囲と限界を明らかにしようとすることである。

ー難しいようだが、人間の持っている五感の機能の範囲でしか世界のことを理解できない。
盲人に自然の美しさは理解できない。舌のない人にあの美味しい料理の味を味あうことはできない。
反面、5感では感知できない他の世界があるはずである。

カントは
デカルトスピノザの合理主義にも、ロックやバークリやヒュームの経験主義を超えていた。
・合理論を唱えた人々は「あらゆる認識の基礎ははじめから意識の中にある」と考えた。
 理性を重視し、認識の源泉は理性にあるとする。 つまり理性だけを信頼し、経験を軽視していた。
・それに対して、経験を通して確実な知識を手に入れようとした経験主義者たちは、
 感覚によって認識できるものしか存在しないと考え、経験を超えたものは何も存在しないと唱えたのである。

 カントは経験論、合理論ともに否定している。哲学史上、カントはこの2つの思想を批判統合し、
さらに啓蒙思想を加え、批判哲学を確立したと位置付けられている。
カントの思想が批判哲学といわれるのは、理性そのものを批判、吟味する立場をとっためだ。 

 近代思想として生まれながら、
合理論も経験論も、人間の認識の対象(自然)は人間から独立して存在すると考えたのに対し、
カントは、「普遍的な真理は、人間が外のものを正しく受け止めるところに成り立つのではなく、
人間が自ら持つ形式によって自発的につくりあげたものについての判断なのである。
そしてこの能力を、人間は経験によって獲得したのではなく、先天的に備えている」と論じた。
これは、天動説を否定して地動説を主張したコペルニクスにちなんで、「コペルニクス的転換」と呼ばれる。
しかし、自然科学的な認識として人間が知りうるのはあくまでも現象界における経験の範囲内での
自然の因果関係に限られる。つまり、経験を超えたもの、物自体を認識することはできないのである。

ー「我が上なる星空と、我が内なる道徳法則」これはカントの墓碑銘にも刻まれたカント哲学を象徴する
実践理性批判』の結びの言葉である。カントはニュートンの自然科学にも大きな影響を受けており、
彼の哲学の目的は科学と道徳の絶対確実性を見出すことにあった。
・「我が上なる星空」とは、自然法則を象徴し、
・「我が内なる道徳法則」とは、人間の意志の自由と自律の上に築かれるべき 人生の法則を 意味している。
カントは生涯をかけて自然界の法則の理論的基礎を築くとともに、人間一人ひとりの心の法則を追い求めた。

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