2005年06月27日(月)
1546, 人生の最後に後悔すること

アメリカの90代の男女1万人の質問、「90年も生きてきた人生の中で、最も後悔していることは何ですか?」
の答えは、「もっと、いろんなことにチャレンジすれば良かった・・」ということだという。
おそらく今後未来永劫?同じ答えになるだろう。

一度しかない人生、やりたいことをどんどん見つけ存分生きることこそ、人生が私たち問いかけている問題である。
この人生の問いかけを、人生の全てをかけて答えを探すことこそ、後悔をしない生き方になる。
中村天風のいう「積極一貫」を、人生を通して徹することである。
何故、色んなことに頑なに目を向けなかったのだろうか? 知識がなかった、現状に満足しきっていた、
余裕がなかった、人生を真剣に考えなかった、等々、いろいろあるだろうが。

豊かなアメリカの90代の人々が「もっと多くのことをチャレンジすれば良かった」という切実な後悔は、
何を意味しているしているのか? 旧共産圏や後進国では、こういう問いかけは少ないはずだ。
それを言えるだけの豊かさという環境があるからこそいえるのだ。 ということは、
「余裕が出来たら可能なかぎり色いろなことにチャレンジしてみるべきだ」という答えが自動的に返ってくる。
教養とは、
・家庭や社会から縛られた先入観や馬鹿の壁を、
 広く深い知識と経験持つことによって知ることをいう。また、
・『人生は可能ながぎり多くのことことにチャレンジすべし』を知る経験と知識である。
しかし、一つのことを突きつめた人に、この問いかけは無かったはずだ。
精一杯生きてきたからだ。それしかないし、他は考えられないからだ。
それでも、あるのが人間であるが。「もっと多くのことにチャレンジしておけばよかった!」
この半年間、人生の直線コーナーに入る前である、もっと深く問い詰めてみよう!

父が死期を悟った時に、私に預金通帳を見せて「この中味は、自分にとって単なる数字の羅列でしかない!」
と言ったことを思い出す。 中味も大事であるが、といって死んでしまえばそれまでだ。
人間を支配している不安と恐怖が、新しいチャレンジを阻害するのだろう。
そして貯金をすることで解消しようとする。それに支配される状態が、老いている状態である。
今度、不安について哲学的に問い詰めてみよう。

90歳の人がいうから問題がクローズアップする。20歳の人でも同じ問いかけが必要である。
周りを見渡せば幾らでもチャレンジの対象がある。見えてないのだ。それも足元にあるのに。

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