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2007年06月27日(水)
2276, 天才論 −1 ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ] −読書日記
「天才論」
ーダ・ヴィンチに学ぶ「総合力」の秘訣ー 茂木健一郎著を読んだが、
成る程と思う箇所が多くあった。
この本はダ・ヴィンチの作品を通して、「天才」について論じている。
ダ・ヴィンチの絵については、「モナリザの微笑み」が有名だが、「モナリザ」はダ・ヴィンチの自画像だった
とも言われてきた。ダ・ヴィンチの芸術家としての根幹に「正式に結婚していない両親から生まれた婚外子
ということも含めて、自分のアイデンティティに深い懐疑を抱いていた印象がある。・・誰にでもある、
ある種のコンプレックスをダ・ヴィンチも持っており彼の作品に少なからず影響を及ぼしているように思えた」
というところが印象的である。
「万能の天才」が誰も持っている「でこぼこ」(プラス・マイナス面)を、ダヴィンチに当てはめるとしたら
何なんだろうか?モーツアルトが、あれだけ素晴らしい音楽が作れるのに、字がへたであったことと同様に、
ダ・ヴィンチにもいくつかの「でこぼこ」があるはずとの著者の指摘。
ダ・ヴィンチは絵については評価は高いが、彫刻にしても、手稿として残されたものに書かれてある
「機械」についても疑問点をあげている。その辺に「でこぼこ」のマイナスのヒントを見ている。
レオナルドは「脳」における視覚の成り立ちが二つあるとして、
・外から入る刺激が徐々に処理されていく「ボトムアップ」と
・部屋のようすを目を閉じて想像する「トップダウン」と分類。
天才といわれる人は、トップダウンの働きの傾向が強く、頭の中に「具体的な何か」を、
ハッキリと思い浮かべてしまうようだ。
アインシュタイン、モーツアルト、ニーチェなど天才と言われるひとたちには、「トップダウン」の働きが強いが、
レオナルドは「ボトムアップ」「トップダウン」の両方の要素を持っていたと著者は指摘。
彼の書いた絵について他の作家の絵画作品との違いに触れて、レオナルドを語る上で重要な部分とみている。
それはキャンバス(背景図)に描かれた部分に秘密が含まれており、
それを読み解くことを見る人に問いかけていると指摘している。
ー天才についての著者は以下のように指摘している。
「この章の冒頭で、天才はみんな、潜在的に万能である、と書きました。
それはどういうことかというと、人間や世界の根本への深い理解は、
あらゆる分野の卓越した業績につながり得る、ということです。
多方面に天才的な能力を発揮した人物というのは、現実には見当たりませんが、天才はだれでも、
どの方面にでも能力を示すことのできる素地をもっている、と言えるのではないでしょうか。」と。
また、他の箇所でも
「大事なことは総合的な知性を蓄わえた上で、ある特定の分野に集中することです。
そうでなければいろいろなものに手をだしたあげく、結局はどの業績も
一流ではなかったという、器用貧乏に終わってしまうでしょう」と指摘。
またレオナルドを通して「生きていること」に言及しながら、著者は
「・・・生きていることは、そもそも根本的に恐ろしいことです。
生命は、ほかの生命の犠牲なしに生きていくことはできません。・・中略
いわゆる生きものだけではありません。宇宙空間でも、同じようなことが起こっています。
・・中略・・つまり、われわれの生は、星が死んだことではじめて、可能になったわけです。
それは、なんと壮大な「die and let live」でしょう。・・(死ぬ、そして生きさせよ)
天才は、このような「die and let live」の連鎖のなかで、人類が生き延びるために編み出した
さまざまな技術が、ひとりの人間のなかに高い水準で実現した生命現象です。
レオナルドとは、そのような人だったのではないでしょうか。」
と、述べている。
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深い穴を掘るのに、周辺を広く掘らなければならない!ということを 著者は言いたいのだろう。
それは天才論という分野だけではない。 人生に基礎教養が必要!ということと同じである。
−つづく
ヾ(・ω・`)ノバイ
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