ブランドものに、何故も女性や若者は執着するのだろうか。
哲学者にとって、これは面白い対象である。
もともとブランドが一般の人に言われだしたのは1960年代という。
それまでは、嗜好品としてマニアへの専門メーカーでしかなかった。
それがブランドといわれて世界中に知れ渡ったのは40〜50年前からでしかない。
特に日本人が、その旅行ブームで貢献したのである。

ブランド品を欲しがるのは、それを持つに相応しい人たちではないのが悲しい。
それにつりあわない若者とか、そのランクから何段か下の人たちである。
ありたい自分になれない人が、それを持つことで、持てない人への格差意識と、持っている者同士の、
自己顕示の小道具でしかない。 勿論彼女等は、そのことは知らない。
それは自己愛の変形であり、ブラン品の購買そのことで心の空洞を埋めようという行為でしかない。
またブランド品で、「他者との差別化」を図ろうとする欲望がはたらいている。 
知性の低い、コンプレックスの強い人の自己愛を満たそうという試みである。

人は不特定多数の欲するモノを、自分も欲しくなる。 それを差別化し、記号化したのが、ブランドである。
フランスのボードリヤールは、それを記号の消費といったのである。それは階級コードではないのである。
それをもつに相応しい人より、その階級に憧れを持つ人のブランド愛であるという。
だから、銀座のブランドショップで買い物をする人は、それを買うに相応しい人ではない。
成金か、その家族か、自分に自信を持てない、その階層?の人たちである。
中村うさぎ」がブランド品偏執狂と自認しているが、カタチは色いろあるが、ああいう人たちがメインの客である。
考えれば直ぐに分かるだろう、ファッション関係の人は、ブランド品は身につけない。
付けていたら、その人はファッションセンスが疑われてよいはず。
頭の軽いタレントや成金の類が、それを飾り立てた姿をみれば解るだろう。

ぶっちゃけた話、家内が、旅行に行く度に一品は買う。 見ているだけで腹が立つが、
喧嘩をすることもないが、常に誰かを想定して自慢をするのが見え見えである。
それも・・・まあ、止めておこう。
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2001/12/19 261,ブランド品 −1
2001年12月06日(木)

ブランド品の定義ー
1、アフリカの土人の酋長と一族が身に着けたがるもの。
  それも不釣合いのノーコーデネート。 一品豪華主義の典型
2、それなりの金持ちが、社会的体裁の為に飾り立てる小道具。
3、キャリアのブスの中年女がこれ見よがしに身に付けたがる。
  −野村監督の奥様。スナックなどでも時時いる金ぴか女? ブランド痴呆女というところか!
4、自分のセンスに自信がない人の印籠代わりの小道具。
5、家具から、身に着けているも全てコーデネートして初めて意味のあるもの。
  したがって大金持ちの贅沢遊び! 収入が年間何億のレベルの人種のステータスシンボル。
  したがって一般の人が買うことは、金持ちコンプレックスの低脳を披瀝していることと同じ。

 一時凝っていた家内が突然買うのを止めた。その意味が解ったのだろう。
 アジアの黄色人種が身に付ければ、エテコウのお笑い!それが旅行を重ねているうちに気づいたようだ。
 
 飛行場とか、ツアーで連れて行くショップのブランド物は2〜3年か、それ以前の「投げ捨て商品」。
 その筋のシンジケートから「売価の一〜二割の原価」のしろもの。ハワイの飛行場で確か売上の
 6割か7割の家賃を取っていることでそれが公になった。 その事は20年以上前から、知っていた。
 
 大手の代理店がそれを熟知、一時かなり稼いでいた。
 黄色のエテが群がっている姿は、西欧人の軽蔑の対象であった。

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