2006年06月12日(月)
1896, ダ・ヴィンチ・コード
           ー映画日記
                     才八∋ウ_〆(∀`●)
何時も、映画はWOWOWかレンタルDVDで観ているので、久々の映画館は新鮮である。
レンタルDVDの店が会社の近くに出来てから、映画館に行く回数が減ってしまった。
昨日、話題の映画「ダ・ヴィンチ・コード」を観てきた。
全世界で5千万部、日本で五百万部売れた本の映画化である。
ダ・ヴィンチの深い暗示が「最後の晩餐」の絵の中にあるのかと思っていたが、
あくまで漫画的な奇抜な内容の域を出ていない内容。
難しく考えないで、推理小説の映画化と割り切って観ればよいが。

    「最後の晩餐」の中の13使徒の一人の男が、よく見ると女で、それも娼婦だった
    マグダラのマリアという設定。 マグダリのマリアといえば重度の生理の売春婦で、
    よいイメージを持たれてない。何故、ダ・ヴィンチが彼女を「最後の晩餐」の中に入れたのだろうか?
    という疑問の謎解きストーリー。マグダリのマリアがキリストの子供を宿していて、ヒロインが
    その血筋という設定になっている。
    キリスト教徒にとって、大問題になっても不思議ではないが、娯楽小説と無視しているようだ。

ストーリーでは、「マグダラのマリアがキリストの子供を宿した事実が二千年の間秘密にされ、
その事実と血筋を消し去ろうという勢力と、守り抜こうとする二つの勢力が、
秘密裏の戦いを繰り広げられてきた」という設定。
『聖杯』の意味は実をいうと、「キリストの直系の女性の血筋」という着想が面白い。
キリスト教に関係ない世界の人にとって、「それが如何した!」というレベルでしかない。
敬虔なるキリスト教の信者にとって許しがたい内容で、ノーカットは日本とインドと、あと数カ国という。

   ところで、「キリストは存在していたのだろうか?」という原初的な問いを、
    イスラエルの旅の由緒ある寺院でたててみたことがあった。
    一瞬、周りにいた数人に凍り付いた雰囲気が漂った。
    隣にいた無口の教養のありそうな人が、おもむろに低い声で
    「当時のローマ帝国の古文書の中に、キリストと思しき人の処罰の
    問い合わせが有る。間違いなく存在していた」と答えてくれた。
    
近年、発見された古文書(20世紀最大の発見といわれている)に
「キリストは存在してなかったのではないか?」という疑問の文章があったという。
バチカンが、これを封印して現在に至っても、その内容が発表されてないという。
元々あったキリストの御伽話を、パウロが創作したに過ぎないと言われてきたが、
信仰だけは事実の枠を超えた真実の世界だから、これ以上論じるべきでない。

=以前、この随想日記で書いた「イスラエル旅行記」の中に次のような文章がある=
ユダヤ教エッセネ派の“死海写本”が発見されたクムラン洞穴。
一九四七年、近くを歩いていたベトウィンの少年が洞穴で土器に入った巻物を発見。
壷に納められた六〇〇を越える巻物には、イザヤ書全巻や旧約聖書等々記されていた。
今世紀最大の発見といわれている。ここで、とんでもない事が記された文書があった。
−イエスキリストが主張された大すじが、そのずっと昔のこの文書の中にあったという。
“イエスエッセネ派の指導者の一人でしかなかったのでは?”という疑問がでてきたのである。
そうすると西欧キリスト教の根底が変わってしまう。

ーー    
以上だが、誰かこの「死海の書」の封印を背景にした、
真実を求める学者と、それを封印しようとするバチカンの息詰まる
生々しい小説を書けば!と、思ってしまうが。恐ろしくて誰もかけないか!!
60歳以上が半額の千円であった。その割引が嬉しいような悲しいような微妙な気持ちであった。
熟年への仲間入りを初めて実感した出来事であった。これからは、こういう思いをドンドンしていくのだろう。
                  (。・ω・)ノ☆゚+.バイ! 
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2005年06月12日(日)