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ー「人生の答え」の出し方ー 柳田邦夫著 −2
この本の「魂を揺さぶる言葉」という項目の中で
ー「いのちの初夜」 北條民雄著ーを取り上げていた。
ハンセン病のために隔離され疎外され、23歳で夭折した小説家・北条民雄の代表作
「いのちの初夜」で、古株の患者が新入患者である主人公に語る言葉の一部がある。
まず、その部分を書き写してみる。
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「人間ではありませんよ。生命です。生命そのもの、いのち そのものなんです。
僕の言うこと、解ってくれますか、尾田さん。 あの人たちの『人間』はもう死んで亡びてしまったんです。
ただ、生命だけが‘びくびく’と生きているのです。 なんという根強さでしょう。
誰でも癩になった刹那(せつな)に、その人の人間は亡びるのです。 死ぬのです。
社会的人間として亡びるだけではありません。 そんな浅はかな亡び方では決してないのです。
廃兵ではなく、廃人なんです。 けれど、尾田さん、僕らは不死鳥です。
新しい思想、新しい眼を持つ時、全然癩者の生活を獲得する時、再び人間として生き復(かえ)るのです。
復活そう復活です。 びくびくと生きている生命が肉体を獲得するのです。
新しい人間生活はそれから始まるのです。 尾田さん、あなたは今死んでいるのです。
死んでいますとも、あなたは人間じゃあないんです。
あなたの苦悩や絶望、それがどこから来るか、考えてみてください。
ひとたび死んだ過去の人間を捜し求めているからではないでしょうか」・・−「いのちの初夜」より
〜〜ここからは、ー「人生の答えの出し方ーより〜〜
・・ハンセン病になったとたんに、家族からも地域からも排斥され、社会的存在としての人間は抹消されてしまう。
しかも、病気の進行によって、肉体は崩れて感覚器官も うしなわれていく。
まさしく<生命だけが、びくびくと生きている>状態になることを、北条は残酷なまでに表現している。
<びくびく>という形容詞が、情景と本質を正しく表現する決め手になっている。・・
・・この作家が川端康成に出した手紙の中に次のような文章がある。
「この作品は書かねばならないものでした。・・僕には、生涯忘れることの出来ない恐ろしい気(ママ)憶です。
・・僕には、何よりも、生きるか死ぬか、この問題が大切だったのです。」
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解)
「人生の答え」など、あるわけがないと、この本を読むまでは考えていた。
ところが、此処には、その答えがあったのである。
この本の構想のメモには、
<俺は俺の苦痛を信じる。如何なる論理も思想も信じるに足りない。
ただこの苦痛のみが 人間を再建するのだ。>
とすざましいことをいっている。
人間は、死を直前に突きつけられると「生きる意味」に気づかされるのである。
死を目の前に突きつけられると、自分が宇宙のチリの中の微粒子の、
そのまた無に無限に近い存在に気づかされるのである。
そして、そこから改めて現世に振り返って、そのことを考えている己を見つめ直すと
生死の際でボウフラのように、ふわふわしている存在に大きな愛情を感じる。
著者のライ患者・北条は、そこで苦しみ苦痛こそ、崩れ去ろうとする人間性を再建させてくれると悟り、
書くことに全てを捧げる。 それこそが、人生の答えの出し方である。
「その苦痛こそ、多くの人間の苦悩を救うことが出来る。それを書くという一点に全てを集中すること」
それが人生の答であると、柳田邦夫は看破している。
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