先日、「好き」という言葉を取り上げた。好きな状態、好きなことをしていると、
    時間を忘れ、あっという間に時間が過ぎ去ってしまう。最適経験をしている状態を
    チクセントミハイは「フロー」と呼んだ。好きなことをしていれば創造的になる。
    だから一流の人は「好き」になるまで、対象に集中する。
    その為には、成功体験の味を知らなければならない。
    当たり前のことといえば当たり前のことだが。
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   面白そうなところを、まずは抜粋してみる。

     「フロー体験 ー喜びの現象学」 
        ミ      ハイ.チクセントミハイ

「なぜ幸福になるのはこんなに難しいのか?」
「人生の意味は?」 
人はみなこの大問題に思いを巡らす。
あえて答えを示す者は多くはないし、それだけの素養のある者はさらに少ない。
著者のミハイ.チクセントミハイは、最初の問いに答えることに全力で挑んだ結果、
それが第二の問いと切り離して考えることはできないことを見出した。
 
この二つの問いをつなぐものこそ、「フロー」理論の本質である。
一般的な次元での、第一の問いに対するチクセントミハイの答えは、
「幸福になるのが難しいのは、宇宙は人間の幸福のためだけにあるわけではないからだ」
これに対する防御手段としで、宗教や神話がつくられはしたものの、
私たちは厳しい現実を残酷にもくり返し身をもっで知らされる。
宇宙は、秩序とカオス(エントロピー)という観点から考えるのがいちばんよい、と論じる。
「幸福を得るためには、意識に秩序をもち込む=心をコントロールする」ことが不可欠。
しかし、このコントロールはどうすれば可能になるのだろう?

チクセントミハイの研究は、幸福の本質を検討することからでなく
「人間はどんなときがいちばん幸福かと問うことから始まった。
 楽しさや達成感を感じるのは何をしているときか?」の問いから出発している。
これを見つけるために、一週間の中で無作為の時間を被験者のポケットベルを嶋らす、という調査も行われた。
そのとき何をしていたか、その行動によってどんな気持ちになっていたかを厳密に書き留めてもらうのである。
その結果、最高に幸福な瞬間は、予測のつかない外的な出来事によって偶然に起こるのではなく、
特定行動を行っているときに、起こりやすいことがわかった。
その特定の行動は本人にとってきわめて価値があるもので、それを行うと不安や雑念は消えうせる。
その状態を「最適経験」あるいは単純に「フロー」と呼ぶ。
フロー状態の人は、何かより大きく創造的に発展させていると感じる。
・運動選手はこれを「ゾーンに達する」
神秘主義者は「法悦」
・芸術家は「恍惚」という。
時間が止まっているように感じることである。
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  「特定行動」 =これがミソである。
  自分のライフワークを見つけ、それに没頭すればよいのである。
  それを早く見つけ、やり続けることなら誰もしていることだが。


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