『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
   * フロー状態を経験する
 金沢の衣料チェーに一年半ほど勤めていた時や、実家の衣料量販店で、
服に値札の糸通しをしていた時に、三十分も続けていると、奇妙な悟りの
ような奇妙な心持になる。これをフロー状態というらしい。〜その辺りより〜
≪ 誰にでも、一つの活動、実験または感情に猛烈に没入する、という経験が
あるだろう。クレアモント大学院心理学部のミハリ・チクセントミハイ教授の
提唱するフロー理論は、まさにそのことを論理化したものである。1960年代に
創造的なプロセスを研究していた同教授は、一つの事実に思い当たった。
 画家は、創造プロセスが順調なとき、作業に完全に没頭していて、完成まで
その状態に止まり、疲労も空腹も不快感も一切意識しない。作業が終わると、
突然に関心が消える。このとき画家は、「フロー状態」を経験しているのである。
その時間中は、自分のしていることへの没入のほうが、最終的な結果よりも
価値が高い。この現象に好奇心をそそられた教授は、活動の喜びが一番の
インセンティブとなる、画家、登山家、チェス名人、外科医、作家、肉体労働者
たちと数多くの面談を行った。同じ岸壁を十数回登ったロッククライマーに
とっては、頂上にたどり着くまでのプロセスが喜びであって、登頂はそれほど
重要でないのは明白である。特別の目的地もなしに、音楽を奏でながら、
またはトランプで一人ゲームを楽しみながら、ヨットで湾を巡洋するヨットマン
にとっても同じことが言える。このようなときに人は、「活動そのものに完全に
没頭している。エゴや時間を超越する感覚がある。どのような活動、動作、
思考も、前のものを引き継いでいる。それはジャズ演奏のようなものである。
自分の全存在が巻き込まれ、自分の技術を最大限に駆使する」。
 フロー論に近い状態まで心を没頭させること、ということを自ら発見した。
通訳で、講師が話している間は、心を完全に応えられる状態にしておく。
すなわち、心を一切の雑念が入り込まないように解放した白紙状態に保ち、
緊張を伴わないで注意を集中した状態にしておく。こうして耳に入る内容を
伝達する。それは、一杯になった水差しから別の水差しに中身を移し変えるのと
同じ作業である。出発点と講義の脈絡だけを記憶しておけばいいのである。
こうすれば続々と耳に入る詳細も、概して、骨を折らずにこなせる。
 心が注意集中状態でしかもリラックスしているので、長々した複雑な講義でも、
極めて忠実に再構築することができるのである。雑念や外的な出来事が翻訳の
フローを断絶する場合、魔力は消え、本筋に戻るのが難しくなる。
この事態に陥ったときは、いくつかの詳細が記憶から漏れる。数秒間、
心が真っ白になる。フロー状態を正しく経験するには、メモは取らないほうが
いいだろう。すべてがとんとん拍子に運ぶとき、スムーズな流れが穏やかな
喜びを醸しだしてくれる。自意識とは、自分自身の観察であるが、それが
事実上不在になり、疲労を忘れ、時間の経過は、遠くからは見えない川の流れ
のように、知覚することがなくなる。チクセントミハイ教授によれば、アイロン
掛けとか組立てラインなどの最も平凡で単調な作業中にフロー状態を経験する
こともある。ただし、経験するかしないかは、時間の経験の仕方にかかっている。
フロー状態を経験しない場合、事実上どの活動も、耐え難いとまでは言わない
までも、退屈でうんざりしてくる。同教授は、フロー状態に入りやすいタイプと
そうでないタイプがあることも発見している。≫
▼ 早朝の、この文章の仕上げで、気持ちを集中させ、完成までの2~3時間は、
アッという間に過ぎ去っていく。この時も、一種のフロー状態。この程度の
文章に、ネタさがしと、下書きを入れると3~4時間を要している。何でまた?
というが、そのフロー経験そのものが良いから続いている。少しでも、嫌と、
思ったら到底続くものでない。フロー状態だから、前年の同月同日の内容に、
不思議な偶然として繋がるのだろう。
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5105,社会主義の実現を信じた狂信者という悪魔
2015年03月07日(土)
       「毛沢東の大飢饉〜史上最も悲惨で破壊的人災」
                   フランク・ディケーター(著)
  * 毛沢東の大飢饉
 もう四半世紀前の1989年になるが、北京経由の桂林へのツアーで、
現地人ガイドが桂林で何気なく発した言葉に驚愕をした。
文化大革命の時、それぞれの村に死体が山のように積まれていた。
私の村でも、積まれているのを見た。桂林では、あそこ!」と、指をさす。 
 現地で生々しい虐殺の話を聞くのは初めて。日本では、聞けない話。
旅行当時、北京の天安門広場近くには通勤途上の人民服の人が乗る自転車で
溢れていた。 資本主義的近代化?に向かう一歩手前の中国の姿だった。
  〜アマゾンの案内より〜
<15年以内にイギリスを追い越す」と宣言した毛沢東が始めた「大躍進」
政策は、人肉食すら発生した人類史上まれに見る大飢饉と産業・インフラ
・環境の大破壊をもたらした。香港大学教授が中国各地の公文書館を精査。
同館所蔵の未公開資料と体験者の証言から「大躍進」期の死者数を4500万
(大半が餓死。うち250万人が拷問死、裁判なしの処刑死)にのぼると算出。
中国共産党最大のタブーの全貌を明らかにし、北京が震撼した衝撃の書!>
  =投稿者の内容より=
≪ もし地獄というものが、あるとすればこの時期(1958〜1962)
 の中華人民共和国の姿であろう。この大躍進の前に、小躍進という大災害
があり、主としてスターリンのソホーズ・コルホーズを、中共がまねをして、
同じような飢餓と腐敗を味わったのであるが、たくみに、フルシュチョフと
張り合う形で、イギリスの鉄鋼生産量を追い抜くという、ばかげた、いや、
恐ろしい計画が、毛沢東がその権力維持の為に、発動される。それが大躍進
という地獄。共産主義国家において、しかも独裁者のもとでは、一度動き出した、
この地獄のプランは止められない。止めようとする者は地獄に落とされる。
およそ、考えられる地獄の様相はすべて盛り込まれている。単に餓鬼地獄だけで
なく、暴力、強姦毒殺、自殺のような他殺、親殺し、子殺し、人身売買、人肉や
泥、糞尿を食べる人、食べさせられる人、あらゆる冷酷のかたち、あらゆる
サデズムの形態で現実におこなわれる。発狂、逃亡、集団死、強盗、暴力
あらゆる悪徳、腐敗、無恥、がどのようにどこでおこなわれたかを、綿密に
書いていく。墓場から死体を掘り出し、あるいは飢餓で死んだ死体を肥料に
してまく。この歴史を国民に教えることはタブー。このような地獄のうえに、
その誤りを指摘する劉少奇を粛清するために、毛沢東は第一次文化大革命
第二次文化大革命へと権力維持装置をフル回転させるわけだが、ここで
日本でも教養人にファンの多い周恩来などは、自分の命を守る方に
うごいていたこと忘れてはならない。身近な人が、身近な人に襲い掛かり、
子供といわず、婦女子、老人をたたき殺す、その異常死の数4500万人
ともいわれた大躍進の地獄は、人々の心から、忘却されてない。≫
▼ これに文化大革命を加えると、7〜8千万人が死んだというから、
 人口の一割に当たる。もし日本だったら一千万人が犠牲である。
1958〜1962年なら私が中学校の頃、隣国では、こういう惨劇が!
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4740,<つまずき>の事典 〜   ー8
2014年03月07日(金)
  * 「他人歓迎」       <つまずき>の事典> 中村邦生編著
 既に亡くなったが、長年、連続テレビ映画の『ララミー牧場』の解説をし、
「さよなら、さよなら、またお会いしましょう」で終わる名調子の淀川長治
の言葉を紹介している。
☆ 『 映画は、ただ娯楽というだけじゃなくて、いつでも人間勉強させて
 くれるので、私は映画に命をかけました。ちょっと大げさですけど、映画
 への愛が今日の私を作りました。(中略)そして私は、映画から3つの
 言葉を学びました。「がんばれ、苦労、来い」。二番目は「他人歓迎」。
 “他人”という言葉を持ちなさんな、みんな仲間と思いなさい、映画は、
 そう言っていました。もう一つは「私はいままで、嫌いな人に一人も会った
 ことがない」。映画を見ていて、こういう言葉が出てきた時に、私はメモ
 しました。家に帰ってから、それを身につけようとして、今日まで来て、
 どうやらどんな人とも仲良しになれる気持ちになりました。愛は、本当に、
 豊かな人生をもたらしてくれます。』  :淀川長治「美学入門」より
  〜ネット調べると、以下も、なかなか良い〜
☆『愛というものがあるからこそ、人間は美しく生きられる。
 愛のない人間は汚い。お金だけで行きている人間は汚い。
 アメリカの言葉にもあります。「金で買えるすべてのもの、それは悪魔
 でも買える。しかし・・金で買えないものを持っているのが、人間。」
 それは、愛ですね。愛は金では買えませんね。そういうことも映画から
 教えられました。』         :「大人の学校ー入学編」
☆『キザな言い方だが、講演するときもこのあと私はきっと死ぬのだと
 自分に言い聞かせることにしている。するとその講演に命をかける。
 二時間がまるで20分ぐらいの勢いでしゃべってしまう。講演の後は
 汗でびっしょり。けれども不思議なことにこの方が疲れない。思いっきり
 やったという私だけの満足感が疲れを忘れさせる。』『人は必ず死ぬ。
 一日を十分生きなければ損だ   :格言[いつも人生最後だと思う]
☆『チャップリンは幼少時代ひどい苦労をなめた。貧しさのあまり頭が変に
 なった母とチャップリンは二人暮らしになった。父を5歳で失った時に
 母は発狂した。腹違いの9歳の兄はこの家から逃れて船のボーイになった。
 5歳のチャップリンは食べるものがなくなってマーケット裏に捨てられた
 残飯を拾ったこともあった。その苦労がのちのチャップリン喜劇の中で
 いかに生きて描かれているかがわかるのである。それにこの母が実は
 偉かったのである。気が鎮まって正気を戻すと、小さな我が子を枕辺に呼び
 「イエス様はお前が運命を全うすることをお望みなのだよ」と何度も諭した。
 つまり自殺をするなということである。それは小さな我が子に言うよりも
 苦しい自分に言って聞かせたのであろう。 そのチャップリンの苦労が
 のちに幸せの花を咲かせたのである。思えば神様は人間を豊かに幸せに
 するためにいつも苦労させるのだ。:格言[苦難のあとに幸せの花が咲く]
▼ チャップリンのコメディの基本となる「悲惨な生活の喜劇化」。
 彼の芸は道化師の芸からの頂きで、「サーカスのネタばらし=自分自身
のネタばらし」である。少年の頃から、お金を稼ぐため、大道やステージに
立って注目を集めるために道化師の芸を盗んだ。子供の頃の生活のための
知恵は、万人の心をうつ。『一日を十分生きていれば、どんな場面でも
乗越えることが可能である』が、それが一番難しい。 
『一日を充実させる』さえ心掛ければ、十分!
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