2007年04月12日(木) 2200, 反時代的毒虫 −1

才八∋ウ_〆(∀`●)      
 ー読書日記   

 何げなく図書館で、この本を手にして、ーまえがきにかえてー
  の部分の中の一節に目が吸い寄せられた。

カフカに「皇帝の使者」という短編小説がある。
ある男のところに皇帝の使者が出発したというお告げがある。
ところが、その使者は何時になってもこない。使者はその男が死んだあと、
到着するのである。私は自分をその使者を待つ男と同じでいいと思うていた。
ところが47歳の時、新潮社から『シオ壷の匙』という本を上板していただくと、
突然、私は白洲正子さま、吉本隆明氏、江藤淳氏の絶賛を浴びて、世に認められた。
皇帝の使者がきたのである。驚いた。「駄目な男」であることになれきっていた
私には、青天の霹靂である。あれから12年経ったいまでもまだ「変な気分」である。
    ーー
  そして中には、江藤淳水上勉白洲正子との対談が載っていて、対等に対談しているのである。
  本屋で彼の名前は見たことがある程度だったが、借りてきて読んでみたが、なかなか面白い。
    文学の授業を受けているような気持ちにさせられる内容である。

ー表紙裏よりー
私小説における虚点とは何か。命の通った言葉、通わない言葉とは何か。いかに女を描くか。
創作と金をめぐる関係とは。 小説とは、虚実皮膜の間に漾う人が人である謎を書くことである。
異形の作家が私小説の真髄を語り尽くす。

  ー1998年から2004年までの間の車谷長吉が行った対談や、妻・高橋順子との句会が掲載されている。
     対談相手は、江藤淳白洲正子水上勉中村うさぎ河野多惠子奥本大三郎である。
     小説やエッセイの毒虫的な車谷からすれば、たやすく想像されることではあるが、
     人と語る車谷は誠実で、言葉を選んで、理性的で、少年のようである。

 ーまずは江藤淳との対談ー
  『私小説に骨を埋める』から
江藤淳との対談は、それぞれの言葉が相手の言葉を引き出す、非常に内容の濃い対談になっている。
車谷の言葉が非常に豊かに引き出されてくるのがわかる。

ーP16
車谷「私には私小説というよりも、まず物語を書くという気持ちがありました。
 その物語の「物」とは「物狂い」「物の怪」「物心がつく」の「物」だ、という意識があります。
 物を語るというのではなくて、物が語る。書き手である私に「物」がくっついて、 私の口、
 あるいは手を借りて、「物」がある物語を私に書かせる。
 初めて小説を書いた頃からずっとそう考えているんです。江藤「物が書かせるということですね。
車谷「はい。人間は2,3歳になると物心がつきますね。
 その物心の『物』とは何だろうと、ずっと考えていたんです。
 …夜にアパートで一人でいると、何ともいえず生きていることが恐ろしくなって
 きましてね。・・この恐ろしさが『物心がつく』の『物』ではないかと
 気づいたんです。『夏目漱石』で江藤さんがお使いになる言葉でいえば、
  (以下、字数の関係でカット2,008年04月12日)

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私の親戚にも何人か数奇な人生を生きてきた人がいる。
差し支えがあるので書けないが、書いたら面白い小説になる!
どの世界にも「事実は小説より奇なり」の話は転がっている。
             
            (℃゛)/ また、明日!
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