この本に著者・藤原新也の《語録》というコーナーがあるが、深い言葉が次々と出てくる。
  40年前の25歳の言葉だから恐れ入る。 印度という国が、彼の精神を育てたのか、
  元々持っていた素養なのか。 読んでいるうちに、いつの間にか自分と比べている。
  そして、小さな世界の中で、小さな習慣に甘んじている自分が浮かび上がってくる。
   比べること自体がおかしいが。
  その一部を抜粋してみる。

  ーーインドへの準備はとういうものだったんですかーー
 
二つある。捨てること。それに準備しないこと。僕の場合はね。学校。アパート。
家具。本。捨てて支障のないものは全部捨てたり、売り払ったりしたんだけど、
そうしてみると、案外ほとんど自分の身の回りのものに切実に必要なものは、
歯ブラシぐらいのものってことがわかる。 さっぱりしたよ。
 準備しないってのはね。情報を一切入れなかったことだね。旅の目的地に関する。
情報を入れれば入れるほど安心はふくらむけど、実像は遠ざかるよ。
十人の人が同じ情報を頭にぶち込んで「自由の女神」を見た場合、皆同じようにしか見えないんだね。
今の情報化社会の旅はこの病が恐ろしく深い。 むしろ実像を見るのが怖いってことなのかな。
実像が自分を侵さないように情報によって保護膜を作ってるのかも知れないね。
 〜〜解) 初めて欧州に行ったときの感激は、一切情報を入れてなかったのが良かった。
      当時は、旅行のショックで精神を病む人が多かった。
      現在は、あまりに前知識が多く、感動の幅が小さくなってしまう。
 ーー
物ができあがって滅びて死んで行って土に戻り、また別の何かの型をとって再生するという
大きなサイクルがあるでしょう。それはやはり自然物でないと表現されないわけですね。
そういう環境を目の前に持てなければやはり彼岸とかあの世、
この世といった感性は生まれにくいんですね。
 〜〜解) 現在の情報社会の一番の欠陥であろう。若者の質の劣化も、こういう部分がある。
 ーー
インドだかといって聖人.善人、素朴な人ばかりってわけじゃない。
悪人、俗人が入り乱れて人間博覧会みたいだね。日本はその幅が平均的だけど、
インドの場合は聖と俗の幅が驚くほどかけ離れている。カーストが百くらいあるとすると、
それほど人間の格=聖と俗のパリエーションがある。どのバリエーションの格でつきあうかで
自分の格が見えるんだね。類は類を呼ぶって言うでしょ。旅はまさにこれだね。
くだらない旅をしてる時は、くだらない奴とつきあってる。ふっきれたいい旅をしてる時は、
百の中の八十とか九十あたりの高い人間ととつきあっている。
しかし、高い人格の人間と出会う旅=いい旅、ということでもない。 
どうにもならない奴から、次元の高い奴まで、どれだけバリエーションが旅の中に展開されたかだね。
それが旅の豊かさだと思う。
 〜〜解) インドは、人間博覧会が露出されているから、面白い。建前も本音もない。そのまま。
      それが日本と対照的である。島国と大陸という環境の差もある。
 ーー
インドでのカーストというのは肌の色でもあるわけです。
日本からインドへ行くと、最初のうちは色も白いし、身なりも汚れてないわけですよ。
それが二ヵ月、三ヵ月いるにしたがって、色も黒くなって、服も汚れてくる。
そうするとまわりの反応も変ってくる。カーストが次第に下ってくるんだね。
乞食の対応もだんだん変ってくる(笑)。僕は最初の旅のとき、半年くらいで乞食から無視された。
無視されると、意外とこれが寂しいもんですよ(笑)。だんだん彼らと同じようになってくると、
初めは街を歩いていて一日に十人ぐらい寄ってきたのが、ポツポツやんできて、
最後には誰も見向きもしてくれない。ちょっと見捨てられたような感じもするのね(笑)。
 〜〜解) 白、赤、黄。黒と肌の色で身分が分かれているというのも露骨である。
      シンプルで良いことは良いが!


ーーヒンドゥ教は具体的な物と形而上的世界が一体となったような宗教らしいですが、
  その物を通して抽象世界・あの世が見えるというような世界は、藤原さんの写真の世界に近いですね。ーー

それは意識によってそう見えるというのではなくて、存在の仕方としてすでにあるわけです。
例えばアフリカへ行くと物の見え方が無意味になるんですよ、不思議なことに。
インドで、例えば太陽がバッと照って、石とか木とかに当るとその物の背後にイメージというか、
その存在の意味が立ち上がるということがあるところがアフリカだとこれが逆なんですね。
つまり光が当ると、物から意味がどんどんはがれて行って、ただ「在る」ということだけの世界になって行く。
トウモロコシ畑とかハイウェイとか、ビカビカの黒人の頭とか、それが全部等質の光を帯びてくる。
アフリカというのはインドとはちがった意味で原質の世界だな、と思いました。
石、と言ったら石以外の何物でもない世界なんだな。
インドだったら、石と言ったら、石の背後に何かの隠喩が働く。
どちらがすごいかと言ったら、インドの方が深いけど、アフリカの方がふっ切れている。
 〜〜解)宗教という文化の差だろうが・・・

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