2006年04月03日(月)
1826, ずっとやりたかったことを、やりなさい−4
                
          ー 3月22日 12:00記
 朝起きがけのモーニング・ページを始めて8日経つ。(3月14日開始)
 学生時代の卒業間近に半年分書いてあった日記がある。
 何の構えの無い、筆が向くままの文章だが、 もっと日常の些細なことや
 気持ちの動きを書いてあればと面白いのにと、読み返してみて実感する。
 
     それをカバーするのが、モーニング・ページである。
     何でも良いから気の向くままノート3ページに書いていく。
     書くことがなかったら、書く事が無いと書いた上に、その後に
    「ありがとう、嬉しい、楽しい、幸せだ、ついている、大丈夫、許す、よかった」
     などを自動的に書く。そうすると、不思議なことに何かが出てくる。
 
 学生時代はそれに近かったが、最近は構えてしまう。
 モーニングペイジは脳の排水というが、その排水に何かがある。
 この文章も頭に浮かんだままの内容の文章である。
 毎朝一時間近くかけて修正・構成している随想日記ーテーマ日記も面白いが、
 ただ何も考えないで起きがけに構えないままのモーニング・ページも面白い。
 これはHPで公開はできないし公開したら、そこに構えが入ってしまう。

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             − 3月30日 pm12:30記
「8週間は読み返さないこと」とあった。それでも数日前のものを読むとナカナカ面白い。
自然の、その時点の自分の言葉が読み取れるのがよい。
良いのは、ただ筆に向くまま書いてあるのがよい。
話題はソウソウないから、昨日の些細なことや、昨夜見た夢のことや、
昨日観たTVなど話題になってしまう。それが記録として残るのがよいのだろう。

    人は、一日6〜8万のことを考えているという。
    私は、それほど考えてはないが、それでもその時点時点考えている。
    それを起きざまに30分間筆に任せて書くのだから、後で読めば面白いのは当然だ。
    そうでもなくても、随想日記を一年後、二年後、三年後の同日読み返すと面白いのに。
    最近は、昼休みの20分を使って書きたしもする。

ただ何にもとらわれないで、些細な出来事に対する気持ちの動きを書き出すことが、
後で読みかえして共感するのだろう。外国にいった時に、このような文章を書いていたら、
後で読み返したとき一番の思い出になるだろう。それと同じことである。

 人生でも同じである。日常の何げないことこそ、大事なことなのだ。
 そして、それを自然体で記録をとして書き述べればよいのだ。
 その意味で、朝起きたばかりの時に30分間筆の向くまま文章を書くことが
 一番大事だとわかるはずだ。       ー4月2日記 am9:30

これを実施してから、20日になるが、続けるほど効果の深さに気づかされる。
先日から中央に日付をかいて○で囲んで、そこから放射線で外に大きな○を書いて、
その中に書き込む方法に切り替えた。マッピングである。
この切り替えがよかった。さらに昼に違う色のペンで書き足している。

  驚くのは、いくらでも書くことがあることだ。実際には頭には無数の雑念が浮いては消えている。
  そこには多くの砂や石に混じって金もある。その混合をとにかく書き出しておくことは、
  良い思いでだけでなく、それをベースに次の発展になる。要は、頭に浮かんだことを、
  そのまま書く習慣が良いのだ。何か自分が自分の中を散歩しているような気持になる。

これを過去の旅行中にしておけばよかった。書いた分だけ、その時の気持ちが後で読んだ時に残るからだ。
文章の中には、気持ちがそのまま残る要素がある。 それが良いのだ。
とにかく30分、3Pのノートに習慣として、自然体に書いておけば続ければ続けるほど
内容が良くなる。小説家の日記は、これを克明にしているのだろう。

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