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2005年04月03日(日)
1461, 「どう思いますか格差社会」
昨夜の19時半から22時半の特番が深く考えさせられる内容で、
好きな?巨人戦も殆ど見ないで、この番組に見入ってしまった。
社会ウォッチャーとしては、現在の凝縮された社会を見たおもいであった。
一部の勝ち組と負け組が、情報ネット社会とグローバル化のために分かれてきた。
それに対して、シビアな議論がつづいた。
議論内容はレベルの高いもので、自由闊達で好感が持てた内容であった。
「競争激化の結果としての格差も仕方がない」という前提で議論をしている。
もう日本一国だけの論理は許されないのを周知しての前提の議論であった。
格差はどの時代にも元々あったもので、今更でもあるが。
格差・差別をいうなら、天皇制そのものを問うことになる。
島国の王国の血筋だけで何で??という大問題がある。
国の体裁を取り繕うための飾りに、何で国税・血税であそこまで?という議論がある。
アフリカならいざ知らずだが?北欧的な庶民レベル的王族制度にすべしというと、
問題がすりかわってしまうが。面白いのは、出席者が「この中の座っている席の上側と
下の段差で出演料が違う。」という暴露があったことだ。
前の席は、大学教授や、成功経営者が占めていた。
いま一つの問題提起が、「引き継がれる格差」という問題がある。
「学力は、親の経済力と知識量によって決まってくる」という大問題である。
「家族の資源」の差がそのまま「子供の資源」の差になってしまう厳然たる事実がある。
中学校の同級生を事例に見るとはっきりしている。
所得の低い層では、学力が低くなるのは生活環境からみて当然である。
豊かな人と、貧しい人との差がますます大きくなってきている。
先進国で日本ほど教育費に親の負担がかかる国は世界にない、といわれている。
格差の問題は、深い問題であり、そう簡単に解決できる問題ではない。
行き過ぎた平等社会こそおかしいともいえる。
世界中で大都会でスラム街のない国は日本だけである。
また明治以来、社会で血筋より学歴を優先する社会も日本特有である。
潔癖に近い機会均等の日本社会が、グローバル化のため崩れるのも仕方がないことだ。
この番組の面白さは、参加者に多くの職業の勝ち組と負け組を意識的に集めて議論させたことである。
勝ち組、負け組という言葉に囚われすぎているのが良くないことだが。
日本そのものが戦後、経済的に筆頭の勝ち組で40年以上も謳歌してきた。
「アメリカ属国優待国の崩壊過程の現象で、その結果としての負け組への移行過程の一現象でしかない!」
と言えば、あまりもの現実的お言葉でしかないか。
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