2007年04月03日(火)
「定年以降の生き方」を考える
                          才八∋ウ_〆(∀`●)
    今年から、大量の団塊の世代が定年を向かえる。
   その第一期生が、この4月から正式に大量に会社から(悪くいえば)放りだされる。
   「組織」から離れて「個」として、どのように自立(自律)するかが問われる。
   「孤独」「孤立」した時に、自分と如何付き合っていくかが真に問われるのが、
   これからの人生である。

それまでの組織内での相互依存関係の環境が、自分自身への依存になるから厳しい。
宅上犬が「明日から家の外で暮らしなさい!」と翌日から屋外に放り出されるのと同じ。
勤めていた会社の価値観は、他では全く通用しないしないことに、そこで初めて気づく。
鑑札のある首輪があるうちは、誰も温かく向かえてくれるが、首輪が外されてしまえば、
誰も相手にしない。    その時ただ一人茫然とするしかない。

    そこで手っ取り早く「定年退職者の溜まり場」にソソクサと出かけても、
   「自己を持たない濡れ落ち葉同士の葉っぱ」の絡み合いになるのは、当然の成り行き。
    そこにいるのは自分と同じ「虚しさ」を埋めにきているゾンビばかり。
   「人生とは何か」を考えたことのない人は、自我の先の自己が希薄である。
    そこでは自我と自我のぶつかり合いになるだけ。

ここではゾンビの話ではなく、定年退職後の生き方を問おうとしているのである。 
面白いので、つい話がそれてしまった。
還暦になる前に10~30年かけてライフワークを確立すべし!ということだ。
今さら言っても仕方がないが・・  まあ、面白いから話を続けよう。

    そこでは即席でもよい、「楽しい」と思えることをやること。
    その「楽しい」が何かも解らないから始末が悪いときている・・・
    何時間やっても疲れないものを探せばよい。 それも解らない?
    じゃあ、愛玩動物ーペットが好き?なら、飼えばよい。 もういる。
    もし犬を飼っているなら、さらに小鳥を飼えばよい。

もし持ち家があるなら、家を売って、その資金で旅行三昧をすればよい。
その覚悟がなければ、家の中でウジウジすればよい。
二度とない人生、最後は楽しみ尽さなければ。定年後は、年金の他に10万円の収入が理想という。
年間120万円あれば、海外の安いものなら夫婦で二回は行ける。

    もし、ゾンビ的要素の強い人が読んでいたら、敢えて言う、
   「やっと、人からの束縛から抜け出て、孤独、いや孤立したのだから、
    あなたのような人の溜まり場には近づかないことだ。
    せっかく死が貴方の後ろから追いかけてくる歳になったのだから、
    その死への恐怖と危機を借りて、他人からの目や、プライド、見栄など、
    一度無視することである。 死の前では、そんなものは霞でしかない。
    限られた時間を自分の奥底の声の通り生きなくては、何の意味もない。

死ー無という絶対的な宇宙からみたら、自分の存在なぞ無いに等しい。
だから、一度独りになって、ジックリ多くを考えるべきだ。
図書館があるでしょう、図書館が!それと身近にいくらでも自然が! 美術館も、いや百貨店もある。
それに気づくには独りになりきることしかできない。
誰かに言われそうだ。 シツコイ!同じことばかり書いている、と。
定年の時期なので、ついつい! ウトサイダー的人生観は、これから必要になるから?
            ホンジャ、バアアイ♪♪((((*`・´))ノ

別の声)そういうけどね、今さら如何すればよいんですか、
路頭に迷ってしまっているのだから、致し方ないのです。
ただ、朝起き、飯喰って、ボーッするのも、良いじゃないですか。それしか出来ないのだから。
何で好きなことを探さなければならないのですか? こういう生活が好きなのだから、
ただ比較しているだけじゃないですか。ウジウジして生きる、ナメクジの人生もあるのですよ。
人生、人生というけど、ナメクジのはった跡を言っているだけじゃないですか。 そんなもの!

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