2005年03月29日(火) 
1456, 生命保険に入る馬鹿、入らない馬鹿

私は生命保険には入らない主義である。
「馬鹿馬鹿しい!何で自分が死んで保険金が?それ位なら、
 その保険金を相手に直接やるか貯金すれば良い。 保険屋は確率の問題で、
 奇麗事をいってピンハネしているはずだ。」 というのが私の理屈である。

もう一つは、
「先のことはわからない、だから心配したって仕方がない。
最悪の事態になったとして、それがどうした?!」という考え方が基本にある。
保険に入る人は「先のことはわからない、だから心配だ」という考え方なのだろう。
「だから心配だ」と「だからどうした」の分岐点で考え方が変わってくる。
それぞれの人は色いろな立場と事情があるので、私の場合の話と断っておくが。

平均寿命80歳が、生死の五分五分のラインである。
それ以上生きた場合、生命保険金は支払われないものが多い。
この辺に保険屋のマジックがある。その事実を知らない人が意外と多い。
(母もそうだったが、この事実を知らないで80歳まで保険に加入していた)
80歳以前に死んだ場合に、残された家族の生活には有効であるから保険に入るのだ。
しかし保険屋というものは、不安事業でしかない。
その不安をくすぐって加入させる保険のオバちゃんがいるのだろう。
したがって、詐欺的要素が出てくるのだ。

壮年で亡くなった場合に、家のローンや子供の教育費が負担に対するヘッジとして必要だろうが。
といって博打であることも確かである。保険屋の立場からみれば、あくまで博打の胴元でしかない。
無知な大衆から利益を得るのが目的である。
相互補助団体といえば、何処かの宗教団体と同じだが、不安解消ビジネスであることも同じである。

箪笥預金も同じだろう、将来が不安と、生活を切り詰めて貯金をして死んでいく。
お笑いであるが、本人にとって不安なのだろうが。
不安感に対して、「それがどうした!」「で、どうした!」「何とかなるわい!」
「大丈夫大丈夫!」と自省してみれば、その金を楽しみに向けたほうが良いのが
わかるはずなのだが。 無知の一番気の毒なカタチである。

最後は生活保護を受けられるから何とかなるし、死んでしまえば一円もかからない。
自分は死なないと思っているから貯め込みたくなるのだろうが。

「大金を残して死んだ孤独な老人」というのが一番滑稽である。
金の本質を考えれば、哀れな生き方ということは自明である。
使い切れないほど使って、大金が残っている人もいるから一概に言えないが。

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