2007年03月22日(木)
2179, 親の仕送り
            才八∋ウ  _〆(∀`●) 
 先日の新聞に
「首都圏の私大に昨春入学した子供を持つ家庭の家計負担」
 の実態の記事があった。
 私の息子二人が一年間だけだが、
 自宅外通学で関東の大学に在学した時期がある。
みるみるうちに貯金が目減りをしたのを記憶している。
あれから10年になるが、当時は「一年間は仕方ないか!」
ぐらいしか考えてなかったが・・ 学費とアパート代と生活費など、
年間400〜500万はかかっていた。
  少子化問題というが、現在の日本では多産なぞ出来るわけがない。
 
 ーその内容を、まとめてみるとー
:平均借り入れ金額が170万円台に達し、自宅外通学者は207万円、
 過去最高になった。
:毎月の仕送りは初めて月額10万円を割り込んだ。
 6年続けて下がり続けており、家賃をひいた生活費は平均は3万9千円。
:自宅外通学者の初年度の負担が307万円。
:入学費用の銀行からの借入者が30・7?。 207万円。
 自宅通学者で25?の世帯が借り入れをしていて、138万円という。
  自宅外と自宅の通学者平均174万円。
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   これからみても、厳しい実態が窺える。両親にしてみれば、胸突き八丁というところだろう。
   苦労して育てても、結婚すれば嫁か娘婿に疎んじらる。これも順番であるから仕方ないが。
40年前になるが、昭和40年前半の頃、私の寮費は水道・ガス・電気代込みで4千円。
学費は家から学校に直接振り込み。家賃も大家に直接振り込まれ、生活費が郵便為替で1万5千円の送金。
生活費と交通費と小遣いで、手元には何も残らない程度であった。
使いすぎて生活費に困ったことは一度もない。
家からは、父親が3ヶ月に一度位に、米と柿の種と、インスタントラーメンを送ってくれていた。

   手元には常に子供の頃から貯めていた10万円の現金が部屋に隠し置いてあった。
  (当時としては現在の70万円位か)今から考えてみると、一種のお守りみたいなものだった。
   都会では誰も助けたり、優しくはしてくれない。最後はお金であると、かたく信じていた。
   しかし、手をつけたことは一度もなかったが・・・

   卒業の一年前になって、急に父が寮に寄って、
   寮の貧乏暮らしの実態に驚き、仕送りを二倍にしてくれた。
   これで大學生活は急に華やな舞台に様変わりをした。
   このとき、お金の有り難さをいやというほど知った。
   気持ちの上で、これだけリッチな気持ちになったのは人生で初めてである。
   少なくとも一年間は一挙に二倍の収入アップで、小さな段差の幸せを味わった。
   
    まあ、恵まれていた!ということか。 人生を振り返り、恵まれていた!
    と言い切れることこそ、豊かな人生ではないかと、学生時代の断片を振り返って実感できる。
     この程度でだが! 解釈、解釈、考え方、受けとめ方!         
                    ヽ(´π`)ノばあ〜い
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