007年03月21日(水)
2178, 宮城まり子私の履歴書)−2
                 才八∋ウ  _〆(∀`●) 
  
    二週間前にも「宮城まり子」について書いたが、その後の「私の履歴者」が、
    ますます面白い。恩師の舞台演出家の菊田一夫と、作家の吉行淳之介と、
    母親との出会いと邂逅が、「宮城まり子」の背骨をつくり出したのだろう。 
    いや、何も自分の辛さを語れない脳性マヒの子供もいるが・・・

  彼女の言葉から人生の辛さと、優しさと、叫びと、悲鳴が・・聞こえてくる。
  心の純真さが「自分が演じ損ねた演劇の役の脳性麻痺の子」に人生の全てを尽くす!
  という生き方を選択させたのだろう。その生き方そのものが、そのまま胸に突き刺さってくる。

    合歓の木学園を開くキッカケが、脳性マヒの少女を演じたミュージカルの
   「何もしないで出世する法」という。
    その役で七転八倒する苦しみが文章から直に伝わってくる。
    脳性マヒのため思い通りに手足が動かない場面で、人の悲しい形で笑いをとる
    ことに抵抗を感じ、からだが全く動かなくなる。
    それも精神的に動かなくなり、そのことで悩む姿が痛々しい。
    その場面が芝居のハイライトなるが、笑いが取れないで、菊田一夫とやりあう。
    それがキッカケで役者をやめ、その病の子供たちのため一生を捧げることになる。

 「やさしく やさしく やさしくね やさしいことはつらいのよ!」
  と、「ねむの木学園」のHPのトップページにある。
  やさしさは、辛いことである。愛を行動に転換すると、「やさしさ」になる。
  愛とは何だろうとか考える暇があったら、人に優しくすることである。
  しかし、強くなけば優しくはなれない。

    吉行淳之介の元の奥さんが、その後の彼女を生き方を見ていたら、
     欺瞞、それとも深い愛情を感じるのだろうか。
    あらゆる情念が吹き荒れた後に、最後は忘却しかないか!
     
 生きることは、つらいこと
      そのつらさが、やさしさをつくる土壌になる

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