2006年03月19日(日)
1811, ずっとやりたかったことを、やりなさい−3
           Good☆':.*^ヾ('c_'ヽ,,)*.:'☆Morning

空想上の子供をイメージで作り、その子供のために特別な時間をとって、
二人だけのデートをする。その子供のために特別指導をする。

   私のライフワークにしてきた、秘境旅行がそれに似ている。
   世界の端を点?で埋めていくストーリーをたて旅行していく。
   上野のスカイライナーを乗ったと同時に、別世界の子供になる。
   そして、帰ってきてスカイライナーに乗ると同時に元の自分に戻る。
   これは年二回・平均10日間の私にとっての違ったカタチの
   アーチィスト・デートである。少し違うか?
   20年間続けてきたウォーキングもアーチィスト・デートか?
まずはアーティスト・デートとは何かを要約してみる。
       ~~旦 ゝ(-_- )
                まあ、お茶でも!
 ーアーティスト・デートー

  「人は皆、内なるアーティストをその心に抱えており、
   今までの経験や年齢等に関係なくアーティストとしての創造性を秘めている。
   そして誰でもカンタンに(もちろん継続と努力は必要だが)
   その才能にアクセスする方法がある」

ここで誤解しないでもらいたいのは、アーティストの才能とは
画家・音楽家・歌手・陶芸家・舞踏家といった俗にいう「アーティスト」
だけを表すものではなく、全ての職業に共通して求められる「創造性」の開花をいっている。
その意味で、全ての人を対象にした才能開花術である。特にクリエイターの方々
(デザイナー、各種コーディネーター、ライター)には参考になる方法である。

    机上の空論ではなく、才能開花のための実践的なトレーニング法が
    12週間という具体的なプランに落としこまれた、レーニングプログラム。
    本を読みすすめていきながら書かれている通りに、一週間約30ページずつ、
    作業を進めていけばよい。

そのプログラムの核ともなるべきものが「モーニング・ページ」と
「アーティスト・デート」。先回はモーニング・ページを紹介した。
今回は「アーティスト・デート」である。
                    _〆( ̄Д ̄||)
  ー本文から要旨を抜粋してみる…

《アーティスト・デートとは具体的に何なのか?
それは週に二時間程度のまとまった時間をとって、
あなたの創造性の象徴である「内なるアーティスト」
の育成に専念することだ。
    もっとも基本的な形を言えば「アーティスト・デート」とは旅行であり、
    あらかじめ日時を指定しておくデートであり、他人の進入を禁じた時間だ。
    「アーティスト・デート」には部外者を同行させてはいけない。
行ってもいいのはあなたと、あなたの「内なるアーティスト」、
つまりあなたの「想像する子供」だけだ。
恋人も、友人も、配偶者も、子供もだめ−どんな肩書きの人もお断りだ…》
   要約すると
   「週に二時間ほど自由な時間をとって、その時間だけは
    自分が好きなアートを好き勝手にやりなさい」ということ。
    
   * 私は読んだとき、私が毎朝しているウォーキングが正に
     「アーティスト・デート」である。

《 怒りは耳を傾けてもらいたがってる。
 怒りは声であり、叫びであり、懇願であり、要求である。
 怒りは敬意を払ってもらいたいのだ。というのも、それは心の地図だからである。
 怒りは私たちの限界がどこにあり、私たちがどこに向かいたがっているかを教えてくれる。

    また、自分が現状に満足できなくなっていることを知らせてくれる。
    ・・・ 怠惰、無関心、絶望は敵だが、怒りはそうではない。
    怒りは友達である。
    素敵な友達でも、やさしい友達でもないが、きわめて誠実な友達だ。
    それは私たちが裏切られたときや自分自身を裏切った時、
    かならず知らせてくれる。
    そして、自分の興味に従って行動するときであることを告げてくれる。
    怒り自体は行動ではない。行動への招待である。》

《アートとは、みずからを社会にさらす行為である。
 アートは物事に光を当て、私たちを照らし出す。
 そして、私たちの中に残っている暗闇に一条の光を当て、
 「みえるでしょう?」と語りかける。
 あるものを見たくないと思っている人たちは、
 それを見せる者に怒りを覚え、徹底的に糾弾する。》

    《真摯な表現はクロゼットを開け、
    地下室や屋根裏に新しい風を送り込み、癒しをもたらす。》
   「違った別人格の子供を内に持ち、その子供のために課題を与え二人だけの
    時間を持って、育て続ける」ということ。
    それはライフ・ワークには待っている自分とどう違うのか?
    と問われれば、
    「それをもっと合理的に内なる指導者の目をクリアにしなさい」ということか。
                   ε(´',_c')зβyё 〜
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