2005年03月19日(土)
1446, 小学校中退、大学卒業 −2

花柳幻舟の文章の中に、実際に血みどろになりながら、
極限を乗りこえようとする魂の叫びを感じ取ることができる。
言葉の中にウソも虚飾も全く感じない深い心の叫びがある。

学問に対しても、その本質を求める気概が正直に述べられている。
自分を日本のインテリと、お述べになっている何処かの教授より
学問の意味・真髄を実感しているのが解る。

以下は、昨日のつづきである。
ーー
一日20時間の猛勉強をつづけ、塾入学6ヶ月には司法試験の模擬試験で優秀者の中に堂々と並んだ。
一橋、中央、東大等法学部現役学生を抜いていった。アルファベッドもろくに読めない小学校中退の、
しかも人生の折り返し地点を過ぎた私がある。

人間、やったらできる、それまでできなかったのは、私がやらへんだけかっただけや。
集中力は全てを可能にすると実感した。
学校という、地域という排他的の中で、私ははじき出され、私の読み書きは奪われてきたのである。
私にとっては恐怖の学校と先生に必死の思いで対峙した。

ついに私は、学問と学校は違う、教養と学歴は違う、無知と無学も違うということを心底知った。
私は学校と学問を一緒くたんしていたのだ。

学校は、教育の現場は、今も排他的で差別的だが、学問は素晴らしい。
学問は、人間に勇気と希望、物事の本質を見せてくれる誰にも開かれた世界だ。

私の大学卒業論文は、誤報と伝聞を繰り返すメディアによってつくりあげられた
虚像化された「花柳幻舟」という一人の創作舞踊家の、デビュー当時のいびつな加熱な報道を検証し、
いまや巨大権力といわれているメディアの‘光と影'の深層に踏み込んだものである。

卒業論文の評価を、副学長が次のように言ってくれた。
「こんな面白い卒業論文があってもよいんじゃないか」 と。

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