2007年03月16日(金)
 2173, 「いい場所」とは何か 
         才八∋ウ_〆(∀`●)          
     「ファンタジーの魔法空間」ー 読書日記
        著者・井辻朱美 岩波書店
    
    著者が恐竜や古代文明を求めて博物館めぐりをしていた時に気づいたのは、
    博物館という場所が、外界とは切り離された凝縮された場所ということである。
    最も古い時代の物は必ず最下階に展示され、そこから上の階に昇るにつれて現代に近づいていく。
    そして出口には必ず土産物屋やカフェが置かれて「現実へのなだらかな再接続が準備されている」
    という。 博物館は時空のトラベルの装置であり、空間化された時間である。

また、テーマパークのアトラクションも、閉ざされた建物に入ることによって、
短い死と再生を体験するように仕組んである。
そういう空間を創り出し、体験することこそがファンタジーの核であり、
ファンタジー作品を支えているのはそういった空間なのではないか、という切り口である。
それに気づいた時、著者はファンタジーを「場所」や「空間」という
隠れたコードから読み直すと、より面白いという。

    この書ではファンタジーを、
   ・「家」という空間のファンタジーと、
   ・「旅」という、別世界への道程のファンタジーと、
   ・「魔法」のファンタジー
     3つの織りなす物語と説明している。

ところで、「いい場所」とは何か?意識したことがあるだろうか。
それは突きつめれば家族の団欒という場所である。
そこで、われわれの精神をつなぎとめ、温め、力を与えるのである。
そこには厳しい父親がいて、優しい母親がいて、温かい食事を皆でとること、
そこが「いい場所」なのである。

    いい場所に神棚を置くのではなく、いい場所だからこそ、神棚を置くのである。
    民族にとっては、その聖地が「いい場所」になる。
    これも然り、そこが、いい場所だから聖地にするのである。
    村にとって、鎮守様の祭ってある広場でおこなわれる盆踊りが「いい場所」になる。
    家の「いい場所」の台所は、一家団欒のための煮炊きの釜戸のあるところ。
    そこは家という母性的な庇護空間の中でもとりわけ母と結びつく。

もう一つの、「いい場所」とは、屋根裏部屋(今では子供部屋)である。
とりわけ自分の部屋の押入れの中とか、押入れの天井の空間があれば、
そこが子供の隠れ場になる。 そこで最も静かな孤独への上昇をこころみる。
母親から見れば、そこに引きこもって誰もそこにはいれようとしない変な空間だが、
本人にとってそここそが聖地なのである。
そこで独り高みから、世の中を見下すことができる唯一の場所である。
しかし、独り閉じ篭っていたその場所も、ある事件を契機に出ざるを得なくなる。
ある事情で、ある日あっさりと何でもない空間になってしまう。

    これは、誰でも経験する通過儀礼である。「いい場所」は誰でも持たなければならないのだ。
    しかし、それは年代ごとに変わっていくものでもある。
    変われなくなったのが、引きこもりになる。
    この冒頭に博物館に触れたが、そこは人類の屋根裏部屋でもある。
    我われの中に刻まれた古い記憶の痕跡として懐かしい場所にある。
   そこは屋根裏部屋にある、先祖の写真だったり、家の宝と同じようなものである。
   
    最近、図書館から4冊のファンタジー関連の本を借りてきたが、ただ単に異空間や、
    魔法の話ではない。自分の心の屋根裏部屋の中の秘密の箱を開け、
    違う世界へ誘う魂への扉である。
    色いろの人生経験をしてきたからこそ味わえるファンタジーも、また良い。
    数年前からWOWOWでファンタジーの映画やレンタルDVDを多く観ていた。
    「ハリー・ポッター」や「指輪物語」「ナルニア物語」など・・・
    秘境ツアーでケニアパタゴニアで遊びに行くことも、
    ファンタジーの世界を旅するようなものである。
      そこが私にとって、もう一つの「いい場所」である。
             
               ヽ(*´∀`*)ノ.+゚ホンジャ〜バイ♪.+゚
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