ーある作家の大病経験からー

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  作家の石川好の大病経験の手記が、「生老病死」の「 老病死」を迎えるに当たって、
  示唆を与えられた内容であった。彼は以下の文章を書く4年前にリュウマチに罹り、
  インドの病院に入院した経験から、病気経験だけでなく、人生の在り方まで学んだようだ。

ーまずは、その部分を書き出してみた。 とくとご覧あれ! 
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病床に伏して思い知ったのであるが(今更気がついたとて遅きに失するのであるが)、
体力のある人間はおのれの体力を過信するものである。
もし仮にわたしの体の一部にでも弱い部分があったのなら、
日常生活においても仕事においても、病気いうことをわきまえ、自重していたはずなのだが、
体力に自信のあるわたしはそれまでひたすら走り続けたのであった。
無病息災という言葉があるが、重い病気を患い、むしろ一病息災が望ましいのだと思ったのである。

入院中インドの医者の、その技術的なレベルが優れていることに驚くとともに、
医者と患者との関係がいかにあるべきかを巡回してくる毎に話しかける、
その見識に、わたしは深く心を打たれたのであった。
例えば、わたしが入院した日、医者達は次のように述ぺた

「私たちはあなたの病気を治し、元の体に戻す自信がある。
しかし何より重要なのは、あなた自身が我々と同じ医者のメンバーになる自覚を持つことです。
それは、具体的な治療は我々がするのですが、あなたには病人であるあなたを、
精神的に励ます医者の役割をやってほしいのです。あなたに自分の病気を泊す意志や気持ち、
あるいは闘争心がなければ我々がどんなに努力をしてもあなたを完治させることは難しいのです」

病人になってみれば、頼るのは医者だけだと思っていたが(勿論それは間違いのない事実であるが)、
その先生は、病人になったが故に、なおさら人間は自ら生きる意欲を持たなければならない、
と暗に言っていたのである。 自分達医者は病人の自己回復力を手伝う人間にすぎないからだ。
そういう考え方をその医者は説明しようとしていたのだ。

こういう医者達との会話の中で、わたしは思い知ったのであるが、
人の生き死にとどう立ち会うかを職業とする医者が、結局人間はすべてその人の意志の強さ
(あるいは弱い意志の持ち主であるのならばその弱い意志をどのようにして強くするのか)
を鍛えるために生きているのだ、ということを、これまた暗に伝えているように聞こえるのであった。
わたしは前に述べたようにそれまでの人生で入院したこともなく、また十人家族の中で育っても、
母親が長いこと腰を痛め入院した.ことを除けば全員がすこぶる元気だったので、病気とか、
それが進行しての死というものを深く考えることはなかったのだが、
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以上だが、「宇宙の意志が、地球を奇跡の星として創り出した。
そしてそこに自然と、生命をつくり出し、人間を創り、この宇宙の意志が(己の目で)
自分自身を見るようにした。」(幕末の僧)のである。意志こそ、大自然の力である。
かつ知識を積むことのできるようになったのは、目に見えない意志があればこそである。
インドの医者の言いたかった、
「結局人間はすべてその人の意志の強さ(あるいは弱い意志の持ち主であるのならば
 その弱い意志をどのようにして強くするのか)を鍛えるために生きているのだ、
その意志こそ、我々人間の一番大事な何かが隠されているのである。
「死ぬまでは生きている」のである。そして生きている間は、意志を大事にすべき。」
ということだ。

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