2007年03月06日(火)
2163, 池田晶子が亡くなった!
                     才八∋ウ_〆(∀`●)サン        
    「哲学者の池田晶子さんが亡くなった」と昨日のモーニング・ショーで、
    読売新聞元政治部長の解説者がコメントしていた。
    二年間に彼女の本を6冊を「何度も」読んだ。
    「生きることは考えること、考えることは生きること」と、
    自分の頭で考える必要性を説いていた。
    哲学を普通の言葉で説明するのが売りで、彼女の本を読みこんだ分だけ、
    地頭で考える力がついていったような気がする。   σ('、`)? 私は誰
    地頭思考訓練・練習帳というふうであった。
    「ソクラテスデカルトを学ぶことは、哲学とは何かとか、何を言ったとかを、
    学ぶことではない。彼らの学問を通して考えることを学ぶことである」
    が印象に残っている。  なぜ生きているのだろう(?_?)
    常に考えるため、トイレの中にも、会社の机の上にも置いてある。
                             OH 〜そうか!(・0☆)
最近の出版さた本は殆んど読んでいた。
しかし亡くなったのを契機に、以前の本を読んでみることにする。
二ヶ月前、中・高校の同期生がリンパ癌で入院した見舞いに、
「14歳からの哲学」を持っていった。
「自分の死(一人称の死)は存在しない!」が、その中に書いてあるからである。

   「昨年秋に肝臓ガンを手術、先月の2月23日に亡くなった」と報じていたが、
    自分の死に直面して、どういう気持ちであったのだろうか?
    今度、彼女のことを書いてみようか!
    成る程「生と死の塀の上」でなければ、これだけの哲学は書けないのだろう。
    何が彼女をして、ここまで深く考えさせたのだろうか?
    と考えていた矢先に、この訃報である。その辺だったのか?
    死というブラック・ホールの際にいたから、真理が鮮明にみえたのだろうか?

*最近の彼女の著書で○印は読んだものである。
 どれも同じようなことが書いてあるが、それでも面白いものは面白い!
 「一度哲学の意味を充分に噛み砕いて普段の言葉に変換する」
 のが彼女の役割だからだ。
 難しいことを難しくいうことは誰でもできるが、素人にはなかなか簡単に説明できない。
      それを買ってでたのは素晴らしい。
      ×印をさっそく注文した。
    〇14歳からの哲学―考えるための教科書 (トランスビュー、2003年)
    〇あたりまえなことばかり (トランスビュー、2003年)
    ×新・考えるヒント (講談社、2004年)
    〇41歳からの哲学 (新潮社、2004年)
    ×さよならソクラテス (新潮社、2004年)
    〇勝っても負けても 41歳からの哲学 (新潮社、2005年)
    ×メタフィジカル・パンチ! (文藝春秋、2005年2月)
    〇勝っても負けても(新潮者2005年6月)
    〇人生のほんとう (トランスビュー、2006年)
    〇知ることより考えること (新潮社、2006年)
    ×君自身に還れ―知と信を巡る対話 (共著/本願寺出版社
  
  人が人生をかけた言葉は、魂の言葉になって鳴り響く!
    言葉が垂直に立っているということか! ご冥福を!  
    http://www.president.co.jp/pre/20050131/003.html      
               ¥(*^_^*)\ バイバイ 
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