2004年02月24日(火)
1056, 千回の力

「何事も千回続けると、何かが見てくるか、何かを感じるようになる」という。
散歩時に「ありがとう」を言い続けて、千回を越えたあたりから何かが変わる。
心から「ありがとう」の言葉が出てくるのだ。

そういえば、この随想日記も千回を去年の暮れに達成をした。
千回を達成した安堵感の為か、その後何も考えたことがなかった。
そこで改めて「何か変わった事や感じることがあっただろうか」を内省をしてみることにする。

・ものを見る眼が全く変わった。
 ー記者の目、書き手の目で現象を見る習慣がついた。
・テーマ探しを無意識にするようになった。
・そして、そのテーマに対し内省をするようになった。
・脳内サテライトの面白さを実感できるようになった。
・自分が知らない読者や、子孫を意識をして書くようになった

「何かが見えたか」と問われれば、別に何も見えないし、
「何か感じたか」と問われても、何も感じない。
しかし、書き始めた以前と、それ以降という感がする。
脳内を公開することが想像する以上のインパクトを自分に与えていることになっている。
書いている内容に対してコンプレックスも自信も、全くない。
ただ考え、感じた全てを、書き込んでいるだけだ。
その集積が、基地としてのネット上にあることは異様な感じである。

「石の上にも三年」も大よそ千日である。
一つの言葉を気持ちを込めて千回いえば、大よそのことが達成可能になるという。
「駄目だ駄目だ!」と自然に流されれば、繰りかえしてしまうものだ。
言葉は、意識して使わなくてはならないと解っているが・・・

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