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現代をマイナスの視点で照射すると、「不安の時代」といえるだろう。
修羅場を幾つも乗り越えてきたものにとって、「何が不安?」と笑ってしまうだろう。
イスラエル人が日本にやってきて、「この国が不安の時代」と聞いたらフキ出すだろう。
十年ほど前、イスラエルに旅行中に「アメリカの高校で乱射事件」があった。
その時の現地に住む年配の日本人ガイドが、
イスラエルでは間違っても、ああいう事件は起きません!
常に敵に囲まれていて内輪もめなどの余裕などない。 
兵役中の家族の一員が家に小銃を持ってきたり、
 町やバスの中には機関銃を持った兵士が乗っている。
アラブ人との殺戮が日常化しているイスラエルにとっては、
あのような事件は呆れる以前である」 と語っていた。

社会の不安感が、蔓延しているのは逆に言えば平和ボケの結果であろう。
アメリカの心理学者のシーベリーは
「不安は、否定的な結果にすべての注意を向けること。
 不安を持つと、思考や感情の流れを建設的にコントロールすることができなくなる」
「不安は、あらゆる不幸を背負った自分が本当の自分であると、間違って否定的に
 考えることである」という。
あらゆる不幸を背負うなど思ってしまうのも、ある時期には必要かもしれないが、
あらゆる楽しみ、感動も気持ち一つで背負うことも可能なのである。
不安に取り付かれるのは、無知そのものを起因している。そのためには知ることである。

だいたい、不安とは世間様に対しての意識が起こしている不安定な気持ちでしかない。
その世間とは何か?と考えると、身辺の7〜8人だろう。それも程度の低い。
その辺から見据えないと、自分の生きかたが歪んでしまう。
夢を常に持ち、一人で遊ぶ術を身につけていれば、不安感は最小になる。
それもこれも、やはり読書の積み重ねのベースを必要とする。
自分を心の底から信じられなければ、そして自分の夢を持ち続けなければ、
「最後は死ぬ?」という人生の一大事を知ってしまった人間の不安を
麻痺させることは出来ない。 
逆に、根源的な問題から目を逸らすためには、群れて笑っているしかないのか?
それで解消できるなら、それはそれで良い生き方である。
笑えるうちに笑っておけばいい!感動できるうちに感動しておけばいい!
直ぐに泣くときが来るのだから。その時はそれを受け入れるしかない。
あとは、野となれ花となれ!しかないだろう。不安など恐れることもない!
宇宙の微細の微細が何をしても、考えても同じ。
  ヾ(´∀`o)+。 ホナ! それじゃ、一人不安にさい悩まされている
              ‘一人プアー チャン’  バイバイ
  (1〜4は、2005年6月3日、7月1,3,6、7日記)

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