2007年01月21日(日)
2119, 家族につい
          (o_△_)oゴロン(o_ _)o.。o○グー   オハヨ〜

最近、家庭崩壊による悲惨な事件が続いている。
この歳になってつくづく思うことは、「家庭」の重要性である。
その人を判断するときに一番簡単の判断基準が育った家庭環境である。
といって、それぞれ当たり外れがあるが・・・

    神という存在があるなら、神は何と酷いことをするのであろうか!
   「連れ添いの当たり外れを五分五分にするのだから!」
    そして外れた場合、その子供は明らかに大きなハンデを背負わされる。
    子供にとって親の仲の良し悪しで、運命が大きく左右される。
    その上に両親との相性の問題もあるから、十歳までに能力・運命が決定
    されているというのも、肯ける。

人の幸福の第一は家庭内の平和である。
家内の平和とは、夫婦が互いに深く理解しあうことの他はない。
それがまず人生の基本になくてはならない。
色いろあったとしても、恵まれた家庭に生まれ、また恵まれた家庭を
つくることが出来ただけでも、良い人生であった。(自画自賛か)

    結婚するまで、私には帰るべき家があった。
    年越しで家で越せなかったことは就職をした年の唯一度だけであった。
    それまでは両親と必ず年越しをしていた。
    家内も家庭に恵まれた人で、愛情がタップリ注がれた人である。
    愛情をタップリ注がれた人は、芯が強く、明るい人生をおくる人が多い。

家族を辞書で引くと、「夫婦・親子を中核として、血縁・婚姻により結ばれた
近親者を含む生活共同体。」という。
家族は最後には何らかのカタチで分裂、消滅していくものである。
二人の男女が出会い、結ばれ、子供ができ、育って、巣立ちをしていき、
そして二人が次々と亡くなり、消滅していく。

    私が好きな「男はつらいよ」の主人公のトラには帰る家があった。
    そこには故郷の原風景があり、我々がひかれるのは、
    そこにある優しさと温もりである。幸せになるには、原則がある。
    幸せの家庭で育った人は、幸せになる人が多い。
    その原則の因子が育った環境で作られるのだろう。
    
ギリギリのところでどう考えるかである。
露出した家庭生活の中で、何処でお互いに折り合うかである。
幸せの家庭の中で育った人は、その折り合いのノウハウを学んでいるからだ。
夫婦なんぞ、こんなものでしかないことを!
しかし、それでも一緒にいれば良いことあることを!

  巣は一番大事なところである。巣さえしっかりしていれば、
  どんな不幸にでも耐えることができる。     
                   (^_^)v バイ 
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