四四太郎の霊日記ー4

イメージ 1

霊のことを、結局はお主の頭で考えた範囲のことでしかないと思うだろうが、
ワシの口を通すと全く違う視点になるのじゃ。
なぜなら無への窓としてのワシはいると言っただろう。
だからワシが話している時は、一種の瞑想の状態と同じ。
御前はワシが付いた時は、全く違った人間になっているのじゃ。

    ワシは気まぐれで、扱いにくいのだ。
    この宗親氏の道具でも使用人ではないからの~。

さて今日は何を言おうか考えてなかったが、
最近、癒しとかいう言葉があるじゃろう?    ( ̄ω ̄;)!!
あれはワシの目から見たらおかしいと思うのじゃ。
人間は生きていく上で、傷つき血だらけになるものじゃ。
その根本を変えないで、結果としての心の傷の対処をしようとするだろう。
まともな癒しは、その根本対処をするもので、傷口だけを治そうとする癒しは
何の対処にならない。
ただ爛れるよりよいから、緊急処置も必要だがね。

    人間世界では、何かおかしな風潮があるのが不思議でたまらない。
    傷つくのを異様に恐れたり、嫌ったりするが、それと同じくらい、
    その傷は人生の深さを教えてくれるものじゃ。
    親鸞とかいう坊様もいっているだろう、
    悟りとかは深い心の傷を乗り越えてこそえられるもの。
    アチラから見ているとそれがよく解るのじゃ。
    
  それにしてもワシの言っていることは胡散臭いの~
                         (^_^)v
  
        まあまあ、もういっぱい
          (*^ー^)/C□~~ コーヒーいかが?