浜三枝の著書『孤独って素敵なこと』で、今は亡き「松本民芸家具」
 の創始者である池田三四郎先生の思いでを次のように述べている。
≪ 箱根の家が完成したときに、池田先生を招いた時の質問。「美しいという
 ことは、どういうことでしょうか?」に、
「一本のねぎにも、一本の大根にも、この世の自然の創造物のどんなものにも
 美があるんだ。問題は、人間がそれを美しいと感じる心を身体で会得している
 かどうかなんだ。私は毎日、散歩をしながら、道端の草や花や、すれ違う動物
 や昆虫とも話をしているんだよ。暮らしの身の回りにいる者たち、そこにある
 物の、あるがままの美しさを感じる心が大切なんだよ。」そして、
「ひたすら道具や器を、そして自然を見て学びなさい」と、
「民芸で一番大きいのが家だ」とも。
その池田先生より、届けられたのが朱色の根来塗の燭台と、小さなガラス絵。
囲炉裏の部屋にこの燭台を置くと、箱根の家の印象が明るくなりました。
ガラス絵を柱に飾ると、優しい雰囲気が家に加わりました。 こんなに家に
ぴったりするものをよく選んでくださったと、その審美眼に改めてほれぼれと
感動し、また美意識が一緒だと嬉しく思いました。≫
 また<浜美枝ダイアリー>の中で、
≪「人間が自己の力を過度に評価し、科学を過信し、一切を知性によって合理的
に究め得ると錯覚した時代は、その後の日本が歩いた道であった。自然に対する
人間の勝利とは虚妄の勝利であったのではないか。近代精神のもたらしたものは
人間の傲慢であった。その傲慢さの故に、自己の創った科学文明のために自分
自身が復讐されつつあるとは言えないか…」と。

▼ 「美とは何か?」を考えると、まずはバランス。それも、エネルギーの
 満ちたバランス。そして、それを感じとる感受性。その感受性は、感動、
感激の重なりから熟成していく。だから幼児の頃から、道具、器、自然の美に
ことあるごとに触れて、感受性を育む必要がある。それには、親には幼児期から、
それに触れる機会を与える義務がある。小学生までの学力は、家庭内の文化的
格差によって左右される。例えば、「読書好きの親を持つ子どもは、本が好きに
なりやすい」「親が医者だと子どもも医者になる確率が高い」とか、「茶道や
お花の先生をしている親の子は、礼儀作法が身についている。これらは家庭内
文化資本による。 ウィキペディアによると、文化資本とは、
「金銭によるもの以外の、学歴や文化的素養といった個人的資産を指す。」
要するに、血筋、家系が大きく人間の素質に左右される。そのカタチが、個性
ということになる。成るほど、そういうこと。無暗に人を評価しないことだ。
 で、いま思いついたのが、「民芸で一番面白いのが、生身の人の姿・形だ」

・・・・・・
5578,突然、余命宣告を受けました ー?
2016年06月23日(木)
            『あの世へ逝く力』小林玖仁男著
   * 死にゆくとき、心は不安から解き放たれる
 死に際も不安だが、死期を悟った後の心の葛藤と肉体的苦痛も最重大事。
それまで生きた分の人生を圧縮して生きるというから、生易しくはない。
<もう少し生きたい>のが、万人の願いだが、<もう、いい加減、死にたい>
人も当然いる。「死にたくない」には、人生に遣り残したことがあるため。
 充分に人生の元をとった実感があるだけ、救いがあるが、やはり長生きを
しなくては。歳を重ねるたび、『もの、金銭』より、『こと、行蔵』に、そうそう、
移動していたことに安堵する。 〜その辺りより〜
≪ 以前、NHKスペシャル立花隆思索ドキュメント「臨死体験で死ぬとき心は
 どうなるのか」が放映されて話題になりました。死の最先端の研究をしている
世界中の学者を、立花隆が半年も取材してつくった番組で、「人類が答えを追い
求め続けてきた生と死にまつわる壮大な謎。その謎に挑む立花隆の思索の旅」
というものでした。七十三分にわたる難しい内容で、堅い番組にもかかわらず、
視聴率が11パーセントもあったといいます。
  番組のあと、立花隆は『文藝春秋』にこう書いています。
<『放送した番組を見ました』とか『面白かったです』という反応はあるのだが、
 今回は『有難うございました』と多くの人に言われた。こういう経験は初めて
だった。何故かと言えば、エンディング部分で『死はそれほど恐いことじゃない。
おそらく眠りにつくのと同じくらいの心の平静さをもって死ねるはずだ』という
ところに共感を持たれた人が多かったのではないか。年をとればとるほど誰しも、
自分が死ぬ時はどういう風に死ぬんだろうと気にかかる。しかし医療技術が
進んだ今日、お迎えが来るまで、けっこう時間がかかるものらしい。
 人間最晩年になると、もうこれ以上生きていなくてもいいやと思いつつ、
それでも自分から進んで最後の旅に出る気にもならない。ある種の優柔不断の
中に生き続ける。その根源にあるのは、最後の旅の中にどうしても残る一定の
未知の部分への不安だろうと思う。あれだけお礼をいう人が多かったのは、
未知なる部分への恐れをあの番組のエンディングがあらかた取り去ってくれた
ということを意味している>
 私は、立花氏のこの取材を、「膝を打つ」快挙と思いました。
私自身、死の恐怖が薄れていくのを実感しつつ、未知なる部分に向かう旅の道
のりを静思しながら、「死はそんなに怖くない」と同じことを思い、それを
大きな声で言う人がもっといるべきだと思っていたからです。
 立花氏は、その後もNHKに再登場したり、『文藝春秋』『週刊文春』へ、
「死ぬとき心はどうなるのか」のレポートを次々と掲載、話題になりました。
その『週刊文春』の中では、立花氏はこうも書いています。
「回復の望みがなく、あとに待つのはひどい苦痛ばかりということになったら、
そして本人の望みがそれしかないなら、安楽死は許されて然るべきだと思います」
こういう極論を有識者が言ってくれると気持ちがとてもラクになります。
「どうしても苦しくなったら安楽死を選んでもいい」と思ってもいいのだ。
もちろん外国で安楽死をするのは心情的に躊躇するものがありますが、
「伝家の宝刀」を抜いてもいいと後押ししてもらえるだけで、心強いです。≫
▼ 死ぬ原因は、生まれてきたため。死亡率100%である。当り前のことだが、
 生まれる前には存在してなかったし、死んだ後にも存在しない。宇宙時間
からすれば、平均寿命の80年は、一瞬である。その中にあって、そのことが
自覚できないで、蓄群の常識とやらに惑わされ一生を終える。それもこれも
妄想でしかない。同じ妄想なら、より鮮明にみたいもの。映画、TVで映像
による妄想を、書籍で文字を通した妄想を鮮明化してみれば良い。せっかく、
貰った人生、より広く、深く、味わって終えたいもの。 もっと、貪欲に!

・・・・・・
5213,閑話小題 〜私の高度成長時代
2015年06月23日(火)
   * 私の高度成長時代
 文藝春秋:2月号の特集に、『素晴らしき高度成長時代』の特集があり、
それぞれの高度成長時代の思い出の手記があった。1960、1970年代では、
今では想像を絶する右上がりの経済成長の時代で、各家庭には電気洗濯機、
テレビ、冷蔵庫が普及をはじめていた。昭和39年には東京オリンピック
開催され、私は団塊の世代の直前の生まれで、同期の競争という面では、
絶対数が少ないこともあって、競争意識が少なく恵まれた環境であった。
 10歳までは駅前の繁華街に、11歳〜18歳までは長岡駅裏に住んでいた。
高校を卒業直後に駅より徒歩10分の今朝白に両親にとって終の住家として、
当時としては豪邸を建てていた。その直前に進学のため上京した学生寮に、
何かの縁で入ったが、そこが500坪の敷地内に馬小屋のような「くの字」の
平屋。土間の通路の片面に、4畳半と6畳の部屋が20室ほど並んでいた。
 そこは今でいうシェアハウスのような共同生活で、国内の様々な地方出身の
学生が住んでいた。 各部屋にはドアがあるが、誰かがノックをすれば、
入室拒否が出来ない不文律があった。それで、様々な赤裸々な私生活を知るが、
人間を知るにはプラスにもマイナスにも働いた。そこで教えられたのは、
まず文学など基礎教養の絶対量の必要性を実感する反面、剥き出しのエゴと
品位が、まる見えになること。各自の素性を聞くことも、話すこともタブーで、
一学生という身分で、分け隔てのないのが学生時代の特徴である。地方出身者
と、東京在住では、生活の質は大違い。炊事洗濯のエネルギーは思いのほか、
大変である。時代は高度成長時代の真只中、学生時代を満喫していた。
 学生時代を大雑把に分けると、
・1〜2年が、クラブの合気道と合宿。 寮生活。
・2年の半ばから、軽井沢の山荘の手伝いと、夏休みの『人生設計』の構想。
・3年は欧州の一ヶ月の旅行と、そこで親しくなった友人たちのと交友。
・4年が武澤ゼミの入会と、そこでの卒論。 六日町の禅寺「雲頓庵」通い。
  3〜4年を通して、合コンが7〜8回はあった。 
現在から振り返ってみて、やはり、2年の夏休みの『キリスト教倫理』の教授
に出された宿題、『将来の人生設計案』の提出。この時に、人生で初めて、
自分の将来を真剣に考え、提出した。時は、日本経済の高度成長、真只中。

・・・・・・
4848、「事業人生を決心して45年」の語り直しー20
2014年06月23日(月)
    * 衣料品の季節物は投機商品
 秋物の後は、冬物、春物、夏物と一日一日が全く新しい経験。
新シーズンの商品に出会うのは、一周りする一年間は、何もかも初めて。
セーターを例にとると、その素材はウール100%とアクリルがあり、
その混毛もある。その裏を見ると、生産メーカーや、素材などが表示してある
ことすら知らない。それを地元問屋の専務から一つずつ教授して貰う日々。
ひたすら、その場、その場で憶えていくしかない。しかし、過去の勤務先では、
毎日が、高速配転という名の現場教育で、連日が未知との出合いは経験済み。
キャリアとは、各部所への配転で、多くの仕事をこなした職歴を持った総合職。 
仕事を身体で憶えるには、現場配転しかない。20歳の頃、「父のような
創業者を目指す」と決意したとき、それは、新規事業を立上げるキャリアを身に
つけるため、留まることない自己配転の人生を選択したことで、常に、その圧を
自分にかけ続けることになった。 新潟駅前のビジネスホテル事業シリーズが、
この結果に終わったのは、10年目か、少なくとも15年目で、その事業から身を
引くか、違う事業に転身出しなかったため! その善し悪しは別として、創業を
繰返す人生を、社会の出発点の構想が、ここでブレていた。 雪国の壁の中、
茹で蛙になってしまい、バブル崩壊とネット社会の到来がもたらす激変を読め
なかった。 「まさか、ここまでの激変が?」では、事業者は許されない!こと。
最後の結果は、時代の激変だけが原因でなく、私の時代感覚の鈍さであり、
「元は私、そのまま、結構」と、諦めがつく。話は戻る。現場に飛び込んでみて、
季節物衣料が投機商品ということを、直ぐに思い知った。一年を、春夏秋冬に
分け、それぞれを、導入、最盛、見切り期に、1ヶ月に分ける。とすると、
季節ものは月単位の、思いきった判断が求められる。それが商品毎に違うため、
年中、切った、貼ったの、投機商品の只中に身を置くことになる。ヤクザなら
「切った(殺傷)、張った(博打)」。衣料品なら、正札の「切った(値下)、
はった(正札上に値下値を貼ると、売れ筋に商品を集中)」になる。これには、
経験と、直感と、場数が必要になる。義兄にすれば、私が、出来よう筈がない
と確信するのも分かる。しかし幸運も重なり、店として一シーズンを大当てを
すると、その勢いが次に続く。 逆に外れると、逆回転をする。 これに、
エネルギーが加味され、結果がそのまま露呈する。生まれ育った10年間の
生活環境と、創業を決意しての10年間の自己配転の全てが、極限の中で、
プラスに働いていた。
・・・・・・
4481, 静かなる大恐慌 ー1
2013年06月23日(日)
     「静かなる大恐慌 」柴山 桂太 (著)
 リーマンショック以降、現在も静かに大恐慌は続いていると何度も
述べているが、マスコミはテーマにしない。タブーかどうか分からないが? 
地方もあってか周囲の状況は惨憺たるもの。私の年代がリタイアの時節もあるが、
私を含めて過半数以上が直撃を受けている。ただ、あまり表立って話題にしない
というより、明日は我身で黙るしかない。 その現状そのままを、ズバリ書いて
ある本があった。100年近く前の恐慌と二つの世界大戦を、現在の状況と重ね
合わせ、世界も日本も、静かだが既に世界恐慌に入っていると分析している。
  ー まずは、プロローグより ー
《 世界は「静かなる大恐慌」に突入した。危機的なのは経済だけではない。
 国際政治は一九二九年の世界大恐慌をはさんだ、ふたつの世界大戦の時代と
同じコースを歩み始めた。グローバル化が必然的に招く、社会の不安定化と経済
の脆弱化。それによって国内でも世代間、産業間、都市対地方などの対立が
激化している。この不安定性に耐えうるシステムは、通説とは逆に「大きな政府
の復活しかない。この歴史の趨勢に我々は逆らうことができないのだ。
グローバル化の行きづまり、そして「脱グローバル化」への急反転という
ショックを日本はいかに生き抜くかを問うている。》
  ーその幾つかを抜粋してみたー
☆ 20世紀を代表する歴史学者、フェルナン・ブローデルは「資本主義は、
 それが国家と一体化するとき、それが国家であるときにのみ、栄えると
(『歴史入門』)で述べた。この含意するところは大きい。資本主義という
 システムは、一見、アナーキーなものに見えるが、実は「国家」なしでは
 機能し得ない。それを「国家資本主義」という言葉で言い表せば、「自由資本
 主義とはいえ、一皮剥けば国家資本主義的な側面をかなりもっている」(p.95)
☆ 100年前も現代と同じくらいグローバル化(金融は除く)が進んでいた。
 資本主義は人々の欲望の塊が原動力。それを野放しにすれば必ず反動という
 自然の調整で大恐慌が生まれる。それが、1929年の大恐慌と、2回の大戦争
 現在の世界経済を1920年代の大恐慌になぞらえ、その類似性を説明していく。
 20世紀初頭の第一次グローバル化と、その結果とも言える二度の大戦と大恐慌
 そして、並行して進む脱グローバル化への揺り戻し。今は、その後1970年代の
 ブレトンウッズ体制の崩壊から続く第二次グローバル化の中にあると説く。
☆ グローバル化と民主主義と国家主権の3つは全部が成立することは不可能で、
 このうちどれか2つしか同時に成立しない。グローバル化と民主主義が成立
 すれば、EUのように国家が抑えられ、グローバル化と国家主権が強くなれば、
 日米のように国内の貧富の格差が大きくなる。日本は、グローバル化を抑えた
 国家主権と民主化を重点とした政策が必要。
▼ グローバル化が100年前もあって、その反動で恐慌が起こっていた。
 そして、現在も、酷似しているという。現在のネットが、当時としては電話の
普及に当たるとする。現在は、20ヶ国が一同に介して、恐慌が表立つのを抑えて
いるが、現実は既に恐慌が静かに進んでいるというのは正しい。特に日本は、その
先頭に立っている。著者は、日本にとって、3つの内、国家主義と民主主義に
重点を置くべきというが、国家主義グローバル化しか選択の余地はないのでは
と考えざるを得ない。アメリカの属国しか生きれない体質になっているからだ。
恐慌は、それほど生易しくはない。10年後もしないうちに、東北大震災が
消し飛ぶほどの何か、例えれば、1923年の関東大震災に対する世界恐慌
太平洋戦争のような。    −つづく
・・・・・・
4107, 哲学で自分をつくる ー5 (デカルト
2012年6月23日(土)
 第二章 まだ自分をさがしているの? ーデカルト
  * 我狂う、ゆえに我なし!        
       「哲学で自分をつくるー19人の哲学者の方法 」瀧本 往人(著)
デカルトの「方法序説」の『省察』で、狂気についての指摘が考えさせられた。
≪「思う」もしくは「我思う」主体が狂気を携えていることはありえない、
としている。「Aという定理は間違っている」ということを新たな「Bという定理」
から指摘することはできるが、「私は狂っている」ということを「狂っている主体」
が言うことはできない。もし言うとすると、それは「正しい」ことを言っている
のであって、狂っていないことになる。私は先ほど狂っていたが、今は正常です、
と言うことも基本的にはできない。そうすると錯覚や夢とは次元が異なるものと
してデカルトは狂気を提示していることになる。 そうであるがゆえに、
「私が考えるということは、狂ってない人間」の特権と化すのである。 
・・つまり、「我思う、ゆえに我在り」を成立させることによって、「我狂う」
場合は「我狂う」という言明もできないし、「我在り」も成立しないと言って
いるに等しいのである。狂気は「懐疑する主体」によって最初から排除されて
いるわけである。≫
≪・・・デカルトは、本当に確かなものはこの世にあるのだろうかと考え、
 考え尽くした上で、疑えないものなぞない、という結論に至った。この世に
何も頼れるものがないとは、きっと途方に暮れただろう。しかし彼はこの問いを
さらに突ぎ詰める。そして、まぎれもなく確かなものを発見した。それは、
「すべてを疑った」、そのこと自体は確かだ、ということである。つまリ、
疑い尽くした「我」が「在る」ということだけは、動かしがたい「真実」である
ということ。懐疑の果ての確信。考えれば考えるほど、「自分」以外に確かな
ものはない。だからあなたのように、「自分らしさ」や「本当の自分」を探ると
いうことは、至極当然のことで、そこにリアリティを感じるのは自然なことだ。
ここまではよい。しかし、ここからが大問題だ。あなたは、いつか「本当の自分」
を見つけることができると思っている。だが、それは本当に可能なのだろうか。 
もしかすると、前章でふれたソクラテスが導念した「自分の魂を磨くこと」とは、
今でいう「私らしさ」の追求ではないのか。そう思う人がいるかもしれない。
だが、ソクラテスが目指したのは【魂の鍛錬】で、「私らしさ」ではなかった。
彼には「私」とか「主体」いうものの考え方がなかった。「ソクラテス」はいたが
「私」ではなかった。この「私」を発見したのは、今から四百年前、日本でいえば
江戸時代初期に生きたデカルトによってである。では、デカルトこそ「私探し」
の元祖なのだろうか。実はこれも正しいとは言えない。デカルトの目的に、世の中
に確実なことがあるのかを見極めることであった。探していたのは確実性であり、
「真理」である。その真理が実は、「私」を拠点としていたのである。確実なもの
として「私」は登場してくるのであって、探さねばならないものではなかった。≫
▼<「私は狂っている」ということを「狂っている主体」が言うことはできない>
 は、「嘘つきのパラドックス」に似ている。エピメニデスという哲学者が
クレタ人は嘘つき だ」と言った、話である。困ったことにエピメニデス自身が
クレタ島の出身。だとするとクレタ人が嘘付きだというのならエピメニデスも
嘘つきなのだろうか。だとすると「クレタ人は嘘つきだ」という言葉自体も
嘘なのだろうか。だとするとクレタ人は嘘つきではないのだろうか。では
エピメニデスの言ったことは正しいのだろうか?ではクレタ人は嘘つきだろうか? 
という哲学問答である。人生を振り返ると、「私は狂っていた、ゆえに私の人生、
ないがごとき」が、実は人生の実相と思い悩んでいる。狂っていたなずと、
狂っていれば言えない。悩みなど、そんなもの!ちっぽけな人生、何を悩む? 
しかし振り返れば狂っているとしか思えない。 
これは私だけではなく万人にいえるが・・・
  ・・・・・・・
3741, パチンコ店が何故、廃止にならないのか ?
2011年06月23日(木)
 指摘されて気づいたことだが、日本でのパチンコの容認である。その存在を
誰も不思議に思わない日本の戦後体質と世論。この疑問に至ったのは、新聞広告で
「なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか」若宮 健 (著)  を知り、アマゾンで
概要を読んで、驚き同調したため。この国は、政界、警察、広告、メディアが
パチンコ業界と癒着?関係になっている実態がある。
  ーまずは、アマゾンの著者からの内容紹介ー
 パチンコによる被害が叫ばれて久しい。依存症でサラ金闇金の借金まみれに
なった末に家庭崩壊、自殺という例は跡を絶たず、炎暑下の赤ちゃんの車中置き
去り死亡事故も相変わらずである。著者は長年、パチンコ依存症の問題を
取材してきたが、2006年暮れ、旅行した韓国で、パチンコが全廃され、すべての
店舗が姿を消しているのを目にした。ところが驚いたことは、日本に帰ってきて
新聞雑誌をみても、そのことを報じている新聞は皆無で、そのことを知っている
識者も誰もいなかったことである。(字数制限のためカット2012年6月23日)

つれづれに

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他のブログ
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   今日のYoutube

 数ヶ月に一度は、随想日記のネタが尽きることがある。
何にも浮かんでこない。その時ほど、結果として、いいのが出てくる
としても… 



・・・・・・
・・・・・・
4107, 哲学で自分をつくる ー5 (デカルト
2012年6月23日(土)
 第二章 まだ自分をさがしているの? ーデカルト
  * 我狂う、ゆえに我なし!        
       「哲学で自分をつくるー19人の哲学者の方法 」瀧本 往人(著)
デカルトの「方法序説」の『省察』で、狂気についての指摘が考えさせられた。
≪「思う」もしくは「我思う」主体が狂気を携えていることはありえない、
としている。「Aという定理は間違っている」ということを新たな「Bという定理」
から指摘することはできるが、「私は狂っている」ということを「狂っている主体」
が言うことはできない。もし言うとすると、それは「正しい」ことを言っている
のであって、狂っていないことになる。私は先ほど狂っていたが、今は正常です、
と言うことも基本的にはできない。そうすると錯覚や夢とは次元が異なるものと
してデカルトは狂気を提示していることになる。 そうであるがゆえに、
「私が考えるということは、狂ってない人間」の特権と化すのである。 
・・つまり、「我思う、ゆえに我在り」を成立させることによって、「我狂う」
場合は「我狂う」という言明もできないし、「我在り」も成立しないと言って
いるに等しいのである。狂気は「懐疑する主体」によって最初から排除されて
いるわけである。≫
≪・・・デカルトは、本当に確かなものはこの世にあるのだろうかと考え、
 考え尽くした上で、疑えないものなぞない、という結論に至った。この世に
何も頼れるものがないとは、きっと途方に暮れただろう。しかし彼はこの問いを
さらに突ぎ詰める。そして、まぎれもなく確かなものを発見した。それは、
「すべてを疑った」、そのこと自体は確かだ、ということである。つまリ、
疑い尽くした「我」が「在る」ということだけは、動かしがたい「真実」である
ということ。懐疑の果ての確信。考えれば考えるほど、「自分」以外に確かな
ものはない。だからあなたのように、「自分らしさ」や「本当の自分」を探ると
いうことは、至極当然のことで、そこにリアリティを感じるのは自然なことだ。
ここまではよい。しかし、ここからが大問題だ。あなたは、いつか「本当の自分」
を見つけることができると思っている。だが、それは本当に可能なのだろうか。 
もしかすると、前章でふれたソクラテスが導念した「自分の魂を磨くこと」とは、
今でいう「私らしさ」の追求ではないのか。そう思う人がいるかもしれない。
だが、ソクラテスが目指したのは【魂の鍛錬】で、「私らしさ」ではなかった。
彼には「私」とか「主体」いうものの考え方がなかった。「ソクラテス」はいたが
「私」ではなかった。この「私」を発見したのは、今から四百年前、日本でいえば
江戸時代初期に生きたデカルトによってである。では、デカルトこそ「私探し」
の元祖なのだろうか。実はこれも正しいとは言えない。デカルトの目的に、世の中
に確実なことがあるのかを見極めることであった。探していたのは確実性であり、
「真理」である。その真理が実は、「私」を拠点としていたのである。確実なもの
として「私」は登場してくるのであって、探さねばならないものではなかった。≫
▼<「私は狂っている」ということを「狂っている主体」が言うことはできない>
 は、「嘘つきのパラドックス」に似ている。エピメニデスという哲学者が
クレタ人は嘘つき だ」と言った、話である。困ったことにエピメニデス自身が
クレタ島の出身。だとするとクレタ人が嘘付きだというのならエピメニデスも
嘘つきなのだろうか。だとすると「クレタ人は嘘つきだ」という言葉自体も
嘘なのだろうか。だとするとクレタ人は嘘つきではないのだろうか。では
エピメニデスの言ったことは正しいのだろうか?ではクレタ人は嘘つきだろうか? 
という哲学問答である。人生を振り返ると、「私は狂っていた、ゆえに私の人生、
ないがごとき」が、実は人生の実相と思い悩んでいる。狂っていたなずと、
狂っていれば言えない。悩みなど、そんなもの!ちっぽけな人生、何を悩む? 
しかし振り返れば狂っているとしか思えない。 
これは私だけではなく万人にいえるが・・・
  ・・・・・・・
3741, パチンコ店が何故、廃止にならないのか ?
2011年06月23日(木)
 指摘されて気づいたことだが、日本でのパチンコの容認である。その存在を
誰も不思議に思わない日本の戦後体質と世論。この疑問に至ったのは、新聞広告で
「なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか」若宮 健 (著)  を知り、アマゾンで
概要を読んで、驚き同調したため。この国は、政界、警察、広告、メディアが
パチンコ業界と癒着?関係になっている実態がある。
  ーまずは、アマゾンの著者からの内容紹介ー
 パチンコによる被害が叫ばれて久しい。依存症でサラ金闇金の借金まみれに
なった末に家庭崩壊、自殺という例は跡を絶たず、炎暑下の赤ちゃんの車中置き
去り死亡事故も相変わらずである。著者は長年、パチンコ依存症の問題を
取材してきたが、2006年暮れ、旅行した韓国で、パチンコが全廃され、すべての
店舗が姿を消しているのを目にした。ところが驚いたことは、日本に帰ってきて
新聞雑誌をみても、そのことを報じている新聞は皆無で、そのことを知っている
識者も誰もいなかったことである。(字数制限のためカット2012年6月23日)

・・・・・・
3376, 生涯に直面する四つの不条理
2010年06月23日(水)
 「生き方の不平等」 白波瀬佐和子著
   ー生き方は個人の選択だが、そもそも最初から立つ位置が異なるー
 毎日新聞の書評で読んで、ネットで詳細を調べたが、考えさせられる内容である。
  ー 以下はネットで調べた概要 ー
 著者は、人の一生を四つの段階に分け、それぞれの中心問題をとりあげている。
一、どんな家に生れるか。人は人生のはじめに大きな不条理を背負っている。これは厳然たる事実。
 市場主義者は機会の均等を前提として社会のあり方を考えるが、現実は、その出発点が不平等。
 子供の幸せは親の幸せ。せめて子供だけにはましな暮らしをさせたいと、親は教育に力を注いだもの。
 世代を超えた人生の帳尻の合わせ方である。 高度経済成長期には熱心な教育ブームが広がって、
 1970年代の出産率は2.13で、夫婦に子供二人が典型的家庭であった。総中流生活といわれたものの、
 実はじわじわと階層化が進行していた。日本の母子家庭の貧困率は2/3ときわめて高い者たちが直面
 する不条理である。
二、次は、若者たちが直面する不条理。 社会に出るときの背景に恵まれたかどうかである。
 青少年から大人へ、学校から社会へ、扶養される者から職業人へ、人生への新しいステージへの
 移行期が恵まれているかどうか。そこに、例えば九〇年代のような長期不況がぶつかると、正規
 雇用者になれない人がふえる。深刻なのはそれが長く、時に一生その人につきまとうことである。
 それが、たまたまの負け組、たまたまの勝ち組をつくっていく。
 著者はこの「たまたま」の中に、自己責任を強調した小泉的発想を批判する。
三、三番目の働く場の不条理は、男女の差が中心である。 高度経済成長の時代には生活の場を女性が
 一手に引き受けて、生産の場を稼ぎ主の男性が担うという役割分担論でやってきた。不況時代でも
 性的役割分担は本質的に変わっていない。女性には子育ての時期に労働参加率が低下するM字型労働
 参加曲線が特徴的である。男女の働き方が欧米に較べ大きく異なっているのは、労働市場が男女で
 分断され、女性の賃金と昇進機会が制約されてていること、家庭と職場を結ぶ社会的支援が不十分
 である事があげられる。就労形態で見ると女性は事務、男性は生産とはっきりした差異があること
 である。医師は男性、看護師は女性が多いという風に断絶している。
四、最後に高齢者たちの不平等である。 高齢期は経済的のみならず、社会的な蓄えがものをいう
 人生の終盤期であり、蓄積された不平等がより顕著に現れる時期。「お一人様の老後」で述べられて
 いるように、ひとりで生活する高齢者は同居する家族がいない分、深刻な貧困リスクに向き合わな
 ければならない。そのためには周到な老後設計が求められるのである。高齢者の所得格差が大きい
 のは、他の国に較べて高齢者の就労率が高いからである。 OECDの平均は12%ほどなのに、
 日本の高齢者就労率は20%を超えている。欧米では悠々自適の(年金)生活を謳歌するが、日本
 では年金だけで生活できないので老後の心配から、いつまでも働くのである。 過去30年の高齢者が
 いる世帯の変化を見ると、3世代世帯数が60%から20%へと急速に減少し、反面高齢者のみの
 世帯数が15%から45%へ増加した。単独世帯や夫婦のみの世帯も10%から25%に増えている。
 大世帯という集団が解体していることが如実に示される。そこに不平等が生まれてくる。
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 人生を振り返ると、ここまでは恵まれていたようだ。 老後のセフティ・ネットをつくってあるし、
 老後の不安は最小にしてあるが、この恐慌である。それら全てを破壊される可能性がある。つくづく
 思うのは、恵まれた両親の元に生まれた幸運、そして青年期に高度成長期に当たったこと。
 成年・壮年期は世界二位の経済大国であったこと。 老後は、それほど為残したこともないし・・・。
 しかし40代半ばから下の人は、時代背景が悪い。その段差が世代間格差か。
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 3001、ハロー効果
2009年06月23日(火)
「世界は感情で動く」 ー4                読書日記
   ー 行動経済学からみる脳のトラップー
 * ハロー効果の意味とは?
 ーネットの百科事典『ウィキペディア』によると、
【 ハロー効果とは心理的効果の一つ。 ある対象を評価をするときに顕著な特徴に引きずられて
他の特徴についての評価が歪められる現象のこと。認知バイアス(偏見)の一種である。一般に
ポジティブな方向への歪みを指すことが多いが、ネガティブな方向へのハロー効果も存在する。ハロー
とは、「後光が差す」というときの後光、聖像の光背や光輪のことで、後光効果、光背効果とも呼ばれる。 
例として、ある人が難関大学卒であった場合、その人が学力においてだけでなく、人格的にも優れてる
と思い込んでしまうケースが挙げられる。また、有名人やタレントを通じたCMや広告がその商品や
サービスを実際に使ったりしたことがないにもかかわらず良いイメージを与える。それによって購
入意欲を刺激したり、購入したりする。 経験則として古くから気づかれていた現象であるが、
実証的な研究は心理学者のソーンダイクによるものとされている。】
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 世の中は「ハロー効果」だらけといっても良い。スターや大相撲の横綱が、その典型。周囲を弟子に
囲まれ、これから大一番に向かう冬時など熱気が冬の冷気と相まってオーラのようにとり囲むことが
あるという。といって、それと品格とは違う問題。 馬鹿な大男に「品格が良さそうに振舞え」という
だけのこと。ハロー効果は何時の間に自惚れもたらす。 この認知バイアスを利用しようとカリスマを
演じている人もいるが、ほぼお笑い。(気づいてないのは本人だけ)だから面白いのである。 皇室も
似たようなもの。 目隠しをしてペプシとコカコーラを飲むと、7割はペプシが美味いと答えるという。
宣伝による洗脳効果の「スカッと爽やかコカコーラ」が刷り込まれていて、味まで変わってくる。
そうそう、日本の代議士が、典型である。立候補の時のイメージ作戦。彼らは当選するために理想的
人物を演じるのである。 そして、そのギャップがスキャンダルとして、白日にさらけ出された時に段
差に唖然とする。世の中、元もと集団幻想であり、個々は、他幻想に、自己幻想でしかないのだから、
ハロー効果を狙うのは当然のこと。そうこう見ると、人生を何をアクセク生きてきたのか、馬鹿馬鹿
しくなってきている日々であります。‘達磨さん こちら向かんせ 世の中は 月雪花に 酒と三味線’ 
で、良いんじゃないかい。 で、少しアル中気味!
 後記) 足利免罪事件、あれは初期のDNA鑑定がハロー効果になり、
    誰も疑わなかったことによる。
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2637, ロードサービス、初体験!
2008年06月23日(月)            ○( ̄ ̄ ̄ ̄o ̄ ̄ ̄ ̄)○ おっは!
  ー半ドアでバッテリーが上がるー
昨日、車を乗ろうとしたら車が半ドア。そしてエンジンを入れようとしたところ反応がない。
バッテリーが上がっていた。二週間、車に乗らないので気がつかなかった。そこで、その対応策として。 
・まずは兄に電話をしたら、前日に義姉が車の事故で大破。もう使えない状態という。前なら行きつけの
 ガソリンスタンドの電話をして来てもらうが、こういうご時勢、一円でも安いガソリンスタンドを、
 そのつど見つけて行っているので、気楽に頼めない。
・車のコンビ二に電話をすれば、5千円?は取られるだろう。それこそ、ばかばかしい。
・そこで、カードのサービスにロードサービスがあったことを思い出した。 OMCのロードサービスである。 
 しかしロードサービスが自宅の自動車のバッテリー上がりにくるわけがないと独り言を言っていると、
 家内が駄目もとと、電話を入れた。 ところが「もちろんOKです」という返事。 駄目もとで何でも
 やってみるものである。 さっそく、業者の人が20分もしないうちに来て、充電は10分で終了をした。 
 カードのロードサービスは、それぞれの地区の自動車修理の業者と契約をしていて、電話をすると、
 20?30分で駆けつけるシステムになっているようだ。 今回、観察をして解ったことだ。 電話をした
 ところ、「○○自動車修理というところが、20分後に伺います」と言う返事であったことから、理解
 したこと。宅配便も地区によっては、地元の小さな運輸会社と似たようなシステムをとっているのだろう。
 それにしても、ベンリである。地域密着型のガソリンスタンドが、大型のGSに取って代わられようという
 昨今、これらを一手に受けているのがカーコンビニだが、カード会社のロードサービスもナカナカよい
 ものである。バッテリーが上がったのは20年ぶりのことだ。その時は、行きつけのGSの人に来てもらった。
                        ゚Д゚*)ノ⌒バイ!                 
・・・・・・・
2007年06月23日(土)
2272, 漢字は、一字で、詩やねん   (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪ ヨ♯
 ー 榊莫山 の名言ー
漢字は、一字で、詩やねん。字というものは、そもそも絵画的でっしゃろ。山、川、木、森、すでに、字その
ものに、絵と言葉の合体がある。室生犀星がな、どんな人でも死が訪れる頃には、ええ字が書ける、と言うてます。
それに、中途半端に風流そうに見せた字より、読む人のことを考えて、丁寧にわかりやすく書いてある字のほうが、
なんぼか感じがええもんですよ。 真っすぐ前ばかり見とっても、 何も見えてこんで。 ...
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「漢字は、一字で、詩やねん。字というものは、そもそも絵画的でっしゃろ。・・・」 いい言葉である!
「人の名前は、それだけで、その人の一生の物語」という言葉を思い出したが、この言葉を重ねると何とも
言いえて妙である。その物語のテーマという名前を両親が愛と願いを込めてつけて、ストーリーは本人が一生
をかけて演じるもの! 「人の名は、それだけで、詩やねん。」という言葉が成立するが、これも含蓄がある。
墓の横の姓名と年月日をみると、つくづく消えし過去の物語を感じるのは、そのせいだろう。
 一人一人物語と深い経験を持っている。
そうすると、私の場合ー 堀井八郎ー一生をかけて八つの井戸を掘る男!
私の場合、小さなビルを増築も含め八つ造った?それとも、八つの大きな出来事に出会った?
八は中国でお金のことというが、金がついてまわったという実感はない!理屈はどうにでもつく、ということか!