つれづれに

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 数ヶ月に一度は、随想日記のネタが尽きることがある。
何にも浮かんでこない。その時ほど、結果として、いいのが出てくる
としても… 



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4107, 哲学で自分をつくる ー5 (デカルト
2012年6月23日(土)
 第二章 まだ自分をさがしているの? ーデカルト
  * 我狂う、ゆえに我なし!        
       「哲学で自分をつくるー19人の哲学者の方法 」瀧本 往人(著)
デカルトの「方法序説」の『省察』で、狂気についての指摘が考えさせられた。
≪「思う」もしくは「我思う」主体が狂気を携えていることはありえない、
としている。「Aという定理は間違っている」ということを新たな「Bという定理」
から指摘することはできるが、「私は狂っている」ということを「狂っている主体」
が言うことはできない。もし言うとすると、それは「正しい」ことを言っている
のであって、狂っていないことになる。私は先ほど狂っていたが、今は正常です、
と言うことも基本的にはできない。そうすると錯覚や夢とは次元が異なるものと
してデカルトは狂気を提示していることになる。 そうであるがゆえに、
「私が考えるということは、狂ってない人間」の特権と化すのである。 
・・つまり、「我思う、ゆえに我在り」を成立させることによって、「我狂う」
場合は「我狂う」という言明もできないし、「我在り」も成立しないと言って
いるに等しいのである。狂気は「懐疑する主体」によって最初から排除されて
いるわけである。≫
≪・・・デカルトは、本当に確かなものはこの世にあるのだろうかと考え、
 考え尽くした上で、疑えないものなぞない、という結論に至った。この世に
何も頼れるものがないとは、きっと途方に暮れただろう。しかし彼はこの問いを
さらに突ぎ詰める。そして、まぎれもなく確かなものを発見した。それは、
「すべてを疑った」、そのこと自体は確かだ、ということである。つまリ、
疑い尽くした「我」が「在る」ということだけは、動かしがたい「真実」である
ということ。懐疑の果ての確信。考えれば考えるほど、「自分」以外に確かな
ものはない。だからあなたのように、「自分らしさ」や「本当の自分」を探ると
いうことは、至極当然のことで、そこにリアリティを感じるのは自然なことだ。
ここまではよい。しかし、ここからが大問題だ。あなたは、いつか「本当の自分」
を見つけることができると思っている。だが、それは本当に可能なのだろうか。 
もしかすると、前章でふれたソクラテスが導念した「自分の魂を磨くこと」とは、
今でいう「私らしさ」の追求ではないのか。そう思う人がいるかもしれない。
だが、ソクラテスが目指したのは【魂の鍛錬】で、「私らしさ」ではなかった。
彼には「私」とか「主体」いうものの考え方がなかった。「ソクラテス」はいたが
「私」ではなかった。この「私」を発見したのは、今から四百年前、日本でいえば
江戸時代初期に生きたデカルトによってである。では、デカルトこそ「私探し」
の元祖なのだろうか。実はこれも正しいとは言えない。デカルトの目的に、世の中
に確実なことがあるのかを見極めることであった。探していたのは確実性であり、
「真理」である。その真理が実は、「私」を拠点としていたのである。確実なもの
として「私」は登場してくるのであって、探さねばならないものではなかった。≫
▼<「私は狂っている」ということを「狂っている主体」が言うことはできない>
 は、「嘘つきのパラドックス」に似ている。エピメニデスという哲学者が
クレタ人は嘘つき だ」と言った、話である。困ったことにエピメニデス自身が
クレタ島の出身。だとするとクレタ人が嘘付きだというのならエピメニデスも
嘘つきなのだろうか。だとすると「クレタ人は嘘つきだ」という言葉自体も
嘘なのだろうか。だとするとクレタ人は嘘つきではないのだろうか。では
エピメニデスの言ったことは正しいのだろうか?ではクレタ人は嘘つきだろうか? 
という哲学問答である。人生を振り返ると、「私は狂っていた、ゆえに私の人生、
ないがごとき」が、実は人生の実相と思い悩んでいる。狂っていたなずと、
狂っていれば言えない。悩みなど、そんなもの!ちっぽけな人生、何を悩む? 
しかし振り返れば狂っているとしか思えない。 
これは私だけではなく万人にいえるが・・・
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3741, パチンコ店が何故、廃止にならないのか ?
2011年06月23日(木)
 指摘されて気づいたことだが、日本でのパチンコの容認である。その存在を
誰も不思議に思わない日本の戦後体質と世論。この疑問に至ったのは、新聞広告で
「なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか」若宮 健 (著)  を知り、アマゾンで
概要を読んで、驚き同調したため。この国は、政界、警察、広告、メディアが
パチンコ業界と癒着?関係になっている実態がある。
  ーまずは、アマゾンの著者からの内容紹介ー
 パチンコによる被害が叫ばれて久しい。依存症でサラ金闇金の借金まみれに
なった末に家庭崩壊、自殺という例は跡を絶たず、炎暑下の赤ちゃんの車中置き
去り死亡事故も相変わらずである。著者は長年、パチンコ依存症の問題を
取材してきたが、2006年暮れ、旅行した韓国で、パチンコが全廃され、すべての
店舗が姿を消しているのを目にした。ところが驚いたことは、日本に帰ってきて
新聞雑誌をみても、そのことを報じている新聞は皆無で、そのことを知っている
識者も誰もいなかったことである。(字数制限のためカット2012年6月23日)

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3376, 生涯に直面する四つの不条理
2010年06月23日(水)
 「生き方の不平等」 白波瀬佐和子著
   ー生き方は個人の選択だが、そもそも最初から立つ位置が異なるー
 毎日新聞の書評で読んで、ネットで詳細を調べたが、考えさせられる内容である。
  ー 以下はネットで調べた概要 ー
 著者は、人の一生を四つの段階に分け、それぞれの中心問題をとりあげている。
一、どんな家に生れるか。人は人生のはじめに大きな不条理を背負っている。これは厳然たる事実。
 市場主義者は機会の均等を前提として社会のあり方を考えるが、現実は、その出発点が不平等。
 子供の幸せは親の幸せ。せめて子供だけにはましな暮らしをさせたいと、親は教育に力を注いだもの。
 世代を超えた人生の帳尻の合わせ方である。 高度経済成長期には熱心な教育ブームが広がって、
 1970年代の出産率は2.13で、夫婦に子供二人が典型的家庭であった。総中流生活といわれたものの、
 実はじわじわと階層化が進行していた。日本の母子家庭の貧困率は2/3ときわめて高い者たちが直面
 する不条理である。
二、次は、若者たちが直面する不条理。 社会に出るときの背景に恵まれたかどうかである。
 青少年から大人へ、学校から社会へ、扶養される者から職業人へ、人生への新しいステージへの
 移行期が恵まれているかどうか。そこに、例えば九〇年代のような長期不況がぶつかると、正規
 雇用者になれない人がふえる。深刻なのはそれが長く、時に一生その人につきまとうことである。
 それが、たまたまの負け組、たまたまの勝ち組をつくっていく。
 著者はこの「たまたま」の中に、自己責任を強調した小泉的発想を批判する。
三、三番目の働く場の不条理は、男女の差が中心である。 高度経済成長の時代には生活の場を女性が
 一手に引き受けて、生産の場を稼ぎ主の男性が担うという役割分担論でやってきた。不況時代でも
 性的役割分担は本質的に変わっていない。女性には子育ての時期に労働参加率が低下するM字型労働
 参加曲線が特徴的である。男女の働き方が欧米に較べ大きく異なっているのは、労働市場が男女で
 分断され、女性の賃金と昇進機会が制約されてていること、家庭と職場を結ぶ社会的支援が不十分
 である事があげられる。就労形態で見ると女性は事務、男性は生産とはっきりした差異があること
 である。医師は男性、看護師は女性が多いという風に断絶している。
四、最後に高齢者たちの不平等である。 高齢期は経済的のみならず、社会的な蓄えがものをいう
 人生の終盤期であり、蓄積された不平等がより顕著に現れる時期。「お一人様の老後」で述べられて
 いるように、ひとりで生活する高齢者は同居する家族がいない分、深刻な貧困リスクに向き合わな
 ければならない。そのためには周到な老後設計が求められるのである。高齢者の所得格差が大きい
 のは、他の国に較べて高齢者の就労率が高いからである。 OECDの平均は12%ほどなのに、
 日本の高齢者就労率は20%を超えている。欧米では悠々自適の(年金)生活を謳歌するが、日本
 では年金だけで生活できないので老後の心配から、いつまでも働くのである。 過去30年の高齢者が
 いる世帯の変化を見ると、3世代世帯数が60%から20%へと急速に減少し、反面高齢者のみの
 世帯数が15%から45%へ増加した。単独世帯や夫婦のみの世帯も10%から25%に増えている。
 大世帯という集団が解体していることが如実に示される。そこに不平等が生まれてくる。
  ~~
 人生を振り返ると、ここまでは恵まれていたようだ。 老後のセフティ・ネットをつくってあるし、
 老後の不安は最小にしてあるが、この恐慌である。それら全てを破壊される可能性がある。つくづく
 思うのは、恵まれた両親の元に生まれた幸運、そして青年期に高度成長期に当たったこと。
 成年・壮年期は世界二位の経済大国であったこと。 老後は、それほど為残したこともないし・・・。
 しかし40代半ばから下の人は、時代背景が悪い。その段差が世代間格差か。
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 3001、ハロー効果
2009年06月23日(火)
「世界は感情で動く」 ー4                読書日記
   ー 行動経済学からみる脳のトラップー
 * ハロー効果の意味とは?
 ーネットの百科事典『ウィキペディア』によると、
【 ハロー効果とは心理的効果の一つ。 ある対象を評価をするときに顕著な特徴に引きずられて
他の特徴についての評価が歪められる現象のこと。認知バイアス(偏見)の一種である。一般に
ポジティブな方向への歪みを指すことが多いが、ネガティブな方向へのハロー効果も存在する。ハロー
とは、「後光が差す」というときの後光、聖像の光背や光輪のことで、後光効果、光背効果とも呼ばれる。 
例として、ある人が難関大学卒であった場合、その人が学力においてだけでなく、人格的にも優れてる
と思い込んでしまうケースが挙げられる。また、有名人やタレントを通じたCMや広告がその商品や
サービスを実際に使ったりしたことがないにもかかわらず良いイメージを与える。それによって購
入意欲を刺激したり、購入したりする。 経験則として古くから気づかれていた現象であるが、
実証的な研究は心理学者のソーンダイクによるものとされている。】
 ーー
 世の中は「ハロー効果」だらけといっても良い。スターや大相撲の横綱が、その典型。周囲を弟子に
囲まれ、これから大一番に向かう冬時など熱気が冬の冷気と相まってオーラのようにとり囲むことが
あるという。といって、それと品格とは違う問題。 馬鹿な大男に「品格が良さそうに振舞え」という
だけのこと。ハロー効果は何時の間に自惚れもたらす。 この認知バイアスを利用しようとカリスマを
演じている人もいるが、ほぼお笑い。(気づいてないのは本人だけ)だから面白いのである。 皇室も
似たようなもの。 目隠しをしてペプシとコカコーラを飲むと、7割はペプシが美味いと答えるという。
宣伝による洗脳効果の「スカッと爽やかコカコーラ」が刷り込まれていて、味まで変わってくる。
そうそう、日本の代議士が、典型である。立候補の時のイメージ作戦。彼らは当選するために理想的
人物を演じるのである。 そして、そのギャップがスキャンダルとして、白日にさらけ出された時に段
差に唖然とする。世の中、元もと集団幻想であり、個々は、他幻想に、自己幻想でしかないのだから、
ハロー効果を狙うのは当然のこと。そうこう見ると、人生を何をアクセク生きてきたのか、馬鹿馬鹿
しくなってきている日々であります。‘達磨さん こちら向かんせ 世の中は 月雪花に 酒と三味線’ 
で、良いんじゃないかい。 で、少しアル中気味!
 後記) 足利免罪事件、あれは初期のDNA鑑定がハロー効果になり、
    誰も疑わなかったことによる。
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2637, ロードサービス、初体験!
2008年06月23日(月)            ○( ̄ ̄ ̄ ̄o ̄ ̄ ̄ ̄)○ おっは!
  ー半ドアでバッテリーが上がるー
昨日、車を乗ろうとしたら車が半ドア。そしてエンジンを入れようとしたところ反応がない。
バッテリーが上がっていた。二週間、車に乗らないので気がつかなかった。そこで、その対応策として。 
・まずは兄に電話をしたら、前日に義姉が車の事故で大破。もう使えない状態という。前なら行きつけの
 ガソリンスタンドの電話をして来てもらうが、こういうご時勢、一円でも安いガソリンスタンドを、
 そのつど見つけて行っているので、気楽に頼めない。
・車のコンビ二に電話をすれば、5千円?は取られるだろう。それこそ、ばかばかしい。
・そこで、カードのサービスにロードサービスがあったことを思い出した。 OMCのロードサービスである。 
 しかしロードサービスが自宅の自動車のバッテリー上がりにくるわけがないと独り言を言っていると、
 家内が駄目もとと、電話を入れた。 ところが「もちろんOKです」という返事。 駄目もとで何でも
 やってみるものである。 さっそく、業者の人が20分もしないうちに来て、充電は10分で終了をした。 
 カードのロードサービスは、それぞれの地区の自動車修理の業者と契約をしていて、電話をすると、
 20?30分で駆けつけるシステムになっているようだ。 今回、観察をして解ったことだ。 電話をした
 ところ、「○○自動車修理というところが、20分後に伺います」と言う返事であったことから、理解
 したこと。宅配便も地区によっては、地元の小さな運輸会社と似たようなシステムをとっているのだろう。
 それにしても、ベンリである。地域密着型のガソリンスタンドが、大型のGSに取って代わられようという
 昨今、これらを一手に受けているのがカーコンビニだが、カード会社のロードサービスもナカナカよい
 ものである。バッテリーが上がったのは20年ぶりのことだ。その時は、行きつけのGSの人に来てもらった。
                        ゚Д゚*)ノ⌒バイ!                 
・・・・・・・
2007年06月23日(土)
2272, 漢字は、一字で、詩やねん   (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪ ヨ♯
 ー 榊莫山 の名言ー
漢字は、一字で、詩やねん。字というものは、そもそも絵画的でっしゃろ。山、川、木、森、すでに、字その
ものに、絵と言葉の合体がある。室生犀星がな、どんな人でも死が訪れる頃には、ええ字が書ける、と言うてます。
それに、中途半端に風流そうに見せた字より、読む人のことを考えて、丁寧にわかりやすく書いてある字のほうが、
なんぼか感じがええもんですよ。 真っすぐ前ばかり見とっても、 何も見えてこんで。 ...
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「漢字は、一字で、詩やねん。字というものは、そもそも絵画的でっしゃろ。・・・」 いい言葉である!
「人の名前は、それだけで、その人の一生の物語」という言葉を思い出したが、この言葉を重ねると何とも
言いえて妙である。その物語のテーマという名前を両親が愛と願いを込めてつけて、ストーリーは本人が一生
をかけて演じるもの! 「人の名は、それだけで、詩やねん。」という言葉が成立するが、これも含蓄がある。
墓の横の姓名と年月日をみると、つくづく消えし過去の物語を感じるのは、そのせいだろう。
 一人一人物語と深い経験を持っている。
そうすると、私の場合ー 堀井八郎ー一生をかけて八つの井戸を掘る男!
私の場合、小さなビルを増築も含め八つ造った?それとも、八つの大きな出来事に出会った?
八は中国でお金のことというが、金がついてまわったという実感はない!理屈はどうにでもつく、ということか!