* 31年の新潟~長岡間の通勤
 老いた母親をおいたまま新潟に引越すわけにもいかず、31年間も新潟~長岡を通勤をすることになった。
しかし、高速の乗物空間の往復一時間は読書の最適環境。私の性格からみて地方の閉鎖性に同化されない為に、
職住分離は必要であった。新幹線車内は一度、県外に出たような感覚になる。だから、30年も続いたのだろう。
それと、機内や高速鉄道の車内は「ぼんやり時間」としてベスト空間でもある。
長岡住民の7〜8割が地元出身者だが、新潟は流入組が7〜8割。 僅か30分で世界がまるで違う。
それも慣れだが流動が少ないのは良くない。それは、この三年間で、さらに実感している。
 排他的で、プライドが高く、烏合で、常に人の目を伺う比較世界の傾向が強い。それも、外部からみれば
越後・新潟の差異の範囲。 ところで、30年の新幹線交通費の総額は、マンションが一つ買えるほど。
全線開通直後、長距離通勤のための税制が変わり、経費で落すことが可能になった。 何処も所属しないで
済んだ代金とみればよい。酩酊しての乗り過ごしは8回。そのうち3回は湯沢などに宿泊、スナックへ。
今から考えると、冷汗もの。そうこう振り返ると、やはり70歳前半が寿命? 今さら生き急ぐことも、
死に急ぐこともない。今や職住分離の職が無くなり、自宅中心の生活。新幹線の代りが「ハリウッド映画」と、
ポタリング。これで一度、生活圏から出たような錯覚が、ストレスを最小にしてくれる。
   * スラスラと、思ったことを文章化出来る?
 知人に「思ったままを毎日、書けるのが羨ましい!」と言われたことがある。 読む方は、2〜3分だが、
書き上げる方は、この程度の拙文でも、テーマのネタ探しを含めたら2〜3時間は軽く掛かっている。しかし、
書き上げた達成感と、プレッシャーが丁度良い刺激になっている。その後、読返し、書いている自分は何者?と、
ドキッとすることもある。 時間が過ぎると、書いた時点の自分は、別人のような人。
 吐いてしまった、書いてしまった言葉は、二度と戻らない! 言葉は恐ろしいし、それを文章化して
責任を持って公表するのは、更に恐ろしい。そのままの自分の本音が、そのまま出てしまうからである。
そのため、早朝、何度も何度も書き直す。それが考える訓練と、思考そのものになる。
「日々、是、口実」が、分かっていても?自嘲しながら続けている得体の知れない自分は「何者だろう?」
・・・・・・
4509, 一日5分「簡単ヨーガ」健康法 ー7
2013年07月21日(日)
            『 一日5分「簡単ヨーガ」健康法 』ー番場浩之著
 スポーツジムののヨガに週二回、百回以上も続けると、一寸とした動作もヨガ的になる。
ポタリングの車上の姿勢と呼吸とか、起床の前の屈伸とか、夜半に目が覚めた時の姿勢と呼吸とか、
居間でTVを見ている合間の姿勢とかを、意識するようになった。これが続けてきた一番の収穫。 
また早朝の30分の瞑想も良い。この結果、夜半の半睡の状態も、瞑想のイメージを持つと、
心穏やかに不眠状況を受け入れることが出来るようになる。
    * 3日目ーA 正座から四つんばいになって・・
1、まず正座になって(踵を重ねない)、両手を膝の上に自然に置いた自然体から、
  軽く御尻を浮かすようにして爪先を立てて、膝の前で床に手のひらをつく。
  短距離のスタートの姿勢だが、手のひらは地面にベッタリつける姿勢。
2、「静かな一呼吸」−>「軽い一呼吸」−>「深い一呼吸」を入れながら、
  狼が吠えているように、顎を上げ、胸を開き、背骨をそらす。
3、そこから腰を入れ、手をつけたまま立ち膝になり、踵をつけたまま背中を丸める。
  額を膝につけて息を出し切る。
4、緩めて、元の正座に戻る。そこで軽く一呼吸をする。
5、もう一度、1,2の動作をした後、軽い呼吸をしながら、膝裏を伸ばしながら
  尻を持ち上げる。横からみたら、三角形に見える姿勢である。
6、息を出しながら、かかとに体重をかけ、肘と膝を伸ばした状態で腰を入れ、眉間を
  見あがるようにして顎を上げる。犬や猫が、四つん這いで、背筋を伸ばしている姿である。
7、「軽く一息」を入れて緩めたら、ゆっくり息を出しながら、膝をつき、「基本単位」に戻す。
 ▼ 犬や猫が寝起きに、これをやっている。背中を丸めたり、反らしたりしているポーズである。
  動物が誰に教わることなく本能的に行う運動には、それなりの良さがある。
    * 3日目ーB 手の指を開く体位
1、正座に座り、親指と人差し指で朱印を結び、肘を直角に曲げて前腕は床と水平に手の平を上向きにする。
 「静かな一呼吸」−>「軽い一呼吸」−>「深い一呼吸」を入れながら、手指が反るぐらいに開き、
  息を止めて、少し、その状態を保つ。
2、ゆっくり息を出しながら、最初の基本体位に戻って、軽く一息をしたら、もう一度1,2を繰り返す。
3、1を行った後、手指を開いたまま息を止めて少し静止。息を止めたまま、ゆっくり親指から
  順に小指まで折り込んでいく。 最後に、親指を握りこむように「グー」でしっかり握る。
4、さらに、息を止めたまま、小指から親指まで順に指関節を伸ばした状態で開いていく。
  最後にしっかり開ききった上に、ゆっくり息を出しながら「基本体位」の朱印に戻って軽く一息。
5、再度、1、3,4を行う。  ポイントは、どの姿勢の場合でも背筋をピンと伸ばすこと。
 ▼ ヨガ教室では、正座をして、深呼吸をしながら上に向け延ばした手を、逆の手で反らすことを
 毎回している。あとは、投げ出したフクラハギをバタバタ地面に叩くのも居間などで手軽に出来る。
 常に、小まめにマッサージと屈伸をする習慣をつければ良いということ。
・・・・・・
4135, 閑話小題 ー父親のこと、など

2012年07月21日(土)

   * おもいのままに 
 緑の原野からサバンナへの移行をした、とか分かったようなことを言っている割に、話題の中心は現在の世界情勢、特に、
世界恐慌という大津波襲来の内容が多い。百年、5百年、千年スパンの大変動の大波が襲来するのを、外海?の地平線に
目を凝らして見つめるのは人情として当然だが、どうも期待半分のようでもある。 現に到来した時の惨状は、10年〜20年
以上にわたる長期的になり想像を絶したものだろう。 現に私が、その前波で一年前に事業継続を断念したこともある。
しかし裏山に避難して海原をみると地平線の本体の大波は近づいているのがよく分かる。眼下をみると、これまで通り人々は
何も変わることない生活を送る人と、海辺で浸水が始まり慌てている人もいる。鈍い人は現実に大波が来ないと分からないのだ。
ただ、それぞれの立ち位置で、問題の大きさが違うから難しい。5階以上のビルの人にとって、それほど慌てることもないが、
目先の生命は助かっても生活圏が根こそぎ破壊されてしまう。 時どき週刊誌に、大津波の襲来と対応策が見出しに掲載
されるが、売らんがための大げさな見出しとして、狼少年の騒ぎとして見ている。しかし、NHKが特番で危機の深刻さを
報じているので、分かっているはずだが。また私の知人の子弟が外国に留学やビジネスで滞在している人が多い。
彼等も二分していて、対策をとる人、とらない人がいる。どっちにしても、この年齢になれば、何があっても先が知れている。
初めは、戦争勃発による株式の暴落から始まり、ハイパーインフレ、そして銀行閉鎖か? 
それもなく、延々と現状が続くのか?そうあって欲しいが、有り得ないこと。
   * 父親のこと
 父については何度か書いてきたが、年齢を重ねるごとに父親のことを思い出すことが多くなっている。
年齢が父の晩年に近づいているためだが、どうしも自分と対比してしまう。 私が父親の42歳時の子供だったこともあり、
私を特別視をしてくれていた。その影響はプラスマイナスにも、現在も強くある。父親の死は最大の子供へのプレゼント
という話を聞いたことがある。自立をするためだ。その意味で26歳の時に亡くなったことは丁度良いタイミング。 
その頃から創業を始め、結婚も重なり決断は自分独りでするしかない。経験不足の身にとって一つ間違えると地獄の
それは、結果が直接、跳ね返ってくるため厳しい。それも、自信が無くとも、分った振りをして決めるしかない。 
事業人生の40年間は、特に、その場で瞬時に判断しなければならない世界。去年の節目から16ヶ月になるが、
今だ解放感で空中を浮いているように気持ちが軽くなっている。 現役の方が良かったなど懐かしむ気持ちは今だに
なれないが、後悔とか、未練は全くない。父は42歳で終戦を向かえ、10数軒あったという貸家は長岡の空襲で
全て燃えてしまい一財産の殆んどを失い、そこから裸一貫から第二の人生が始まった。その頃に私が生まれたが、
当時の記憶は生まれた数ヶ月後からハッキリと憶えている。変化変化の刺激的な日々だったからだろう。
その中で必死に働いていた両親の姿が子供心に輝いて見えていた。
 ・・・・・・
3769, 下流の宴 ー2
2011年07月21日(木)
 昨日、7回シリーズの「下流の宴」−最終回のビデオをみた。これでシリーズの録画、3、4、6、7をみたことになる。
内容は団塊世代の現状の起承転結の転結そのもの。 遅かれ早かれ人生は、こんなものであると・・。下流と見下された少女と、
上流?家族の母親との対比の中で、下流、上流とかいう世間体の虚実を浮かび上がらせている。 この隠れテーマは、
「総中流だった団塊世代の崩壊と現代の若者」で、上流とかいう虚妄の実態を面白可笑しく表現している。下流と蔑まされた
痛いげない少女の必死な姿を通して、人間の品格とは何かを問おうとしている。あの夫婦の姿は多かれ少なかれ、定年をむかえている
団塊世代の家庭内に見られる実情。 そこで、問われるのは、「考える」ということ、定年までの準備の有無、そして、これまでの
人生を如何に生きてきたかである。 あの家族の父親が自分、医者の娘というだけが誇りの母親が家内、そして二人の息子を、
あの二人の子供に重ねると、他人事でない? で、どうした!である。 家族には、それぞれの結末が待っている。 
最後は永遠の果てに散っていくのである。それが早いか遅いかの差でしかない。 医者を偉そうに取り扱っているが、
現在の医師の8割は技術者でしかない。そのことを当人たちは熟知している(はずである?)。何かに向かい一心不乱で努力する姿勢、
それに対し全く無頓着の生様、それぞれの人間の姿を作家の林真理子は表現したかったのだろう。蔑まされていた娘が独りで、
医科大学に入って、医者の道を歩くところで、終わっている。 それをバカバカしいと断念する方が面白いのでは?と、思った。
が、これはこれで良い。「世の中の人が総下流なら、それは中流ではないのでは?」と、常々思っていた。
娑婆では下流は平均値の半分以下の収入を言うらしい。国民年金で生活する人たちが下流?というのだろうか? 鳩山一族が上流? 
こうなってくると、漫談になってくる。ところで、私が学生時代に入っていた馬小屋のような寮の住人。 その人たちの実家は
玉石混合だったが、学生時代の寮生活は、こんなものと、誰もが着るもの、食べるものに無頓着であった。 親が自営業だった?から、
仕送りは実家が裕福かどうかに関わらず、ギリギリだった。 むしろ、それを全員が楽しんでいるようだった。誰も実家の裕福さなど
問題にしてなかった。 日本は、アメリカの属国だったこともあり、経済大国といわれ、アメリカに次ぐ豊かさを一時的に謳歌した。
それが、この20年間で・・・ 最後は東北大震災がトドメ。下流とは言わないが、中の下。団塊世代と同じである。
米国が国債のデフォルトを臭わせてきた・・ 500兆以上は買わされているというが・・・ 待っているのは、下流の宴か、やはり。
 ・・・・・・・                               ーたまたま去年のテーマが、それであった。
3404, この国の終わり
2010年07月21日(水)
         「この国の終わり ー日本民族怪死の謎を解く」 林 秀彦 (著)
 18年間の海外生活から帰国した著者の目に映った日本は、いまにも滅亡しようとしている無惨な姿だった。
この本で三冊目になるが、時系列でいうと遡って読んでいることになる。帰国後の早い段階で書かれたためか、日本の惨状の驚きと
、怒りが新鮮である。 アメリカが60年間かけて作りあげた被植民地国家の悲惨な姿に唖然とし、そして怒りの言葉が続く。
私自身に著者が罵倒していると思いながら読むと、一言一言が胸に刺さる。日本人には、そもそも「考える」という総合的な頭脳的現象が
存在していなかった、という著者の見方が一貫している。世界は常に修羅場であり、「決闘の場」なのである。相手が選ぶ武器は、
こちらの武器でなければならない。剣には剣、銃には銃である。何より必要なのは悪だくみには悪だくみ、最低でも同等同質の武器を
持たないで生存が不可能というが・・。グローバル化、ネット社会に入ってしまった現在、これまでの島国の国民性の改造が必要になる。
  ーまず、印象に残った箇所から
 * 恐怖不感症もしくは不安鈍感症 −P63
日本人は、世界一信じやすい民族なのだ。「疑っちゃ相手に悪い」という心情が働く。何でもかんでも「信ずるものよ、幸いなり」
で貫く。疑うことは不道徳、といった観念まである。恐るぺきノータリン、ノータリンここに極まれりである。
疑うという心情作用は一種の恐怖であり、不安によって触発される。簡単に言えば、人は恐怖と不安という触媒によって進歩する。
ところが日本人は恐怖不感症である。不安鈍感症である。あるいは逆に、あまりにも臆病で卑怯だから恐怖や不安を先回りして回避する。
目をつむり、恐怖の実体を無視する。そしてその場限りの「逃げ」だけで片付ける。だかち戦争をはじめとするすぺての防災対策は
後手後手になる。治にあって乱を忘るるなかれ、などという段階ではない。乱の真っ最中でも、その乱を感じ取れずボケている。
呆けているほうが楽なのだ。そしていままでそれで何とかやってこられた。幸いなことにこの列島は資源がほとんどない、だから助かった。
 〜〜
 この国家的危機の中でも、国民の危機感が感じられない。そして頭を(首相を)取り替えることで、目先の不安解消にしている。
もう絶望の事態だろう、これでは。65年かけたアメリカによる日本国民への植民地化計画の完成が、現在の日本人である。
自分を見れば分かることだが、家内や親戚など身近な人を見ても、その完成体?に近いのでは、と新鮮に驚いている。
・・・・・・・
3029,本屋に行くと何故トイレに行きたくなるのか?
 2009年07月21日(火)
 学生時代に新宿の紀伊国屋に行くと高い確率でトイレに行きたくなり不思議に思ったことがあった。そして、新潟に帰ってきた後も、
新潟の万代シティの紀伊国屋に行くとトイレに行きたくなった。ところが歳を重ねるにつれて、全くなくなったのは何だろうか。 
若いときは、このことが独自のことではなく、一般的傾向など知らなかったし、そういうことを話題にすることもなかった。
最近になって、私だけの傾向ではないと知った。本屋だけでなく、図書館も同じような傾向があるが、本屋の方が傾向が強い。 
私の知人は便秘気味になると図書館に行くという。あのかび臭いが効果があるという。インク、のり、紙などの複合した臭いが、
脳のどこかを刺激するものと言われている。私自身も、その臭いが条件反射的に生理反応が起きるのか、一冊一冊を手に取るときの
何か異様な緊張感が、そうさせるか半々だろうと思っていた。 いま一つは著者の凝縮したエネルギーが、その本を手に取り、
中を覗きみることで、脳に強い刺激を与えることも考えられる。大腸は脳の刺激を一番刺激を受けるというから、その要素が
重なるのだろう。また作家の霊(思い)が本屋や図書館に漂っていて、更に大腸を刺激するのである。 
 作家の山田風太郎は霊感が強く、全国の神社・仏閣に行くと、必ずトイレに行きたくなるという。私は外国のお城の牢獄に行くと、
必ずといってよいほど変になる。何か寒気を感じた後の15分ほどでアッきた、という感覚である。それも急性とくるから、大変。 
石牢の冷たさと自己暗示もあるのだろうが。イスラエルの城で、スイスのレマン湖の岸辺の城で、オーストリアの城で、
書けばきりがない。 ツアーといえども、外国は非日常である。 トラブルの全てが出る。秘境ほど。だから行くのである。
 ・・・・・・・・
2664, インドの女盗賊プーラン
2008年07月21日(月)
 図書館で見つけた、「インド盗賊の女王・プラン・デヴィの真実」に、一人の女性の壮絶な人生があった。
彼女の語った世界には尋常ならざる悲惨な現実が次から次へと出てくる。NHKスペシャルで昨夜もインドをシリーズで取り上げていた。
グローバル化とは、こういう異質な国とも垣根が無くなるということだ。
  ーあるブログに、この本の簡約した内容があったので、まずはそれをコピーしてみるー
プーランは、1994年、仮釈放となりこの自伝の口述を行った時には、読み書きができない状態、彼女の手記は口述であった。
  (字数の関係でカット2011年07月21日)
・・・・・・・・・
2007年07月21日(土)
2300, また地震!どうなっている?まったく! ー4
 ー中越地震中越沖地震の意味することー
 この二つの地震が地元新潟にとって大事件ということは、今更だが、二回たて続きに重なったことと、
 原発活断層の真上にあり、直下型だったことは、重大な事態である!
 まず中越地震中越沖地震の違いは何か? 私の主観で考えてみる。
・規模からいえば三年前の中越地震の方が圧倒的に大きいが、地域的にみても長岡を中心とした中越地区全体にわたっていた。 
 山間部の道路や田畑、そして道路・線路がズタズタになった。一時期、中越地区で10万人が学校の体育館などに避難していた。
・それに対し今回は避難民は一万人足らずであり、柏崎市中心の商店街や住宅と至近にある刈羽原発などに被害が限定していた。
 しかし柏崎市を中心を主にした1000世帯が全壊、半壊などを含めて6000世帯が破壊。小さな市としては甚大である。
 その数は前の中越地震の3倍近い。
・今回の特徴は、世界で最大規模の刈羽原発の直下型ということである。もう少し震度が強ければ、チェルノブイユの事故の
 二の舞になりかねない事態だった。現実的に日本崩壊?の一歩手前だったのだ。チュルノブイユの8倍の規模からみて決して
 オーバーな表現ではない!(このことを何でマスコミは騒ぎ立てないのか不思議で仕方がない。また住民の怒りが、
 あまりにも少ない)まさか、角栄活断層が下にあるとは、思わなかったのだろう。政治は結果である。この男の罪は重大である!
 この中越沖地震の深刻なのは、三年もしないうちに二度たて続きに発生したこと。その意味では今回の地震は、前回に比べようも
 ないほど衝撃的といってよい。 新潟県にとって、アメリカの9・11事件に匹敵するといってもよい。
 9・11以前、以後というほど、この地震新潟県にとって深手である。まだ誰も気づいてないようだが。
 このまま原発が再開されれば、大手の企業の進出を躊躇うだろうし、撤退を真剣に検討するだろう。
 それだけではない、農水産品をはじめ酒や、加工品までもが影響を及ぼす。 今後、観光地は致命的イメージダウンになり、
 回復には時間がかかるだろう! 「チェルノブイユ一歩手前だった!」と、何故言わないのだろうか?
 日本沈没が現実になるところだったことを! 何で気づかないのだろうか? 
  脳がおかしいんじゃないか、この国は! 1?2週間以内に、震度6弱の余震がある可能性があるという。
  (字数の関係で以下をカット2008年07月21日)
・・・・・・・・・
2006年07月21日(金)
1935, 霊界からの訪問者 ー3    (\ Y /)(\ Y /)オハヨウ! ♪
  ー四四太郎の霊界日記ー5
霊がブログを持つのも面白いものじゃ。ふざけて書くわけにもいかないし、教訓を垂れれば面白くもないだろうし。 
ところで、これを読んでカルトのそれと、用心している人もいるだろうが、全く関係ないから         
   (字数の関係で以下をカット2008年07月21日)
・・・・・・・・・
2005年07月21日(木)
 1570, 日本壊死       ー読書日記
この恐ろしい題名の本を書店で見て、買おうかどうか迷った。船井幸雄氏の本は数多あるが、ほとんど読んだ事はない。
その場かぎりのいい加減なことを言っているのは私でも解る。しかし、多くの顧客を持ち、本も出し続けているのだから何かが
あるのだろう。以前いた会社で二年間、船井総研に加入したことがある。(30年も前のことだが)いい加減というのを体験上知った。
     (字数の関係でカット2010年07月21日)
・・・・・・・・
2004年07月21日(水)
1205, 実存哲学(3)ー哲学についてー19
 ーマルクス ー2
マルクスの考えでは、当時の資本主義社会は歴史的に見て、対立なき社会が実現する二つ手前の発展段階とみなした。
近代技術はますます発達を続け、失業者はますます増加すると考えた。
(字数の関係でカット2013年07月21日)
 ・・・・・・・・
2003年07月21日(月)
838, アメリカの世界戦略を知らない日本人      ー読書日記ー
イラク戦」後、時代はこう動く  日高 義樹 (著) 出版社: PHP研究所 ;
  ー感想文ー
 新たなる世界大戦の序幕が切って落とされた。 中東、北朝鮮、中国、そして日本は…。
  (字数制限のためカット 2010年7月21日)
・・・・・・・・・
2002年07月21日(日)
463,再び業態について
何回か業態について書いているが、地元の今井家具が昨日店の前を通ったら、いつの間にか倒産していた。
   (字数の関係でカット2013年07月21日)
・・・・・・・・
2001年07月21日(土)
 [82] 人生がモチーフの公園
なんとその公園のモチーフが人生!であった。広大な公園の中央に建つ塔に、時計の刻印のように12のそれぞれの複数の像。
(字数の関係でカット2013年07月21日)

つれづれに

イメージ 1

他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive

 今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=Ddw8LbFJ1PM

 この作業をしていて分かったのが、7年前の同月同日に刈羽地震が起きた。
それも世界最大の原発基地の柏崎:刈羽原発の至近距離にで、驚くのが
当然のこと。その3年前に、山よりの地区の中越地区に中越地震が起き、
その4年後には、東北大震災である。それらは、太平洋の地震帯のプレートの
動きと連動しているのだろう。 10年前に、時間軸を戻し、2004年7月21日と
すると、その数ヵ月後に、中越地震刈羽地震、東北大震災、そして、
世界的に見れば・・・と、天変が続く。 それに数百年に一度の経済的大震災の
リーマンショックが加わったのだから・・・ これが、そのまま、10年先に想定すると。


・・・・・・
2300, また地震!どうなっている?まったく! -4
2007年07月21日(土)
   ー中越地震中越沖地震の意味することー
 この二つの地震が地元新潟にとって大事件ということは、今更だが、
二回たて続きに重なったことと、原発活断層の真上にあり、直下型だったことは、
重大な事態である!まず中越地震中越沖地震の違いは何か? 私の主観で考えてみる。
・規模からいえば三年前の中越地震の方が圧倒的に大きいが、
 地域的にみても長岡を中心とした中越地区全体にわたっていた。
 山間部の道路や田畑、そして道路・線路がズタズタになった。
 一時期、中越地区で10万人が学校の体育館などに避難していた。
・それに対し今回は避難民は一万人足らずであり、柏崎市中心の商店街や住宅と、
 至近にある刈羽原発などに被害が限定していた。
 しかし柏崎市を中心を主にした1000世帯が全壊、半壊などを含めて6000世帯が破壊。
 小さな市としては甚大である。その数は前の中越地震の3倍近い。
・今回の特徴は、世界で最大規模の刈羽原発の直下型ということである。
 もう少し震度が強ければ、チェルノブイユの事故の二の舞になりかねない事態だった。 
 現実的に日本崩壊?の一歩手前だったのだ。
 チュルノブイユの8倍の規模からみて決してオーバーな表現ではない!
 (このことを何でマスコミは騒ぎ立てないのか不思議で仕方がない。
  また住民の怒りが、あまりにも少ない) まさか、角栄活断層が下にあるとは、
 思わなかったのだろう。政治は結果である。 この男の罪は重大である!
 この中越沖地震の深刻なのは、三年もしないうちに二度たて続きに発生したこと。
 その意味では今回の地震は、前回に比べようもないほど衝撃的といってよい。
 新潟県にとって、アメリカの9・11事件に匹敵するといってもよい。
 9・11以前、以後というほど、この地震新潟県にとって深手である。
 まだ誰も気づいてないようだが。このまま原発が再開されれば、大手の企業の進出を躊
 躇うだろうし、撤退を真剣に検討するだろう。
 それだけではない、農水産品をはじめ酒や、加工品までもが影響を及ぼす。
 今後、観光地は致命的イメージダウンになり、回復には時間がかかるだろう!
 「チェルノブイユ一歩手前だった!」と、何故言わないのだろうか?
 日本沈没が現実になるところだったことを! 何で気づかないのだろうか? 
  脳がおかしいんじゃないか、この国は!
 1~2週間以内に、震度6弱の余震がある可能性があるという。
 何故、そのことに無頓着なのだろうか?
 原発の施設にとってダブルパンチになり、その結果の危険性は計り知れない。
  本当は、そ知らぬ顔をして新潟に行っているほうが良いことになる。
 解っていながら行動に移してないのだから、おかしいのは、私も同じである! 
 もし現実に行動していたら、現実の意識レベルからみて、お笑いだろう。
   何故なら、普通の日常が、そのまま続いているからである。
 まさか、こんな大事件が起ころうとは!そして、いま現に現在進行しているとは。

・・・・・・・・・
2006年07月21日(金)
1935, 霊界からの訪問者 -3
  ー四四太郎の霊界日記ー5
 霊がブログを持つのも面白いものじゃ。ふざけて書くわけにもいかないし、
教訓を垂れれば面白くもないだろうし。ところで、これを読んでカルトのそれと、
用心している人もいるだろうが、全く関係ないから。カルトは直ぐに解るだろうけどね!     
何か今日は書いていてぎこちないが、ワシは指の動くままキーボードでも動かしていればよい。
何時でも話す準備はできているが、お主が構えて考えようとするから
ワシそのものが固まってしまうのだ。今日、昨日そして明日のことで頭が一杯の
お主らに対して、数十年、数百年、いやせめて5年~10年のスパンで事象を見つめる
視線をワシの言葉から気づかせようとしているのじゃ。
それだけではない、鳥瞰、虫瞰、モグラ瞰を一瞬に気楽にできるのじゃ。
 現在は人類20万年、いや数百万年来の大変革期に現在ある。
それが解っているかというと、大部分の連中は解ってないだろう。
この情報革命というのはワシらの世界から見てもすざましい出来事なのだ。
この情報革命はマスマス激しく社会の根本を変革を始めているが、
特に、これから十年は日ごと加速度をますだろう。
そしてそのいく末は想像を絶する変化になる。
                         ( ^-^)_且~~~
ワシのような魂が電波に乗って行き交う時代なのじゃ。
霊界では、それぞれの魂が直接触れ合うことが出来るが、
ブログやインーネットで、それが全ての人にも可能になるのだ。
魂なら良いが、邪悪のものも一瞬に駆け巡るから問題になるのだ。
魂とは、それぞれが持っている経験と、未来への夢の芯の部分をいう。
それぞれが、それぞれの経験を通して学んだことを開放すれば
互いが深いところで通じ合うことが可能になるのである。
 霊感は人間の五感とは全く違う受信機能である。
娑婆では六感という言葉を使っているがね。         
 御主・宗親は33年前に父親が死んだ時に、父親のエネルギーで霊感を得ただろう。
あの不思議な感覚が霊感である。 だからワシを呼び出せるのだ。人の奥の共通した
不思議な感覚世界は、深く人生を生きないと到達できないというものではない、
あるキッカケで身につくのじゃ、体質もあるがね。。
人の心の底の底にある六感世界は、永遠にある魂にコンタクトしているのだ。
                   ヽ(゜∀Å)ゞ バイ!
・・・・・・・・・
2005年07月21日(木)
1570, 日本壊死
           ー読書日記
この恐ろしい題名の本を書店で見て、買おうかどうか迷った。
船井幸雄氏の本は数多あるが、ほとんど読んだ事はない。
その場かぎりのいい加減なことを言っているのは私でも解る。
しかし、多くの顧客を持ち、本も出し続けているのだから何かがあるのだろう。

以前いた会社で二年間、船井総研に加入したことがある。
(30年も前のことだが)いい加減というのを、その体験上知った。
数回、この人とも一対一で話ししたことがあるが、
怪しげな生臭坊主というイメージしか残ってはいない。

たまたま、この本が図書館にあったので、丁度良いタイミングであった。
副島隆彦氏の本は図書館で数冊借りて読んでいるが、本筋は正しい。
(売らんかなのオーバーな表現が目立つが)
この二人の対談で、彼(副島)の「日本の近い将来の悲観」に対しては同感する。

船井氏の話術で、彼が言わんとするところがクローズアップしていて
解りやすい内容になっている。アメリカ帝国主義の崩壊のシナリオから始まり、
日本がいかに駄目になったかを説いている。

具体的には アメリカ帝国主義とロックフェラー支配の終焉、
1ドル60円時代の到来、
ユーロの台頭、
借金1000兆円国家・日本の地獄絵図、
財務省の重罪、
預金封鎖と老人税の導入の可能性、
行革が進まないワケ、
脱米入亜の可能性、
次世代国家を作る新しい人たちの登場
等々、内容は悲観的である。
ーー
以上だが、不安感を煽り立てるだけの本なのか、現在の日本は、
これ以上にひどく痛んでいるのか?全ての分野で、 一強多弱になっている。
これがグローバル化の結果である。その一強も明日は多弱の仲間入りになる
可能性を含んでいる。間違いなく、数年先には大変動があるはずだ。

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2004年07月21日(水)
1205, 実存哲学(3)ー哲学について-19
 ーマルクス-2
マルクスの考えでは、当時の資本主義社会は歴史的に見て、
対立なき社会が実現する二つ手前の発展段階とみなした。
近代技術はますます発達を続け、失業者はますます増加すると考えた。
その結果、いわゆる一般大衆が増加、彼らはいっそう生産手段から疎外され、
ますます限られた者に生産手段が握られてしまう。その結果、数の上で圧倒的な
労働階級が資本家を打倒し、生産手段を自らの手に収めることになる。
そしてこの革命が、歴史の繰り返しを終わりに導く。この到達点に必然的に進んでいって、
いったん理想郷が実現されると、もはや弁証的でなくなる。
生産手段は万人の所有者となり、万人の利益のためにつかわれる。
マルクスは哲学そのものを否定し、「哲学者は世界をさまざまに解釈してきただけだ。
大切なのは、世界を変革することである」と断じた。しかしその予言は実現しなかった。
それはマルクスが、一人よがりに自分の理論を科学的と思い込んだからである。
自分が生み出した社会主義を、「科学的社会主義」とよび、これが説得力があったため
マルクス主義者がただのマルクスの個人的意見を「絶対的な事実」と考えてしまった。
彼らは未来の社会の姿を科学的に予測できると主張、自分たちが未来の側に
立っていると盲信してしまった。その結果「歴史がわれわれの側にある」がマルクス主義者の
口ぐせになってしまい、敵はみな、「歴史のごみ」として捨て去られるものと信じてしまった。
この考えが、20世紀に共産圏を中心として大虐殺を引き起こしてしまった。
ソ連や中国では、数千万の大虐殺が生じた。
また現在の北朝鮮の不可解な体制は、このような考えの背景があるからだ。
当時、彼の思想は短期間に世界に大きな影響を及ぼした。
これほど一時期に大きな影響を世界に与えた思想は歴史上なかった。
1883年に、亡くなってからわずか70年で、世界の3分の1がマルクス主義の国家体制に
なってしまた。それは驚くべきことであり、それが歴史に残る大失敗であった。
芸術にたいしても、その真の役割は社会を批判をすることであると主張した。
芸術は革命の一つの道具とみなしたのだ。その結果、多くの芸術家がその影響を受けた。
サルトルピカソなどは、その最たる人である。現在でも多くの国で、
その体制が残っているが、独裁の一種の建前として使われているにすぎない。
一度手にした権力を人間は、決して国家人民の為には使わない動物であることを
見落としていた。これほど理想と現実の差がある思想も過去になかった。

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2003年07月21日(月)
838, アメリカの世界戦略を知らない日本人
                 ー読書日記ー
イラク戦」後、時代はこう動く
日高 義樹 (著) 出版社: PHP研究所 ;
ー感想文ー
 新たなる世界大戦の序幕が切って落とされた。
中東、北朝鮮、中国、そして日本は…。
ブッシュ政権要人の肉声から読み解く驚愕のシナリオをシビアに書いてある本だ。
この本を読んでいると、今の世界の流れの一部が見える錯覚?に陥ってしまう。
日高義樹はNHK記者時代を通じ、アメリカの専門家として有名で、
その著書も数多く出版されてる。
この本は、イラクへの武力攻撃が懸念される2月始めに出版されたものだが、

先日、図書館で借りてきて一気に読んでしまった。
主軸通貨を利用して、ドルと国債を世界にばら撒いて物資を集めてくれば
良いのだから、やはり帝国主義そのものでしかない。
特に日本はいまだに属国から抜け出ることができない。
そして、紙切れー国債を押し付けられている状態だ。
今までは、毒饅頭ー大衆消費社会ーを与えられ、骨抜きをさせられた。
ソ連よりはズットましだっただろうが。

ー印象に残ってところを抜粋してみる
・ヨーロッパは終焉してしまった。
 一見「EUの発足」で力の統合が始まったように見えるが
・中国は恐れるに足りない。いずれ分裂するとみている。
・日本の平和主義は終わった。
 ー日本が核武装をしようがしまいがどうでもよい。
イラク戦争アメリカの狙いは中東石油支配。
 ーこれは時間が経てばたつほど露骨に現れてくるだろう。
 
ーさらに詳細に抜粋すると
・9月11日の同時多発テロ以来アメリカは変わった。
「冷戦後の世界で、一番先に変わるのがアメリカであり、
他国に先駆けて変化するのがアメリカの特徴である」という。
 自発的に変化することを苦手にしているのが日本であり、憲法改正
有事法制も先送りしながら日米安全保障条約だけを頼りにしている。
北朝鮮の脅威が現実のものとなった以上、「アメリカが助けてくれる」
ことを期待を込めて信じるだけでは、国として無責任すぎる。
北朝鮮拉致事件も、見方を変えれば、宣戦布告なき戦争であり、
日本は国民の生命と財産も守れない国ということになる。
日本も今までのように安穏としてはおれず、現実的な選択を迫られている。

・第4次世界大戦”に、既に突入した(第3次大戦は米ソの冷戦)。
 それはアメリカなどの民主主義を奉ずる先進諸国とテロリストの国や組織との戦争。
 今までの戦争とは全く異なり、ITや大型輸送機を駆使し、
 少ない人員で遠隔地まで直接効率的且つ破壊力に富んだ攻撃を可能な戦争になる。
 ーその第一幕が今行われているイラク戦。
・ついで起きるのが2005年頃と考えられる北朝鮮との戦い。
 このとき北朝鮮は日本を人質にとってアメリカと交渉しようとする可能性は大きい。
 ブッシュは“悪”とは決して妥協しようとしないから北朝鮮は日本攻撃に追い込まれる
 可能性がある。その際、日本が当然アメリカが守ってくれると期待するのは甘い。
・冷戦の終了と共に日本はアメリカにとって重要性を失っている。 
 後は日本の古い金融体制を不良債権整理と共に破産させてのっとることくらいが関心事。
 資金の裏打ちの無い“強いドル”を維持するために日本の円を自由にして
 取り込もうとしている。

 [コメント]
 この原稿が書かれたのは昨年12月。
イラク問題は一進一退だが・・・)。
著者は、アメリカ政治に精通している著名なジャーナリストで、アメリカに関する著作は多い
(私も何冊か読んでいる)。
歯切れの良い文体とちょっと過激な論調は、結構ファンも多いはずだ。
著者の結論は、ブッシュ政権は近日中にイラクと戦争を行い、
第四次世界大戦の幕を切って落とし、中東情勢が落ち着けば(アメリカの思惑通りに)、
再選に向けて動く。再選後、北朝鮮金正日体勢を武力をもって崩壊させるといシナリオである。
確かに、ブッシュ大統領も、危険分子(危険要因)の排除ためには、先制攻撃も辞さないことを
明言している。9月11日の同時多発テロ以来、「アメリカは変わった」ことを認識すべきである

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2002年07月21日(日)
463,再び業態について

何回か業態について書いているが、地元の今井家具が昨日店の前を通ったら、
いつの間にか倒産していた。業種店の消滅である。ひと時代前、いやふた時代前の商売。
メーカー分類ごとの商品を並べる商法。靴屋、家具や、薬屋、金具屋、今でも原始的の
兼業商家として駅前立地で一部残っているが。
これに対し業態とは、お客ー生活者のサイドで商品の括りを変えることである。
全国チェーン化を始めた「ニトリ」がそうである。店独自のコンセプトで商品を開発する。
それえも早くから、インドネシヤとか中国で開発輸入をしていた。
台所、居間、トイレ、ガーデニングとそれぞれのシーンごとに分類。
そこで買っていれば、家の中はカラーコーデネートが自然と出来ている。
昔は金持ちの一部しか出来なかった「家を飾り立てる楽しみ」が誰でも出来る。
これは考え抜けば、個人でも小さな企業でも出来る事だ。
5年ほど前、九州のある大きな神社に行った時、ある店がお客でいっぱいであった。
何と「土産1000円ショップ」であった。笑ってしまったが、これこそ生徒の
小遣いの範囲を見抜いた商法ー客サイドである。
百貨店は今大都会の一部を除いて殆んど淘汰されたか、されつつある。
これは業種店の典型である。地方銀行以下もしかり。時間の問題である。
昔の駅前繁華街は業種店の集積で栄えていた。
今はご覧のとおり毎日のように廃業が続いている。

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2001年07月21日(土)
[82] 人生がモチーフの公園

なんとその公園のモチーフが人生!であった。
広大な公園の中央に建つ塔に、時計の刻印のように12のそれぞれの複数の像。
「赤ちゃん、幼児、少年期、青年期、・・老人期そして死」
と像が、その時期を象徴して表現してあった。
その中央に死体の山。人生をリアルにそのままずばり表現してある。
その周辺にそれぞれの人生の哀歓の像が立ち並ぶ!
何故誰もが考えつかなかったのか、今まで見た公園で一番印象的と言ってよい。
さすが北欧と感心させられた。
このような思いもよらない現物に突然出会うのが、旅行の醍醐味である。