ー『意味としての心ー「私」の精神分析用語辞典』北山修著ーより  
   * 空虚の穴埋めと、意味の発見  〜意味の意味について、再び!
 4年前の随想日記で <「人みな骨になるならば」頼藤和寛著>の『意味の意味について』について書いた。
【・・・ われわれの一生は無意味かもしれないし、意味のあるものかもしれない。それを決めるのは、われわれ
一人一人の思い込みにすぎない、と言わんばかりである。そして、やはり「思い込みにすぎない」のである。 
自分の人生には意味があるとするあつかましい人物と、宇宙規模で考えれば無意味だとする謙虚な人物との、
いずれが正しいかを判断する根拠などない。思いたい放題であり、思った者勝ちのようなところがある。… 】
 〜要は、「人生の意味など適当な意味付けでしかない!」ということ。価値観の価値に、非常に似ていて、
人生色いろ!の理屈付け。それでも、そのことを考えないより遥かによい。
 『意味としての心ー「私」の精神分析用語辞典』北山修著ーの中に、
「意味」について解りやすい解釈がある。『意味というミ』の小テーマで、
《 意味とは、意=気持、を充実させることである。 私たちの自己は広がりであり、空間で、
器、容器をイメージさせる。そして、たえず欠如や不足、欠乏を抱え込み、その内容が満たされて
豊かになることが、これらの充足願望に共通する目標であります。その逆の不満や不足を意味する
「満たされない」「足りない」「充実しない」は不幸で不快であり、これが重なると「虚ろ」「空っぽ」
「空虚」など、寒々した空洞体験を出現させる。  その空虚の穴埋として、実のあるものを生み出すこと、
多く表現することなどで、充満することで満足する。その充満が得られ、その充満の限界をこえかけて
ギリギリのところに止まるならば「たまらない」という快感につながることもある。そして記号というカラの器を
充実させるのが読み取られて味わわれる意味内容であり、この意味のミも、記号のミになのなのでしょう。》
 ▽ 現在、シリーズで書いている『事業人生を決心して45年、の語りなおし』は、3年前の結果を踏まえた
物語の書き直し! それぞれの節目の要素と、物語の根こそぎの『意味』の変更。 『意味』に一番近い言葉は
「価値」だが、その意味は「物がもっている、何らかの目的実現に役立つ性質や程度。値打ち。有用性。」
目的により、それぞれ人により違っている。「意味」の『意』は「気持」。『味』は、ミ。満るのミ、記号で言う、
身、実、につながる。その時々の節目で、何が満ち、何が実として、あったか? 逆に、何が足りなかったか、
の棚卸は、ある意味、内省になる。 〜「人間、生まれて、飯を食べ、糞をして、死ぬ、ただ、それだけ( )」
のカッコ内に「?」を入れるか、「!」か、大きく『意味』o^_^o) が違ってくる。
・・・・・・
4508, どうせ死ぬなら「がん」がいい ー3
2013年07月20日(土)
             『どうせ死ぬなら「がん」がいい』近藤 誠 (著), 中村 仁一 (著)
    第二章 医療に殺される
  現代医療の根源を問う問題である。現代医療の肯定派の医師との公開討論は直前にドタキャン。それだけ、根は深い。
 裸の王様と同じで、誰かが現代医療の病巣を指摘しなければならなかったこと。このような問題を今まで聞いたことがない。
 としても、世界で一番の医療システムであることは、認めてよい。延命医療の盲信が良くないのである。 数年前の
 「インフルエンザ・パンデミック騒ぎ」の時、世界のタミフルの7割が日本に流れたという。 振り返ってみれば、
 普通のインフルエンザより、遥かに致死率が低かったのである。これは薬品メーカーの陰謀?=販売戦略でしかなかったが、
 その総括は全くなされてない。これと同じで、盲信していると、医療そのものに殺されるてしまう。 父親も、同級生も、
 治療で、苦しまないで死ねたのが、盲信したため、拷問のような苦痛?の中で死んでいった?と思うと、すえ恐ろしい。
   ー第二章 医療に殺されるー 目次の小項目には、その恐ろしい現実が、そのまま書かれている
・「がんにかかるとすぐ死ぬ」イメージは医者が作った     ・99の死屍累々は隠して1の成功例だけを強調
・胸部CT検査2回で「避難」レベルの彼ばく           ・「免夜力とがん」と「笑うとがんにならない」のウソ
・病院に寄りつかない人は確実に長生き            ・検診は受けない、自分の血圧も知らない
・がんになったら太りなさい。コレステロールが低いほど早死に ・今までの日常を保ちながら、がんとつき合っていく
・高血圧のガイドライン操作で薬の売り上げが6倍に       ・教授が執刀? それは危なかった
・同窓会に行かない理由                   ・日本人の寿命が廷びた原因は医療ではない
・「予防医療」センターは「患者を呼ぼう」センター      ・医療検査に近づかないと人生終盤が有意義に
・余命3ヶ月がはやる理由                   ・「医者は治療をすすめる」これは永遠に変わらない
・財政難で検診が変わる                   ・がんやインフルエンザを「めしのタネ」にする人々
・世界のタミフルの7割が日本に流れた…            ・ワクチンやってもインフルエンザにかかります
・医療で死にかけても「信仰」は消えない           ・医療は桐喝産業。不安をあおって患者を増やす
・ネズミの実験で成功しても人間の体は別もの         ・2つの薬を抱き合わせる「新薬」商法
・老化と言われたくない症候群                ・大学病院はいい「実験」を受けられる病院
・医療体制はもうじき崩壊する                ・日本人のスリムな体形が手術向きだった
  ▼ 誰も目先、死にたくない。老いてからのガンを老化現象とみるか、病とみるかで変わってくる。
   現代医療の信頼も共同幻想でしかない。スポーツセンターの血圧計で、測定したらギリギリ?の125〜140。
   子供の頃、両親から聞いていたのが、年齢+90が高血圧の目安だった。ところが、そこには130と、説明書にある。
   私の年齢からすれば2割も目安が下がったことになる。とはいえ、現状の自分の数値を知っておく必要もある。
・・・・・・
4134, 「夏目漱石の自己本位」 ー3
2012年07月20日(金)
              『定年後 ー豊かに生きるための知恵』 加藤仁著
   * 他人志向型人間
 「自己本位」の対照に「他人志向型」人間がある。学生時代のゼミで読むよう指定された本に
リースマン著『孤独な群集』があった。 以前にも少し取り上げたことがある。  ー 大まかにいうと
《 都会の群衆は、それぞれが孤独であり、他人に対して無視を装っているが、実は非常に敏感で、その視線を気にしている
「他人志向型人間」が多い。これは都市という空間が、人工で創られているためで、各々は個々に分断されているため内情を
知りたいのである。要は内幕情報屋的傾向の強いのがが都会人。》が、私の記憶として残っている。
 そこでアマゾンで調べてみると、【 この本が書かれた1950年代アメリカというのは非常に興味深い10年間であります。
戦後の繁栄を謳歌し、今や万人の上にアメリカの夢が輝いている、そういう光がある反面、冷戦が社会にもたらす緊張、そして
勃興する消費主義、台頭する大企業、人々は次々と「長いものに巻かれ」て自己の表現よりも大樹への忠誠とへつらいという
軍門に降っておりました。そんな時代の空気を吸い込んで書かれたこの書の主人公は、やはり、他者の視線を例えば会社で
四六時中気にするような、「他人志向型」人間であり、仕事によって自己表現をするというかってのアーティストたちとは異なり、
仕事を家計の質を得るための手段にすぎぬと割り切って、自己表現の場を瑣末な消費主義に求める、そんな連中であります。】とある。
 都会の中にあって、誰もが、それは素振りも見せず、それぞれが自己本位で生きていかざるをえない。しかし、心は空虚の
孤独な群集と化してしまう。特に勤め人は、都会暮らしで日々の仕事に忙殺され、自己本位というより、組織という集団の中に
自己を見失いがちになる。そうであればこそ、その中に自己本位のライフワークを確立しておかなければ漱石のような鬱病
陥ってしまう。そのような世界から、自己本位人間に定年後こそ移行すべしと著者は勧める。その変化が出来ないで、定年後も
仕事仲間と付き合うのが一般だが、「昔の首輪を付けたまま群れをつくり、街中をさ迷う犬」に喩えられる。一度、孤立をして、
孤独の世界をつくり、そこで新たな自分と対峙しないと、そう簡単に自分は変えることは出来ない。他人志向も達観すれば、
それはそれで良いのだろうが・・・いい歳をした老人が群れて、我を忘れて他人の噂をしている姿もいただけない。 特に男は!
 ・・・・・・
3768, 福島原発事故は実際、何処まで深刻なのか?
2011年07月20日(水)
  大震災と、それに伴なう福島原発事故が起こって4ヶ月以上になるのに、一番深刻と思われる原発事故の深刻度がハッキリしない。
先日、図書館から借りてきた「新潮45 〜6月号」にー特集・震災後をどう生きるかーがあった。実に、現在知りたいと思っていた、
哲学者や、学者、その道の評論家が、それぞれの視点で論評を書いていた。 現在、一般的に知られている事実を科学作家の竹内薫
 次のように、書いていた。
【 マスコミも含めて、日本人の多くが原子力発電の基礎知識をほとんど持っていなかったことで、いまだに多くの誤解がまかり通っている。
  スリーマイル島チェルノブイリの事故の違いも知られていないようだ。 
スリーマイル島ではメルトダウンが起きたが、格納容器が破壊されず、環境への影響はほとんどなかった。
チェルノブイリは、まともな格納容器すらない、旧東側の原発であり、原子炉が爆発して(核爆発ではない)、放射性物質成層圏にまで
 吹き飛ばされた、未曾有の大事故だった。 旧ソ連は事故を当初から隠蔽し、海外で放射性物質が検出されて初めて大騒ぎになった。
・今回の福島事故は、深刻であることは間違いないが、スリーマイル島の事故を超え、チェルノブイリより被害が小さい事故、
 というのが世界中の科学者・原発エンジニアの共通する見解だ。
・最悪の事態を迎えたとしても、格納容器が内部の蒸気圧に耐えられずに爆発し、高度500メートル付近まで放射能物質が飛散し、
 周囲に拡散するにとどまるという。4月12日に事故の深刻さが「レペル7」と認定され、「ほれみろ、チェルノブイリと同じではないか」
 という論調のマスコミもあらわれたが、政府が「チェルノブイリではない」と主張しているのは、ある意味、正しい。・・・・ 】
▼ 世界の科学雑誌は、一般的に事態を冷静に見ており、原発事故を「1.未曾有の自然災害」×「2.40年前の技術水準の原子炉」
  とし、数十年かけて再生可能エネルギー技術をスケールアップするまでは、原子力発電を使い続けるべきとしている。
  日本のTVを見ていると、まるで世界中が原発反対で一致団結をしているように思われるが、それは正確でないという。
   また、「想定できたはずの人災」にすり替えようとした動きは、後だしジャンケンであり、原子炉の破壊が人災というなら、
  2万人以上の死者を出した大津波に対しての、10メートルの防波堤に対して、更に大きな人災論をマスコミは騒いで良いはず。
   これまでの過剰反応は収まってきたが、それでも大気にばら撒かれた放射性物質の影響は、次第に身近に来ている。
  問題は、若い人である。その中で、幼児が、10〜20年後に、ガンなどになる可能性が出てくること。
  私たちの年代には、どっちにしても、先は限られているので、騒ぐこともないので、国全体としては落ち着いているのである。
  とはいえ、この事態は健康面だけでなく、政治経済などの先行きに予断を許さないことは間違いない事実。
   それに気づいた人たちが、観光地、温泉などに徐々に戻りつつあるようだ。まずは、この夏の電気エネルギーの供給。
  ・・・・・・・
3403, マイナス思考講座
 2010年07月20日(火)
 「マイナス思考法講座 ープラス思考をやめれば人生はうまくいく」 ココロ社 (著)
  ーアマゾンの内容紹介より
 前向きなポジティブ思考で「その気」になっても実際には何も変われていない、ってことありませんか?
そんなあなたにこそオススメしたい最終兵器がマイナス思考! 落とし穴だらけのポジティブ思考を捨て、
仕事・人間関係・恋愛で本当に役に立つ“戦略的マイナス思考”を身につけよう。
本当の成長は、徹底的な絶望から始まるのです! 人気ブロガーによる究極の自己啓発書!
 ▼ この本はまだアマゾンの内容紹介と、読者の感想しか読んでない。なるほどと思う部分と、何も知らない何の経験のない人が
読んだら誤解を受けそうでもある。 プラス思考・肯定思考は意志そのものである。それに対しマイナス思考は感情面が強い。
したがって、二つをミックスしながら考えを進めてこそ、思考が高まる。 単純なマイナスも、プラス思考もない。
一般にいうプラス思考は、マイナス思考を乗りこえた上の積極的な働きをいうのであって、頭の軽い明るい人の軽薄思考とは違う。
ここで「絶望ワーク」という、14の講座が展開されているが、もちろん、それらを乗り越えた上の思考であることは当然である。
 先日の全国紙上で、アメリカの「肯定思考法」の行きすぎに疑問を呈している論があった。ただ、それだけで良いはずはないのは、
誰の目にも明らかだが。 格差という視点からみて、肯定思考は「一段上にアップスケールなど考えるより、現状を肯定し、
それを受け入れるべし」と捉えがちになる。 マイナス思考なら、「現状を絶対否定をして社会全体を破壊するか、現状に満足している
自分を否定する」ことになる。 そうすると、ヘーゲルの正・反・合の適応が考えられる。正=プラス思考、反=マイナス思考、それら
から導き出されたランクアップした思考こそ、練りこまれた結果となる。 マイナス思考で準備をして、プラス思考で実践を
することがより有効になる。 思いもよらない失敗をした時、我を取り戻すために必死になって、マイナスを取り繕うために、
プラス面を探し出し気持ちの動揺を最小にする作用として、プラス思考を使うケースが多い。 しかし徹底的に、そのマイナスの
中心点をみるためには、マイナス思考は重要である。 とはいえ、人生は「にっこり笑ってハンカチーフ!」でなければ、
生きられない局面が多い。 だいたい、「マイナス思考講座」という題名の本が出ること自体、世界が金融恐慌だからだ。
今後、10~20年は、いや50年スパンで歴史的大混乱は避けられない中で、「マイナス思考」を持つのが自然であり、
「プラス思考・肯定思考」そのものが、不自然になるのは当然である。明日にでも、この本が送付されてくる。
 ・・・・・・・・
3028, 『死ぬときに後悔すること25』+2
 2009年07月20日(月)
 『死ぬときに後悔すること25』 緩和医療医・大津秀一著
《人生の目標は、『死ぬ時に後悔しないこと』》と言ったのは、日蓮だが、この本は新聞の書評で知り、ネットで概要を
調べたもので、実際には読んではいない。しかし、それだけでも、その骨子をしることは出来たようだ。 その骨子とは
 〜〜
末期医療の現場で1000人の死を見届けた医師が書いた本で、「人は亡くなる時にどんなことを後悔しているのか」をまとめたもの。
人は生きている時に、「仕事で出世したい」「人生に成功したい」「お金持ちになりたい」とか思うのが常かもしれないが、
最期を迎える時に思うことは、どうも違うようだ。 ーその25のこととは?ー
健康を大切にしなかったこと          △       たばこをやめなかったこと        ○
生前の意思を示さなかったこと         ○       治療の意味を見失ってしまったこと    ?
自分のやりたいことをやらなかったこと     ◎       夢をかなえられなかったこと       ○
悪事に手を染めたこと             ○       感情に振り回された一生を過ごしたこと  ○
他人に優しくなれなかったこと         ○       自分が一番と信じて疑わなかったこと   ○
遺産をどうするかを決めなかったこと      △       自分の葬儀を考えなかったこと      ○
故郷に帰らなかったこと            ○       美味しいものを食べておかなかったこと  ◎
仕事ばかりで趣味に時間を割かなかったこと   ◎       行きたい場所に旅行しなかったこと    ◎
会いたい人に会っておかなかったこと      ◎       記憶に残る恋愛をしなかったこと    ???
結婚をしなかったこと             ○       子供を育てなかったこと         ○
子供を結婚させなかったこと          ○       自分の生きた証を残さなかったこと    ◎
生と死の問題を乗り越えられなかったこと    ○       神仏の教えをしらなかったこと      ○
愛する人に「ありがとう」と伝えなかったこと  ○
  (字数制限のためカット 2011年7月20日)
・・・・・・・・・
2663, 「哲学づくと、どうなるか」
2008年07月20日(日)
 この随想日記を7年以上毎日書き続けたためか、以下のように左から右へと変わってしまった。 但し重心だが。 
 ということは、過去の自己否定の辛い日々になっている? 
根本を突き詰めない日々  ー>   考える日々(考えざるを得ない日々))
日常に流される日々    ー>   新しい知識を求め続ける日々
役立つことを追求する日々 ー>   役に立つとか立たない外を求める日々
常識を加える日々     ー>   常識を根本的に疑う日々
実生活のプラスを加える日々ー>   真実とは何かを求める日々
マスコミに左右された日々 ー>   自分の道理を最優先にする日々  
群れを求める傾向     ー>   孤独の時間に重心を移動
 要するに自分の話す言葉、書く言葉を大事にするようになった。その反面、これまでの表層的な自分を思い出しながら赤面している。
そういえば、二十・三十歳代半までは右側の傾向が強かったようだが・・・ インターネットと、印刷の発明とドチラが人類にとって
大発明になるのかといえば(私自身の判断だが)数段、インターネットだと思う。その人類の大きな転機の大事件に立ちあっている。 
それぞれがブログを通して「語ること」を始めたのである。ブログで語り始めて、語りを継続をして、私の場合、哲学づいたのである。
自分の知識と経験の限界を知ることは、何か空しい気もする。 知っていることより、知らないことが膨大に広がっているのを知ると、
先ほど書いた右側の傾向になっていくのである。それにしても、面白い岐路を生きたものだ。
・・・・・・・・・
2007年07月20日(金)
 2299, また地震!どうなっている?まったく! ー3
  「柏崎原発直下に断層」 ー耐震設計の前提崩れるー
  これが昨日の地元紙の新潟日報一面のトップ記事である。
 更に一面の下にある「日報抄」というコラムに以下のようにあったが、これしか書けないのがマスコミの限界だろう。
 しかし地元紙としては思い切ったことが書いてある。この地震は、日本だけでなく世界に匕首を突きつけた大問題。
 角栄神話の根こそぎ否定の問題であり、娘の真紀子にもつながってくる。代議士として存在していること自体が、
 この地区の後進性を現している。 世界一位の規模を誇る柏崎原発は、マグネチュード6・5までの耐震で造られていた。
 ところが、今回の地震は6・8である。0・2で二倍の衝撃度が増すというから、今回は二倍以上の衝撃が原発にかかったことになる。
 ということは、ただ事でない事態が起きて当然ではないか? 情報はパニックを起こさないために隠蔽せざるを得ないだろう。
放射能が大規模に漏れたなら隠すということは殺人そのものになるから、ないだろう??と考えるのか、
・それとも隠しざるを得ないと考えるか。どうだろうか? 後者なら、とりあえず新潟まで租界しなければならないか?
   (字数制限のためカット 2010年7月20日)
・・・・・・・・
2006年07月20日(木)
1934, 二つ目のブログ?2            
  (♯ゝωσ♯)人(+>∀<+)ノぁはは? よう!        
ブログを始めようとすると、まずはどのサイトのブログを選ぶか迷よう。私も、とにかく5つのブログに入っては止めてみた。
  (字数制限のためカット 2010年7月20日)
・・・・・・・・・・ 
2005年07月20日(水)
1569, わたしの酒中日記 ー15
 ー倉敷の夜ー 1977年8月某日
仕入れで、岡山と広島の福山に行った帰りに倉敷アイビースクエアガーデン・ホテルに来ている。
赤煉瓦に蔦のからまる紡績工場を、文化施設のある複合ホテルに改築してある。広い赤レンガの敷き詰めた中庭が売りのホテル。
(字数の関係でカット2012年07月20日)・
・・・・・・
2004年07月20日(火)
1204, つれづれなるままに
ー自宅の6軒先の家の主人が、仕事先で行方不明になり五日目に発見された。
 (字数の関係でカット2008年07月20日
・・・・・・・・
2003年07月20日(日)
 837, 民間校長 ー腑におちる教育を!
 昨日、何げなくNHK・BS1をまわすと、東京の杉並区和田中学校の民間から採用された校長を取り上げた番組を放送していた。
   (字数の関係でカット2009年07月20日
・・・・・・・
2002年07月20日(土)
 462,臭いのするような話し
子供頃から母親に「臭いのするような話しはするな!」といわれてきた。そういえば家族の会話で、そういう会話は殆んど無かった。
具体的な下ネタや、下痢や生理的などのデモノ・ハレモノの話しをするなということだ。言葉は大事だ。
(字数の関係でカット2012年07月20日
・・・・・・・・
2001年07月20日(金)
[80] 北欧ロシア旅行記
 ー印象順に書いてみよ  
レニングラードが良かった。
(字数の関係でカット2013年07月20日

つれづれに

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

 
他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive

 今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=ymAtdj3uwkw

ーー
 また、大変な事態が起きたもの。
まだ、数ヶ月前のマレーシア航空の不明機が発見されてないのに、
全く同じ機種が、今度は、紛争地の上空で撃ち落された。これ、偶然? 何かがある?
http://video.search.yahoo.co.jp/search?p=ウクライナ%E3%80%80墜落現場&aq=-1&oq=&ei=UTF-8
 このままで、終わらないだろう! 

・・・・・・
2299, また地震!どうなっている?まったく! -3
2007年07月20日(金)
  「柏崎原発直下に断層」
  ー耐震設計の前提崩れるー
これが昨日の地元紙の新潟日報一面のトップ記事である。

更に一面の下にある「日報抄」というコラムに以下のようにあったが、
これしか書けないのがマスコミの限界だろう。
しかし地元紙としては思い切ったことが書いてある。
この地震は、日本だけでなく世界に匕首を突きつけた大問題である。
角栄神話の根こそぎ否定の問題であり、娘の真紀子にもつながってくる。
代議士として存在していること自体が、この地区の後進性を現している。
世界一位の規模を誇る柏崎原発は、マグネチュード6・5までの耐震で造られていた。
ところが、今回の地震は6・8である。 0・2で二倍の衝撃度が増すというから、
今回は二倍以上の衝撃が原発にかかったことになる。
ということは、ただ事でない事態が起きて当然ではないか?
そうすると、情報はパニックを起こさないために隠蔽せざるを得ないだろう。
放射能が大規模に漏れたなら隠すということは殺人そのものになるから、
 ないだろう??と考えるのか、
・それとも隠しざるを得ないと考えるか。どうだろうか?
 後者なら、とりあえず新潟まで租界しなければならないか?
 ーー
ー日報抄ー
世界のメディアは、激しい揺れに襲われて放射能漏れや火災を起こした
東京電力柏崎刈羽原発を大きく報じている。中越沖地震は、日本の原発地震
巣の上にあることを国際社会に伝えた震災として、人々の記憶に残ることになりそうだ
米原子力規制委員会の警告を思い出す。
原発の重大事故の発生確率は故障によるものよりも、地震による方がはるかに大きい」。
柏崎原発は最も避けなければならない断層の上に建てられていた可能性が高いことが、
気象庁の解析で明らかになった
神戸大学の石橋克彦教授はいう。「普通、原発の事故は単一要因故障といって、
どこか一つが壊れる。それを多重防護システムや安全装置で守ることになっている。
だが突然激しい地震の揺れに襲われると、機器や配管のあちこちに損傷が生じ、
多重防護システムでは対応できなくなる恐れがある」
地震原発にとって最大の脅威といわれるゆえんだろう。
原発が被害を受ける規模の地震が発生すれば、周辺もライフラインが寸断され、
人的被害が出る。死の灰の降る中で救援や原発事故の応急対応は困難を極める
▼二月の衆院委で石橋教授が訴えた「原発震災」のシナリオは悪夢だ。
「おびただしい人が被ばくし、土地や水も汚染され、混乱は海外に広がる。
大震災の時は世界が同情し救援に来てくれるが、逆に厳しい非難を浴びかねない」
柏崎市長は原発の使用停止命令を出した。中越沖地震を詳報した英科学誌ネイチャー
(電子版)は「原発が閉鎖になる可能性がある」と論評している。
安全性を県民をはじめ全世界に説明できるまで、運転を再開してはならない。
                   [新潟日報7月19日(木)]
~以上だが、株価が一日置いた一昨日、200円も下落(昨日は100円反発したようだが)、
原発の火災と漏れに対する深刻さを現している。
自動車部品大手のリケンの生産休止で、トヨタなど6社が週内に一時的にせよ7割が週内に
生産休止になるという。また知人の保険屋の社長に電話をしたら、現地はかなり深刻という。
風呂に入るため長岡の郊外にあるスパに行ったところ、10人の柏崎の知人と会ったという。
今回の地震の深刻なのは「地震は一度あれば、当分は無い」という前提が崩れたことだ。
さらに原発の直下に断層があったことが問題を深くしている。
「数年後に、同じ規模の地震の可能性は否定できない」
と地元の地震学者がTVでコメントをしていたが、問題は深い。
もし柏崎原発が再開されたとしたら国際社会から一斉に反発を受けてしまう。
一年や二年の停止ではなく、閉鎖が現実的になるのは避けられないとみてよい。
そうすると原発の大きく依存している柏崎経済にとって致命傷になり、
直接・間接的に長岡にとっても大打撃になる。
3兆数千億以上の設備投資というから、そう簡単に閉鎖はできないが、
といって安全は無視できない。
新潟の魚や酒や米や、観光にとってもストレートに影響してくる。
恐ろしいことだ、他の原発周辺の住民も不安が高まるだろう、
特に福井周辺に密集している原発周辺の住民は・・・
 一見、前回より規模が地域的に限定されていて、影響は小さいように思えるが、
原発の直下型ということ、二回たて続きに起きたことは、新潟県だけでなく
日本そのものにとって大問題である。
時間が経てば経つほど、今回の地震の持つ影響の大きさに驚きざるを得ない。
 以上のことが、もし悲観的過ぎると言えたら、むしろ幸いである。

・・・・・・・・
2006年07月20日(木)
1934, 二つ目のブログ-2            
  (♯ゝωσ♯)人(+>∀<+)ノぁはは~ よう!        
ブログを始めようとすると、まずはどのサイトのブログを選ぶか迷よう。
私も、とにかく5つのブログに入っては止めてみた。
実際に入らないと対象に集中できないからだ。
 どれもが一長一短があるが、私の結論はグーグルのブログである。
デザインを気楽に替ることができるのがよい。
理屈から考えても、世界中のブログの中のベストプラクティスを
しているから一番良いに決まっている。それに気づいたのは、試行錯誤をした後である。
もし迷ったらグーグルを勧めます。ナンバーワンのグーグルのブログが悪いわけがない。
それぞれの特性も各々が持っているから一概にいえないが、長期的視点からみて良いはずだ。
もう一つ心しなくてはならないのは、誰が見ているか解らないことだ。
何度か冷や汗を書いたことがある。何処かのTVのキー局の記者が見ていて、
ある内容のネタ元は何処か?と電話が来たことがある。
たしか、西武鉄道堤義明氏の件であった。
5年間も書き続けていると「書かない日常は有得ない」という感覚になる。
ただボヤキとか、他人の悪口を書いているサイトを見かけるが、それはそれで、
本人の性格もあるから一概に否定できないが、プラスになることを書く!
と思ってないと、無意識のうちに自分の膿を撒き散らすことになってしまう。
 最近、過去に行った旅行先のブログを見ているが、デジカメとブログの進化のためか、
素晴らしい写真がフンダンに出てくるようになった。
自分撮った写真より上手いスナップが次から次へと出てくる。
自分の撮りきれなかったスナップを色いろみることができるのがよい。
これでは、現地で写真をとる必要がないではないか?とさえ、思えてくる。
この世に生を受けて、一番驚いたことといえばインターネットであるが、
さらに検索能力の飛躍的アップと、ブログの威力と普及(オープンソース化)である。
今話題になっている映画「日本沈没」を書いたSF作家の小松左京が、
「現代は自分の書いてきた小説より遥かに先にいっている」
とインタビューに答えていたのをTVで見たが・・・
グーグルアースは、衛星写真の中とはいえ、地球上を自由に飛びまわれるのだから・・
画面チャットや、見知らずの相手とのゲームも、しかり・・・ *^▽^)/バイ!

・・・・・・・ 
2005年07月20日(水)
1569, わたしの酒中日記-15

 ー倉敷の夜ー 1977年8月某日
仕入れで、岡山と広島の福山に行った帰りに倉敷アイビースクエアガーデン・ホテルに来ている。
赤煉瓦に蔦のからまる紡績工場を、文化施設のある複合ホテルに改築してある。
広い赤レンガの敷き詰めた中庭が売りのホテルである。欧州のホテルに来ているようだ。
2Fの建物に、部屋が中庭を囲むようにある。女性の好みそうな風情のあるホテルである。
近くには倉敷の昔ながらの街並みがある。同行の二人と街の居酒屋に入ってみる。
観光客用につくってあり、江戸時代をモチーフにした店である。
100年以上経った商家を改造してあるので、映画のロケの店のような錯覚をしてしまうのがよい。
少し値段は高めだが、それだけの価値を十分に感じることが出来た。
それと土産物店が何ともいえない風情がある。福山と倉敷に来たのは二回目である。
ここはジーンズと作業服の生産地である。メーカーから直接発注するのだ。
昔風の繊維メーカーと、アパレルの工場が並んでいる。行く先々に父の話を聞かされた。
仕入れは亡くなった父に出会うたびでもある。 明日は、大原美術館を2時間ほど見た後、
学生服メーカーのベンクーガーによる予定である。

・・・・・・・
2004年07月20日(火)
1204, つれづれなるままに

ー自宅の6軒先の家の主人が、仕事先で行方不明になり五日目に発見された。
東北電力に勤めていて、その保守点検のため決壊の現場にいたためだ。
行方不明になる前日に、初めて顔を見たのが印象的に残っている。
そこの柴犬が落ち着いた犬で、早朝の散歩時にいつも声をかけていた。
たまたま、その主人と顔をあわせたのが初めてで最後であった。
近所だけでも、最近色いろなことがある。
橋本元首相がまた疑惑だ。
今度は危ないだろうが検察も信用がおけないのが、この国のレベルだ。
彼が捕まって初めて自民党の旧体制の崩壊が本格化するだろう。
いやしないか!? 彼ほど、首相を辞めてから人相が悪くなったのも珍しい。
利権の渦の真っ只中にいれば、ああいう顔になるのだろう。
中国の女スパイと関係を持って脅かされたとか、色いろいわくのある人物だ。
戦後日本を悪くした10人には間違いなく入る?。
角栄に、竹下に、この男の流れがまだ保守本流といっているのだから、
早く抹殺をしなくてはならない。 丁度良い時期なのか、少し遅れてしまったか。
UFJ銀行、三菱東京に吸収合併と報じているが。
数年前にさくら銀行との縁組で、すき放題いって破談になったが、その三和銀行
トップもほぼパージをされて、今度はライバルの三菱銀行に吸収合併という。
これが終わると、今度は地方銀行の大幅な再編が始まる。
地方銀行は膿がタップリたまっている。
来春、ビッグバンがあるのを忘れてしまっているようだが、地方の脆弱化が表面化する。
ー農業も自由かも待ったなしになってきた。
自民党の票田を守るために、保護政策を続けてきたが、農業のグローバル化
抑える事が不可能になってきた為、国内も大幅な自由化が来年から実施である。
しかし米だけは守られるという、米を自由化しなくては何の解決にもならないが、
とりあえず、日本的に外堀から産めるということか。

・・・・・・・
橋本元首相関係の記事)
日経新聞ー (7/16)よりー
 
金脈を追及され退陣した田中角栄元首相は、下野後にロッキード事件で逮捕された。
首相時代のロ社からの5億円の賄賂(わいろ)が裁かれた法廷で、段ボール箱に詰めた
札束が丸紅の役員から首相秘書官に渡る生々しい場面を、検察官が立証した。
▼派内クーデターで田中派の過半を受け継いだのが竹下登元首相だった。
その竹下内閣は、やはり政界と黒い金の疑惑、リクルート事件に翻弄され退陣に追い込まれた。
竹下氏にまつわるさまざまな金銭疑惑に捜査の手が及んで、氏の資金担当秘書が
自分で命を絶つ。後に竹下氏は自ら「罪万死に値する」ともらした。
竹下派の大番頭で政界の最高実力者などと形容された金丸信自民党副総裁は、
東京佐川急便からの5億円のヤミ献金受領が発覚して議員バッジを外した。
それでは済まず、ゼネコンなどからのヤミ献金を蓄えていたのを国税局が突き止めた。
脱税で東京地検が逮捕。巨額の割引債などが詰まった金庫も押収された。
田中派竹下派の流れを汲(く)む橋本派平成研究会)の疑惑は
日本歯科医師連盟が振り出した1億円の小切手だ。
3年前の参院選の直前、会食の際に橋本龍太郎元首相に渡されたようだ。
日歯連に領収証は渡されず、政治資金としての届け出もなかった。
小史をたどると政界ヤミ献金史に重なる橋本派。どうする?

・・・・・・・・
2003年07月20日(日)
837, 民間校長ー腑におちる教育を!

 昨日、何げなくNHK・BS1をまわすと、東京の杉並区和田中学校の
民間から採用された校長を取り上げた番組を放送していた。
広島の民間出の校長が日教租?によって自殺に追い込まれたり、教育委員会の担当も、
自殺をしたニュースが生々しいが、その成功例もちゃんとあった。
ー内容を大筋は
・「よのなか科」をつくって一線で働いているゲストを、年間25人のペースで招いて
 実際の生の教育をしていた。 産能大学でゲスト・ティーチャーを経験してきただけに、
 その内容に引きつけられた。
・「ハンバーガー」や「輪ゴム」の具体的な分析から、中学生に世の中の構造を
 教えていく手法は解りやすく道理に合っている。
 この事例研究から何故数学や国語や社会科が大事かを教えていくのだ。
・ロールプレーイング(役割演技)をさせて、世の中を教える手法が良い。
 生徒にハンバーグ屋の店長の役割をさせてみて、実際の店長にきてもらい対話をさせる。
 少年事件の模擬裁判をそれぞれの役ー裁判長とか検事・弁護士とか被告人ーを経験させて、
 実際の裁判官を呼んで実態を聞く。
・クローン問題を議論させて、科学者をよんで議論をさせる。
・自転車放置問題を議論させてみる。
・ニューハーフを実際きてもらい話をさせて、
ハーフの差異から、社会にある価値観について話し合う。等々、シュミレーションや
ロールプレーイングやケーススタディーを駆使した授業を 通して教育をしている。
「ふにおちる授業」が一番大事だということだ。 
 自分は熱血でなく、クールであると言い切っていた。
「今の校長は社長ではなく、営業所長代理でしかない」という彼の言葉が鋭い。
社長として任務を遂行するには、コミニケーションをどれだけつくれるかにかかっており、
「子供の教育は、大人の姿によってしか変えることができない」という。
今の日本の教育はサラリーマン教育を前提でしかなく、市民教育がゼロ。
シンボルマネジメントー一箇所をよくすることから全体を良くする手法が大事だという。
(校庭の緑化運動を推し進めるとか)
 「中学の校長と小学校の校長とどちら大事か」とアナウンサーの問いに、
「中学校の校長!」と言い切っていた。
中学は大人の始まりであり、子供の終わりの時期であり、膿が一番溜まっている時期。
この時期の教育が大事なことは、自分のその時期のことを考えれば納得できる。
今それが急に社会問題になっている。
「静の教育」と「動の教育」を分けて、教え込む時期である。
「縦横の関係だけでなく、斜めの関係を教えるべきだ」という言葉も真をついている。
「世界中の中学生が一番来たい中学校にしたい!」が最後の言葉であった。
日本にも、こういう芽生えも出始めている。 彼の名前は藤原和博である。
 
・・・・・・・・
2002年07月20日(土)
462,臭いのするような話し

子供頃から母親に「臭いのするような話しはするな!」といわれてきた。
そういえば家族の会話では、そういう会話は殆んど無かった。
具体的な下ネタや、下痢や生理的などのデモノ・ハレモノの話しをするなということだ。
言葉は大事だ。下痢の事を、そのまま下痢というか、お腹がゆるいというかで、
全くニュアンスが違ってくる。
言葉に無頓着の人と接すると、どうしても影響されてしまう。
学生時代に聖心女子大のグループと一時接する事があった。
その言葉のきれいな事に驚いた。その前提の生活環境が、まずその第一歩のだろう。
私が嫌う子狐と飲むと、自分でも信じられない汚い言葉が出てくる。
変幻自在ではあるが、こういう人は可能な限り遠ざけなければならない最大の理由だ。
不幸の人はそういえば言葉が汚くなっている。心の傷は、膿となって言葉に出てくる。
心が荒れると、言葉も荒れる、心の管理は言葉の管理でもある。怒りやすい私も、
その時は自分でも信じられない言葉がでてしまう。
話しは少しそれたが、言葉の重要性を言いたかった。

・・・・・・・・
2001年07月20日(金)
[80] 北欧ロシア旅行記
 印象順に書いてみよ  
1 ・レニングラードが良かった。
  ・特にやはりエルミタージュがよい。冬の宮殿と言われる建築物が予想以上だ。
   300万点もあると言う美術品がよい。
  ・ エルミタージュの小劇場でみたバレーが今回の旅行のハイライトの一つだっだ。 
  ・ 川からみたレニングラードの街並みの光景が今まで見た街の美しさでナンバーワン
   といってよい。街そのものが芸術と言える。
  ・夏の宮殿と呼ばれるカタリ‐ナ宮殿もすばらしい内容であった。
2 ・次はフィヨルド
   2時間の川下りふうな船よりの景色がすばらしい!
   最も長いそれは200キロ、深いところは1000メートルもあると言う。
3 ・登山列車からの景色もいい。最も印象的なのはトンネルの合間の空間に列車を止め、
  下車して見た見た滝がすばらしい。突如‘ジョニ‐は戦場に行った’に似た音楽が
  鳴り響き、滝の途中に突き出た岩の上に赤いドレスを着た女性が踊りだした。
 ‘水の精の踊り’をモチーフにしたのだろうが、幻想的で感動的であった。
4・ノルウエーのベルゲンの世界遺産ブリッゲン地区の街並みと魚仲買人の家も
  当時の生活が垣間見えた。
  北欧の国民性として家の部屋の中を飾り揃えて、お互い見せ合うのが楽しみだそうだ。
  家具が何処を見てもセンスがいい。バイキングは末っ子相続の変わった風習の国だ。
  海は日本は堀で外敵より守るものだが、バイキングは夢の実現のの所だそうだ。
5・ノルウエーのオスロのフログネル公園が印象的であった。モチーフが人生! 
  赤ちゃんから成人~老人そして死が像で立ち並ぶ公園である。
  なにかヒンヤリした、しかし超越した視点が空間に漂っていた。
今回の旅行は5ヶ国をまわるダイジェスト的な内容であった。
飛行機、遊覧船、登山列車、高速列車、一泊の豪華船、バスと毎日が移動の旅行であった。
何でもあり、変化の激しいしかも楽しい旅行であった。
 ーー
 [81] 無事に帰ってきてよかったすね。