つれづれに

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 川崎で異常者の無差別殺人があった。犯人は確保されたようだが、
これだけは、防止が出来ないから始末が悪い。映画や、ドラマで派手な
立ち回りが助長しているのだろうが… 。

 5月で、この暑さ。やはり異常気候だろう。この夏は、この流れが続きそう。

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5552,閑話小題 ~反省すれども、後悔せず
2016年05月28日(土)
   * 反省すれども、後悔せず  (源信 往生要集)
 何ごとも、実際にやってみないと判らないし、思いどうりにならない。
だから、その結果に振り回されない様に生きるしかない。反省は経験から得る
ことが出来るが、後悔は変えることが出来ないため、割り切るしかない。
 反省とは、起きたことに対して今後に生かせる点を経験として取り入れて、
同じ失敗をしないようにすることで、それは今に生かせる。
 後悔は、起きてしまったことに対して、別の判断をしていれば別の結果が
得られたと思い悩むこと。変えられないことを思い続けることには意味がない。
思い悩んでいる人に、「その過去に立ちもどって、起こる前の時点に戻し、
あなたの思い通りの今を作り直せるなら、過去に戻りますか?」 
これにイエスと答えられるか? 「過去さえ変えられたらうまくいく」という
強い思いは、これから先に対して、確信など持っていないことになる。
その時点で、考えられるだけ考えていれば、失敗をしても、限界まで努力を
したのだからと割り切れる。何事も最善を尽くし、極限まで、努力をすれば、
不安も最小になる。 後悔は、その地点の、器の小ささ、自己能力の査定の
足りなさの結果に対しての思い。これは、「今の自分は、そのままでは受け
入れられない」と同じことになる。 
 吉川英治が、武蔵に、<われ事において後悔せず>と言わせた。後悔する
なら、初めからしないことだ。命がけでぶつかれば、後悔も反省も無くなる。
 <自分の人生、今さら後悔もあるまい、ご覧のとおり、そのまま結構>
と、割切りざるを得ないと、いうこと。タメ息の「あ~あ」の「あ~」は、
諦念の意味という。 で、「あ~あ!」  何度、口にしただろう。

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4822,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー4
2014年05月28日(水)
   * 産能大学に編入
⑥ ジャスコを辞めるについて、その身勝手さに非常に厳しい(精神的)
 リンチ? 実家に帰った時には首はガチガチで、半病人状態。当然だろう・・
それをみた両親が、四国旅行に連れ出してくれた。親は有難いもので、後先、
両親三人と旅行をしたのは、最初で最後の経験。 坂出でみた瀬戸内海の夕景は
今でも心に焼きついている。その時の印象と心情をメモ帳に書いたが、ホテルの
部屋に忘れてきた。それを見た若い?女性が、感想を書き添えて送り返してくれた
ことが思い出されてきた。 心が傷ついていた反面、それが夕景に共鳴できる
下地になっていた。
⑦ その後、千葉の姉の家から東京の自由が丘にある産能大に通うことになる。
それまでの激務と、今度は何の束縛のない自由の中で、自分で自分を律する日々。
人間は独りでは生きられないが、まず独りになって自分を律する必要がある。
独りになるとは、考えるための第一歩。それが分からないと、集団に埋もれ、
何も考えないで一生を終えてしまう。20歳前半に、その両極端な二年を経験は、
私にとって大きな行蔵になっていた。この一年間は、過っての学生時代の
4年間を凝縮し、学び直すことにもなった。計算外の危機になった精神を
立て直すに、混乱した脳奥から湧き出てくる思いを紙に書き出し、整理する
ことが第一歩になった。50歳半ばから13年間、こ随想日記を書き続けてきた
ベースは、この一年間の独りでの心の血を掬いがあればこそ。文章に変換する
しかなかったお陰である。書かなければ、狂ってしまうから、書くしかなかった
のである。フィールドワーク(現場)の現象の中に隠れている道理を、言語化
する、当時の発想法のKJ法など、情報のカード化に関する書籍を読み、
実行する日々になっていた。経済社会をフィールドワークと見倣し、現象を
大きく分類し、科学するのに、この一年間は、有効に働いた。
⑧ しかし、千葉郊外の「千城台商業用地の売出しの広告記事」を見たことが、
 大きな副産物としてついてきた。それが二年後の千城台ビルの建設用地になる。
これについて、以前にも書いた。千葉県住宅地供給公社が、県の発展のため
住宅地を開発、販売する住宅地で、家付き娘の姉三人の一人が、そこに新築の
家を建て、住んでいた。そこから30分ほどに住む姉二人も、住宅地を購入し、
貸家を建てていた。そこで暇に任せて、購入希望者に対する抽選に応募した
ところ、当選。その後、父親を説得、購入させた。ここの購入条件は二年半
以内に、建設すること。ということは、二年半後に、私が、ここで何かを
始めることを意味していた。その時は、そんなことなど、一切考えず、ただ、
抽選に当選すれば、半値で買える程度にしか考えていた。数年経って気づいた
ことは、予定挫折が、人生で必要ということ。そのプロセスで、必ず副産物が
付いてくるという事を肌身で感じることが出来た。高度成長期も背景にあった
良き時代の真っ只中である。「捨石の節目時節の重要性」ということ! 
決断は独りでこそ。

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4822,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー4
2014年05月28日(水)

   * 産能大学に編入
⑥ ジャスコを辞めるについて、その身勝手さに非常に厳しい(精神的)リンチ? 実家に帰った時には
首はガチガチで、半病人状態。当然だろうに・・・ それをみた両親が、私を四国旅行に連れ出して
くれた。親は有難いもので、後先、両親三人と旅行をしたのは、最初で最後である。 
あの坂出でみた瀬戸内海の夕景は今でも心に焼きついている。その時の印象と心情をメモ帳に
書いたが、ホテルの部屋に忘れてきた。それを見た若い?女性が、感想を書き添えて送り返して
くれたことが思い出されてきた。 心が傷ついていた反面、それが夕景に共鳴できる下地になっていた。
⑦ その後、千葉の姉の家の一室から東京の自由が丘にある産能大に通うことになる。
それまでの激務と、今度は何の束縛のない自由の中で、自分で自分を律する日々。人間は独りでは
生きられないが、まず独りになって自分を律する必要がある。独りになるとは、考えるための第一歩。
それが分からないと、集団に埋もれ、何も考えないで一生を終えてしまう。
 20歳前半に、その両極端な二年を経験は、私にとって大きな行蔵になっていた。 
この一年間は、過っての学生時代の4年間を凝縮し、学び直すことにもなった。 
計算外の危機になった精神を立て直すに、混乱した脳奥から湧き出てくる思いを紙に書き出し、
整理することが第一歩になった。50歳半ばから13年間、こ随想日記を書き続けてきたベースは、
この一年間の独りでの心の血を掬いがあればこそ。 文章に変換するしかなかったお陰である。
書かなければ、狂ってしまうから、書くしかなかったのである。フィールドワーク(現場)の現象の
中に隠れている道理を、言語化する、当時の発想法のKJ法など、情報のカード化に関する書籍を
読み、実行する日々になっていた。経済社会をフィールドワークと見倣し、現象を大きく分類し、
科学するのに、この一年間は、有効に働いた。
⑧ しかし、千葉郊外の「千城台商業用地の売出しの広告記事」を見たことが、大きな副産物として
ついてきた。  それが、二年後の千城台ビルの建設用地になる。これについて、以前にも書いた。 
千葉県住宅地供給公社が、県の発展のため住宅地を開発、販売する住宅地で、家付き娘の姉
三人の一人が、そこに新築の家を建て、住んでいた。そこから30分ほどに住む姉二人も、住宅地を
購入し、貸家を建てていた。そこで暇に任せて、購入希望者に対する抽選に応募したところ、当選。
 その後、父親を説得、購入させた。ここの購入条件は二年半以内に、建設すること。
ということは、二年半後に、私が、ここで何かを始めることを意味していた。
その時は、そんなことなど、一切考えず、ただ、抽選に当選すれば、半値で買える程度にしか
考えていた。 数年経って気づいたことは、予定挫折が、人生で必要ということ。
そのプロセスで、必ず副産物が付いてくるという事を肌身で感じることが出来た。
高度成長期も背景にあった良き時代の真っ只中である。
「捨石の節目時節の重要性」ということ! 決断は独りでこそ。

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4455, 一日5分「簡単ヨーガ」健康法 ー3
2013年05月28日(火)
                    『 一日5分「簡単ヨーガ」健康法 』ー番場浩之著
 「一週間の実修メニュー」はメニューは以下のとおり。
 シンプルだが、捩れ、反らし、伸ばしなどの要所をおさえてある。
* 1日目 "胸を開いて積極的に
   A・完全な呼吸法をする体位……40       B・背骨をねじる体位(腕で半円を描く)……
* 2日目 "足腰を軽快に
   A・膝を回す体位……54            B・膝を伸ばして、足の指を活性化する体位:
* 3日目 "身体の前後両面と、手指を開く
   A・胸と背中を開き、膝裏を伸ばす体位……66  B・手の指を開く体位ー 72
* 4日目と背骨にいきいきと「気」を流す
   A・膝で半円を描く体位……78   B・上体を反らせて、背骨をねじる体位(一方の腕を伸ばして
* 5日目"胸と脇を開き、首の血行をよくする
   A・胸と脇を開く体位……90          B・首を腕ではさむ体位……96
* 6日目"身体の疲れを癒す      
   A・背骨をねじる体位(腕を大きく回す)……   B・上体を反らせる体位(両腕を伸ばして〉…
* 7日目 一週間の疲れを癒し、新しい一週間を迎えるために
▼ ヨガ教室では50分間に、以上を殆ど網羅したポーズをとる。他にも椰子の木のポーズ、
ワニのポーズとか色々あるが、50人定員のうち、一~二人を除けば殆どがリピーターで、
回を重ねる度に難度を上げていく。この本に縛られることもないが、 まずは従うつもり。
SJでのヨガはエアロビ感覚で興味本位で参加していたが、これを自宅で実施したら少し本格的。
 30分の早朝座禅は、ほぼヨガの瞑想と同じ。これに一か二つのヨガポーズを取り入れれば、
一寸したヨガの時間帯になる。 次回から、上記の具体的な内容を書きだしてみるが、実際に
夜明けに、一人、ヨガを組むのもなかなか良い。 何気ないそれぞれのポーズに、千年、二千年の
積み重ねがある。問題は続けられるかどうか。ヨガ教室で15ヶ月続けたから自宅でも、という気に
なれた。続けると何事も面白くなり、力になっていく。4時起床で、早朝座禅とヨガね~!冴え渡るが?

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2012年05月28日(月)
* 書斎はシェルター
 私の書斎スペースは7畳ほどの仏間の一角である。一角といっても三分の二を占めている。
リタイア以降、ここにパソコンを一台置いて、一日4~5時間は読書をするか、パソコンで随想日記の
下書きを書いているか、iPadに向かっている。腰痛持ちのためジッとしているのは一時間が限度、
一時間に5分はお茶やトイレにいったりして節目を作っている。BGMにパソコンに入力した音楽を
ステレオから流している。またネット・ラジオの音楽放送も時々流す。
朝の4時半から6時、9時から11時半、夕方の1時間の合計5時間は書斎にいる。
途中、廊下をはさんだ前の寝室で寝転んでiPadで遊んだり、TVを見たり、仮眠をしたりする。
居間、書斎、寝室のバランスは丁度良い。外出は早朝のポタリング、スポーツジム、図書館、
SCが中心になる。 書斎といえば、iPadと、パソコンの中に書斎機能がある。静かに落ち着ける
シェルターの役目が書斎だが、あまり居心地が良すぎると、自閉症になってしまう。
iPadを持ち歩けば何処にいても同じ。小さな生活圏内では何処にいても自分の居場所が
できるのは非常に助かる。
   * ギリシャを合わせ鏡にすると
 ギリシャは西欧哲学の発祥の地。そして現在、世界金融危機の発火点になろうとしている。
東の地からギリシャをみると、とんでもない事態に追い込まれているのが分かる。
しかしギリシャと大して変わらないほど惨憺たるのが日本。一年しか持たない首相が改革を
錦の旗にして交代するが、いざ就任、実行段階となると周囲から袋叩きにして、反対勢力が
綺麗ごとを旗に権力奪取。その繰り返しが代々続いている。 覚めた目でみれば、その一連を
分かってやっているから始末が悪い。国民がグローバル化した世界の変化を実感できないのが実態。
10年前に決断しておかなければならない国家規模のリストラが出来ないジレンマに落ちている。
その限界が、あと二年しかないというが、その行き先は、誰も分からない。
ギリシャ国民のユーロ圏に留まりたいが、耐乏生活はしたくない国民感情は日本も同じ。
右上がり経済の再来の幻想に、まだ浸っている。最後はハイパーが吹き荒れるだろうが。

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3715, 閑話小題 
2011年05月28日(土)
  * フレンドリーの雀はメタボ
 毎朝、信濃川に冬期間を除いてサイクリングに行くようになって一年半になる。
10日ほど前に、いつものベンチのところでストレッチをしていると、一メールほどのところに雀が
きてジッとみている。外国では公園などで何度も人懐こい雀には出会っているが、日本では珍しい。
暫くすると、餌が貰えないと判断したのか飛んでいった。
 ところが昨日の早朝に、同じ場所で座って休んでいると、雀が50センチもしない自転車の
ハンドルに止まって、こちらを見ている。ポケットに何かと探したが、クリスクしかない。それを一粒、
地面に投げたが、パンや菓子屑でないと思ったのか、見向きもしない。 よく見ると、普通の雀の
二倍近くもありコロコロしている。もしかしたら、雀ではないのでは?と、見直したが、やはり雀である。 
恐らく誰かが餌付けをしているうち、他の人からも餌を貰っているうち太ったのだろう。
親しそうに近くにきて見つめられれば、何か餌を与えたくなるのが人情。 その結果がメタボである。
恐らく、私も近々に、餌を与えることになるだろうが。雀と鳩は、世界中、いたるところで見かけられるが、
その国々によって、微妙に違う。餌によるのだろう。ところで最近、本当に雀の数が少なくなったような
気がするが・・・ 餌といえば、アイスランドに行ったときのこと。 ホテルの近くの公園を散歩を
していたら、野生の大ガンの群れの一羽にクラッカーを与えたところ、数十羽の群れが、家内と
私のところに押し寄せてきた。 無我夢中で逃げたが、その時の恐怖といったら! 
早朝で無人だったから、幻想的な思い出として残っている。
 
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3350, 新型インフルエンザの総括
 2010年05月28日(金)
 去年の4月に、メキシコで確認され日本に上陸して丁度一年が経ったが、現在では、
話題にさえのらない。WHOに入り込んだ製薬会社の連中の煽動にマスコミが異常に騒ぎすぎた。
一年経ってみれば日本だけが過剰反応。街中の人がマスクをしている姿が異様だったが、それが
世界のマスコミに報じられた。その結果、毎年の冬季に発生する季節性インフルエンザの死者数より
少ない結果になったという、変な結果になってしまった。 医学者で東京文化短期大学学長の
中原英臣が産経の「正論」で、新型インフルエンザの総括をしていた。・新型インフルエンザの想定が
鳥インフルエンザに対してしていた為に、強毒性の行動計画に大きく影響された。
 それが、感染者が一人でも出た時点でも都道府県単位で学校を閉鎖をしたり、集会の中止がした。
 これが過剰反応という受け止め方と、逆に、その結果、アメリカの26分の一、カナダの10分の一の
死亡率に収まった。
・これは、日本政府がインフルエンザの症状があったら、直ぐに受診する必要性を国民に
訴えたこともきいている。
・さらに日本人の衛生意識の高さが大きく影響している。 他人に感染させないための
マスク着用も大きく影響した。「うがいと手洗い」を多くの人が積極的に行ったことも影響をした。
 ▼ 以上だが、この過剰反応、近い将来必ず起きる猛毒性の鳥インフルエンザの予行練習と
みれば、決して過剰ともいえなかった。その時の教訓が、この騒ぎの中に多く含まれている。
これは国家の非常事態であり、自衛隊の役割が大きく求められる。
 この騒ぎのお陰で30年近く毎年行っていた海外旅行を急遽キャンセル、結局行かずじまいだった。
これで大儲けをしたのは製薬会社。 現在でも、何か?大きな疑問が残っている。当時のマスコミの
対応も異常であった。マスコミも、このことを総括したのだろうか?

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 2975, 縁は異なもの
 2009年05月28日(木)
  「縁は異なもの」河合隼雄 白州正子 対談集
河合 日本の芸というのは本当に習うのが大変ですよ。 ずーとやっていて、しかも最後が
どうなるかわからない。白州 研いで研いで、研ぎ抜いて。それで90歳になって精神が現われる… 
現われないかもしれませんから。
  連載中の本に書いたのですが、読者からありがたい手紙をいただいたのです。
「よき細工は少し鈍き刀をつかうという」『徒然草』の一節についてで、それまで私は「鈍き刀」の
意味を「あまり切れすぎる刀では美しいものは造れない」というふうに思っていたわけ。でも違ったの。 
その方は「鋭い刃を何十年も研いで研いで研ぎ抜いて、刃が極端に 薄くなり、もはや用に立たなく
なった頃、はじめてしの真価が発揮される」というのです。 
ここでいう「鈍き刀」というのは最初から鈍き刀というんじゃないんですよ。本当に鈍い刀を
磨いでもだめ。いい刀だから磨げる。しまいにはペロンペロンに柔らかくなるんですよ。
兼好法師は「妙観が刀はいたく立たず」とも書いているけど、やっぱり「立たず」なんて言葉は
「鈍き刀」じゃダメなんですよ。それが良くわかったの。
 ーー
 白州正子の対談を何度か読んだことがあるが、河合隼雄もたじたじなくらい言葉の剣先が鋭い。
鈍き刀を磨いでも鋭くはならない。鋭い刀を磨いて磨いて磨きぬいて鈍くなった刀こそ・・・ 
よき細工に使うことが出来るという。言葉の奥底をみないと真の意味がつかめないというが、まあ、
凄いことをいう。 芸道や能力のことを言っているのだろうが。
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2611, サルトルについて、考えてみる  -2
 2008年05月28日(水)
改めて、読んでみるとナカナカ新鮮に思えてくるところが多い。読んだ当時から40年経て経験を多くつんだ
こともある。当時はピンと来なかったことも、今では深く納得する。経験は、やはり「自分」の財産である。
 ー以下の論が、非常に面白い。
 *「意識」のあり方は、どのようなものか?
サルトルは、「世界へと関わる」ということを、「否定」と「無」と結び付けて考える。人間が世界へと
「関わって」いる、ということは、人間は世界では「ない」ということなのだ。たとえば、私は目の前の
グラスでは「ない」し、窓の外の木ではない。サルトルは、人間が「世界に関わる」というあり方をして
いるが、それは「世界ではない」というあり方だと、いう。言い換えれば、人間と世界の間には「すき間」
「裂け目」がある、ということだ。人間が「世界と関わる」ということは、人間が「世界との間に裂け目を
作る出す」ことだと考える。サルトルは人間と世界の間の「すき間」「さけ目」を「無」と呼ぶ。
ただしここで重要なのは、意識は、裂かれた片方の「モノ」なのではなく、「さけ目そのもの」ということ。
意識としての人間は、いわば世界の中の裂け目、世界の中の無である。それは、意識が、関係する片方の
「モノ」ではなく、「関係」そのものであり、外部の世界への「矢印」そのものである。・・「世界に対して」
裂け目をもたらす人間は、それだけでなく「自分自身に対して」も裂け目をもたらす、とサルトルはかんがえる。 
人間は、常に過去の自分から脱出して新しい自分になっていく存在である。
過去と現在を乗り越え、未来に向かって自分を投げかけていく存在、それをサルトルは「投企」と呼ぶ。
▼ 解)人間の意識が、世界と関わると、その世界との間に裂け目をつくりだす。それも人間の意識は、
 片割れの一方ではなく、裂け目、世界の無である、という。過去を振り返ると、実感として接してきた
 世界の片割れとしての自分というより、色いろ経験してきた世界の接触の中での私の意識は、それぞれが
「無」だった。その時の己は、片割れの「モノ」ではなくて、「関係」そのものであった。それは
「矢印」であった。世界中を観光してきて、そして事業を幾つか立ち上げてきて、その通りである。
世界との間に裂け目を作り、世界の中に裂け目をもたらす、「意識としての人間」をサルトルは「対自存在」
と呼ぶ。異郷・秘境の地で我を忘れて見入っているとき、自分は、そこに居ない。自分は、後で振り返ったとき、
 見入っている自分を対自として見ている内なる我が見ているとき、初めて顔を顕す。対象に魂を奪われている
とき、そこは一方の割れた「私」ではなく、裂け目そのものが私である。別に難しいことではないのである。 
 *サルトルの人間観
             (字数の関係でカット 09年05月28日)
・・・・・・・・
2007年05月28日(月)
2246, 愚痴      ゜・。*ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ!!
愚痴とは、「言ってもしかたがないことを言って嘆くこと」、仏教用語としては
三毒の一の癡にあたり、物事を正しく認識したり判断したりできないこと」をいう。
 {参考のために、三毒とは克服すべきものとされる最も根本的な三つの煩悩、
 すなわち貪瞋癡(とんじんち)を指す。 貪ー貪欲、瞋ー怒、癡ー無知}σ(^◇^;)
人の愚痴は気づくが、自分の愚痴は気づかないから始末が悪い。
初めて就職した時に、ある転勤先に「愚痴のオジサン」というアダナの人がいた。
「初対面の人を見つけると兎にもかくにも愚痴を言うから、受け流すように」と、注意されたが、
なるほど話す大部分が愚痴なのである。;´д`)グチグチ!世の中にはこういう人がいるかと
驚いたことがあ(字数の関係でカット 11年05月28日)った。
愚痴は人前では言うものではない実例としてみたが、「情けない」というしかない。
    (字数の関係でカット 12年05月28日)

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2006年05月28日(日)
1881, 閑話小題        ォ'`ョ━━(。・∀・)━━ゥ★   
 ーつれづれにー
一昨夜、会合が終わった後に新潟駅前で飲む。その後古町の[シャムネコ]という店に行く。店の中を整理
しないのが売りで、ホステスを猫がする店。コタツがおいてあったり、20年以上前のカセットビデオ、
そしてマンガ本、色紙、などが雑然と置いてある。しかし、よくみるとチリなど溜まっていない。
もう廃業したのではないかと電話をすると、第一声が「一見(一限)の客はお断りですが、貴方は誰ですか」
という愛想のない声が聞こえてきた。5年ぶりだが、三匹の猫の源氏名は社長、専務、常務で、ママが
従業員という設定になっている。 
  (字数の関係でカット 09年05月28日)   (。・∀・)バイ!