閑話小題 ~今場所は、まずまずですか!

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    * 大相撲、今場所の雑感
◉ 何時のことだが、初日と、千秋楽と、その前日の取組が、何とも必死さが
伝わり面白い。千秋楽に近づくと、10両下位と、幕下上位陣の力士の入替え戦が
組まれる。これは「前に立つか、後ろに回るか」の、シリアスの立場の交代戦
のケースが多い。前に立つのは十両以上の関取、後ろの立つのは、その世話役の
付け人。昔は「フンドシ担ぎ」と言われていた。ほぼ無給か、小遣い銭の収入か、
高給取りかの境目となる。現実に、前後の立場が逆転した姿を何度も見てきた。
 この数場所、幕下10枚目以上に、有望若手7~8人が集まっている。 5~6年に
一度位ある現象。 彼らが元三役力士を投げ飛ばす姿は、残酷そのもの。
サラリーマン社会によくある現象。 大鵬の孫、大関・琴の若の息子。朝青龍
甥など元三役力士の子弟や親戚筋がズラリと控えている。最近目立つのが、兄弟
力士と、双子の力士。双子の関取は初めてとか。「貴の富士」と「貴源治」。
貴乃花の愛弟子だったが、その後も順調に力をつけている。当初は有望だが、
問題は怪我と糖尿などの病気。原風景が、「緑の原野」が突然、何の先の見えない
「荒野」に変わってしまう。華やかなればこそ、それは寂しく風は冷たい。
 …
 白鵬などのモンゴル勢の談合?システムが綻びはじめたためか? この数年、
ダークホースの優勝が目だつ。朝の山の優勝も、その一つ。下位に下がって
対戦相手に恵まれた結果。勝負の世界は、勝てば官軍、負ければ賊軍。恐ろしい
世界である。引退でもすれば、過去の人と、鼻先であしらわれる存在に。
白鵬も、時どき、横綱特権?を、利用して時どき休場しながら翌場所を優勝する
戦略。 策士としての延命も、これはこれで… 退職金換わりになる。

・・・・・・
6284,閑話小題 ~結婚について
2018年05月28日(月)
            『困難な結婚』内田樹(著) 2016/7/4   
   * ああ結婚 ―心の安全保障ですか
 「心の安全保障」というより、番犬ですか、それも宅上というより、庭先の!

 家庭内離婚も含め9割が破綻すると言われる夫婦問題。オランダ、ポルトガル
ハンガリーでは7割近くが離婚。アメリカでは55%が離婚するといわれる。
日本は35%。いずれアメリカの数値に追いつくと…
 身近の姉と兄たちの結婚と、その後の実態を垣間見るにつけ、私も含めて、
人生の最終版に入りつつある現在、複雑な感情に包まれるのは私だけではない。
 ここで、<「もっと良い人はいません」>の突き放した言葉が何ともいえなく
心に響いてくる。そう思えば、そう思えるし、断じて間違っていたと思えば、
そうでもある。 
  
  ―内容紹介―より どの言葉も、身にしみこんでくる。
《 ・結婚とは安全保障である。
 ・「もっと良い人」はいません
・今より幸せになるために結婚してはいけません
・結婚生活を愛情と理解の上に築いてはならない
・「よくわからない人」だから素晴らしい
[本文より]
結婚しておいてよかったとしみじみ思うのは「病めるとき」と「貧しきとき」。
結婚というのは、そういう人生の危機を生き延びるための安全保障なんです。
結婚は「病気ベース・貧乏ベース」で考えるものです。
――
  ー目次―
・「はじめに」
・こうすれば結婚できる(あるいは、あなたが結婚できない理由)
・結婚するのはなんのためか?
・結婚式はしたほうがいい
・結婚と戸籍と姓
・結婚とは不自由なものである
・家事という「苦役」について
・夫婦間コミュニケーションを巡る諸問題について
・他人とうまく暮らすには
・結婚してからのお金問題
・コップのふちから水をこぼさない努力──結婚を続けるには?
「あとがき」
――
  =ビュアーの感想=
 内田氏は、「結婚は私事だが、<公的であるという擬制>を必要とする」という
一般的真理で押し切っているが、重要なことは、その<公的であるという擬制
の中味がどう変わったか、にあるのではないだろうか
著者は以下のように述べています。
「これは昔の見合いのときと逆ですね。
昔は『迷っているなら、嫌いっていうわけじゃないのよね? じゃあ、式場とか
いろいろ手配があるから決めるわよ。いいわね』と『晩春』における杉村春子
なおばさんがどんどん決めてしまったんですけれど(小津安二郎の映画を観て
いない人にはわかりにくい喩えが続いてすみません)、今はそうもゆきません」

 さらに著者は、以下のように述べるのでした。
「『迷っているなら、止めなさい』的発言をするお母さんは今はけっこう女性
の側に多いみたいです。たぶん結婚に自分の『果たしえぬ夢』があって、それを
娘に投影しているんでしょう。だから、『こんなところで手を打っちゃだめ』
みたいなことをおっしゃるんではないでしょうか。待っていれば、もっと条件が
良い相手が現れると考えているんでしょう。でも『迷っているなら、止めなさい』
というのは、ある種のイデオロギーだと僕は思います。結婚するときは、
『「この人だ」って、ビビビと来るものよ』なんて言われても。
『ビビビが来たかな? どうなのかな?』なんてわからないですよ」
「結婚しちゃえばだいたい同じ」として、著者は以下のように述べます。

「昔の母親は『いい縁談が来たんだから、あんた、もう30なんだし早く結婚
しなさい』とか『男なんてみんな同じよ』と言って結婚をせっついたものなんです。
これはたしかに一理ある発言であって、男はもちろんピンキリなんですけれど、
それはあくまで社会生活において際立つところの差異であって、家庭生活に
おいてはそれほど劇的な差異は見られないのであります」
 そして、著者は次のようなトドメの一言を述べるのでした。
「娘に向かって『もっといい男が出てくるまで結婚を急いじゃだめよ』と言って
いる母親たちって、心のどこかでは『このまま結婚しなくてもいい』と思っている
じゃないかな。ずっと結婚しないで、そのまま年を取ってゆく。そういう娘の姿を、
どこかで期待しているんじゃないかと思うこともあります。ご自身の結婚生活が
あまり幸福じゃなかったせいで、『どうせ結婚してもいいことなんかないのよ』
という経験知で、娘の結婚を無意識的に妨害している」

――
▼ 海外ツアー51回の質量は大して自慢は出来ないが、連れと40回の同伴数は、
 ツアー経験の中でも聞いたことがない。 5~40人のグループの密室の中で、
夫婦間の軋轢は、それはそれは言語では表現出来ないほど。それでも、一人参加
より二人の方が楽しく面白い。二人の方が、大揺れの心の安全保障になる。 
そこでは凝縮された日常のトラブルの多くが発生する。ツアーという圧縮された
時空が、普段隠されている問題を発生させる。と同時に、そこは外地の密室空間。
そこで火事場の馬鹿力が、その難関を乗越えさせる。誰も好き好んで、連れとの
同伴旅行は避けるのが当然。それも5回10回と重なると、自然とコツが出来てくる。
それが結果としての最善のノウハウになる。成るほど、旅行前と旅行中のストレス
をバサ!と、彼方に捨ててくるとは、言いえて妙である。
そうでもしないと、とっくに死んでいましたよ。
 ― エッ! 元もとそんなストレスもないし、何で、そんな果てまで行って、
  捨ててこなければならないの?  500mの世界だから? それはそれで…
熊さん: 「      」 
大家: 5円玉の穴ですか? この沈黙は。
寅: 話せばカカアに殴られるからね… 男は黙ってサッポロビールだよ!

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5187,世間の捨て方 ー②
2015年05月28日(木)
               『世間の捨て方』ひろさちや
   * 「がんばればよくなる!」の馬鹿馬鹿しさ
 ~二つの愚問、「生きがいとは何か」「どうすれば幸せになれるのか」~
この二つの愚問?を真面目に自問自答してきたが、これこそ、「世間の奴隷」
が発する問いかけ、という。「生きがいは、がんばれば出てくる」も似たもの?
我々は「幸せでなければならない」という考え方が、そもそもオカシイとは、
面白い切口である。   ~以下が、考えさせられる (P36)~
≪ 「永遠のものなどない」が仏教の基本的な考え方です。仏教では、この世
 のすべては常に変化していると考え、どんな世の中も滅びるのは当たり前。
「日本は滅びない」と考えるほうが不自然なんです。『平家物語』の冒頭に
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」とありますが、この「諸行無常
ということばに、仏教の考え方が端的に表現されています。
「すべてのものは常ではない」、つまり「あらゆるものは永遠の存在ではあり
えない」ということを述べているわけです。「永遠の存在がないとしたら、
この世の中は何なんだ?」と誰もが疑問に思うでしょう。そんな疑問に対して、
聖徳太子は「世間虚仮、唯仏是真」と述べています。「世間虚仮」の「虚仮」
というのは、字を見て分かる通り、「虚ろであり仮のもの」という意味。
「おれをコケにしやがって」という、あのコケの語源です。早い話が、わたし
たちが生きている世間は「嘘偽り」だというわけです。そして、「唯仏是真」は、
ただ仏だけがまことであるという意味。これが仏教の基本線ですむ世間が虚仮
であるならば、世の中をよくしようなんて、思わないことが大切です。
 ・・「いい世の中にしよう」なんて、仏教の教えに反する行為です。
世間は嘘偽りなんですから、それを良くしようなんて思わないことです。
法華経』というお経では、この世の中は「火宅」であると記されています。
私たちの住んでいる全世界は火事になっているという。燃えているんだから、
さっさと逃げ出しなさいと『法華経』は教えているんです。「世の中を良く
したい」という人にしてみれば「火宅だったら、それを消してやろう」という
のでしょうが、それは馬鹿げています。大火事なんですから、消火活動なんて
やっていたら焼け死んでしまうじゃありませんか。せっかく『法華経』がいい
ことを教えてくれているのですから、それに従いましょうよ。問題は「自灯明」
です。お釈迦さまは、自分自身を灯明にしなさいと教えられたのです。これは、
自分に自信を持って歩めという意味だとも取れます。しかし、それよりも
「世間の奴隷になってはいけない」と解釈したほうがはっきりとします。
わたしたちはあまりにも世間のことを気にしすぎるきらいがあります。
世間の人の平均や流行に常にとらわれていて、自分が世間でどう評価されている
かが気になって仕方がない。でも、世間なんていい加減なものだということは、
さきほど述べた通りです。「世間の奴隷になっていては、自分というものを
失ってしまうよ」とお釈迦さまはおっしゃりたかったのではないでしょうか。
人間は、つい「生きがいとは何か」「どうすれば幸せになれるのか」と自問
自答しながら暮らしてしまいます。でも、そうしたことを考えること自体、
世間の奴隷になっている証拠です。「幸せ」「生きがい」を求めるのは、
自分で手枷足枷をはめて、進んで奴隷の列に加わるようなものです。
つまらない常識にとらわれることなく、生きたいように生きたらいいんです。
勝ち組になったとか負け組になったというのは、単に世間の物差しで測った
結果に過ぎません。・・・ ≫
▼ TVのコマーシャルや、番組の根にあるのは、コンプレックスの刺激が、
 隠されている。健康食品、美容品、ファッション用品など、『世間では、
こういうのが流行しています。これを使って、カバーしましょう』と!
その手段として、最近ではタブレットPCや、スマートフォンが普及した
ため、逆に世間が、狭くなって、個々への締付けが日々、強くなっている。
世間虚仮も必要だが、その過剰は、世間体コスプレになってしまう。
・・・・・・
5917,閑話小題 ~ジョンレノンの言葉がよい
2017年05月28日(日)
   * ジョンレノンの言葉がよい
  最近に知った、ビートルズのジョンレノンが残した言葉が、なかなか良い。
この年齢なればこそ、感応するのか、ただ知らなかっただけか。~その一つ~
< ビートルズは、ほしいだけの金を儲け、
  好きなだけの名声を得て、何も無いことを知った。>
 至極、当然のことだが、レノンが言うから良いのだろう…
歌心のない私でも、学生時代、ビートルズプレスリー、ナッキング・コール、
シナトラ、ローリングストーンズ、ルイ・アームストロングス、サイモン&
ガーファンケルなどの50枚位のレコードを持っていた。それら全てとステレオは、
卒業時に、全てを姉の一人にあげてしまった。その中で、印象に残っていのが、
やはりビートルズ。 ネットでジョンレノンの言葉を検索をしたところ、
以下の言葉が出てきた。 現在の私が当時の私に贈りたい言葉でもある。

≪ ・ 僕がこれまで どうやってきたかは教えられるけど、
   君がこれからどうするかは 自分で考えなきゃ。

・ 根本的な才能とは、自分に何かが出来ると信じることだ。

・ 心の中のヴィジョンは、現実になるんだ

・ 問題は、これからのことや 過ぎ去ったことを思いわずらう必要は
  ないってことなんだ。大切なのは、今この瞬間を楽しむ、ということさ。

・ 仕事は元気のもとだね。
  仕事がなければ 恐れと不安があるだけだよ。

・ 未知なる物を恐怖するからこそ、みんな夢や幻想や
  戦争や平和や愛や憎しみなどを追いかけて、右往左往するのさ。

・ 愛とは僕らが出来ることを知ることなんだ。

・  希望…
  それ自体は幸福の一様態にしか過ぎない。
  だが、ひょっとすると 現世がもたらし得る
  一番大きな幸福であるかもしれない。

・ 大ざっぱな言い方をすると、
  子供たちがクレージーな理由は、
  子供を育てるという責任に、
  誰も立ち向かうことができないからだよ。

・ 目を閉じてれば、生きるなんて楽なことさ。
  目を開けてるから誤解が生じるんだ。

・ みんな平和について語るけど、
  誰もそれを平和的な方法でやってないんだ。

・ 僕らは、自分のすばらしさと不完全さのなかで、
  何よりも自分自身を愛することから学ばなければいけない。

・ 誰でも非凡な才能を持っているし、すべての人が美しいんだ。
  自分がいったい何者なのか、誰かに指摘してもらう必要のある
  人間なんて一人もいない。あなたは、そのままであなたなのだ。

・ エルヴィスの前には何もなかった。

・ 僕の言うことなんて、半分は意味もない。
  ただ君に聴いて欲しくて話しているんだ。

・ 平和を試してみよう! 僕らが言ってるのはそれだけだ。≫


▼ TVのYouTubeで改めて聴くと、半世紀を隔てた青春時代に戻った感覚
 になるが… 日本もアメリカも、良き時代、真っ只中。良い時代に青春を
過ごしていたことを音楽から改めて知ることになる。団塊の世代の二年先に
生を受け、その世代の勢いに相乗りをし、その恩恵そのままを受けてきた。
当時の音楽は時代背景もあってか、明るく、ポジティブで、楽観的で、今でも
踊りたくなるような高揚感が湧き出てくる。その音楽そのものを言葉にした
のが、上記の中に迸し出ている。 こういう時代も、あったのである。
この世代も既に定年をむかえてしまった。

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5552,閑話小題 ~反省すれども、後悔せず
2016年05月28日(土)
   * 反省すれども、後悔せず  (源信 往生要集)
 何ごとも、実際にやってみないと判らないし、思いどうりにならない。
だから、その結果に振り回されない様に生きるしかない。反省は経験から得る
ことが出来るが、後悔は変えることが出来ないため、割り切るしかない。
 反省とは、起きたことに対して今後に生かせる点を経験として取り入れて、
同じ失敗をしないようにすることで、それは今に生かせる。
 後悔は、起きてしまったことに対して、別の判断をしていれば別の結果が
得られたと思い悩むこと。変えられないことを思い続けることには意味がない。
思い悩んでいる人に、「その過去に立ちもどって、起こる前の時点に戻し、
あなたの思い通りの今を作り直せるなら、過去に戻りますか?」 
これにイエスと答えられるか? 「過去さえ変えられたらうまくいく」という
強い思いは、これから先に対して、確信など持っていないことになる。
その時点で、考えられるだけ考えていれば、失敗をしても、限界まで努力を
したのだからと割り切れる。何事も最善を尽くし、極限まで、努力をすれば、
不安も最小になる。 後悔は、その地点の、器の小ささ、自己能力の査定の
足りなさの結果に対しての思い。これは、「今の自分は、そのままでは受け
入れられない」と同じことになる。 
 吉川英治が、武蔵に、<われ事において後悔せず>と言わせた。後悔する
なら、初めからしないことだ。命がけでぶつかれば、後悔も反省も無くなる。
 <自分の人生、今さら後悔もあるまい、ご覧のとおり、そのまま結構>
と、割切りざるを得ないと、いうこと。タメ息の「あ~あ」の「あ~」は、
諦念の意味という。 で、「あ~あ!」  何度、口にしただろう。

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4822,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー4
2014年05月28日(水)
   * 産能大学に編入
⑥ ジャスコを辞めるについて、その身勝手さに非常に厳しい(精神的)
 リンチ? 実家に帰った時には首はガチガチで、半病人状態。当然だろう・・
それをみた両親が、四国旅行に連れ出してくれた。親は有難いもので、後先、
両親三人と旅行をしたのは、最初で最後の経験。 坂出でみた瀬戸内海の夕景は
今でも心に焼きついている。その時の印象と心情をメモ帳に書いたが、ホテルの
部屋に忘れてきた。それを見た若い?女性が、感想を書き添えて送り返してくれた
ことが思い出されてきた。 心が傷ついていた反面、それが夕景に共鳴できる
下地になっていた。
⑦ その後、千葉の姉の家から東京の自由が丘にある産能大に通うことになる。
それまでの激務と、今度は何の束縛のない自由の中で、自分で自分を律する日々。
人間は独りでは生きられないが、まず独りになって自分を律する必要がある。
独りになるとは、考えるための第一歩。それが分からないと、集団に埋もれ、
何も考えないで一生を終えてしまう。20歳前半に、その両極端な二年を経験は、
私にとって大きな行蔵になっていた。この一年間は、過っての学生時代の
4年間を凝縮し、学び直すことにもなった。計算外の危機になった精神を
立て直すに、混乱した脳奥から湧き出てくる思いを紙に書き出し、整理する
ことが第一歩になった。50歳半ばから13年間、こ随想日記を書き続けてきた
ベースは、この一年間の独りでの心の血を掬いがあればこそ。文章に変換する
しかなかったお陰である。書かなければ、狂ってしまうから、書くしかなかった
のである。フィールドワーク(現場)の現象の中に隠れている道理を、言語化
する、当時の発想法のKJ法など、情報のカード化に関する書籍を読み、
実行する日々になっていた。経済社会をフィールドワークと見倣し、現象を
大きく分類し、科学するのに、この一年間は、有効に働いた。
⑧ しかし、千葉郊外の「千城台商業用地の売出しの広告記事」を見たことが、
 大きな副産物としてついてきた。それが二年後の千城台ビルの建設用地になる。
これについて、以前にも書いた。千葉県住宅地供給公社が、県の発展のため
住宅地を開発、販売する住宅地で、家付き娘の姉三人の一人が、そこに新築の
家を建て、住んでいた。そこから30分ほどに住む姉二人も、住宅地を購入し、
貸家を建てていた。そこで暇に任せて、購入希望者に対する抽選に応募した
ところ、当選。その後、父親を説得、購入させた。ここの購入条件は二年半
以内に、建設すること。ということは、二年半後に、私が、ここで何かを
始めることを意味していた。その時は、そんなことなど、一切考えず、ただ、
抽選に当選すれば、半値で買える程度にしか考えていた。数年経って気づいた
ことは、予定挫折が、人生で必要ということ。そのプロセスで、必ず副産物が
付いてくるという事を肌身で感じることが出来た。高度成長期も背景にあった
良き時代の真っ只中である。「捨石の節目時節の重要性」ということ! 
決断は独りでこそ。