つれづれに

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 今朝のポタリングは、寒かったためか、信濃川には殆ど誰の
姿も見られなかった。それでも心地よい早朝のポタリングである。

 庭には藤の花が咲き始め、熊蜂が、大きなうなり音をたて、
飛びまわっている。





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5167,閑話小題 ~心は科学者か弁護士か ~?
2015年05月08日(金)
  * 私たちの心は「判事」や「科学者」ではなく「弁護士」を雇っている
 ネット検索で、「科学者」「弁護士」と入力したら、以下の内容が出てきた。
心の内なる弁護士は、時にご主人様のため、盲目になってしまい暴走、歯止め
がきかなくなる。そこで、科学者や判事も同じ力量を置かないと、極端の個人
主義者になってしまう。 ~まずは、その辺りを抜粋~
≪ この世に産れ落ちるあなたに、神様から
「二つの人生のどちらかを選択しなさい」と言われる。どちらを選ぶ?
 ?生涯究極の正直者を貫き通すが、ならず者だと思われる。
 ?常習的な嘘つきなのに、模範的な人物と見なされる。
「徳が高く見えるか?」「実際そうであるか?」は、このように大きな違いだ。
現実として、皆、どちらを選んで生まれただろう? 哲学者グラウコンのように、
大抵「人々は現実よりも見かけや評判に、より大きな注意を払う」 これは長い
歴史の中で、私たち先祖が生存競争に勝利するにあたり、真実と名声のどちら
が重要だったと考えたかを表している。人は人の見えないところでは、正直
とは言えない。少数の腐ったリンゴが倫理社会をダメにしているわけではなく、
人々の大多数がほんの少しずつズルをするからこそ、この世界は危いと言える。
おまけに、始末が悪いというか、ほとんどの人が自分の誠実さを疑わない。
つまり、自分がした行為の正当化に恐ろしく長けているのだ。
 私たちは心に「判事」や「科学者」を雇っているのではない。
 私たちは心に「弁護士」を雇っているというのが、本当のところだ。
だからこそ、グラウゴンは言う。倫理的な社会を築くためには何が重要か? 
「あらゆる人々の評判がつねに皆の目に入るようにし、不正な行為がつねに
悪い結果を生むようにすることだ」と。心の「弁護士」とは「思考」のこと。
思考の中心的な役割は、他人に対して説得的な理由や、いい訳を提示するための
準備を整え、振る舞えるようにすることだ。事実自分がした選択を正当化しよう
とするプロセスはきわめて強力なので、意思決定者は、何かを決めるに際して、
他人の説得のみならず、正しい選択をしたと自分を納得させるためにも有力な
理由を探そうとする。つまり私たちの中の優秀な弁護士は「自分自身をも説得
しようとする」のだ。道徳的な思考は科学者のような真理の探究より、政治家
の票集めにはるかに近いと言える。たとえば、人は論争になると、ほとんど
考えを変えようとしなくなる。心は論争相手から遠ざかろうとし、挑戦を
むきになって論駁しとうとするのだ。とは言え、心は絶対的な独裁者でもない。
もし相手に愛情や敬意を抱いていれば、心はその相手に歩み寄るし、理性は
相手の主張に真理を見いだそうと務めるだろう。・・ ≫
▼ ここで、弁護士とは「思考」というが、判事、科学者、弁護士との
 裁判のやり取りが「思考」だろう。それと、傍聴席の視線の想定も重要。
日本では、?の人を極端に嫌う。尻尾を出していても、?の人を好む。
一神教なら、規範が明示されているが、訳の分からない世間教徒の日本人は、
あいまいな?になるしかない。で、殆どは? 人生の最終晩年に我にかえる。
人生の節目に常習的嘘が暴発し、「まさか、あの人が!」と、正体を現す。
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5897,閑話小題~30年以上、毎日使ったコーヒーカップ
2017年05月08日(月)?[
   * フランスと韓国の、大統領選挙
 昨日、フランス大統領選挙が行われ、明後日には韓国大統領選挙が行われる。
いずれも重要な選挙だが、フランスは、アメリカと違って歴史も、教養もある
文化国家、極右の大統領を選択する間違いはしなかった。
 ~今朝方のネットニュースによると、
【 仏紙ルモンドの出口調査結果では、得票率はマクロン氏が約65%で、
 約35%のルペン氏を上回り、当選を確実にした。7日午後7時15分現在の
暫定投票率は74.7%で、第1回投票を下回る見通し。】と、波乱は無かった。
 問題は韓国大統領選挙。結果によって北への服従政権の可能性が非常に強い。
瀕すれば貪するを地でいっている韓国。火の海になるなら、少しの妥協も厭わ
ないと考えても、不思議ではないが… それだけ深刻な事態ということか?
――
   * 30年以上、毎日使ったコーヒーカップ
 先日、注いだばかりのコーヒーが、カップの受皿に漏れていた。それを
家内がみつけ、『また~あ』と、嫌味を言われたが、溢した覚えがない。
よく見ると、手もと部分にヒビが入っていた。30年以上も毎日使い続ければ、
当然だが、飽きもせず、よくぞ使い続けたもの。私を馬鹿にするに絶好な小話。 
どうぞ御使い下さいませ。 旅行先で、コーヒーカップを幾つも買って、飾り
だなに並んでいるが、たまに使うと、下々の者が贅沢なという嫌な顔をする。
『コーヒーカップは眺めるものでなく、時どき使って楽しむもの。地震で破損
すれば、ただのゴミ。』と、いっても納得しない。で、二回の地元の大地震で、
三分の一は破損しても、その後も、同じスタンス。その結果、一つのコーヒー
カップを30年も使うことに相成った。 気に入っていたカップだったので、
30年も使っていたのだろうが。 
  ~20年以上前になるが、もっと面白い逸話… 
 私としては少し値がはったが、気に入ったウォーキング・シューズ。
早朝の散歩や、海外旅行などに年中使って10数年。結果的は如何なることに。
靴底が磨り減って亀裂をし、水漏れのため使用不可能。
この手の話は尽きない。決して自慢できる話ではないが…