つれづれに

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 今日のシネマは何にするか? シネマ館にしろ、
自宅の録画の映画にしろ、けっこう面白いのが多い。
これも邦画は85点。海外モノが90点が多い。
心の底から、これは面白い!と感じた時は、ストレスが
半分は消滅する。 ストレスなどあるのか? と、人に
問われること屡々だが、それは当然ある。
 
 老いるというのは病。病なら日々がストレスの過重がかかる。
でも、行蔵の中には多くの御宝があるので、その時には、引っ張り出し
独り愛でる。その在庫が少ないと、他者にむかって… そういうのが
世の中には多い。 





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2015/10/09
寺院経営の惨状とは
  * 貧困は寺院経営に顕著に現れ出る
 寺院の年間収入50万円以下が2割、100万円以下が3割の数字に目を疑った。
その3割の大方(9割)が生活困窮状態?という。 一年ほど前に親戚の
法事に参列したが、その宴席の隣席が午前様。 何気ない会話の中で、
『由緒ありそうなお寺のようですが、墓は幾つあるのですか?』と若い跡継ぎ
の午前様に聞くと、顔色がサッと変わり、『それは、言えません!』と答えた。
後で、「寺院経営の窮状を悟られたくないためか」と、気づいた・・ 
葬式や法事で聞く法話も、情報化の中で、『成るほど!』と心に残る内容は
今では皆無。 ネットで調べた内容は、衝撃的でさえある。
≪ 今年4月、『生活困窮者自立支援法』が施行。生活保護に至る前の自立
 支援が狙いだ。背景には、深刻な生活困窮者の増加がある。6月、厚生労働省
は「今年3月時点での生活保護受給者が217万4331人と過去最高を更新」と発表。
受給世帯数も、前月比3773世帯増の162万2458世帯と、こちらも過去最高。
増加に転じた平成7年時の受給者数は88万2229人。この20年で約2.4倍増えた。
増加の要因は、就労に依る自立困難な高齢者世帯の増加、更にリーマン
ショックや経済低迷の影響となれば、今後も増加傾向は容易に変わらない。
日本の高齢化は進む一方であり、6月19日に衆譲院を通過した労慟者派遣法
改正案は、労働者側からすれば生活を一層不安定にすると懸念されているから。
 ところで、この生活保護を受けられる最低ラインの生活扶助基準とは、
どれくらいか? 世帯数や地域でも変わるが、両親と就学前児童1人の3人家族
の場合では、最も高い東京23区で凡そ月16万円という。年収約200万円だ。
これに住宅扶助等の諸々が加えられる。
 では、この額に比してお寺の現状はどうなのか? 曹洞宗が10年に1度
おこなっている宗勢総合調査(平成17年)の寺院の年間収入は如何だろう? 
 先ず、年間収入50万円以下が何と2割を占め、100万円以下が3割。
確実に最低生活水準を満たしていない寺院が3割もあるのだ。平成21年に
浄土真宗本願寺派が行った宗勢調査の結果だが、こちらも2割近くが年収
100万円未満なのだ。当然、この年収では、いや、全体の半数を占める
300万円未満でも生活は厳しい。現に、本願寺派では300万円未満の寺院の
9割が「全く生活できない」「かなり切り詰めないと生活が成り立たない」
と回答。一般家庭と異なり、寺院には様々な維持管理費が必要。
布教の為の教化費もいる。収入の全てを生活費に充てる訳にはいかない。
実際、同派で300万円未満の寺院の7割が「兼業収入を寺院護持に使っている」
と答えている。 (略)・・・
 過疎や高齢化・家制度の揺らぎ・仏事に対する意識の薄れ等、お寺を取り巻く
環境の変化に依る今後の見通しは極めて厳しい。どの地域にあっても他人事では
ないことは明らかだ。そんな中、檀家の少ないお寺を継ぐことは極論すれば、
将来に“負債”を抱えるようなものという見方もあろう。現に、過疎地寺院の
後継者難が、どの宗派においても深刻な問題になっている。しかし、それでも
実は寺院数が激減していないのは、檀家は勿論、住職や寺族が物心両面で
お寺を支えているからに違いない。・・・ ≫
▼ お寺でも、その規模などによる経営格差がしているようだ。
 大都市一極化、少子化、家制度の激変の中で、仏事に対する考えも変化。
それに伴い収入も激減し、寺院経営は大きな岐路に立たされている。
「長い歴史で、情報基地の役割を果たしてきた寺院のシステムが、情報化
社会の変化に立ち遅れた結果」ということになる。特に過疎地は酷いようだ。
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2011/03/04
3630, 岐路に立つお寺
 3月1日のNHKのクローズアップ現代の「岐路に立つお寺」に驚かされた。
恐らく全国の寺の多くが追い詰められていると思ってはいたが、ここまで葬式
仏教への反感が強いとは! 法話も今さら何をという内容ばかり、その程度の
話はTVで聞く仏教学者の二番煎じでしかない。聞く方が、人生と死をより
深く知っている逆転現象もある。 NHKのHPより、概要を見てみよう。
≪  ~問われる宗教の役割~
「葬式仏教」と批判されて久しい日本の寺が追い詰められている。都市への
人口流出と檀家の減少、「直葬」に代表される宗教離れよって、衰退してきた
寺が経営難に陥り、数億円の負債を抱えるケースも出てきている。
原因は“墓ビジネス”の失敗だ。葬儀会社に「葬式」さえも奪わつつある寺が、
存続をかけてビル型納骨堂や巨大霊園を建設したものの売れ残ってしまった。
一方、危機的状況のなかで、信者の心の苦しみに寄り添う宗教の本分に立ち
返ろうと、自殺や高齢者の孤立の問題に向き合う僧侶も現れている。岐路に
立たされるお寺の現状を見つめ、宗教の役割と可能性について改めて考える。≫

 以上だが、番組中、仏教に対して良いイメージを持っている人90%、
お寺には25%、僧侶に対してはなんと10%、とあった。いかに、坊様に対する
不信感が強いかが出ている数字である。 現在の私の気持ちが、そのまま、
数字に出ていたのに驚かされた。私が厳しいのかと思っていたが、この数字を
知ってホッとした。 まとも?な坊様なら愕然としただろう。葬式時の御経代
の高さに、心の底では怒り心頭ということが見えないのである。霊園に墓を
移す流れは、もう止められない。江戸時代から特権階級の立場を利用して庶民
から貪りとってきたシステムに若い人たちは気づいてきたのが、この隠れテーマ。
コンビニの二倍も寺院があるというから、いかに庶民から搾取してきたかが、
窺い知れる。
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4790,閑話小題 ー父親のこと
2014年04月26日(土)
   * 父親のこと
 これまで母親について語ってきたが、父親について殆ど書いてなかった。
父親が42歳時の時に8人の末っ子として生まれた為、父親が孫のように特別扱い
され育った。それもあって、直ぐ上の兄に陰湿に虐められてもいた。 御陰で、
気が強く、常に自分の身を守ることに、人一倍の知恵が身についていた。
今回の一連も含めた危機管理などの用心深い性格は、この辺りからきている。
 大家族の中、父親が絶対的存在で、母親も、兄姉たちも、常に緊張の中で
父の顔色を伺っていた家庭環境であった。父親は骨董商の二代目。祖母が
婿取りで、母が結婚した時には、当時の資産で七万ほどあったと、母の晩年に
なって語っていた。母が結婚当時、父に「うちは金持ちなの?」と、聞いた
ところ、「金持の目安が10万で、どうだろう?」と答えたというが、その後、
数倍に増やしたというから、資産家の部類だったようだ。プチブルレベル?
 太平洋戦争前まで、当時のトップセールスを思い立ち、津上製作所社長や、
野本互尊など上客を持って、年に数回の取引で、かなりの利益を上げていた。
そして、大戦の勃発で、骨董は売れなくなり、地元からも多くの戦死者が
出ていた。その中、仏壇販売で戦中の生活を凌いでいた。それも終戦を向え、
次に考えたのが古着販売。食えなくなった人の古着を他より高い値で買取り、
欲しい人に、安い値で販売することを思いつく。それが拡大したのが、
衣料量販店である。これも、問屋からの仕入れでは安く売れないため、岐阜、
名古屋、岡山、広島などの生産地に直接行き、仕入れることを考えついて、
繁盛店として、全国的に知られるようになった。商売人の基礎の質実剛健
モットーに、明治気質の、真面目な人であった。顔つきも、性格も、私が、
そのまま、受け継いだが、酒は、殆ど飲まないところが、私とは違う。 
趣味は、旅行と、骨董収集と、茶道と、住宅の建設。自宅や、姉たちの新築
建設に金も口も出して、そのプロセスを楽しんでいた。家も、店でも、チリ一つ
でも落ちているのを嫌い、徹底的に掃除をさせていた。学歴コンプレックスが
強く、自然に娘婿には高学歴の人がなっていた。 友人の持てない人で、
株屋や、保険屋の営業などしか、傍には寄せ付けなかった。兄姉も、怖れて
近づかない中、末っ子の私だけが何時も父の傍にいて、何かペットのような
存在であった。法事などは、何時も私だけが出席をしていた。父親は、太平洋
戦争を挟んだ激動期を、乗り切ったが、私は、結局は、飲み込まれてしまった
甘い三代目になる。 この随想日記も〈売り家と唐様で書く三代目〉の
‘唐様で書いた’で、しかないのか。 ゙(。ノω<。)ァチャ- (-_-)ウツタ
【(後記)これを書いて、分類の<堀井誠作・シマ ワールド>を開いた
 ところ、父親の命日などに、多く取り上げていた。今さら、我ながら
 驚いてしまった! 結局、父親は私の大きな後楯の人だった、ということ。
 それにしても! 呆けか 】