つれづれに

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 プロ野球のオープン戦が開幕したら、
 今度は大相撲の春場所の番付が発表。
 先日、終わったと思ったら、もう翌々週だ。
 
 そろそろ日中にはポタリング(ミニ・チャリ散歩)が可能のようだ。
 一月も例年より早くなりそう。桜の開花予定が4月3日とか。






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4730,近代化が進むほど、幸福感が少なくなるのは何故? ー4
2014年02月25日(火)
 * 口ーマ帝国の繁栄と共通する国際巨大資本 ~?   
       ー「経済予測脳で人生が変わる!」中原圭介著
 少しテーマと違う内容だが、国際巨大資本が、ますます肥大化をしている
反面、その恩恵を受けてきた新興国も変調の兆しが出てきた。巨大資本と
ローマ帝国の繁栄と衰退を類推して、その将来を見通すと・・ーその辺りからー
《 ローマ帝国が衰退した第一義的な原因は、ゲルマン人の侵攻とされています。
 しかし、その背景をより深く洞察すれば、?ゲルマン人に国を取り囲まれて、
新たな領土の獲得が困難となったこと、?その結果、戦争奴隷を獲得できなくなり、
ローマ帝国の経済基盤であった農業が衰退したことーのふたつが、実質的な衰退
の原因となったことがわかります。欧州から小アジア北アフリカまでを制覇した
巨大帝国は、ゲルマン人の武力ではなく、自らの経済力の弱体化によって歴史から
姿を消したのです。 この構図は、現代の国際巨大資本が、新興国や途上国で
資本主義の領上を拡大している姿と似ています。欧米の巨大資本は、労働力の
安い新興国や途上国に工場を設け、安価な製品を先進国に送り出すことによって
巨額の利益を上げてきました。
 ローマ帝国が領土を拡大できなくなってから衰退したのと同じように、
労働力が安価な国を追い求めるフロンティア開拓式の資本主義は、いずれ限界に
ぶつかります。実際に中国では、急激な経済成長によって沿岸部では人件費が
高騰しており、価格を武器に輸出を拡大することが難しくなりつつあります。
 また、「リーマンショック」による世界不況で、欧米の消費は冷え込み、
先進国への輸出によって高成長を実現してきた新興国や途上国は、かつての
高成長を保てなくなってきました。これらの国々に工場を建設して製品を輸出
していた欧米の巨大資本も、同様に成長を保つに四苦八苦しています。
農産物の生産が立ち行かなくなって崩壊に追い込まれたローマ帝国と同じように、
国際巨大資本も"国際分業体制"というビジネスモデルの限界にあと10年か20年で
到達しようとしている。時代や場所が違っても、同じ状況と条件がそろえば
歴史は繰り返すのである。・・・ 》
▼ 世界はアメリカによって実質支配されており、グローバル化などは、
 アメリカ規格の基準の順守を前提としている。情報化によるネット世界も、
その大元はアメリカが握っており、おお方がコントロールされている。
近代化=西欧化だが、それが果たして幸福を意味するか?というと、どうも
おぼつかない。金=神では、幸せになれる訳がない。 私自身を振り返ると、
一日の三分の一以上は、テレビかパソコン生活。確かに面白く、便利だが、
少し不自然。スポーツジムや、電動アシスト自転車にしても、これまで無かった
マシーンを使った文明のリキ。せっかくだから、使わない手はないが、
それに比例して幸せになったかというと疑問である。しかし、私自身、
毎日が面白く、楽しく、時間が足りないほどで、一日がアッという間に
過ぎ去るのも確かで、近代化の恩恵を充分に受けている。 
 幸不幸は、近代化が云々の問題ではなく、生き方の姿勢の問題である。 
現代のローマ劇場が情報機器ということか。

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5459,閑話小題 ~文枝のギャグ
2016年02月25日(木)
  * 文枝のギャク
 桂文枝の愛人問題、落語家の有名人なら今さらの話。奥さんにシゴカレて弱気
になっただけ、で、何時の間にか消えゆく艶話の一つ。女は強(したたか)か。
「たけし」なら、ニュースにならない。それが自然だからだ。「謝罪するから、
責められる」だけの話。 降番覚悟に『新婚さん、こめんなさい~!』と、駄洒落
かましておけばいいのに。『独居老人になってしまう?』が、既にギャグ。
  * 物忘れが・・
 最近、買ったばかりの眼鏡が行方不明。相手は眼鏡だけに、探すのが大変。
年寄の行為の過半数以上が物忘れの探しものか、そのフォローと聞いていたが、
自分が当事者になるとは。 65歳を過ぎ、一線から退いた時から、それまでの
緊張感が一挙に激滅したが、その時期から、物忘れが始まった。本格的に老いる
のは、これからだから、怖ろしい限り。週に5日、スポーツジムで2時間の運動と、
4~5時間の読書とパソコンをし、ドラマ、映画を、数本見たりしていて、これ
だから無趣味だったら、どうだろう。 他人の噂話で、溜まった毒を吐くしか
ないのか。その自身の毒で死ぬより、死ぬべき時に早々、逝ったほうが良い?
  * スポーツジム、1100回
 昨日、スポーツジムのフロントでチェックインした時、
『今回で1100回になります。』と言われた。500回の時と同様、指定日以外の
日祭日の一日無料券をもらったが、何で1000回でなく1100回? あと45日で
まる5年とすると、年間平均220日あまりになる。 週五日制で、盆暮、祭日
などの休館と、旅行などでの休暇を差引くと、こんなもの。当初の冷ややかな?
視線に、ヌシになれば平然としていられる。体調が改善していく手応えがある
のが良い。それと雰囲気が明るく健康的で良い。インストラクターの掛声の
もと、ポップスをバックに、一同で踊るような動作をすると、何故か心が弾む。
ある意味、現在の私にとっての社会の窓である。これで月6千円、一日あたり
300円は格安である。満足度は90点。
  * 歯医者通い   (昨日のバードウォッチに掲載分)
 一年ぶりに歯医者通い。今回は週一の割合で5回で終了。歯垢をとって、
歯茎の治療。毎日、歯の間を歯間ブラシで磨いてくださいというが、これが
どうも・・ で、隔月に通うことにした。 時間帯もあるのだろうが、最近、
お客の数が少ないようだ。 家内も、??科の医院に通っているが、近くに
新しい医院が出来たところ、それまで満員だった患者が激減したという。
年金生活者なら、医療費は大きな負担になる。


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3258、日米「振り込め詐欺大恐慌 -1
2010年02月25日(木)
 日米「振り込め詐欺大恐慌 ー 私たちの年金・保険は3分の1に削られる
                      副島隆彦/著
[要旨]オバマ大統領は2年で辞任し、世界は緊急の金融統制体制(預金封鎖)に突入する。
  日経平均は4500円を割り込んで最安値を更新。金(ゴールド)も買えなくなるから、
 今のうちに金にしがみつけ。これから2012年までに何が起きるのか?
「9.15のリーマン(破綻)ショック」を事前に言い当てた著者の提言。
 年金などもらえると思ってはいけない。ドルは大暴落し、日本もアメリカと一緒に沈む。
暗黒の世界に突入して以後の3年を予測。
 ーカバー裏
米国債とドルの大暴落でこれから「アメリカ発の世界恐慌」が始まる
オバマ大統領は2010年にドルを半値まで切り下げて辞任する(後はヒラリー)
FRBと米国務省は今から2000兆円のドルを刷り散らす
アメリカの「振り込め詐欺」(ネズミ講)で日本の700兆円が奪われた
・ 日本の年金資金の半分が吹き飛んで、もう年金は3分の1になる
・ NYダウ平均は3000ドル台へ、日経平均は4500円を割り込む    
・ 大銀行、大証券といえども潰れないという保証はなくなる
・ 日本も緊急の金融統制体制(「預金封鎖」)に追い込まれる   
・ 金(ゴールド)もいずれ買えなくなる
  ~~
 この本は、去年の4月30日に発刊されている。いま時分に書いたのだろう。そして一年経ったが、アメリ
の執拗な日本に対する謀略は、著者が言うとおりになっている。鳩山の脱税容疑、小沢の政治資金問題で、
元秘書の逮捕など、あまりに露骨な日本攻撃である。ここで、さらにトヨタの狙い打ちである。そして、裏
ではアメリカ国債の押し付けが行われている。そのアメリカは、何処も買う余力がないので、日本にアメリ
国債を買うように執拗に迫っている。それが、アメリカ「振り込め詐欺」と副島は言っているのである。
実際のところ、何処が違うのか? 同じである。

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2883, 現在のクラッシュは全面事故そのもの
2009年02月25日(水)
現代思想」ー金融恐慌特集ー の中で、
都市学の研究家が、スリーマイル島や、チェルノブイユ原発事故などを取り上げている
仏国のジャーナリストが、今回の金融危機を一連の原発事故と同じ視線で捉えているところが新鮮である。
「歴史」の加速現象が、これらの重大事故の主要な原動力として捉える。 これらは偶然ではない。
「歴史の加速」より、現実的なものへの加速への移行ではないかと。 このことを「進歩」という。
我われは、「現実主義」の時代を生きているが、一歩ふみこんで「瞬間の時代」に入ってしまった。
このような「できごと」を、切断という特異《唯一無二》の出来事の分析をすることを勧めたい。
《事故》は一つの発明であり、創出された作品である。「金融活動」は一つの仮想世界を創出した。しかし、
これも現実の一部。この仮想世界は、植民地に喩えることが出来る異邦性の一形態である。移住可能な遊星
の神話である。今回の金融クラッシュの被害者は、サブプライム・ローンをかけた人々である。彼らは住拠を
失いつつある人々である。金融クラッシュは、国家そのものを不安定にしつつあり、株価や土地などの価値
を落としていく。我われは未来の生きられなくなってきている。 そこで、現在しか生きられないが、
現在にさえも生きられなくなっている。それが我われが現在経験していることである。これは、原発事故が現
に起こったときと同じこと。人は「起きていること」を見抜かなければならない。無理解は恐れを大きくする。
私たちには恐れている暇など与えられていない。最も恐れるべきは、生活の全領域まで及ぶ、
個人的で内密的やる気無さです。あれやこれや、個人として行うことに及び腰になることである。
ーーー
解)解ったような解らないような内容だが、要は地球全体に大きな影響を及ぼす大災害と捉え、
 割り切って手を打つべきということ! とにかく次の爆発を最小限にし、多くの教訓を吸収すべきである。
 従って、チュルノブイユ原発事故と同じく二度と起きないように原因を展覧すべきである。
  ところで、昨日の昼飯で寄った喫茶店にあった「週刊ポスト」の中で‘たけし’が
 「今回の大不況は災害だから、派遣切りにあったホームレスに仮設住宅を与えろ、っちゅうの!」と、
 のたまっていた。もしかしたら、誰かが知恵を与えたのでは?と思ってしまった。
 世界を覆った大惨事と捉えれば、 日本中に一人当たり1万2千円をばら撒くより、緊急宿泊施設こそ
 優先すべきことである。そこで、麻生のズレタ感覚を面白おかしく茶化していた。職安で、仕事を探しに
 来た若者を相手に「自分の目的を持って仕事を探しなさい」と言った世間知らずは、あまりに御坊ちゃまと! 
 今さらだが、シェルターぐらいは作った方がよい。アメリカは教会が、その役割を果たしているというが。
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2008年02月25日(月) 2518, 閑話小題 
 *アース*
一昨日、最近出来たばかりの長岡の映画館で「アース」を観てきた。一人で映画を観るなど数年ぶり。
新潟では、よく観たが・・・画面が小さいのがきになったが、それぞれ大きさが違うようだ。
この映画の中のカジキマグロが魚の群れを襲っているところと、鯨の親子の南極への数千キロの
長い旅路が印象的であった。二時間近い上映が半分近くに感じたのだから、内容があったのだろう。
還暦を過ぎると1000円というのがよい。1~2ヶ月に一度はいくか?
 *何で今になって三浦?*
27年ぶりに。「ロス疑惑」の三浦和義アメリカで逮捕された。誰の目にも彼が犯人というのは明らか
だったが。あれから27年とは! 今の若い人なら「誰?」ということだろう。米国の連続ものTVドラマに
「コールド、ケース」が面白いので見ている。 この紹介文に日本とアメリカとの司法制度の違いが紹介
されている。
 --“コールドケース”とは未解決凶悪犯罪のこと。
アメリカでは原則的に殺人罪に時効がなく、未解決事件がいきなり再捜査されることもある。
何十年も前の事件も、当時まだ無かったDNA鑑定など、現在の最新テクノロジーを駆使すれば、
解決の糸口が見つかる可能性は大きい。また当時の関係者が重い口を開き、意外な真相を語り出すことも…!
コールドケース」が「CSI」シリーズと異なるのは、回想場面で事件発生当時の時代背景を
細かなディテールに至るまで再現する点。 よって普通の犯罪ミステリーを超えた、
濃密なヒューマン・ドラマがそこに浮かび上がるのだ。 -- とあった。
 本人(三浦)も「青天の霹靂」であろう。三浦の殺人の無罪判決は検察とマスコミの敗北だった。
今回もアメリカが何時、無罪放免するかもしれない。
その結果、三浦が告訴による生活費確保の餌食を恐れて、報道の腰が引けているのが面白い。
この時期の逮捕は沖縄の暴行事件に対するアメリカの政治的な思惑と考えるとタイミングとして辻褄があう。 
また三浦騒動の始まりである。それより日本の司法の問題点が大きくクローズアップするだろう。
・・・・・・・・・・
2007年02月25日(日)
2154, 立川談志
               (~Q~;) おはよう~~ ファ~
先日のハイビジョン特集立川談志 71歳の反逆児 」( 2月20日(火)後8:00~)が面白い。
  まずはNHKのHPにあった ー内容ーから、
立川談志といえば早くから「天才」と賛辞を浴び、鼻っ柱の強さで落語界、落語だけでなく政界でも大暴れ。
落語協会に公然と反旗を翻し、脱退して立川流を立ち上げ、まさに「破天荒」を絵に描いたような人生を
送ってきた。そのかれも、古希を迎えた。 世間的には“老境”の71歳。だが、執念を賭けた古典落語100席
の掘り起こし、若者のお笑いブームに真っ向勝負を挑む「独演会」の開催、ジャンルの違う後輩芸人との
「果たし合い」ライブ・・・と、なおアクセルを踏むかのような挑戦を続ける。
 もっとも、その心中は、ありがちな「元気な老人」のそれとも違う。飄々と斜に構えた枯れた反骨。
あくまでも談志流なのである。自分をおいて「本物の落語家」は無い、という強烈な自負心を背負った、
一代の個性派名人・立川談志。 その日常に密着し、落語への執念を描く。
 ーー                    ささ、お茶でも ((( ^_^)且~~ 
二時間近い番組だったが、時間がアッという間に過ぎてしまった。密着したカメラの前で赤裸々な自分の姿
を見せながら、自分の世界にいつの間にか引き込んでしまっている。何ともいえない迫力のある内容である。
ガンになり、何時お迎えが来るかわからない日々の中で、芸道を求めている姿。年齢による体力の衰退と、
うつ病との闘いで発狂寸前という際どい境界で、独り七転八倒している姿は、見ていて感動さえおぼえた。
5年前にNHKの{心のたび・ベネゼイラ}で、テーブル・マウンテゥンの麓の村に滞在した番組があった。
たまたま、その一週間前の再放送を見ていた(三度目)。何度見ても味のある内容だった。ガンになって、
今後どう生きようかを考える旅でもあった。あの僻地で、暇な時間を持て余して、結局は落語の練習を始めて
しまう姿は、何か気の毒のように思えた。暇を持て余して現地人に「暇じゃないかい?」と弟子に聞きに
いかせる場面があった。その返事が何とも味があった。  「暇って何?」である。  
もう一人の返事が、「ここには、ここの時間が流れている。暇というのは、ここの時間の流れに合わない
感覚ではないか」という哲学的な答えであった。彼の言葉を幾つか紹介していたが、その中で「落語は人間
の業を肯定するものだ」という言葉がよい。人間の業と性(さが)を笑いの中で認めるということか?
特に自分の滑稽さを笑えるのは、それで自分を客観視していることになる。笑いと泣きは紙一重である。 
泣き笑いもあるが・・・ (^_^:
本当にきつい時は、笑いも泣きも出て来ないが!ごくごく身近に笑い顔の人がいるが、まあ幸せなことで! 
           (⌒▽⌒)/"”さいなら!
・・・・・・・・
2006年02月25日(土)
1789, おやじ、ありがとう ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]○o
               ー 読書日記
母親は家を象徴しているが、父親は社会の象徴になる。母親に対する思いの本は数多あるが父親に対する思いの
本は数少ない。男にとって父親は煙たく恐い存在であリ、人生の乗り越えなくてはならない大きな壁でもある。
私にとって父親は最大の恩人であり、教師であった。
この世で私を誰よりも愛してくれたのは、間違いなく父親であリ、次に母親である。
故人も含めて一人だけお礼の言葉を残すとしたら、「おやじ、ありがとう」である。           
母親の夢は見ても、父親の夢はその数十分の一しかみない。でも、この世に生まれて一番恵まれたのは
「父親」であると確信をもっていえるのが幸せある。男が父親を語るとは、自分自身を語ることにもなる。
父親を否定するほど惨めなことはない。 自己否定になるからだ。親元を離れて初めて両親の愛情を感じる
ものである。私の父親に関しての思いは、この随想日記で何回か書いてきた。
「商売が好きで好きでたまらない」が、父の姿であった。仕事が好きかどうかがプロとして一流化どうかの
分岐点だろう。父は、戦前、戦中、戦後と時代の変化に従って事業を変えていった。父親の姿を見ていて
仕事の厳しさと人生を学んだ。特にお金の哲学は家訓的に叩き込まれた。それにしては  ??
・仕事を楽しむべし!       ・人間を選んで付き合え!
質実剛健の生活を忘れるな    ・小金をつかうな!大金を使え
・肩書きを求めるな、実利でいけ  ・変化をみて、思い切った変身をすべし その為に情報に敏感であれ!
・人間は、まず疑ってかかれ!
 以下は、検索で調べた内容の紹介である。
  ---
週刊現代の人気連載が1冊に! 有名人80人が登場(写真・インタビュー構成)
有名人が、父親との思い出を1ページの文章と昔の家族写真で綴ってある。息子・娘に対する関わり方、自分
の人生との向き合い方、奥さん(ときにはそれ以外の女性)との接し方、息子・娘はそれらにどう反応したか
(あるいは影響されなかったか)など、家庭によって、また時代によって異なる千差万別のドラマが描かれて
います。それほど道徳的でもなく、また恨み辛みがむき出しにもなっていない、どちらかというと平坦な文章
が多いが、それ故に一つの家庭を四苦八苦しつつ運営している身にとって共感することを随所に見出せる。
一人でも、みんなが集まるリビングでも、少し時間ができたときに何ページかめくってみたくなる暖かい本。
執筆者に同年代の人が多いせいもあり、同窓会で久々にあった友人と「おまえのオヤジ、どうしてる?」
と話しているかのような気持ちにもさせてくれる。
                        ー さようなら ε(´',_c')зβyё
・・・・・
2005年02月25日(金)
1424, DVD レコーダー
レンタルビデオ店の中の、DVDの棚が過半数を超えてきた。映像ソフトも、主としてDVDで提供されるよう
になった。ハードディスクで録画して観たり、その映像をDVDで記録して保存する「ハードディスク・DVD
レコーダー」が売れ筋になっている。現在のDVDは、テレビ番組を録画する場合、1枚あたり6時間の記録が
可能だが、大画面で通常のテレビ放送並みの映像を期待すると2時間程度が限度だ。最近は直接ハードディスク
に長時間入力できる機種が多くなっている。「ハイビジョン」は、現行のDVDでは映像は十数分程度しか
記録できない
   (以下、字数の関係でカット 2009年02月25日)
・・・・・・・
2004年02月25日(水)
1057, あかさたな はまやらわ
以前から不思議と思っていたが、笑い声は、何故か「あ行」と「は行」に並んでいる。
  あはは   ははは
  いひひ   ひひひ
  うふふ   ふふふ
  えへへ   へへへ
  おほほ   ほほほ
 ある本を読んでいたら、「言葉の不思議」という内容でそれぞれの行ごとの類似性を紹介していた。
  (少しこじ付けかと思いつつ、それなりに説得力があった)
ー以下のとおりである。 
・「カ行」は、自分の主張や激しい感情を外に出すものが多い。 「かんかんがくがく」
「カッとする」「きりきりする」「苦労する」「悔しい」「喧嘩」「喧々ごうごう」「高圧的」
・「サ行」は、静かな感じが多い 「細心」「神経」「住む」「繊細」「楚々としている」
・「タ行」は戦い系が揃っている。「戦う」「血」「力」「強い」「強い」「抵抗」「徹底」「闘争」
・「や行」は優しい系の気の軟さの言葉が多い。「優しい」「ゆかしい」「よよと泣く」
偶然ともいえないのが不思議である。私の名前は八郎である。ハチというと何か闘争的である。兄は三郎。
サブは大人しい感じがするが、兄の性格は大人しい。名前にも霊力がこもってしまうのだろうか。
少し話はそれるが、一番最初の「あ」と、最後の「ん」には深い意味があるという。
「あ、しまった!」の時につかう「あ!」は仏教語で「許し」という意味があるという。
その中に深い意味を感じる。 私の場合は「あ~あ」が口癖だが。
・・・・・・・・・
2003年02月25日(火)
692, 「わたしを認めよ」ー3 読書日記
<面白そうなところを抜粋してみた> 
ーわたしをみよー 自己証明をめぐる闘争
 あなたのまわりを見渡してみるとよい。いや、あなた自身をかえりみるだけで十分だ。
自分の無意識の言動の大部分が、いかにつぎのような動機に基づいているかがわかるにちがいない。
世の中のほとんどすべての関係が、つぎのような証明動機に満ち満ちているかがわかるにちがいない。
ー自分がいかにうつくしいか、いかにカッコウいいか、いかに可愛いか、いかに若いか、いかに頭がよいか 
 ーこれからはーいかにーを省く。勇気があるか、度胸があるか、ユーモアがあるか、明るいか、優しいか、
いかに凄い体験をしたか、気がきくか、仕事ができるか、正しいか、ものがわかっているか、忙しいか、
金持ちか、ケンカガ強いか、酒が強いか、ざっくばらんか、大物か、太っ腹か、もてたか、セクシーか、
性技巧に優れているか、自己犠牲ができるか、子供思いか、親思いか、義理堅いか、正義感が強いか、
努力をしたか、苦労したかー
(こうもくどくど列挙が文章上、下品だが、ここまで書かないとわたしの気持ちが悪い。ご寛容を。)…
 ーつまり、わたしたちはこのようにいいたいのだーー
わたしを見て、わたしを振り向いて。   わたしを気にかけてくれ。
わたしを好きになって。         わたしを知って。
わたしを理解してくれ、と。       わたしを見る他人の「視線」。
わたしたちの自己証明は、すべて他人の「視線」をひきつけることに費やされる。この、わたしを見よ、と。
 ・・・・
 鷲田はさらにこのようにつづけている。
(字数制限のためカット 2,010年2月25日)
  ーーー
私の母の口癖は「人を認めてあげなさい!だれもが認めて欲しいのだから」であった。両親の呪縛が
あったとしたら、「両親の期待を失望させてはならない!」。両親の期待にこたえることであった。
・・・・・・・・
2002年02月25日(月)
 342、20歳の頃ーある教授との出会い-1
この頃何を考えていたか、誰でもこの頃は大きなターニングポイントの時期であった。土がたっぷり付いて
いた田舎の青年が、それを必死に振り払い「自分に目覚め始めよう」としていた時期であったようだ。
キリスト教倫理の教授の「将来の自分の設計」というテーマを休暇に与えられ真剣に考たレポートを出した。
その内容に対し心の入った文章の返事が書いてあった。 200人の学生に対し、これだけ長い心のこもった
返事を書くものかと感激をした。それとも「自分の真心に対しての特別の返事」だったのか?
鈴木教授という名前と、その授業が心のこもった内容であった事を憶えている。
私のその時書いた内容は、一ヶ月考え抜いた内容であった。初めて第三者に自分の心情を真剣に書いた。
いや書かされたのかも知れない。要旨は「両親の生き方」に対し姉兄はその激しさにしり込みをした。
そして安易な生き方を選んだが(商売人よりサラリーマンに嫁ぐことを選んだ)しかし自分は両親の生き方を
求めていこう。今になって特に「父の生きかた」に男として魅力を感じるようになった、等々。もしかしたら、
「兄二人が20歳過ぎて不幸な死に方をしてしまった」とも書いたかもしれない。心のこもった返事とは
「その中で、よくぞ父の生き方を肯定をした。そしてその生きかたを選んだ貴方にたいし心から賛同する。
貴方が自分自身で考え抜いて判断したことが素晴らしい!」 というな内容であった。この時点で自分の行き方
が変わったように思える。 いや決まったように思える。もともと決まっていたのかもしれないが。俄然それ
から目標がハッキリした。「事業を起こそう!人と違った生き方をしてやろう!父が目標だ!」