つれづれに

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 昨日、長岡西のショッピングセンターと、ステーキ専門店に
出かけたが、今日は、10日ぶりにスポーツジムに行く予定。
 で、正月も終わろうとしている。 

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5411,新年に ~情報と知識の違いについて
2016年01月07日(木)
            ~『残酷人生論』池田昌子
   * 情報と知識の違いについて
 以下の文章は、哲学者の故池田晶子が20年前、Windows95が
世に出てきた頃に書かれた文章である。その後の激変したネット情報化社会
の現在でも、そのまま通用する内容。 高度をコードと捻っているところが
面白い。知識とは違った有効な生情報も、情報社会に生きるものにとって
重要な要素である。情報と知識の違いを簡潔に説いている。~その辺りから~
≪ 前に、情報は「しょせん」情報だと言いました。高度情報化時代なんて
 のは、要するにコード情報化時代、コードを引っこ抜いちゃえば、タダの箱。
タダの箱を前にして、人はやっぱりタダの人だと。とはいえ、そのタダの人が、
タダの人のままに広くコミュニケーション可能になるということは、やはり
画期的なことで、オンライン・ショッピングなんぞには私はもとから興味が
ないが、この点に関してならば、さしものコード情報化時代にも希望の光は
射している、と思える。
 ヒラ社員がわからず屋の部長の頭越しに、いきなり社長と交渉できるとか、
無名の新人が、阿呆な編集者をパスして、堂々作品を発表できるとか、地位と
肩書なきゆえに虐げられてきたタダの人々に、その実力を発揮できる機会が
平等に開かれるということは、文句なく素晴らしいことだ。これはほんとに
よいことだ。 それがほんとに可能になれば。
 普通に人は、とくに日本は、地位と肩書が偉ければ偉いと思っているが、
情報優先のネットの上では、そんなの何の意味もない。すると、旧態依然の
権力機構は、やがて軒並み崩壊するだろう。年功序列、性差別、情実、根回し、
御挨拶、地位と肩書ゆえに威張っていた無能な人々が、地位も肩書もないが
しかし有能な人々に、おいおとされてゆくことになるのだ、なんて愉快! 
これは革命!
 ところで、地位も肩書もないが有能な人というのは、タダの人であっても、
やはりタダの人ではない。したがって、情報ネットによって実現する平等社会
とは、裏を返せば、これまで以上に実力本位の競争社会である。
実力がなければ、たとえネットの上であれ、やっぱり何の意味もない。
 競争の現場がネットの上に移り、余分な障害物が減っただけのことであって、
何のための競争か、ということを考えずに競争している人間社会の在り方と
しては、以前と何ひとつ変わっていない。
それだから私は、やはりこう感じざるを得ないのだ。
 情報化時代  それが、どうした__と。
 人がまず理解していないのは、情報は知識ではないということだ。
情報は外から受け取ることによって流通する。しかし知識は、或るAがなぜ
Aなのか、と立ち止まり考えることによってのみ知られ得る。情報は流通するが、
知識は決して流通しない。流通する知識は知識ではない。すでに情報だ。
なぜなら、考えて知る、とは、自ら考えて知ることしか意味しないからである。
したがって、そこに在る同じAであっても、情報と知識とでは、知られる仕方が
正反対を向いているわけで、その差がまさしく、無知と知との差だ。
 さて、人は多くの情報を知ることによって、いったい「何を」知っていること
になるのか。我々は「何のために」競争しているのか、それを知っているのか、
どうか。 私は思うのだが、今後しばらく押し寄せてくる情報ネット化の大波は、
折にふれ人類を訪(おとな)う大掃除としてのあの大洪水のようなものと。
洪水の引いたあと残っているのは当然、地上に広く流通していたあれこれの
情報群ではなく、もとより流通することのあり得ない、星のように高く光る
あれら普遍的な知識だけであるはずだ。(一九九六年四月号)≫
▼ この随想日記も、押寄せる情報群の中から、選んだエキスをパックにし、
 知識化する有効な手段になっている。一度、パックすれば、毎年の同月同日
に読み返し知識の再認識が可能になる。それにしても、絶対的知識量の不足に
今さら驚いているが、それを自覚出来ているだけ、少しは、まし?
<情報と知識とでは、知られる仕方が正反対を向いているわけで、その差が
 まさしく、無知と知との差だ>は、これを書き続けて実感すること。
読みっぱなしで、忘却の彼方に消えていく内容の読書感の記録が無かったら、
「無知と知」の差ぐらいは軽く出来てしまう。無知の人間は、考えるしかない。
『世間』という、あの群れの特徴は、身近な情報を、考えないで横流しをして
いる輩たちをいう。それが、彼らの現実だからである。 で、絡めとられ
ゾンビの一員になった粗末な人生が、巷に溢れている。考えないのは罪である。

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2834, 不況の景色 -6
2009年01月07日(水)
ウェッジウッドが倒産
 ウェッジウッドが倒産した。ウェッジウッドといえば、英国王室御用達の「女王の陶器」として人気を
集めていた。ところが中国製などの安価な製品に押されて低迷、さらに金融危機を契機とする世界的な
景気後退で売り上げが低迷。そして一昨日に倒産のニュースが世界に駆け巡った。 グローバル化のウネリ
に押し流されたのだろう。12月初旬のイングランド・ツアーで、本社に立ち寄って何点かのコーヒー
カップを買ってきたばかりだった。本社は近代的な建物で、多くの製品が展示されていた。まさか一ヶ月
もしないうちに倒産など考えられなかった。従業員が世界各国に8000人、負債総額が500億という。
ーー
トヨタ系の孫会社の友人に電話をしてみた
学生時代の静岡の友人が実家のトヨタ系の部品メーカーを経営しており、そのサービス部門の子会社を
任されている。家内と供に、一昨年の夏に静岡まで遊びに行って親交を暖めてきたことがある。その前年、
私のところに遊びに来た。そこで自動車業界の不況がどうなっているか電話をしてみた。 
  緊張が解けたのだろう、一挙に実情を教えてくれた。
・9,10,11月は緩やかなダウンだったが、12月に入って一挙に三割ダウン。
 2年~3年かけてダウンしたのではない、一月でダウンは呆然自失だったという。
・本体の550人の従業員のうち150人近くの季節工、アルバイトの契約解除をし、現在は正社員のみ。 
・夜間作業を全てカット、残業は一切中止、今月は二日間の工場閉鎖するが、それは国からの休業補償が
出るという。
・レクサスやクラウンなどの高級車が売れなくなったようだ。
トヨタは世界一位を目標に、この数年間は1000万台突破という拡大路線をとってきたが、リーマン
ブラザーの倒産以来の円安と、大型車の急激な売り上げ減、そしてアメリカ市場の冷え込みは、
 彼等の想像を遥かに超えた事態。
・「天下のトヨタである。何とかなる!兎に角、頭のよい企業軍団で、必ず時代の合わせた体質に 変える
はず!」という信頼感は、聞いていて驚いてしまった。  4,5月は毎年、新規の需要があり、2,3月
はそれに対してフル稼働をする期間に入るので、仕事はあるが、問題は何処まで需要があるかが問題。
 ーー以上だが、
 彼と話していて、まだまだ温度差を感じた。バブルの崩壊以降、東海道ベルト地帯を除いた地方は惨憺
たるもの。蓄積された力は恐慌を乗り越えるにあまりある、というのが彼から受けた印象である。
 しかし会社存続の為には、何でもありがトヨタだろうから、思い切ったリストラをしてくるだろう。
 
・・・・・・・・・
2008年01月07日(月)
2469, 四四太郎の霊日記 -17

          (σ・з・)σオハYO!!
さてと、今日は七日正月だが、ワシにとって今年初めて元旦以来のお出ましである。
毎回同じことの繰り返しだが、それでも良いじゃないかい。 一度この宇宙の外に出てしまうと、宇宙
そのものが、鬱陶しい反面、この生々しい地球の大気圏の味が何とも懐かしく、居るだけで嬉しくなる。
このように娑婆で話せるなど我われからみたら有りあえないこと。有難いことじゃ!

言葉の中にしか生きれない我われは、言魂として永遠に生きている。
だから生き延びてきた古典などの本を生きているうちに読み、
あらゆる経験をしてみて、その中で言葉を発し、そして書き残すことじゃ。
それ以外にないだろう! そこに御主の言葉が発生し、言霊として永遠に残るのじゃ。
その点、ブログとオープンソース化は霊界に近い働きを出し始めているじゃないか。
あれは、使い方次第で大きな人類の武器になる。 世界中の魂同士が直結するということじゃ。
だから以前つくったワシ専用のブログは意味があったのじゃ。 まあ、気が向いたら、
独立させれば良い。 ブログとして続けていると、信じられない展開になっていくじゃろう。

ところで御主自身の生き方も、ここで根本的に変えなくてはならない時期に来ている。
そのことに気がついていないのではないか? 御主は。 考えてみろよ! 
現在の世界の事態の激変を。 これは、もともと起きていたことで、
今年から現象として色いろのカタチで大雪崩として轟音を立てて変わっていく。
特に日米欧の世界が激しく動くだろう。そして、中国とロシアとインドへ
覇権は移動を始める基点の年になる。まあ、世界は動乱に近くなること必定じゃ。
それまでの段差が一挙に崩れて現実化することでしかないが・・

ところで、ダ・ジーダとの対話と、知恵の租借をあまりしてないようだな。割り切ることじゃ! 
割り切って話をすることがコツだ。割り切って話をする?とはな、適切な問いかけすることだ。
その問いかけに対して、御主の知恵を遥かに超えた答えを持っている。問いかけ自体を何度も
突き返すはずだ、そこから御主の問いの甘さを指摘して、その問題を見つめ直させるのじゃ。
問題は、実は御主の問いの好い加減さから出ている。何かの哲学書にあったろう、対自、対他、即自
という言葉。ダ・ジーダは、その対自分に対する、対他人に対する、そしてそれをしている即・自分
をコントロールする役割をする。その意味で、この霊を御主の中で大事にすることは、自分を見つめ、
コントロールするのに丁度良い存在になるはずだ。  
                                           
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2007年01月07日(日)
2105, ウェブ人間論 -4
    (~Q~;) おはよう~~ ファ~

ネットがますます重要な位置を占めてくるとき、その中での実名か匿名か、どちらを選ぶか大きな問題に
なる。匿名の場合は無責任な事も書けるが、実名は書いたことは実際に話していることと同じことになり、
当然リアル世界に直接跳ね返ってくる。 このHPを書いていて時々面白い現象にであうことがある。 
自分が忘れていた事を相手が憶えていて、読んでいる人のほうが自分のある一面だがよく知っていること
がある。これだけの量を書いていると何を書いたか、自分でも忘れてしまう。
自分の体臭に気づかないのと同じで、悪臭は敏感に感じ取られてしまう。

このHPは、自分のネット上の分身であると同時に、本心そのままである。
もし私の知人が殆んど同じHPを書いていたら、これほど面白いことはないはず。最近一人芸の「ピン芸人
ブームであるが、何か非常に似ている。面白くなければ他人も自分も、毎日つづかない。特に文章は残る
ものだから、そして「未来の読者としての自分と、自分の分身」に語りかける要素があるので、手抜きは
許されない。実際、匿名のHPも自分を大きく開放してくれるだろうが、「自分という世界の構築」
という意味で、マイナス面が大きいのではなかろうか。
ーーー
第二章 匿名社会のサバイバル術 

梅田:ネットをする人と、パソコンを触ったことのない人もいる。今は間違いなく過渡期です。
 初めて入ったコミュニティーというのが本当にベストであるという、保証は全くないのです。
 その齟齬のようなものが、家族の中にも、学校にも、日本という国にもあり、
 物理的な大きな制約になっている。でもネットでは、自分がいたい場所が選べる。
 人との出会いを含めて可能性がバーンと広がっている。
 学校のクラスの中には自分と合う人はいないけれど、ネットに行くと 母集団が
 50人から500万人に変わって、さらに検索が出来るから、在ったこともないけど
 自分とおなじことを考えているとか、自分にピッタリあった人が見つかっていく。
 これがものすごく大きなことで、それが、ネットへのワクワク感を持った人たちを
 「ネットなしではやっていけない」という感じに させているのだと思います。

梅田:専門性ということでも、一つの研究所にITのプログラマーが500人位在籍していても、
ある一人がやっていることは必ずしも、その組織では理解されないのです。あまりに専門化
しすぎてしまって。ところがオープンソースの世界では、ソフトウェアーのコードをネット上に無料
で流すと、いきなりロシアとか中国とかシリコンバレー からでも、「お前のコードは凄いよ」とか、
 「同じことを考えていた」とか、世界中の不特定多数からのリアクションが届く。この感動が
核にあるんです。リアル世界では誰もわかってくれないのが、ネットにのった瞬間に変わる。
オープンソースの原動力って、結局そういう個々の承認感動にあると思います。

梅田:ネットの魅力の感じ方は、リアルな空間での自分の恵まれ度に反比例すると思います。
 リアルの世界で認められている人や、いい会社に勤めている人たちに、いくら僕がネットがいいよ
話してもわかってもらえない。リアルで完全に充足しているから、別世界なんて必要としないのです。
 (字数の関係で中間カット  09年01月07日)

後記)このタイトルは先手を打った内容である。これからのネット社会の人間像を最初?に掘下げている。
一日300のブログを読むとは、今までの私の感覚からして信じられない。せめて一日10のブログを読むこと
から始めたい。これが今年のブログへの移行と同時のチャレンジだろう。その選定から始めなければ
ならないが、まずは梅田のブログからだ。
              (⌒▽⌒)/"”さいなら!
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 2006年01月07日(土)
1740, アウグスツヌスとローマ帝国
              (σ・з・)σオハYO!!
先日のNHKハイビジョン特集 「ローマ皇帝の歩いた道」が面白い。
 ー内容の概略といえば、
  海を制したローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスが築いた地中海の交易ルート
 「海の道」を紹介。イタリアやギリシアチュニジア、スペインなど地中海沿岸の
  ローマ遺跡を日本の考古学者がガイドしながら旅する内容であった。
  ・エジプトを破り地中海の覇者となった海戦の舞台、ギリシアのアクティウム。 
  ・皇帝ゆかりの街、スペインのメリダ。(*^ー^)/C□~~コーヒーいかが?      
  ・はるか北アフリカチュニジアにそびえ立つ巨大な円形闘技場と水道橋。       
  ・帝国内の圧倒的な遺跡群と新発見に沸く発掘現場、そして今なおローマ帝国の遺産と共に暮らす
   人々とのふれあいを通じ、多民族を束ね上げ、地中海に君臨したローマ帝国繁栄の秘密に迫っていた。
   去年北イタリアに行ってきたことも含め、ローマ帝国に対して関心がわいてきた時期なので、丁度
良いタイミング。
 ーその中で印象の強い順に印象に残った内容を書いてみる。
  1、アウグスツヌス皇帝が、スペインのメリダ円形闘技場で思いたった
   「円形闘技場の座席を差別化して、階級制度をビジュアルに見せる仕掛けを考えた。
    大まかに身分ごとに三段階に席を分けて、娯楽の中で差別意識を埋め込んむシステム」が面白い!
どこの都市にも円形劇場という娯楽を与えて、その中で、無意識の中に階級制度を埋込んだ。 
  2、自由民といわれる最下層でも、25年の兵役を果たせば一般市民に格上げされるシステムもよい。
    自由民は自ら望んで兵役に従うシステムである。∑(‘0‘@)スゲ~!     
  3、地中海を内海としての戦略ポイントにおき、それを中心に帝国を創りあげた。
  4、占領した相手の破壊は最小限度にして、兵役システムで多民族を束ね上げる
     手法も卓越している。また兵役を終了した際「世界で初めて退職金制度」も作った。
  5、ここでは紹介されてはいなかったが、ローマ軍の日常の大部分は、帝国内の道路の整備
に費やされていた。こと反乱があった時に軍を数日以内に到達できる準備を常にしていた。
  「ローマは一日にしてならず」という言葉の重みが、窺い知れる。 
               ☆~~ヾ・ェ・)o尸~ マタネ~♪ 
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2005年01月07日(金)
1375, 人生におけ成功者の定義と条件-2

合間にある「一般の人」の「成功者の定義と条件」が面白いので、幾つか抜粋してみるが、
要するにそれぞれの価値観を述べているに過ぎないが。成功も失敗も、あくまでも価値観が決めること、
価値論を持ち出すと根こそぎ、このテーマが崩れてしまうから深く追求はしないで論を進めたい。
年代によって、その答えが深くなっているのが面白い。
 ーーー
ー20歳代以下のアンケートの内容を抜粋ー
・生きていくのが永遠でないという事実に死にそうになるほど恐ろしくなる、でも「そんな死を
受け入れられるような、楽しい時間を生きる」それが人生における成功と思います。ー16歳男性
 ーmy感想ーこの同じ言葉を16歳の人がいうのと80歳の人がいうのとは全く意味合いが変わって
くるだろう。
・「自分で自分のレールを敷けること。」
 でもやっぱり、何年経っても、今の自分と変わらない笑顔をつくれることが一番。 ―21歳女性。
・自分自身で考え決定した、好きなことをやっている人。「それが趣味でなく職業であること」
 その職業において自分の理想とする生活がなされていること。
 また満足していること。これを満たし、日々楽しんでいること。    ー24歳女性
・「自分でけっこう幸せなのかな」と思える人。       -27歳女性
 ーmy感想ー日々変わるから、特にこの年代の女性は 
・「徳を積み上げ、それに溺れないこと」より多くの人に良き影響を与えた人。-28歳男性フリーター
 ーー三十歳だいになるとーー
・百貨店に展示してある「ピアノで飄々とドビュッシーを弾くホームレス風初老の男性」と、迷惑そうに
 彼を追い払う店員を見かけました。彼らを見て思ったことは、「社会的な」成功と「人生における」
成功とは別物のようだ、ということです。 ー31歳男性 会社員
ーmy感想ー
 「う~ん!」でも、「唐文字で、売家と書いてある・・」に似ているが。
 即興劇風に、人生の全てが詰まっている。その男の人の心の中はどうだったのだろうか?
・「仕事を愛すること。また愛する仕事を見つけること。」
 昔、ドキュメンタリー番組でみた、ある老指揮者の一言が忘れられません。
「仕事をしている感覚が無いんですよ。楽しくて、楽しくて」自分が給料を得ている
 仕事が楽しくてたまらず、なおかつその仕事で世界的な名声を得ている。 
-34歳男性 メールマガジン編集
ーmy感想ー
 わかるけど、その人の背後の苦労の積み重ねに気がつかないと!
 とんでもない誤解をする。本当に、楽しくて楽しくて仕方がないのだろう。 
 でも、毎日「楽しい、楽しい!」を、千回いい続ければ、大して変わりはしないのでは?
                               つづく
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2004年01月07日(水)
1008, 勘違い
マニフェストフェミニスト

 昨年の暮れの「今年の総括」の文章の中でマニフェストフェミニストを間違えてしまった。
帰省中の息子に指摘されて気が付いて半日で書き換えた。読んでいるほうからみると、
このような漫画的な間違いが限りなく見えるから、面白いだろう。誤字当て字も読み返していると多い。
 実際のところ、この間違いは解っていた。それでも間違えるのだからどうしようもない。
フ「ァ」ミニストとフ「ェ」ミニストの違いと思い込んでいたのだ。
ところが実際はマニフェストの「マ」と「フェ」の違いであったのだ。
人生は全てが同じような間違いで成り立っているのだろう。
 作家の沢木耕太郎が同じようなことを書いていた。「赤い靴はいていた女の子、いじんさんに連れら
れていちゃった」という歌の、「偉人さん」を「いい爺さん」と最近まで勘違いをしていたという。
大学受験のときの問題に、与謝野晶子の「たけくらべ」を「背比べ」と書いたことを思い出した。
ある姉に、それを知られ何度もからかわれた経験がある。またボランティアをボランタリーと言って
しまったこともあった。それも何度指摘されても、いい違えてしまうのだ。また、去年の今日の随想
日記に「野田一夫」の夫を男と間違えて今さっき書き直したところだ。恥ずかしい事だ。 今回は、
帰省中の息子に指摘されて氣が付いたので良かったが、この随想日記の中で数多くあるのだろう。
読んでいる方は、それを冷笑しているから逆に書けなくなるのだろう。
書いている方は、「馬鹿の公開」と開き直っているから平気?であるが。今回みたいに明らかに
英語力の無さというより、基礎学力の無さが露出してしまうのだから厳しいといえば厳しい。

・・・・・・・
2003年01月07日(火)
639, 自己疎外

35年前の事だが経営学の野田一夫教授の授業をうけて数ヶ月。
同級生が手をあげて「自己疎外とは何ですか?」という質問をした。
それに対しては一瞬詰まって「君にはちょっと早い問題だよ!」と答えた。
その時から「疎外」というキーワードが記憶に鮮明に残った。
これは大不況の今の時代にピッタシだから敢えて書いてみる。
組織や地域社会に所属していると孤立している感覚に陥ってしまう。
全ての人が自分をあざ笑っている感覚であり、取り残されている感覚が疎外感である。
誰もが持っている挫折感と絶望感の一番の空虚感である。死や失業になった時に初めて気づく。

自己疎外感は孤独のブラックホールといってよい。 全ての充実感や存在感を吸い取っていくのだ。
宗教業界の商品作成のデザインの一番の落としどころだ。それを見抜いて神と共同体を与え愛をささやくのだ。
今の日本に自己疎外を持った人が満ちている。 それは絶対神ーラージXを持たない日本の弱点になっている。
大都会の酒場で一人飲んでいるほうが禅寺で座禅をしているより、孤独感を感じるのは自己疎外に陥っている
状態であるからである。ところでこのホームページを開いてから自己疎外感が激減した。疎外感退治にホーム
ページを開くことを勧めます。疎外感を感じている方が真実に気づいている事も事実である。

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1月7日 1969年
11時起床。 12時に食事。 午後は本を読み、甥の慶昭と話をしたりする。
夕方、店でコートを買う。 0時から3時まで勉強をする。会社の佐藤さんの分析解剖をしてみる。
文章に書いてみると、やはり気がつかなかった部分が見えてくる。「内容」は・・・・・・・・・?・
自己実現について考える。
人生はつまるところ自己実現のプロセスを踏むことだ。自己実現とは、自分の設計図を書いて、
その設計図にのっとって生きていくことである。それも自分に適したものであるべきだ。
ゼミの同期の一人一人を具体的に考えてみると理解しやすい。
それぞれの特性を生かして自己実現を図るのがベストだ。私は何だろか。
自主独立の行動力だろうか、それとも生真面目だろうか。