つれづれに

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 昨日、自転車のブレーキが故障したため、
川西の『アサヒ』という自転車屋へ。30分と思ったところ、
40分以上もかかった。ブレーキのゴムの摩耗で、取り換え。
で。昨日、行かなかったシネマ、今日、行くことに。

 今朝方は、曇天でポタリングを中止。



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4974,閑話小題 ー韓国が変なわけ
2014年10月27日(月)
   * どうなっている? 韓国の実情
 韓国の「セウォル号沈没事故」「地下鉄事故」「野外コンサート事故」など、
たて続きに、日本では考えられない事件が起きている。その背景には、韓国経済
の崩壊と、歪な社会背景があるようだ。 ーネットで調べた幾つかを羅列するが、
末恐ろしい日本の未来が垣間見れる。 ~これが隣国の現実。
≪ ・大学進学率は日本の54%に比べ90%ある。
(日本の専門学校的なものも含む)しかし就職率は、その半分も満たない。
 その上、全体の7割が非正社員。日本との物価の差はないにかかわらず、
 月収が7万8千円。2011年だが、ニートの数が100万人。ニート率が
 日本の3・7倍。失業率が20%もある。
・年金は、月に一人8400円、老人の自殺は日本の自殺率の4~5倍。
・サムソンは、実際は外資が54%を握っている。その規模は総企業の4分1。
利益に至っては、韓国の大企業の半分をサムソンが稼ぎ出している。
そのうち携帯関連が7割。中国の企業がとってかわると、韓国経済は、
さらに大きく揺らぐことになる。
・主な銀行の株式を、半数以上が外資が握っており、韓国の上場株式の8割が
外資が握る。そのため大企業は外資の利益のために動くことになり、その結果、
給与が低くおさえられる。経済危機で、IMFが乗り込んできて、アメリカに
完全支配国家になり下がった状態といえる。サムソンは利益の15%しか税金
を納めてなく、安い給料で働かせ、稼ぎ出した利益は外資が持ち出す仕組み。
ジニ係数が、0・53にもなっていて、これは、暴動が起きるレベル。
ちなみに日本は0.33、危険ラインは、0.4といわれる。
・強盗が日本の二倍。暴行事件が3倍。殺人が5倍。強姦が40倍も発生。
強姦常習者には電子足輪がつけられる。
・何と「韓国民の4人のうち3人が韓国より出て行きたい」といい、
アメリカの4人に1人、豪州の5人に1人が買春婦という。マスコミで流布
されている状況と、あまりにかけ離れている。
・韓国人は、誰も、こんな状況になるとは、望んだことでない。
知らなかったため。
▼ これらから、現在の日本は天国のようだが、韓国の現状は、日本が国家的
 リストラが出来ないままだと、10年内に、似た状況になるとみてよい。
韓国と中国政府は、国家的揺らぎが起こると攻撃対象を日本に向ける。
日本は戦争を憲法で禁じているのだから、これほど都合の良い国はない。
この状況では、韓国の近未来は、更に 厳しい状況になると予測され、
その後を日本は追うことになる。経済不況について、スペインなど南欧の現地
レポートで驚いていたが、韓国も似ている状況になっていた。
日本も、確実に後追いをしているのが現実。


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3867, 三~四年前の為替相場
2011年10月27日(木)

 三年前の2008年10月25日(土) ≪随想日記のテーマ
「閑話小題ー毎日が薄氷の上」≫が、為替相場について書いていた。
≪ 9月の半ばから恐慌前夜の重い雰囲気である。日経平均も三ヶ月で40%
 も暴落、何と7600円まで下がってしまった。ドル95円、ユーロ120円。 
 世界はパニック寸前か、パニックに入っている。この結果どうなるのか? 
 倒産の続出と、失業者の増加、そしてハイパーインフレと、食品の高騰である。
 それで済めばよいが、数年以内に中小の半分の事業所が倒産、廃業のだろう。
 考えただけで凍り付く思いになる。 経済大津波が世界中を押し流す勢いである。
 ー 以下は、一年前との比較である。これからみると、まだ経済破壊は序盤ということが分かる。
 (2008年10月22日現在)≫   
【 そこで、現在2011年10月26日現在を、書き入れてみた。】
    2007年10月24日  2008年10月22日   2011年10月25日
ドル円         114.10       97.70          76.~
ユーロドル       1.42         1.27  
ユーロ円       162.80       124.70         103~
NYダウ       13,675       8,519          11,913
米国債(10年もの)  4.3%        3.5%           2.23%
原油         87.10        67.48          80
金          757ドル      724ドル          1640ドル
日経         16000      8500           8800
▼ 4年前と比べるとドルとユーロが大よそ三分の二になり、金価格が、2.2倍になってしまった。
 それに対し、株価は一年後にはアメリカの株価は6割まで下がったのが、9割近くまで回復している。
日本の株価は、4年前から一年後に半分近くまで落下したが、その後の三年後の現在も、ほぼ同じ。
  アメリカと欧州は、ドルとユーロを過剰に刷っただけ? 資源と金はふんだんに持っている。
(欧州は属国を含めて)
 
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3502, 10-10-10 ー③ 
2010年10月27日(水)
「10-10-10 人生に迷ったら、3つのスパンで決めなさい!」 スージーウェルチ (著)
  *「10-10-10」と「起承転結」
 ここで、著者は、自分の直感を盲信すべきでないともいう。ことにあたって、冷静にあれという。
さらに三つ目の長期的視点も気をつけるべしと釘をさす。それが短期的、中期的より優れているとは限らない
ことが、この「10・10・10」が教えている。長期的視点は重要だが、他の時間軸での見方も重要であると。
考えれば考えるほど奥行きが深くなる。そこで文章作法、四コマ漫画の「起承転結」を、これに当てはめてみる。
<起=現在、承=現時点で実感できる近い将来(1~2年先等)、転=一時代先の将来、結=永遠、虚無 >と
いう仮説である。文章作法も、漫画からみると、転=が最も重要である。10年一昔ともいうし、転を基軸に
起と承と結が決まってくる。そうすると、哲学的に人生を俯瞰して考えると10年先の転に常に標準を合わせて
現在、そして数年先を決めるべき、となる。ある海外ツアーの添乗員が、面白いことを言っていた。
「自分は、10年スパンで人生を括ってきた。卒業をして10年は普通のサラリーマン、そして次の10年は
世界を見て歩きたいため添乗員に、その10年に来年なってしまう。次の10年を何をしたらよいか決断
しなければならない。この10年は満足をしているが、次の10年も全く違う分野に転進した方が良いのは
分かっているが」成るほどと、考えさせられた。それは、決して職業とか職場を変えるべし、ということ
でなく、職場配点でも、内面の変化でもよい。そうこう考えると、この(大小の)決断のための3つの
スパンの視点を身につけることは非常に重要である。 自分の過去に、あと理屈をつけて次の10-10-10
を考えるのも方策である。転に焦点をあてるために、起が重要になるのは言うまでもない。現在は結の
永遠・虚無に垂直にたって通じているからだ。そんな難しいことより、三つのスパンで考える習慣を、
転、転、転で、いや、テン・テン・テンで考えることだ。小さな節目、中くらいの節目、そして大きな
節目を過去から見つけ、この先に当てはめることである。まあ、何をしてきたのだろうか。それは100人
中100人が当てはまるが、これを当てはめて10年先、?十年先を考えないと。                                                           それより、もう先が無いか!
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3127,「法則」のトリセツ ー2
 2009年10月27日(火)
 * エメットの法則  ー後回しは二倍のエネルギーが必要となるー
 他人事にはよく分かるが、自分のこととなると全くみえないから恐ろしい。
仕事を頼むなら忙しい人に頼めとは、出来る人は仕事を後回しにしないで直ぐにやるからである。
ウィキペディアによるとー
≪エメットの法則とは「仕事を先延ばしにすることは、片付けることよりも倍の時間とエネルギーを要す」
 というリタ・エメットが提示した法則である。 我われはついつい仕事や判断を先延ばしにしがちである。
そのことは大きなマイナスになることを体験上知っている。だから如何に問題から逃げないようにするか。
しかし「やりたくない」という気持ちが勝ってしまい「後で」という言葉が習性になっている。≫
▲ これは、個人だけではない、現在の日本が直面している問題である。そのツケは、結局は我われの後
 の世代に回ってくるが、その根は深く、後に回すしかしないのが現状である。これは、逆に考えれば
「何事も先手を打った方が結果として、エネルギーは半分で済む」ことになる。戦略的に先を読んで
前もって準備をしておくと結果は半分のエネルギーで済むということ。たったこれだけの法則、どこまで
実行してきたのだろうか?
  ~~
 * ハロー効果
≪ ハロー効果とは心理的効果の一つで、ある対象を評価をするときに顕著な特徴に引きずられて他の特徴
 についての評価が歪められる現象のこと。 一般にポジティブな方向への歪みを指すことが多いが、
ネガティブな方向へのハロー効果も存在する。ハローとは、「後光が差す」というときの後光、聖像の光背
や光輪のことで、後光効果、光背効果とも呼ばれる。例として、ある人が難関大学卒であった場合、その人
が学力においてだけでなく、人格的にも優れていると思い込んでしまうケースが挙げられる。また、
有名人やタレントを通じたCMや広告がその商品やサービスを実際に使ったりしたことがないにもかかわらず
良いイメージを与える。それによって購入意欲を刺激したり、購入したりする。いっぽう、CMに起用された
 タレントが不祥事を起こしたりすると、商品自体に何の不満も覚えていなかったにもかかわらず購入意欲
が削がれたりする ≫
▼ 常に、何処かのバカタレが麻薬事件で問題を起こしているが、あれが実情の素顔でしかない。虚像を
 売るのが彼らの商売。クレオパトラは、それほどの美人ではなく、常に男の視線を意識をして派手な演出
効果をしていたとか。特に色と光に、そんなもの。
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2762, 半歩遅れの読書術 
2008年10月27日(月)
 日経新聞に連載中の書評4年分をまとめたもの。新刊書ではなく、刊行後1-2年経た本を主な対象に
している。30名が読書にまつわる思いを書いている中身の濃い本である。
冒頭に出てきた荒川洋治のー基本という「本」-僕のジャンル別の『書き方』-の次の一節が面白い。
 ーP-22
M・j・アドラー、C・V・ドーレンの『入門本を読む本』(外山滋比占、一九九七)は本を読む人のための、本だ。
「文学書」を読むときの心得は、「文学の影響力に抵抗してはならない」。たとえぱバリが舞台の小説を読み
ながら、ロンドンだったらいいのにね、などと思わないこと。流れに身をまかせよ。それが読者の経験となる。
「文学の中に名辞、命題、論証を求めてはならない」。いうにいわれぬ「何か」を求めることだ、と。
またテレビやラジオなど外側の情報源は「突っかい俸にすぎない」。だから本を手放してはならないと、
「自分の中に精神的貯えをもたなければ、知的にも、道徳的にも、精神的にも、われわれの成長は止まって
しまう。そのとき、われわれの死がはじまる」。現代人への、警告である。…(中略)さて、ぼくは
読みかたではなく、書きかた、主に書くときの気持ちのもちかたをジャンル別に整理してみた。

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2007年10月27日(土)
 2398, 20歳代 海外旅行離れのワケ              オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪        
 先日の日経流通新聞のトップ記事の見出しが「20歳代海外旅行離れのワケ」であった。
時代の流れが、その時々の若者の気持ちを決めてしまう一つの事例である。逆にいえば、この不景気の中、
国家存亡の時期に20歳代に6割も海外に行っていること事態がおかしい!のである。それと、やはり情報化
が、この10年間に進んだこともある。TVで世界中の映像を、こと細かく放送をしていれば、未知への憧れも
薄れてしまう。 さらにインターネットや携帯やゲームなど、旅行より面白そうなものが手軽に手に入る
ようになったのも大きい要因だろう。
 ーまずは、その要旨をまとめてみるー
・二十代の海外旅行は過去最大であった10年前の6割に落ち込んだ。
・20代の75?が過去一年間に海外旅行に出かけていない。また、一度も出かけてない人が40?であった。
 その理由として、言葉が心配が14?、何となく心配が10?。
・一回の旅行代が25万で、「高い料金を支払った上に想定外の嫌な思いをしたくない」のが心の奥に
 あるという。また3割が学生時代に旅行に行った経験がある。 仕事が忙しいが3割になっている。 
「リラックスをするのが目的なのに、海外旅行は長期の休みを取りにくく、せわしなく行きたくない」と。
・それより「リムジンを借りて遊んだり、ホテルで仲間内でパーティーを開いたりして楽しんだ方がよい」と。
 また沖縄や軽井沢などを何度も訪ねているうち、「見知らぬ海外より、身近な土地をより深く知りたい」
 という。 最近の若い人は知的好奇心が減少しているのが特徴。 特に男に海外より温泉と預金という人
 がふえていて、海外旅行は一度行けば充分! という風潮もあるという。
   (字数制限の関係でカット 11年10月27日)
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2006年10月27日(金)
2033, 躁鬱病について -1
       (。^0^。)ノオッ(*^○^*)ノハ~ ヨウ! ウジウジしてる?
鬱病について、マスコミで取り上げられることが多くなった。そもそも人間は軽い躁鬱症であり、迷ったり
(分裂)、気分の浮き沈み(軽い躁鬱)は誰でもあることだ。それがコントロール出来なくなって日常生活
に影響を示すから問題である。数年前に亡くなったが、ある取引先の営業をしていた人が躁鬱病で、十数年
にわたり私のところに頼ってきていて助言を与えていた。私の経験から、逆療法で辛らつに状況を本人に説明。 
いつの間にか病院の先生よりも私のいうことを聞くようになり、病気が出始めると私のところに先に来る
ようになっていた。しかし逆に躁の時はなかなか来ない。他の知人から様子がおかしいと連絡が入り、
しばらくすると奥さんから電話がかかってきて、「本人を私のところに行くように説得しましたから、
お願いします。
-字数の関係でカットー2010年10月28日ー
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2005年10月27日(木)
1668, おい、どうすんだ、定年後!-2
 定年になったら「囲碁とか、絵画教室、パソコン教室などに行けば!」と考えてしまう。が、もちろん
彼らは何回か行くが続かない。彼らは元仕事人間が多く、仕事の合間の自由の過ごし方は知っていても、
自由そのものの扱い方を知らないのだ。会社という縦社会の住人だったため心の鎧が自分を閉じ込めて裸の
自分を曝け出せないのだ。趣味の会などの横社会には全く馴染めない。しかし人間であるかぎり、共同体に
入ってないと自分を保てない悲しいのが人間。共鳴してくれる相手を必要とするが、もはや誰とも波長を
合わせることが出来ない。そういう人達が、大都会のベッドタウンに溢れている。2007年から団塊の世代
大量に定年をむかえる。高度成長期時代の騎士たちである。 右ならえ!という生き方しかしてこなかった、
彼らこそ定年後のすごし方を知らない世代だ。 家では粗大ゴミ扱いされて、外の世界の生き方のノウハウ
が全くない。電車の乗ると、働いていない自分が許せないのだ。サラリーマン時代の価値観から全く抜け
きれないのだ。群れているだけで、真の孤独を経験していなかったからである。
 ー以上が月刊誌の概略であるー
定年直後は首輪をはめた飼い犬が、家から放り出されて行くあてがなくウロウロしているようなものである。
そこで元の会社の肩書きなど、何の役にも立たないことを初めて思い知る。だからライフワークを長年かけて
構築しておかなくてはならないのだ。その暇がなかった大部分の都会サラリーマンにとって深刻である。
  (字数制限の関係でカット 09年10月27日)
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2004年10月27日(水)
 1303, まさか、地元で大地震!-4
地震から、既に四日目をむかえている。あらためて周囲を見渡すと、思っていたより被害は大きい。
昨夜、一昨夜と、近所の家の電気が全くついてなかったのをみると、ほとんどの住人が避難していた
のだろう。(字数制限の関係でカット 11年10月27日)
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2003年10月27日(月)
936, 角栄の怨念 ーこの選挙の面白さ!
 -字数の関係でカットー2007年10月28日
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562, ある時間の断片ー7
- 2002年10月27日(日) 1968年 9月21日
9時起床。11時に図書館に行く。13時にコモンルームでゼミのフルメンバー16名が集合する。
そして八王子のセミナーハウスへ。 近年できたセミナー専用のコテージ付のセミナーハウスだ。
思っていたより敷地が広く建物が近代的なのに驚く。 メインの建物が逆三角形で、異様な感じだ。
宿泊は二人で一部屋のツウィンだ。それぞれのコテージが違うデザインで何か異界に入ったようだ。
空には飛行機が飛び交いまるで欧州にいるようだ。夜から早速議論をはじめる。 課題は「遊び」だ。
「見返りのない、何の目的のない遊びこそが遊びだ」「創造の為に、その背景としてそれは必要でないか」
私の言ったのは「4つの1つとしての位置付けの遊びー「愛、創造、知性、そして遊び」であった。
何かポイントが外れているようだった。 終了後、レストランで石川とゼミの一年後輩の大島君と
飲んでいると、武澤先生がこられる。  その後夜半の12時半に寝る。
ー感想ー
日記を書き写していて、当時の日々がありありと思い出されてきた。背景にベトナム戦争、大学紛争、
高度成長期の真っ最中でもあった。歌も二度とこういう時期は来ないというほど名曲が生まれていた。 
その背景を持って誰もが緊張と希望に揺れていた。夏休みは卒論の流通革命論を書く為に一ヶ月、
大阪のメリヤス問屋に行ってきた。その後新潟県の六日町の「雲頓庵」という禅寺に一ヶ月も行っていた。
そして自宅に帰った後の日記である。学生時代の十数年間の総括の時期であり、また新しい世界への旅たち
の直前であった。この卒業の直前一年は人生で一番良かったときかも知れない。色いろの人との邂逅と
喧嘩と別れの時期でもあった。寝ずに人生について話し合ったのが記録として日記に残っていた。 
そういう意味で大学時代に恵まれていた、当時はその事に気が付いてなかった。寮に、ゼミに、教授に、
クラブに、友人に恵まれていた。赤面する場面は当然カットして写している。 大学で学んだ事は、本を
読む事、他人の話を聞きとること、議論をする事、自分の壁を取り去る事、何事も勇敢にチャレンジする事、
戦略的思考をする事など数えればきりがない。人生で一番良かった時期といえば、やはり大学生活であった。
馬小屋のような汚い寮であったが、いや長屋であった。
 ー友人の間でもこの寮が凄いと話題になっていたー
父が5月に来て、翌月から仕送りを2倍にしてくれた、あまりの凄さに同情したのだ。
でも楽しい生活であった。友人が吹き付けるようによって来た。一人になれないのが悩みでもあった。
あの孤独の都会生活で最後には友人が吹き付けるように集まったのは、本当に良い青春の思い出の財産。
・・・・・・・・
[200] 月刊ー文芸春秋  2001/10/27
 今月の‘文芸春秋’の内容があった。
イスラエル旅行から帰ってきら、毎月読んでいた‘文芸春秋と週間誌’を買わなくなった。嘘みたいだが
本当の話である。‘図書館で読めばいい’に変わった。あまりにも旧約聖書の世界が生々しいのだ。今更
そんなえげつない現象など如何でもいい、軽い話でしかないに変わってしまった。2~3月に一回買うか
買わないかである。しかし今回は違った!テロの特集で、内容はかなり悲観的に書いてあったが、買う
価値は充分ある。新聞で、インターネットで、TV でその意味はとらえていたつもりであった、かなり
シビアにその意味が書かれていた。
 (字数制限の関係でカット 09年10月27日)
「簡潔」を旨としたい。 
《小説》自分がその件について書けることをすべて書く。
 「自分がかかえている問題」が一番重要な問題なのだと思って、つきすすむ。
《エッセイ》自分がその件について知ることをすべて破棄する。知識、情報、数字を出さない。
  できあがったら子供や年下の人に見せて、意見をきく。「これでいいかなあ」
《評論》誰もが考えもしない視点をもちだし、「問い」を突き出す。発表まで、人に見せてはならない。
《詩》自分のなかにある「権力」をゼロにする。言葉をも追い払う気持ちで書き、死後に託す。
  生きている人の評価に耳を貸してはならない。
《短歌》五七五七七のうしろの七七にすべてをかける。自己の感情の充足を第一とすると、いい歌?になる。
《俳句》五七五のあとにまだ七七があるつもりで、しかし、途中でぶったぎる。意味が生まれては俳句ではない。
 本当にこうなのかはどうでもいい。「文学書」不況の時代には、基本的な事柄について、熱く議論すること。
そうすれば目がさめる。ぼくもわたしも。 基本の中に、「本」がある。
 ▼ 以上だが、何とも迫力がある。
《エッセイ》で、自分の知ることをすべて破棄する!とは、凄い言葉である。私など知ることを精一杯
書いているだけでしかないから分かるのである。限界の先を書くから人を引き付ける。
また、ここで荒川は知り合った「学ぶ」学生5人組に共通点を挙げていた。
<彼らは雑記長を持ちある> <いつも本屋にいる> <風邪をひかない」の三つという。
風邪を引くのは甘いと思う!という言葉も重く響く。 何事もプロの世界は質量が違うということ。