つれづれに

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 今日のYoutube

一昨日のシネマを昨日に切替えて『30年後の同窓会』をみてきた。
評価は85点。 来年で、「50年後の同期会」を元気で出席するのが、
まず、当面の目標になる。 奥さんを一年前に、一人息子を二日前に
亡くした男が、ベトナム戦争の戦争仲間だった二人の男に、葬式に
立ち会ってほしいと依頼するところから話が始まる。
明日の、この随想日記の丁度良いネタになるが…




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4129, マネー大動乱  ー2
2012年07月15日(日)

        「日本と世界を直撃するー マネー大動乱」 増田悦佐
 アメリカの金融業界と他の産業の格差は二倍。そして製造業が商業より三割り高い。日本もアメリ
ほどでないとして同じ傾向にある。最近では公務員が民官に比べて2~3割以上も高いことが問題になっている。
強い立場を利用して御手盛りをしているのである。情報化もあり、一強多弱の傾向が全ての産業で強くなってきた。
日本の自動車業界も日本資本はトヨタとホンダぐらいしか残っていない。家電にいたっては総崩れの様相になって
ている。グローバル化は世界各国の垣根を超えた戦いになり、一強しか生き残れない事態になる。
ー 第二章 アメリカの金権社会は、荒治療でしか直せない ー
   * 産業間格差と、一業界一社の時代
≪ 日本の金融業界の給与水準は、その他産業の20~30パーセント増しくらいである。これがアメリ
 だと、その他全産業の倍。20~30パーセント増しではなく二倍なのだから驚いてしまう。製造業と商業の給料
ベースを比べると、日本では製造業が商業の15~16パーセント多いだけだ。これがアメリカになると、製造業は
商業よりも30パーセントは高くなっている。あらゆる職種について給与水準の差が大きいのがアメリカの特徴なのだ。
当然、給与がいい産業には誰れもが殺到するから、どうしてもその産業は慢性的に人員過剰になる。いくらでも
スペアは利くからリストラもしやすい。逆に、低賃金のところは慢性的な人手不足になりがちだ。
人手不足だから時給を上げて人を手当をしようとすると採算割れしてしまうので、他ではどこにでも採用されそう
もない低賃金労働者で久場を凌ぐしかない。移民には絶好の勤め口だが何時までも経っても生産性が低いままだ。
結局、会社ごと、産業ごと衰退してしまう。 アメリカに比べると、日本はどの産業を見渡しても収入に大きな格差
がない。人手不足も人員過剰も極端ではない。それでいながら、採用する会社側は「人員過剰の人手不足時代だ」と
愚痴をこぽし、雇われる側は「天職に転職したい」と夢ばかり追いつづけている。どちらの陣営も自分たちがいかに
恵まれた環境にあるかご存じないが、一般庶民が夢を追い、高い要求水準を主張しつづけられるのは文句なくよい
ことだ。参考までに、お隣の韓国は教育水準がますます高くなっている。だが、1997~1998年の大不況でIMF
乗りこんできて、大企業は一産業一社のみというアメリカンスタイルにつくり変えてしまった。おかげで、
それまでの7~8つくらいの財閥が競争して採用活動を展開していた時代は遠い昔、企業の求人活動はすっかり
衰退している。 電機.電子ならサムスン、自動車なら現代に採用してもらえるかどうかで、その後の人生が
天と地ほどもちがってしまう。 同業で生き延びているのはクズ同然のその他大勢企業だけだから、
敗者復活戦もありえない。 同じ電機業界でも、パナソニックもあればソニーも日立も東芝もあるという
構造はいま、世界中でも日本だけになりつつある。ドイツもかつては大きな産業ごとに代表的な企業が3~4社
ずつあってしのぎを削っていた。これがドイツという国家の活力になっていた。いまはそんな状況ではない
ぜいぜいフォルクスマゲンとダイムラーペンツ、BMWを抱える自動車くらいしか、複数の企業が切磋琢磨
して高い技術水準を維持できる産業は残っていない。 
こうして改めて見渡すと、いまや基幹産業ならどれを取っても少なくとも三~四社の大企業同士の激しい
競争が続いている国というのは、日本だけなのだ。あとはどこでも、基幹産業それぞれで国際競争に打って出て
通用する企業は一社だけという「競争」環境になっている。そして、この事実上の独占体制を世界で最初に確立
したアメリカでは、事実上の独占企業が牛耳る業界団体子飼いのロビイスト集団が、大統領も議会もしっかり
手なずけ、自由自在に自分たちの要求どおりに経済も社会も動かしている。これはもう、右からの「茶会党」革命
か、左からの「ウォール街占拠」革命で一度完全にぶち壊さなければ、まっとうな世の中にはならないだろう。≫
 ▼ 情報化によるグローバル化が産業間格差と、一業界一社の時代を作り上げたといってよい。但し、
その周辺で、それにとって変わる群れがいることが前提になる。問題は個人レベルの格差に直接影響すること。
日本の産業も大きな亀裂が出来たようだ。
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3763, ユング ー6
2011年07月15日(金)
 * この東北大震災を、ユングの「布置」とし日本国家に置き換えてみると!
 10年前の9・11テロと、3年前の9・15のリーマンショックで大打撃を受け瀕死の事態に、
今度の3・11の東北大震災と福島原発事故が重なり襲った。 これを「二つの歴史的経済震災」に対する、
この東北大震災は「めぐり合せ」(布置)と考えると、この大地震の意味が見えてくる。 世界的経済震災
が二つ日本に直撃した。それで経済基盤が弱い東北・北海・北陸など地方経済は、これ以上ないほど疲弊を
していた上に、このめぐり合わせである。 ただ偶然が重なっただけでなく、そこに意味を見出すべきである。 
 また世界全体からみれば、地球温暖化の中で原子力の是認が流れになっていた矢先のこれ。「西洋的合
理主義に対しする根底からの見直しのサイン」と、この「布置」=めぐり合わせを見るべきではないか。
 日本もグローバル化の時代の中、西洋的合理主義の考え方を、根底から変える機会と見るべきである。
 また同時に開放も図るサイン?ではなかろうか。 外国人を入れるだけでなく、外国に日本人も出ていく
べき時期にある。現在の政治体制では日本は成り立たなくなっているが、現在の日本は自己修正能力が
失われている。 この「布置」は、この震災が最後のダメ出しとして、否応なく壊滅的状態まで個人から
国家までの既存のシステムの破壊が進むことになる。 世界は日本を先駆けとして、その崩壊と先行きを
冷静に学習することになる。 これは取ってつけた民主主義と、隷属国家の末路として捉える。
波乱の中で現状を変えるのは、信長か、秀吉のような下克上で、成り上がってきた者である。日本も世界も、
思い切ったダウンサイズの時期に来ている。この10年間の、幾つかの自然災害の頻発は、地球規模の
大転換へのサインである。まさに、その時に、9・11、9・15の経済大震災である。やはり、来年
後半にかけて、世界は政治的、経済的に大津波が荒れ狂うことになる。 その中で、全体が、
より合理的な、身丈にあった生活になっていくのでは? 現に、日本は、その一歩を踏み出している。 
 
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398, ゴリラは人間の隣人 ー1
2010年07月15日(木)
ビートたけしと、ゴリラ学者の京大大学院教授・山際寿一の「ゴリラは人間の隣人」をテーマにした対談
が面白い。山際寿一の「アフリカでのゴリラ研究の現地ドキュメント」を数年前にTVで見たことがあった。
  ーまずは、印象に残った部分からー
≪ゴリラと人間は97パーセント以上同じ遺伝子を共有しているとか。ならばゴリラが分かれば人間も
分かる?・・・ 遺伝子かみると、オラウータン、チンパージー、ゴリラは「ヒト科」に属しており、
人間に非常に近い存在。サルとの差の方が遥かに大きい。では、「人間と類人猿と大きく違うところは何か」
というと、人間は劇を作ること。類人猿のゴリラやチンパンジーは、劇を見ていても意味が分からない。
その中に入っていけない。劇中で、AとBという人間がいたとして、それぞれの行動を見ながら、どういう
思惑で、何をしようかと、劇中の人物に共感しながらみるが、しかしチンパンジーやゴリラは、それが
分からない。彼らは現実に起こって事実からあまり離れられない。しかし我われは現実から離れて、
空想の中でドラマを作ることができるわけ。≫
 ▼ ー以上だが、これは人間にもいえること。 本を読み込んでない人は現実の世界から離れる
ことができない。現実を形而下とすると、形而上の言葉の訓練がないので想像力や空想力が弱い。小説を
読むとは、文字から作者の創りあげたイメージの世界に入り込むことである。本を多く読み込んでいる人と、
ほぼ読まない人とはゴリラと人間の差ほどがある、というと言い過ぎになるか? その位、本を読み、
考えることは人間の人間たる所以である。 人生設計を前もって作っておいて、それに従い生きることは
自分の人生劇を作ることになる。 必死に生きてきた人は、形而上も形而下の質量が豊富になるので、
言葉とイメージは、それに比例して出来てくる。ゴリラと人間の差は考え、イメージする質量が
圧倒的に違うということになる。情報手段としての言葉がキーワードということ。街に徘徊するヤクザは、
ほぼゴリラの原型の世界とみれば分かるだろう。時どき弱者を見つけてデモンストレーションをしたり
するが、他者への迷惑は、あれほどかけない。  
                              ーつづく
 ・・・・・・・・
3023,衝撃的な「ひらめきの話」
2009年07月15日(水)
  「生の科学、死の科学」 -養老孟司 対談集ー 
 養老孟司の対談集に、慶応大学教授で映像作家の佐藤雅彦の話が衝撃的であった。
  ー彼の語っている一部分を書き出してみるー
【 その日、家の窓から外を見ていたら、まだ見たことのない映像がガーんと出て、今までの中で一番
 大きかった。 それが、三年後に、100万本ソフトになった『IQ~インテリジェントキューブ』という
ゲームです。この世界観が突然出て、動けなくなってしまった。暗い画面に、あるステージが浮いている。
向こうから巨大な四角いキューブがガンガン来て、その前を七人とイヌ一匹が逃げ惑い、僕はその人たちに
『右に行け』とか『危ない』とか、叫んでいるのです。しばらくして、これが僕がやったことがない
コンピューターゲームなのかと思って、一週間後に、ソニー・コンピュータエンタティメントに
のこのこ出かけていった。僕は一線級のディレクターの誰かに話を聞いてもらいたかったのですが、
話を聞いてくれたのはポロシャツ姿のおじさんでした。拍子抜けをしたのですが、気を取り直して
「この人に望みを託そう」と決めて、頭の中の世界観を話したら、僕のことをジッと見て「その話は
面白いよ、僕と契約しないか」「えっ」。
 そのポロシャツのおじさんは、何と幸運にも副社長だったのです。 】
【 甥にと東京駅でお土産に買ったルービック・キューブをいじっていたらバーンと構造が見えた。
 当時27歳の時です。それからです、わけもなく頭に映像がクルクル流れるとか、カタカタというか、
とにかく勢いよく動くのが始った。それまでは‘AならばB、BならばC,ゆえにAならばC」と理屈でやって
いたのが、そんなことでは現実の問題は追いつけないのです。 20歳代前半は酒でも飲まないとやって
いけなかったのが、あのルービック・キューブ以来、一滴も飲まなくなった。 飲みたくないのですよ。
これ以来、わけがわからないけれど面白いというような映像がいっぱい見えるようになって、それで
CMプランナーになったのです。そうしたらスポンサーから話がくると、
♪《スコーンスコーン コイケヤスコーン》とか♪《バザールでござーる
 みたいなのがどんどん頭に中に来て・・・・・・・。》】
▼ モーツワルトが似た状態で「作曲モードに入ると、完成した音楽が宇宙の彼方から聞こえて
 くるようだった」というが。現実にこういう話を聞くと人間の脳の不思議さを感じる。特に天才脳の・・
(天才は梅毒による脳のロックの開放説もある) また、数学の天才にも数式を見ただけにで、自分でも
知らないうちに答えが出るとかいうのもある。もちろん十二分の基礎があっての上だが。 飛行機事故
で一人助かった少女が、「何か神がかりの顔をしていて、何かが憑いていたのでは」という、まこと
しやかな話もある。 これは、ひらめきとは関係ないか。
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2658, 幸福の4階建て
2008年07月15日(火)      ヾ(●´∀`●)GOOD MORNING!!

 京都大学の工学部の新宮教授が、古今東西の幸福論を読み漁った成果としての
「幸福の4階建て論」説が面白い。
        《「幸福ということ?エネルギー社会工学の視点から」 新宮秀夫著 》 
「新ストレス学説」の創始者・ハンス・セリエ(1907-82)は、そこで、
《人間はあまり[[無事」だけでは、死ぬ時にガッカリする。「ストレスは欠くことのできない
 人生のスパイス」こそが重要》と主張しているが、その部分から触発されて、幸福論を4つのステージ
 に分類した。これが面白い。
  4階:克服できない苦難や悲しみの中に、幸福がある。
  3階:苦難や悲しみを経験し、それを克服する。
  2階:獲得した「快」を永続させる。
  1階:人間の本能的な「快」(恋、富、名誉など)を得て、増やす。
・幸福の1階は人間の本能的な「快」、つまり富、恋、名誉を得て、それを増やすことである。
・2階は獲得した富や名誉を永続させることである。 そこに時間的要素を入れ、いかに長続き
 させること。
・3階は苦難や苦しみを経験し、これを克服することである。自己実現の要素が入ってくる。
・4階は克服できない苦しみや悲しみの中に究極の幸福があるのだという。これは解かりにくい。
 さすがに、教え子達に猛反発を受けたそうだ。
 1、2階の心の感動よりは、3階の苦悩や、難問を乗り越えた方が、より感動を得られる
 ことを経験的に知っている。
「感動することが幸福」なのだと看破している。確かに1、2階による心の感動よりは3階の
自己実現のほうがはるかに大きな感動を得られる。苦難を乗り越えた成功体験を知った人たちは自発的
かつ前向きになる。成功の対価としてのお金はもはや副次的なものとなってくる。達成感が生きがいに
なるのである。しかし新宮教授は、その上のランクとして、克服できない苦痛や悲しみの中に、幸福が
あるという。この辺は、解るような解らないような。 三階までは、この世の幸せ。4階は克服できない
苦しみの中でこそ強まる天国の世界の願望と、その混濁した中の幸せ。その苦しみの中で、己が融けて
しまう状態が幸せということのようだ。 何か、凄い話になってきたが、両親の創業期の苦しみを
身近に見たのが、その感じである。ロマン・ローランの「ベートヴェンの生涯」の中に、
『苦悩を通り抜けて歓喜へ』という言葉にも近いか。 苦悩を得てこそ歓喜があるが、歓喜を予感
しながら苦しみに耐えることが、最上の幸福ということだ。それにしても、頭を大きな棍棒で思い
切り殴られたようである。教え子は大反発をするのも当然のこと。 死ということを前提にして、
4つのステージはなりたっており、死という最大のストレスを迎える人生の終わりに、最上の感動を
見出すこと!という意味なのか。この問いは今後の持続的自問自答になるほど、大きな問いである。
「克服できない苦難の中こそ、幸福がある」とは? それも最上階にあるとは?

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2007年07月15日(日)
 2294, ハニカミ王子に、ハンカチ王子って何?
  (字数の関係でカット2009年7月15日)
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2006年07月15日(土)
1929, ローマから日本が見えるー13                     
 第6章 勝者ゆえの混迷ー2     
  ーグラックス兄弟の改革ー        ー 読書日記 ?
 ローマの名門貴族出身の若者でティベリウスグラックスとガイウス・グラックスという兄弟がいた。
彼らはスキピオの一族でもある名門の出。このグラックス兄弟が、ローマ農民の没落をくいとめる改革
を断行する。最初に改革を試みたのは兄のグラックスである。彼の政策は非常に筋が通っていた。
都市に流入している者達に土地を与えて再び自作農民に戻し、ローマ軍を再建しようと考えた。土地は
貴族のラティフンディアである。125ヘクタール以上の土地を占有している貴族からそれ以上の土地を
国家に返させ、それを市民に再分配しようとした。この政策に平民たちは喜ぶが貴族たちはマイナスである。
農民の没落でローマ軍の弱体化は解るが、土地を取り上げられるとなると反発して当然だ。彼は元老院との
相談もなしに、改革を推し進めようとした。反対派貴族と改革を歓迎する平民の対立でローマは騒然とした。
グラックス護民官護民官は神聖な立場のため反対派も手が出せない。そこで反対派が多くの人を
雇ってグラックスを襲わせて、その死体は川に投げ込まれた。この事件が起きたのは前133年であった。 
弟ガイウス・グラックスは兄の死の10年後、同じく護民官になって兄の政策を実現しようとした。
このときも暴動が起こり、混乱の中で弟グラックスは自殺してしまった。
(前123)              

ーマリウスの軍制改革 ー
 (字数の関係でカット2012年7月15日)
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2005年07月15日(金)
1564, 「これから5年・地価は半値になる」ー3
 ーマンション編
都心の高層マンションの計画が進んで売れ行きがよい。しかし、今後これも供給過剰になり、
クラッシュで不動産不況を引き起こす可能性が大きい。マンションは売り残って翌年になれば、
2割引とかで売らなくてはならない。もし売れ残りの動きが出はじめたら、これらの土地の値上がりは
ストップして、値下がりに転じかねない。2005年までに、品川、港区、中央区江東区などの湾岸エリア
を中心に40棟以上の大規模マンションが建設される。
    (字数の関係でカット2011年7月15日)
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2004年07月15日(木)
1199, つれづれなるままに
  ー夢ー
この数日、最近たて続きに面白い夢をみている。他人の夢ほどつまらないものはないというが、潜在意識
を覗くという面でみると面白いのではないか?ー何かの乗り物で地球外の何処かにいってきた夢である。 
そこは小さな惑星で、別宇宙という感覚であった。恐らく、鈴木秀子とユング臨死体験を読んだ影響と
思われる。二人の臨死体験を夢で疑似体験をするところが不思議。ー子供の時に亡くなった兄が帰って
きた夢をみた。何か、寂しそうで生気が無い顔をしていた。思わず泣いてしまった。翌日、家内に寝言で
泣いていたと言われた。その後に、仏間に誰かがいる気配がした。起きていってみるが、そこには誰も
いない。それも夢であった。
( 字数の関係でカット2011年7月15日 )
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2003年07月15日(火)
832,「阿弥陀堂だより」?映画日記
 先週末にDVDレンタルショップで『阿弥陀堂だより』を借りてきて見た。
何げなく借りてきたのだが、何とも味わいのある内容であった。あとで作家の南木けい士の
『自書を語る』をコピーして貼り付けておくが、日本の味わいと、スローなテンポと日本人が忘れていた
故郷の世界を感慨深く表現していた。主役の夫婦が春に信州の田舎に転居して来て、田舎の四季の美しさ
を見せながらストーリーを展開していくスローなリズムが良かった。美智子役の樋口加奈子がいう言葉
『悲しくないのに、涙が出てくる』という言葉がこのストーリを全て言いあらわしているように思えた。
また北林谷栄役の、おうめ婆さんが長野の自然の中に溶けこんでいたのも印象的である。
(字数の関係でカット2008年7月15日)
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2002年07月15日(月)
 457,スイス旅行記ー2
ーマッタホルンの凧揚げー
(字数の関係でカット2012年7月15日)
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2001年07月15日
 ー旅行中 4129, マネー大動乱  ー2