つれづれに

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 今日のYoutube

数軒先の前の町内会長が亡くなった。享年90歳。
老々介護で、今では、奥さんが施設に入ったようだった。
今年に入ってから姿を見かけなかったが…

昨日出棺のようで、霊柩車の出発の音が聞こえてきた。
原信の今朝白店のSCのオーナーでもある。何か超然とした
風格のある人物だった。生きてきたように死ぬ言葉どおり
最期はアッサリと旅立たれた。 御冥福を!







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4055, 一個の人間の顔、それは一つの象形文字
2012年05月02日(水)            
                 ー 「人生を励ます黄金の言葉」中野孝次著 より
≪ 「一個の人間の顔、それは一つの象形文字だ。ある神聖な、明確なしるしだ。なかに魂の現在があらわれている。
動物だってそうではないか水牛がものを咀嚼しているとき、その顔を見てみたまえ、鷲の顔を見てみたまえ、犬の顔を見てみたまえ。
一個の人間の顔の中にはっきりした意欲と決意とがあらわれているとき、それは一個のばらばらな意欲と決意という以上のものだ。
そういう顔をぼくの夢想の中のドイツ人は持っていた。どれも一息つくより短い夢の間にすぎなかったが。 むろんぼくは、
ぼくに向って吹きつけてきたその未知の人物の顔を必ずしもいつも見たわけではない。(中略) だがともかくそういうとき、
ぼくはそういった顔を内側から見たという気になったものだ。『 わたしはこういう人間だ 』と、それらの顔には書かれていた。
そして今ぼくはこの四ヶ月というもの、現実の人間の顔を見ているわけだ。 なにもぼくはかれらに魂がないなどというのではない、
魂の光は一再ならず閃き出るのだが、それがすぐまたふっと消えてしまうのだ。鳩小屋の鳩と同じことで、強と弱、近いものと遠くから
持ってきたもの、卑俗なものと高貴なものとの、永遠の入ったり飛び立ったりなのだ。 あるのはざまざまな可能性のそういった
落着きのない出入りだけ、そしてそこにはつねに、あの一つの偉大な、決して言葉に言い現わせぬ奥底の思想が欠けている。
立派な顔には必ずあるあの変らぬものが。・・・ ≫          ーホフマンスタール『帰国者の手紙』より
 ▼ 顔に責任を持て、と言われても今更だが、年齢を重ねた顔には責任を持たねばならない。
  特に、政治家の大事を成し遂げた顔は、大事の象形文字と見ることが出来る。『わたしはこういう人間だ』と、
  そのまま書かれているようだ。先年、亡くなった片岡球子の人物画の顔が良い。人間の顔が象形文字ということを
  知り尽くしているから、あのような顔がかけるのである。 顔は魂の表出、老いてきたとき、行蔵が、そのまま現れ出る。
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3689, 自己を見つめる -12
2011年05月02日(月)
  * 世間とは        「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著) 
 世間についても、何度も取り上げてきた。特に絶対神を持たない日本では、右に倣えの世間的価値に同化することが善になる。
人生の最晩年になって、いかに、それが自分の壁になっていたことに気づいて慌てふためく。(それさえない人もいる)
世間から身を守るためには、やはり読書か、芸術や趣味などに専念するなどライフワークが必要である。 
世間を否定するのではなく、それと、心底で距離を置くことが必要である。 
  ー以下の、哲学的世間論も分かりやすい。
【 ー世間とはー 世の中の人が判断する仕方に従って判断する。大勢に準じた生き方のスタイルが、自分自身の生き方のスタイルに
なってしまう。 それ以外に自分の人生を考える余裕もすっかりなくなってしまう。 なにしろ、そうした自己喪失的な大勢順応の
暮らし方のほうが、気楽で、安心で、責任がなく、居心地がいいのである。 下手に逆らったり、別の道を選ぶと、世間から
締め出される危険性が忍び寄ってくる。 みんなと一緒のほうが安全なわけである。 したがって、誰も、真剣に自分のほんとうの
生き方の道などを考えてみようとはしない。 ハイデッガーは、こうした自己喪失的な世人のあり方を「頽落」と呼んだ。
そのときには、世の中の人は、いやな過去のことはどんどん忘れ、将来の成功のことをもっぱら予期し、現在の周りの出来事には、
最大の注意を払って、そこでの出番の成り行きに汲々となる。 そのとき世の中の人は、好奇心に動かされて、噂話や風評に打ち興じ、
物事の真相を曖昧にしたまま、仕事や趣味や遊びや気晴らしで、興奮した多忙な日々を送る。そうしないと、恐ろしい倦怠と、
ぞっとするような人生の深淵が眼に入ってきて、鬱陶しいのである。そうして、無責任で活気にみちた興奮と狂乱と日常的な
世界内存在の表面ないし前景を形作ることになる。・・・ 】
 - 世間とは、無責任で活気にみちた興奮と狂乱と日常的な世界内存在に生きている人たちをいう。しかし人間は、自分の存在の
根底を見つめたとき、投げ出された底なしの存在に、不安を覚えるもの。その気分の方が、人間の根源に潜む根源的気分であると、
ハイデッガーが看破した。 それは死にさらされた自己自身の存在の自覚とともに立ち上がってくるという。
その逆に、存在の根底から目を背ける人たちが世間の人である。我々は底なしの存在から目を背け現象に気持ちを集中させて
生きようとする別名、俗人ということになる。 俗人も悪くはないが。
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3324, 「B層」という「IQ]が低い人々
 2010年05月02日(日)
 ー「知の衰退」からいかに脱出するか? ー大前研一 (著) ーの中で、B層という言葉が印象的に残った。
 以前、小泉元首相が、≪一言メッセージ≫を国民にわかりやすくコメントしたり、郵政解散自民党の内部分裂を
ショーにして選挙に大勝した。 これは、考えない「B層」に狙いを絞った戦略だったことを、この本で知った。
その後の民主党の大勝も、「腐りきった長期政権の自民党の破壊」という分かりやすい争点であった。
それにしても、小泉、安部、福田、麻生、鳩山という政治を家業とする二代目が、徹底的に日本を破壊してくれた。
創造の前の破壊なら、それも良しだが。どうも、そうでもない。アメリカの実質、日本の植民地化の政策が背後にある。
彼等二世の養成もアメリカの長期戦略の一つ? 恐ろしい限りである。
 ーウィキペディアによると 「B層」とは
2005年、小泉内閣の進める郵政民営化政策に関する宣伝企画の立案を内閣府から受注した広告会社「スリード」が、
小泉政権の主な支持基盤として想定した概念である。その後、ポピュリズムに動員される国民層を揶揄する意味合いで
使われるようになった。  スリード社の企画書では国民を
構造改革に肯定的か否か」を横軸、「IQ軸(EQ、ITQを含む独自の概念とされる)」を縦軸として分類し、
「IQ」が比較的低くかつ構造改革に中立ないし肯定的な層を「B層」とした。 主に主婦や教育レベルの低い若年層、
高齢者層を指すものとされる。 上記の企画書がネット等を通じて公に流布されたため、
資料中に使用された「IQ」(知能指数)の語や露骨なマーケティング戦略が物議を醸すところとなり、国会でも取り上げられた。
・「A層」=エコノミストを始めとして、基本的に民営化の必要性は感じているが、これまで、特に道路公団民営化の結末からの
  類推上、結果について悲観的な観測を持っており、批判的立場を形成している。「IQ」が比較的高く、構造改革に肯定的。
  *構成ー財界勝ち組企業、大学教授、マスメディア(テレビ)、都市部ホワイトカラーなど
・「B層」=現状では郵政への満足度が高いため、道路などへの公共事業批判ほどたやすく支持は得られない。郵政民営化への
  支持を取り付けるため、より深いレベルでの合意形成が不可欠。   「IQ」が比較的低く、構造改革に中立・肯定的。
  *構成ー主婦層、若年層、高齢者層など。具体的なことは分からないが小泉総理のキャラクター・内閣閣僚を支持。
・「C層」 構造改革抵抗守旧派。          「IQ」が比較的高く、構造改革に否定的。
  ~~
 大前は、「B層という知の減退した人たちと一線を引いて、何とかA層に入りなさい!」というから辛辣といえば辛辣。
しかし、この日本の低たらくの現実がある。 ネット社会=情報化社会では、端末から価値ある情報が無限に引き出せる。
したがって彼の論旨も、ある意味で納得できる。 知能まで植民地の住人に落ちてしまったB層の比率の拡大? 
  周囲は、ほぼB層? ということは、私も? まあ、いいか!  で、A層とかいう幸せな方々、実はD層じゃないかい 
 (一番大事なことを考えない、見えてない、という意味で?) 上記の5人が、その証明。  闘い続けている点は認めるが!
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2949, スリルな瀬戸際だった日々
2009年05月02日(土)
 先日の4月28日に、無事に第二シングル・インの中のテナントが決まり、調印が終わった。そして午後にテナントの内装屋から
 電話が入り、「建物の用途変更は、お宅でして貰えるのでしょうね」という。     (字数の関係でカット2,008年5月2日)
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2585, 情報は1冊のノートにまとめなさい
2008年05月02日(金)
「情報は1冊のノートにまとめなさい 」
 -100円でつくる万能「情報整理ノート」 ー奥野宣之著
 (以下、字数制限のためカット2010年5月2日)
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2007年05月02日(水)     ー遇然同日に、酒の話があった。面白いものだ2008年5月02日
 2220, 酒の話ー3  +.(ノ*・ω・)ノ*.オハヨオォォ☆゜・:*☆  
酒の話は、ここで何度も取り上げてきた。酒には付き合い酒、祝い酒、涙酒、別れ酒、
怒り酒、迎え酒、寝酒など、色いろあるが、あるHPで酒に関する面白い文に行き当たった。
酒は下ネタと同じく時空を超えて万国共通であるためか人間の本質を知る上で身に沁みる戒めが多い。
特に私は!? 偶然の一致だが、三年前の今日、『酒について』というテーマで酒について、
書いていた。面白いものである。 それにしても、酒の失敗があまりにも多い!
  =====
*まずは『旧約聖書外典』である。『外典』は、『正典』としての「旧約」や「新約」聖書の成立の編纂で、
排除された文章をまとめたもので、酒に関する戒めのような実用的なものが多い。
これが2000年前の旧約聖書にあったのだから、酒は今も昔も人間を狂わせてきた魔物。
 ー『旧約聖書外典』(関根正雄編 講談社文芸文庫)よりー
大酒を飲むことで勇者を気取るな           酒で失敗した人は多いのだ
炉が鋼鉄をためすように               酒は酔っ払う人の性格をためす
酒はほどよく飲めば                 生命の力となる
酒なくして何の人生か                酒は人を幸せにするために作られた
時をえらんでほどよく飲めば             酒は心を楽しませ 愉快にする
だが飲みすぎれば苦い思いを味わい          怒りと復讐の心を生む
愚か者は酒によって憤り 自ら害を招く        酒は力を弱め ついには障害をうけるようになる
酒の席ではとなりの客と争うな            相客が楽しんでいるのを妨げるな
隣人をあざけったり                 借金の催促などをしてはいけない
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また若山牧水「酒の歌」で『今まで自分のして来たことで多少とも眼だつものは矢張り歌を
  作ってきた事だけの様である。いま一つ、出鱈目に酒を飲んで来た事。』と酒の思いを述べている。
ー牧水の酒のうたー
(字数制限の関係でカット09年5月02日)
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2006年05月02日(火)
1855, ローマから日本が見える-9       (o´・ェ・`o)♪ぉはょぅ
ローマ街道を彼らローマ人は武器と考えた。そして、その武器を最大限生かした。
その武器を平時の時に常につくり続けていった。 (字数の関係でカット2,008年5月2日)   
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2005年05月02日(月)
 1490, 24歳の日記ー4  ー4月1日  1970年
一番大事なことは、誠実である。誠実さを持てば自ずから幸福につながる。言葉というものは自由な消費財と捉えられる。
しかも、その消費財を使う消費者は生産者を兼ねている。何か解ったような解らないような。父親に言われる、
「人間、自分が将来に希望を持てないようだったら死ぬべきだ!周囲に迷惑がかかる。死ぬなら今のうちだ」
 ー4月11日
10日間、両親と三人で四国に行ってきた。両親と三人で旅行するのは、今迄で初めてである。
考えていたより、素晴らしい旅行であった。 良い思い出になった。特に、香川の坂出の夕陽のオレンジ色の輝きは
生涯忘れることができない。生まれてみる初めて見た自然の輝きであった。瀬戸内海の景色の中の波の照り返す黄金の輝き!
学生時代に湘南で見た夕陽とは、また違った輝きであった。それと、両親と旅行することも二度とないだろう。 
かなり加熱していた頭を冷やすのに丁度良い。
 中原中也の詩「山羊の歌」の中の
ーあき・修羅街輓歌ーと、
ーみちこ・汚れてしまった悲しみにーが、今の自分を慰めてくれる。
 今の自分の心をそのまま表現している。 心の傷を消毒をしてくれる。 強くあらねば!
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  酔生
私の青春も過ぎた、 ―この寒い明け方の鶏鳴よ! 私の青春も過ぎた。
ほんに前後もみないで生きて来た…… 私はあむまり陽気にすぎた? ―無邪気な戦士、私の心よ!
それにしても私は憎む、 対外意識にだけ生きる人々を。 ―パラドクサルな人生よ。
 (以下、字数制限のためカット2010年5月2日)
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2004年05月02日(日)
 1125, 酒について (ああ、酒よ!)
「神はこの世を六日間で創り給うた。そして、第七日目には、二日酔いを与え給うた」というとおり、酒はよいことだけではない。
バッカス(酒の神)はネプチューン(海の神)よりも多くのものを溺死させた」と、ローマの諺にある。酒は肝臓に悪い。
腎臓に悪い。 しかし、酒は「心の特効薬」?である。酒の一杯は健康のため。二杯は快楽のため。三杯は放縦のため。
四杯は狂気のため。というが、酒はプラスにもマイナスにもなる。「おい堀井。お前、晩酌で二日酔いしたことがあるか?」
と高校の同級生に聞かれたことがあった。「ほとんどない!」と答えたら、「おれなど、いつも晩酌で二日酔いをしているぞ!」
何か深い深い意味があった。目の前の悩みを洗い流してくれるのは、酒と先人の言葉と諦念である。酒は愉楽の完全な典型である。
酒は実にうまい、不満を追い払ってくれる。 それ以上何を望もうか、それでよい。酒を飲むことほど日々を楽しくさせて
くれるものはない。くよくよさせず、勇気をいっそう勇敢にさえしてくれる。しかし、酒であまりの多くの失敗をしてきた。 
若き日、酒を飲んで多くの議論をしてきた。そして、多くの人と争ってきた。 酒は、脳に入れた敵、気違い水であり、
あまりに危ない敵である。それでも、酒は美味い。これで20年は寿命を短くしただろう。
ー私の場合特に以下の言葉は胸に刺さるー
・酒を飲む理由は二つある。一つはのどが渇いたときに喉をうるおすため。
 もう一つはのどが渇いていないときにのどの渇きを事前に防ぐため。   Tーピーコック
・若者にとって酒は大人の勲章である。                 ー吉行淳之介
・一生を洗い流してくれるのはただ酒だけである。            ー韓愈
・どういうことになるものやら見当のつかない二つの場合がある。
 男が初めて酒を飲むとき。女が最後に(今夜きりよ、と)酒を飲むとき。  ーヘンリー
・土曜の夜の酒の味が、平生と違うことを知らないものには、日曜の朝の楽しさは解るまい。ー水上滝太郎
・酒がいちばんいいね。酒というのは人の顔を見ない。貧乏人も金持ちも同じように酔わせてくれるんだ。 -古今亭志ん生
・酒と美しい娘は二本の魔の糸。 経験を積んだ鳥でもこれにはまんまと引っかかる。-リュッケルト
・酒に害はない。泥酔する人に罪がある。                -フランクリン
・煙草が存在しなかった時は、セックスの後で皆何をしていたのだろう。  -ヴァシリス・アレキサス
・酒は百薬の長なり。                         -「漢書
・百薬の長とは言えど、よろずの病は酒より起これ。           -吉田兼好
・ときには我を忘れるほど酔うことも人間の特権だ。           ー山本周五郎
・大体お酒のみには二種類ありますね。酔いたい人と飲みたい人とです。  -内田百閒
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2003年05月02日(金)
 758、ある医師の夢
 10年近く半年~一年に一度の定期健診ー人間ドックにいっている。その主治医と、いつの間にか懇意になった。
 先日検診に行くと、オホーツクの僻地に赴任することになったという。 僻地医師になるのが長年の夢で、
「あと定年まで3年で、このままいても今と同じくり返しでしかない。一度しかない人生、夢の実現の為に
 思い切って決断した!」 ほとんど長岡を出たことのない最後の人生のデザインである。人生いろいろある。
  青年期に読んだ本の一節で「人生、小説でないのよ、勝者が善、敗者が悪なのよ!」というソルジェニーツェンの
 小説の一節がある。 しかし小説のように生きる事こそ人生の要諦ががあるのではないだろうか。
   (字数の関係でカット2,011年5月2日)
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2002年05月02日(木)
 394,「人生を変える至福の散歩」
昨夜、NHKウオーキング特集を組んでいた。「人生を変える至福の散歩」というタイトルだった。
今更という感で見ていたが、散歩の素人向けの番組だった。15年のプロ、柔道でいうと2段くらいか。
新潟市内を平日の日中歩けば、3段ぐらいになれる。 ただ楽しい至福の時間だ。他人のことはどうでもいいが、
これだけの素晴らしい事を殆どの人が見つけていない。家内に言っても、息子にいってもいまだ解らない。
それが他人にいっても解るわけがない。全てが含まれている。一日7^8時間歩いているという人の手記を日経新聞で読んで、
凄い人がいるものと驚いた。毎日散歩をしていて感じる事は、自然に溶け込む、自然と一体感が持てることだ。
鳥の世界が見えてくる、草木の世界が見えてくる、昆虫の世界が見えてくる。橋が見えてくる、山が見えてくる。
その世界に入っている自分が見えてくる。太陽の光と空気の世界が見てくる。自分の人間世界の卑小さが見えてくる。
そして何よりも自分の人生が見えてくる。雀のあの楽しそうなしぜんが見えてくる。
ー過去に書いた文章をコピーしておこう。
 ~ H0311事業百訓
 最近私が造った言葉で“夜明けのリゾート・タイム”がある。 (江藤淳の“夜の紅茶”をもじったものだが)
*早朝(4時半~5時半)起床  *近くの土手を一時間散歩?テレビ体操?瞑想?家族全員のお祈り?食事
*風呂と続く。特に散歩が非常により。山の彼方をみながら複式呼吸をして歩く。
 季節ごとの草花や鳥をみながら川のせせらぎを聞き、時々に般若心経をとなえる。
この散歩に全てが含まれても過言ではないという“気”にもなる。これを実施して4年、副産物として
アフター・ファイブに出あるく事と、酒量が激減した事だ。健康食品を口にする事も加えて七kgも体重が減った。
時々不節制が続くと散歩していると身体がだるく重くなるのがはっきり判る。また朝の風呂も非常によい。
当初は疲れが残ったがなれると気分爽快になる。早朝型のきっかけは、松下電器の山下俊彦元社長の講演を聞き感激して
自ら挑戦してみた事だ。彼は登山がライフ・ワークであり、その訓練も含め毎朝3時半起床。1時間半10km歩くという。
そして読書とシャワーをあびるとの事。夜は定時がくるとすぐ帰宅。夜のつきあいは一切断っている。
これが逆に考える時間と、心の余裕をつくった。山下跳び(飛躍的出世)の秘密もこれがポイントだ。
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H0503万歩計
(以下、字数制限のためカット2010年5月2日)