つれづれに

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 全国的に寒冷前線が覆ったためか、寒さが残る。
もう木曜日、変わりばえの無い日々のためか、光陰矢の如しである。

 


 




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5099,悪夢の21世紀 ー4
2015年03月01日(日)

   * 「ニヒリズムに落ち込む世界」 ~④
  20世紀にソ連、中国と、科学的ユダヤ教にカタチを整えた社会主義も、
 現実社会では通用しないことが実験の結果分かった。そして21世紀。
スマフォなどの情報機器とネットの普及で、情報格差が無くなりつつあるが、
そこは情報コントロールがきかない世界。混乱は、日々、激しくなっている。 
(7・B )≪ しかし実際にアメリカには色々な側面がある。
 「自由」と言いながら 結構「規律」は厳しく「国家の力」も強い。
 「民主主義」と言いながら「差別」もかなりある。「平等」を唱えながら
 大きな「所得格差」がある。「個人主義」や「自己責任」と言いながら、日本
 などよりは、はるかにコミュニティーやボランティアが発達し、キリスト教
 影響の強い宗教大国。だから、アメリカといって単純に一括りには出来ないが、
 ここで言うのは、「近代主義の福音」を使命としているのがアメリカだった。
 この近代主義の福音は、< 自由や民主主義の確立、市場経済の拡大、絶え間
 ない技術革新により、人は一層大きな幸福を手に入れることが出来ること>
 であり、「聖書の福音」に代って、現代ではこの世俗的な福音が新たな宗教に
 なった。アメリカこそがその伝道師の役割を買って出て、今日、世界中の
 かなりの人々 が、この福音を信ずるようになった。
 アメリカは、この世俗的な福音によってグローバル化を徹底して推進。
( 8 ) その帰結はどうだったか? 最終的な答えは出ていない。
  アメリカの歴史観、例えばフランシス・フクヤマの『歴史の終わり』では、
 いずれ、自由や民主主義、人権思想、市場経済などが世界化して、そこで
 「歴史は終わる」はずだった。市民革命によって市民の自由や平等が確立し、
 第一次大戦によりドイツやオーストリアの皇帝主義が排除され、第二次大戦
 によりファシズムが打倒され、冷戦によって社会主義が葬り去られた。
 その後の対テロ戦争イスラム過激派との戦争に勝利すれば、自由、民主主義、
 市場経済などの理念は世界化し、「歴史は終わる」はずだった。≫
▼ 世俗的福音で、世界は平準化されるはずだった21世紀が、我々の目の前に
 姿を現してきた。20紀はイデオロギーの戦いで、数千万の人民が虐殺された。
 それを踏まえた21世紀は、比較的安定した時代を予測していたが、それは
 幻想で、現実は、もっと激しいイスラム原理主義と、キリスト教原理主義
 壮絶な争いの様相で始まった。人類滅亡の可能性すらありえる様相である。
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4734, 心を上手に誘導する方! ー3
2014年03月01日(土)
      「心を上手に透視する方法 」トルステン・ハーフェナー (著)
  *「凄くプライベートのことを質問してよいですか?」
 この本にあった、人の心を惹きつける一言「凄くプライベートのことを
質問してよいですか?」である。同じ質問でも、この一言を置くと、質問された
相手も、周囲もエッと注目をする。たったこれだけで、である。
「あなたの趣味は何?」というより、「凄くプライベートな質問だけど、
あなたの趣味は何ですか?」と聞かれれば、エッと思ってしまう強烈な添え
言葉が、これ。「凄くプライベートのことだけど、(間をおいて)昨日、偶然
入ったラーメン店が大当たりで・・」というと、ありきたりな話でも、凄く
プライベートの話を聞いてしまった気持ちにさせる。
「凄くプライベートの質問だけど、どうして、そんなに綺麗なの?」と、
今度、誰かに言ってみようか? 冗談だが。ところで「凄くプライベート
のことだけど、私、堀井さんのファンなの」と、言われたことがある。
当人にフィアンセがいたので、気楽に言ったのだろうが。その時は何とも
思わなかったが、40年以上の年月が経った現在、この一言を、これを書いて
いて、遠い記憶の底から湧き上がってきた。当時、失意のドン底の時だから、
少し光っていたのだろう。今度は、その引き継ぎで、若い女性にでも言って
やりたいが、若い時分に若い人に言われたから良いのであって、この年齢だと
誤解されかねない? スポーツジムか、趣味の会で、誰かが突然、
「凄くプライベート・・」と前置きして、「貴方の趣味は何ですか?」と
聞いてきたら、〈よくぞ聞いてくれた(内語)〉と、勿体なぶった上に、
喜んで話すはず。 まず秘境ツアー、ブログ、週一のシネマ通い、そして
ポタリングに、酒の失敗談にと材料は幾らでもある・・ 
 とすると、ブログで毎日書いているのが実は、これ。だから見る方から
したら面白いのだろうが、結局は自慢話?それを知っているから、書く方も、
偽善より露悪、いや偽悪の内容になっていく。でも、それが自分の心の傷を
癒やす? ところで、凄くプライベートのことを質問してもよいですか?
・「あなたは、何ものですか?」
・「何で、ここにいるのですか?」
・「いま現在、充実してますか?」
・「自分の人生、肯定できますか?」
・「今の答えは、本当ですか?」     
 これを何度か、考えてみると、底の浅い自分の心が透視できる!
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2003年03月02日(日)
 697, ルーツー2(縦人脈)
  ーその資料によると
 先祖を遡ると「平家の侍」であったが「源平の戦」で負けて、落人となって
富山から上越と逃れてきた。そして「上杉家の家来」になった。上杉謙信
時代、上越の高田の先にある新井市の郊外にある「鮫ヶ尾城」という出城の
城主であった。謙信の死後、跡目相続の争いの「お館の乱」に巻き込まれて、
小千谷の郊外の片貝の近くの「池津」の村に知人を頼って逃れてきたという。
その時の先祖の名前が「堀井宗親」と「堀井四四太郎」という。
一緒に逃げてきた名前が馬場、小黒、大矢とか。その後、そこで百姓をして
いたようだ。ルーツというほどのものではないが、平家・上杉という流れと、
関西ー富山ー新井ー小千谷ー長岡の流れがある。また、武士ー百姓ー商人と
いう流れも時代によって変わってきている。金沢にいた時(25歳)によく
いった店が落人焼きの「平家」であった事を思い出した。
また第二新館の鉄骨が富山の「堀井鉄工所」であった。その検査に富山に
行った時に会った社長は正しく「堀井ヅラ」。その時入った食堂の電話帳で
堀井の名を調べてみたら、三桁に近い堀井の姓があった。上越市も新井も
小千谷も本当に多いのだ。長岡は10あるかないかで、新潟市では数人だけ。
20年近く前に家内と子供と、ドライブがてら鮫ヶ城に行ってきた。
車を止めて独りで歩いて城跡に行ったが、そこに立った時に何ともいえない
気持ちになった。何か昔の記憶が沸き立ってくるようなフワ?という感覚で、
何かオーラに包まれたような気分である。この気分は柏崎の「極楽寺
に行った時に同じ気分になった事があった。そこで亡くなったある僧の墓を
訪ねた時だった。人間の脳には全く知られてない領域を感じた瞬間であった。
家のルーツ探しから500年ー1000年スパンの鳥瞰ができたのが最大の
収穫だ。それと「自分とは何か?」を考える一つのヒントになったことだ。
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2002年03月02日(土)
347,心の陰
 人を指さしたとき、他の指は全て自分のほうを向いている。
人を非難するのは、結局自分の影を非難しているに過ぎないことをいっている。
「他者認識は不可知」という論がある。ー他人のそれを認識はできない、認識
したらもう他者のそれでなく自分のそれを認識しているに過ぎないー
これが理解できるかどうかで、「人生に背負っている人間関係の重荷」が
半分か三分の一に軽減する。特に「嫌いな人間」に対して「自己の嫌いな部分」
をみているにすぎないからである。自己脱皮のできない「子狐」どもを嫌って
いるのは、今でも脱皮できなかった自分の部分を見ている。
自分もその「子狐」で、少し程度がいいだけだからだ。
私の嫌いな「教養のないオバサン」結局教養のない現実志向も、
自分のある一面であるからだ
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3993, 閑話小題 
2012年03月01日(木)
  * ペットのインコ
 雀ぐらいの大きさのルリハインコのピーが我が家に来て一年あまりになる。 
前のインコの存在感が大きくケタタマシかったので、今度は小さな大人しい
インコにした。 とにかく可愛い。少し攻撃的だが人懐こく、常に鳴き声で
呼びかけてくる。そこでガラス越しのベランダに目をやると、止り木で
デスプレイの連続回転を続けて7~10回はする。とにかくかまって欲しい
ようだ。前のインコを風邪で死なせたこともあり、この越冬は注意しているが
何とか越えそうだ。 ペットも家族に同化してくると心があるのが分かる。
カゴを置いてあるベランダにはサッシの囲いがあり外気とは一応遮断されて
いるが、それでも殆ど寒さは変わらない。障子を開け姿がみえている時は
大人しいが、閉めると騒ぎ出す。二日か三日に一度はヒステリックが起き、
狂ったようにカゴの中で飛び回る。本来なら餌を求めて森を飛び回っている
のが、小さな空間に押し込まれ、飽食なら、さもありなん。
   * 「貯蓄ない」世帯、過去最高の28・6%
 ネットのニュースに、次のような記事があった。
【 金融広報中央委員会が22日発表した2011年の「家計の金融行動に
 関する世論調査」によると、2人以上の世帯で「貯蓄がない」と答えた
 世帯の割合が28・6%に上り、調査を始めた1963年以来、過去最高
 となった。 貯蓄の平均値は1150万円で、前年より19万円減った。 
 人々の実感に近い中央値(答えた世帯の中間の値)は前年より80万円
 少ない420万円だった。貯蓄残高が1年前に比べて「減った」世帯は
 40・5%で、「増えた」世帯(21・3%)の2倍近くになった。
 減った理由は「収入が減ったので取り崩した」が43・3%で最も多く、
 景気減速が家計に大きな影響を与えている。調査は11年10~11月に
 全国8000世帯を対象に訪問と郵送で行い、回収率は47・5% 】
▼ 家電などの一般ローンと住宅ローンの残債もあるので、実際の家計は
 苦しいはず。平均値と中央値の大きい乖離は、老齢化した金持ちに預金が
 偏っているため。 世代間格差も、今後ますます広がる傾向にある。
 失なわれた20年で、急速に家計が苦しくなった実感がヒシヒシと伝わる。
 二人以上の世帯で貯蓄ゼロが三割、中央値が400万は厳しい。
 持家があっても、資産価値が暴落ときたら、家計をしめるのは自然の理。
 それに地震列島が大きく歪んで動き出したときたら・・
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3627, 「生きがい」について
2011年03月01日(火)
「生きがい」という言葉を最近、以前ほど聞くことが無くなったが、
私の学生時代は「生きがい論」ばやり。「この子は、私の生きがいなの」と
母親が子供に対していうケースとか、趣味に没頭している時などに対していう。
「現在している仕事に生きがいを感じない」と聞くこともある。この不況の
中では生きがいより、食べていく方が優先される。やはり生きがい論は経済
成長の時代にあっている。 「生(活)きている、かい!」ということ。
*この子が生きがい、という時は、この子の幸せのため骨身を削って
 働いている時にいう。自分の子供、家族に献身している幸せである。
*夢や希望に向かって没我をしている時にも「生きがい」という言葉が出る。
 両者とも未来に向っている時の充実感がある時である。 
 また、そこに価値=意味を感じ取ることが出来る時に「生きていて良かった」
 「生きている価値がある」と思うのである。 
ところで、「生きがい」という言葉は、日本だけの特有の言葉という。 
哲学は人生の意味、価値は論じるが、それを主体的に感じとる
「生きがい」は、日本人特有のもの。ネット辞書には、「生きるに値するもの。
生きていくはりあいや喜び」とある。「生きるに値するもの」とは、対象の中に
見出すことだから、まず自分の価値を見定めていなければならない。
そのためには時間をかけエネルギーを注いで、多くの困難を乗り越え満足
出来た結果、心の底から「生きがい」が生じる。従って、若い人が
「生きがいを見出せない」というのは、当然のことで、それほど薄っぺらなもの
ではない。しかし若いうちから「生きがい」に足る目標、対象を探すことは必要。 
基準は好きになれるかどうかである。何ごとも無我夢中になれる対象に
向かっていけば、それが生きがいになる。
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3262, 久々のジョーク -8
 2010年03月01日(月)
* レストランで財布を落とした男「千ポンド入りの財布を落とした。見つけた
  人に百ポンドはらうぞ!」というと、奥のほうから「俺は二百ポンド払う!」
* 教会での結婚式に参列していた小さな男の子が小さな声で母親に訪ねた。
「ママ。あの女の人ドレスはどうして白いの?」
「白いウェディングドレスは,幸福の色なのよ。人生で一番幸せな日に着るの」
「フーン」男の子はしばらく考えて,また聞いた。
「じゃ、ママ。なんで隣の男の人は黒い服を着てるの?」
*「ママ、新婚旅行って何?」「結婚したばかりの男の人と女の人が一緒に
 旅行することよ」「ふうん、ママもパパと行ったの?」
「行ったわよ、とても楽しかったわ」「その時ボクも一緒に行ったの?」
「もちろん行きましたとも。「行きはパパと一緒に、帰りはママと一緒にね」
* A子が久しぶりに車を運転していた。 その時、母親が心配そうな声で
 彼女の携帯に電話を掛けてきた。「もしもし、A子?母さんよ。今どこ?」 
東名高速に入ったところ」 「東名高速!気をつけて!今ニュースで言ってた
 んだけど、そこを逆走してる狂った女がいるんですって。あなた見なかった?」
「見た見た!一台じゃないわよ」「え?」「さっきから何百台も逆走してるわ」
*「どうしたんだ?そんな暗い顔をして」「ああ…。実は俺、もうすぐ父親に
 なるんだ…」「本当か! おめでとう! でもなんで喜ばないんだよ?」 
「妻にまだ話してないんだ…」
* 週刊誌の人生相談のコーナーに、読者から次のような手紙が送られてきた。
「ボクは20歳の独身男性です。六ヶ月前から、誰が見ても魅力いっぱいの女性と
 同棲しています。彼女は美しくて、利口で、愛想がよく、かわいらしくて……
 僕たちはお互いに声を張り上げたことなど一度もありませんし、口げんかで
 二人を包み込む青空にかげりがさすなどといったこともありませんし、
 そこでお伺いします。僕は彼女と結婚するべきでしょうか?」 
回答者はただ一行、こう返信した。
「そんな素晴らしい関係を台無しにするのは、おやめなさい」
ー字数の関係でカット(2012年0301)
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887,日本は輸出立国か?
2009年03月01日(日)
野口悠紀雄は、その著書で、
アメリカの金融立国に対応して、日本も円安に誘導して資金をアメリカに
供給し、かつ円安メリットを最大限利用し輸出立国をつくりあげた。
金融恐慌は日本も同罪である」と断じている。しかし統計の数値からみて、
果たして日本が輸出立国かという素朴な疑問が生じるのも事実である。 
他国のGDPの輸出比率をみてみると、意外なデーターがある。
・中国 37パーセント・韓国 37パーセント・ロシア 30パーセント
・欧州平均 50パーセントの数字。(中は大きなばらつきがあるが)
原油輸出国のクエート 56パーセント。他の産油国では90以上だろう。
 対して日本は 15パーセント なのである。間違いだろと思ってしまう数字。
 これからみると、日本は輸出立国と果たしていえるのだろうか。しかし輸入も
13~4パーセントがあるので輸出は必要である。
ー字数の関係でカット(2012年0301)
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2008年03月01日(土)
2523, 賢人の知恵 ?2
 面白そうなところを幾つか選んで、考えてみる!人間や、それを構成して
いる社会などは数百年経っても、簡単に変わるものではない! 人間は全て、
飯くって、?!して、寝て、死ぬのだからだ。    
ーー
“知恵を備えていることが最大の幸運であり、それがないことが最大の不運だ”
ー解ー 知恵は知識が醸成され出てくるもの、そうでないのは浅知恵。
“言葉は飼いならされてない野獣と同じ、一度解き放つと戻ってこない。”
 ー解ー 全く、これでどれだけ無駄をしてしまったか!
“第三者の悪口を言うのは、下手な駆け引きでしかない。”
“運のいい人を見分け、ついていない人からは逃げるに限る。”
“大事なのは知識より知人である。”
“落ちぶれた人とはかかわりを持たないほうがいい。”
“友人に貸しがあるなら、つまらないことで返してもらわないこと”
“うそをついてはいけないが、すべてを明らかにする必要もない。 ” 
 うそも方便だが、その方便がつけないから・・・?
“敬愛される立派な人と行動を共にしていれば、その威光のおかげで、
 こちらまで輝いて見える”と言う反面次の次のページで、
“「自分より光っている人は、・・相手の方が常に注目や栄光を集め、
 こちらはそのおこぼれにありつくだけだ。
 ・・自分より優れた人とではなく、平凡な人と肩を並べて歩くこと”
“平凡な人と付き合おう。自分より優れた人と一緒にいると自分が
 目立たないから。”など、矛盾もしている。
“みんなが王になれなくても、一人ひとりが王にふさわしい行動を目指す
 ことが可能だ”
 ー解ーこれが少し分かりかけたのが、最近になってから。神と言換えてよい。
“自分という作品を完成させようではないか”
 ー解ー この人は、牢につながれたのが完成か?でも、この方が素晴らしい!
”賢人は、何ごとも偶然はないことを知っている。ただし運命に身を任せるより、
 自ら運命を切り開いていく人になろう。よく考えればチャンスに敏感でいる
 こと以外に成功の道がないことがわかるはずである。”
 ー解ー 何がチャンスか、それを常に問いかけていないと敏感になれない。
“持てる資源を一度に使い切らないこと。今の境遇を保ちたいなら、後方に備え・
 蓄えを用意しておこう。失敗の恐れがあっても、利用できる援軍があれば力は
 倍になる。後方部隊は、前線より重要といえるだろう。彼らは信頼と不屈の
 精神で成り立っているからだ。常に大事をとることを考えよう。
 ー解)当時の彼に孫子を知るはずないが、孫子の兵法と同じことを述べている。
“人には七年ごとに転機があるという。これを精神向上のためのしよう。
 最初の七年は知性の誕生で、その後七年ごとに新しい美徳が輝いてあらわれる。
 この間に起こる変化を意識して、うまく手助けしよう。変化は新しい地位や
 仕事などの形でごく普通にあらわれるかもしれないが、かなり大きくなるまで
 気がつかないときもある。人は、二十で孔雀のように気どって歩き、
 三十で獅子のように吠える。四十で酪駝のように節制家となり、五十で
 蛇のような陰険さを身につける。六十はくだらない犬、七十はする賢い猿、
 そして八十は……、何も言うまい。”
 ー解)ーくだらない犬のとしになったか? それにしても辛辣である!