つれづれに

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 北朝鮮へのアメリカの先制攻撃があるとしたら、
クリスマスと年末にかけての休暇として目立たないように
帰省させるかして、韓国外に出国させた直後の年末になるが。
可能性は無いとはいえない。
 談志が、<バカは隣の火事より怖い>というが…
気をつけていた方が良い。まさかが起こるのが戦争である。


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・・・・・・
5397,自分史の書き方  ー⑨          
2015年12月24日(木)
                    『自分史の書き方』立花 隆(著)
   * 自分の歴史を記す二つの意義
 自分史は、まず自分のため、次に家族と子孫のために書くもの。数百年後の
人が現在の人が書いたブログを見たら、それは面白いだろう。逆に数百年前の
応仁の乱で、誰が勝った負けたより、個々人の具体的な日常記録が面白いはず。
個々の生の記録、生活が織りなす記録こそが貴重である。 ~その辺りから~
≪【 恥を忍んで幼年期、少年期の母との確執を書き上げ、第一子長女死亡
 の箇所では書きなあふがら涙が溢れ、何回書くことを中断したか判らない。
家内には結婚前の私のことを余り多く語って来なかったし、長男、次女に
とっても尚更のことで、今回の私の自分史を読み、初めて私なる人間の一端を
知る事柄も多いと思う。(略)私は死後、追悼集など出版して貰える様な人間で
ないし、その必要もない。 私には赤裸々に己を書いた自分史がある。
自分史が追悼集になる。自分史のデータをSDカードに入れて保存して置くので、
私が死んだ際にはコピーしだSDカードを棺の隅に添えて欲しいとだけは今から
遺言しておこうと思う。】(継さんの自分史の中から)
 このあたりに・自分史を書く意味がよく表現されているど思う。
自分史を書くのは、第一義的には自分のため・自分の存在確認のためだが、
その次には、家族あるいは子孫のためである。家族(子孫)に真の自分がどんな
人物であったかを知ってもらうためである。
 個人差はかなりあろうが、誰でも家族との人間関係は、濃いようで、意外に
薄い側面がある。配偶者にしても、子供にしても、生きた時代のズレが相当
あるから、意識のズレが大きい。とくに人格形成期(幼年時代、子供時代、
青年前期)の自分に関しては、誰でも自分の人生の記憶としてもっとも大切な
部分がそこにあるという思いがするだろうが、彼ら(子供と配偶者)はそれに
ついてほとんどなにも知らないはずである。それは彼らにとって、自分たちが
存在する以前の神話時代に属する物語なのだ。
 だから、自分の書いた自分史を読んだときに、彼ら家族も、「初めて私なる
人間の一端を知る」ことになるだろうと継さんは言っているのだ。
人によっては、自分の子供時代のことを、家族に多少は昔話を語るような感じ
で話したことがある人もいるだろう。しかし、まとまった話を筋道立てて語る
ということは、たいていの人がしていないはずである。
 わたしにしても、父と母がどのように結婚して、新婚時代どこでどのように
暮らしていたかといったことを、ちゃんと系統だった形で聞いたのは、母の
最晩年、90代に入ってかなりたってからだった。いま聞いておかないと何も
聞けなくなると思って、ある日、60代、70代の子供3人が、しかるべき場を
こしらえて聞かせてもらった。実際、それからしばらくして母は死んで
しまったので、母からはそれ以上なにも聞けなくなってしまった。結局、
そのときまとまった話を聞いたのが、そういう話を聞く最後の機会だった。≫
▼ 母親が70歳後半になって、自分史の出版を思いたった。他人から
みたら、何だろうかという内容だが、子供からすれば、貴重な遺稿である。
時節ごとの写真と、短歌と、辞世が良い。純真な魂が、そこに見て取れる。
両親の人生と、私の生きた人生は、魂そのもの。自分史を書きたくなった!
・母の辞世より: 窓の下逆巻く波のはげしくて わが生涯の縮図の如し   
・気に入った短歌: 雨後の庭靜まりかへる片隅に 目をくりくりと足元の蛙 
         南山の向うは日出づる日本なり 連なる山に紅き陽の照る
  
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4300, 「国の借金」新常識 -3
2012年12月24日(月)             
       「国の借金」新常識 "年金絶望世代"も元気が出るー廣宮孝信
  * 「国の借金700兆」それがどうした!
 昨夜、日曜日のゴールデンタイムで、NHKスペシャル、「700兆円の国債
について放映していた。著者は、「お金の本質を知るほど、国の借金900兆円は
恐ろしくなくなる」という。人と物が主役で、お金はあくまで脇役。
100年後には、この数字もゼロに等しくなるため。「お金は人間存在にとって、
必要不可欠ではない」ということ。2000年からの12年間で中国は220兆円を超える
金額、欧州中央銀行は80兆円を、アメリカは157兆円を創り出した。その間に
日本は48兆円しか増加していない。お金は金属片、紙切れ、帳簿上の数字記録、
コンピューター上の磁気情報でしかない。預金の実態も、もはやサイバー上の
磁気情報でしかなく、指先一つで創り出せる仮想空間上の存在でしかない。 
原理的には、即座に無限に創り出せるものでしかない。そして、最近の各国の
国債も電子化で、これまた、「仮想空間上のフワフワした存在でしかない」
ことになる。 それでは何が基本となるかというと、食である。「金は天下の
回りもの」から、「食が天下の本」になっていく。お金は特殊の事情がない限り
消えてなくならない。「あなたの収入=あなた以外の世界全体の支出。
あなたの支出=あなた以外の世界全体の収入」である。また、借金もしかり。
「あなたの貯金増=あなた以外の世界全体の借金増」「誰かの少しの預金増=
他の誰かの借金増」になる。これが、世界中の政府の借金増加の理由である。
「世界中の政府金融純負債と、世界中の民間金融純資産は、必ず釣り合う。」 
政府の借金まみれが嫌なら、あらゆる人が、自分自身が借金まみれのまま
生きる覚悟をしなければならない。それが経済である。
 ~ これを読んでいると、成るほどと思う部分と、お金そのものが持つ
危なさを感じ取れる。但し、現在の日本の貯蓄が膨大にあり、それが銀行預金
として滞っているのが不況の大きな要因というのは分かる。そこで、インフレに
強引にもっていこうとする自民党の方針が分からないでないが、どうも大きな
破綻要素があるはず。著者は、それでも現状より良いという。末期患者なら、
心臓に対する電気ショックも必要ということか。 事態は緊迫してきたようだ。

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3185, 坂の上の雲
2009年12月24日(木)

 NHKで「坂の上の雲」が何回かのシリーズで放送されている。
私たちの年代が、この本に大きく影響されを受け、日本経済成長期の精神的支柱になった歴史小説
秋山兄弟と日清、日露戦争の中に生きる青雲の志を持った群像に引きこまれていった思い出がある。
日露戦争での兄・秋山好古の戦闘場面。そして、弟・真之が海軍の参謀としてバルチック艦隊を殲滅
する場面は、当時の私にとって驚きの連続であった。 読みながら己の卑小さに改めて自己嫌悪を
抱いたり、彼らの志の純粋性に感化したことが懐かしい。当時、日本は西欧列強に対抗するための
新国家つくりに、青年達が坂の上の雲を目指して必死に生きていた。司馬遼太郎は、日露戦争は奇蹟の
勝利と看破、その奇蹟の演出者の代表に秋山兄弟を選んだ。伊予松山の人、秋山好古秋山真之である。 
家柄といえば伊予松山藩の下級武士族であった秋山家の下級武士で、秋山家の父久敬は、
「貧乏がいやなら、勉強をおし」と立身の道を説いていた。好古は陸軍で、世界最強といわれたロシア
のコサック騎兵集団を破った。弟の真之は海軍で、ロシアの主力艦隊であるバルチック艦隊を破った。 
真之は日本海海戦の開始前に「本日天気晴朗ナレドモ波高シ」の電文の起草をした。 
その真之と一つ年上の正岡子規とは中学から大学予備門まで同学であった。しかし二人の性格は対称的
で、真之はガキ大将であり、子規は子供の頃、「青びょうたん」というあだ名であった。子規も真之も
勝山小学校を卒業して松山中学校に入った。 兄の好古はこの時期、士官学校付きの勤務となっている。
日本人離れした顔かたちをしていて、たびたび西洋人と間違われた。 彼にとって男子に必要なのは
「若い頃には何をしようかということであり、老いては何をしたか」と考えていた。彼らを中心にした
明治期の激動の中の「大きな物語」である。 この激動期に、原点に立ち返り青雲の志を日本人に
喚起する意図で放映されたのだろう。 ドラマ自体もなかなか良くできている。

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2820, ドバイは今 -?
2008年12月24日(水)

ドバイが、この金融恐慌でバブルが崩壊、解雇の波と一昨日の読売新聞の一面トップで特集をしていた。
ドバイブル破裂というところだ。このまま廃墟化すれば、歴史に残る光景になる。「悪銭、身につかず」
ということか。
 ーまずは、その新聞記事ー
《ドバイにも金融危機の影 … 止まったクレーン・解雇の波》
 世界一高いビル、世界一豪華なホテルなど「世界一」を冠する建築物を次々に登場させ、21世紀に
入って猛烈な勢いで発展を続けてきたドバイ。中東の物流・金融センターとして、200に及ぶ国籍の
労働者や投資家を引きつけてきたこのペルシャ湾岸の小さな首長国にも、金融危機の影は忍び寄っていた。
その現場を歩いた。
 --
 ドバイ北東部にあるアラブ首長国連邦(UAE)労働省。「カスタマーサービス局」待合室に、
沈んだ表情の外国人労働者が目立つようになった。解雇通知を受け、苦情を申し立てに来た人々だ。
 ドバイの中堅建設会社で工事現場監督を務めてきたインド人のV・ヒレマタさんは今月12日、1枚の
紙を手渡された。「あなたが提供するサービスは必要なくなりました。滞在許可も1か月後に失効します」
クレーンを操縦していた同郷のスンニル・Bさん(40)も解雇された。ドバイには世界のクレーンの
3割が集まっていると言われてきたが、「今は多くが止まっている。再び職を得るチャンスはまずない」と、
帰国の覚悟を決めたようだった。
 ドバイ居住者の8割を占める外国人労働者の滞在許可証は、仕事や労働許可証と不可分に結びついている。
職を失えば、雇用主が労働局への解雇届け出を遅らせるなど特別な措置を講じない限り、1か月以内に
出国しなければならない。「ドバイには失業者がいない」と言われるゆえんだ。ドバイの海岸には、
上空から3本のヤシの木に見える群島が沖合に延びる。 埋め立てでつくったリゾート・居住用地だ。
100万人の住空間ができあがると言われる最大の木「パーム・デイラ」では、 クレーンの多くが動きを
止めていた。ドバイを代表する政府系デベロッパーで、「3本のヤシ」のプロジェクトを推進する
「ナヒール」社は11月30日、総従業員の15%にあたる500人を削減する方針を明らかにした。
同社で工期やコストを管理する仕事を担当してきたスリランカ人のSはこの日、上司に1月31日付での
解雇を言い渡された。 資金繰り悪化によるプロジェクト停止が理由と説明された。「オフプラン
(設計図段階)の事業の大半が停止された」とSさん。「年明けには、さらに人員削減されるのは間違いない」
民間最大のデベロッパー「DAMAC」も11月、200人の解雇を発表、解雇の波は確実に広がっている。  
(ドバイで 宮明敬、加藤賢治)(2008年12月21日23時52分 読売新聞)
--
 一年ほど前にみたドバイの石油成金の奥さんが高級SCのブランドショップで、「もう高級品の買物は
飽きた!」と、つまらなそうな顔をしていた映像が象徴的だった。 この場面は御宝として残るのだろう。
1500、2000Mの高さのビルを競ってつくるのは、イタリアの都市で中世の金持ちが家の高さを競ったのと同じ。
近い将来、スンニ派を中心とした欧米よりの湾岸諸国は、革命に曝されるだろう。                                                                            ーつづく
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2007年12月24日(月)
2455, 歌舞伎町事変(1996~2006) -2
                (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
 この数年、週刊誌に歌舞伎町の泥酔客の喧嘩や、 露わな若い女性客の狂態の写真を見かけるが、
この写真家?が撮ったものだろう。私も新潟駅前のヤクザの徘徊する足元でよく酒を飲んでいたものだ。
数回ニアミスをして凄まれそうになったことはあったが。それよりも危ない世界と、
危なくない世界の人間の臭いを彼らが一番知っているはず。それと、隙があるかどうかもあるが。
数年前から、ホテヘルとかデリヘルとかいう噂を聞く。私の性格上、絶対にそういう客は当方に
泊めないのが方針。今更というが性格なら仕方がない。新潟も来年の4月から本格的に浄化の流れに
なるが。歌舞伎町の彼ら(風俗)はどうなったのか? 以下は、その変身の実態である。
 先日、新潟の事務所の近くの図書館に行く道すがらラブホテルの前を通ったら、
明らかに一仕事を終えた女性が出てきてきたが、そこには、曇りガラスの車が待機していた。
 P-62
以前から、「歌舞伎町に許可店のヘルスは 3、4店舗しかないといわれていた。
(以下字数の関係で、中間カット2008年12月24日)
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長岡で何度か兄と行ったスナックの前がラブホテル。出入りが窓から見えるが、
その数に驚くと言う。それも、合法というから・・・・
                ゜・。*バイバイヾ(´∀`o)+。
 ーーーーー
2006年12月24日(日)
2091, 下流喰い -1
      b(^o^)dおっ W(^O^)Wはようー♪
                              ー 読書日記                 
銀行に勤めている親戚の人から「サラ金から金を借りている人の多いのに驚くばかり!」と聞いて
10年近く経つ。 本屋で、この本を何度か立ち読みしていたが、<直ぐに図書館に並ぶだろう>
と思いとどまり買わなかった。 ところが会社の‘Oさん’から、「面白いから読んだら」と、
この本を手渡され読んでみたら、この中味が凄い!やはり立ち読みとは違う。
さっそくインターネットの検索に「多重債務」と入れたら、「2000万人、200万人、20万人、1万人」
の数字が解りやすい!と、金融筋の人から聞いた話として、あるHPの中に紹介していた。
サラ金からの借金をしている人が2000万人、そのうち多重債務に陥っている人が200万人、
(この本では350万)自己破産者が20万人、 借金苦による自殺者が1万人、だという。8000万人
の勤労者の中2000万人がサラ金を利用しているというと勤労者の1/4になる。
 ーまずは「下流喰い」の概要をまとめてみるー
・小泉構造改革が最終盤にかかった05年後半あたりから、「地域格差」に加えて「格差社会」という
 キーワードも話題にのぼるようになった。その分岐点が1980年代にあった、バブルの発生である。
 それが借金=悪という日本人の常識が、借金を如何にして土地などに投機した方が得という風潮に
 変わってしまった。消費行動も買ってからローンで支払うという感覚に変わってしまった。
 クレジットが推奨されはじめた時期である。 この背景をもってバブルが弾けてしまった。
・日本の全産業の平均年収が500万円を下回ったとされ、
・貯蓄ゼロが24?と4分の1になり、
生活保護が100万世帯を超え、
・全体の4分の1の世帯の高額所得が、その他の4分の3に匹敵する事態、
・その他の4分の3の平均の半分に満たない人の数が、この数年で15.3?に跳ね上がった
・いまや多重債務者は、数年で二倍の350万人以上になり、
・大都市の大阪や東京の公立小中学校の就学援助者を受ける人数は、04年までの4年間で
 40?も増え、4人に1人。足立区では2人に1人が受給する事態である。
・2003年の「消費者信用産業」の市場規模は「73兆円」というから、この年のGDP中に占める民間
 最終消費支出「282兆7000億円」の4分の1になる。この数値が意味するものは、すでに日本が、
 階級社会の色濃く残っている欧州を凌いで、アメリカに次ぐ第二位の格差を実現させている。                           
  消費者金融の想定する理想的な優良顧客像とは、
  ・年齢は40代後半、  ・年収は300万円程度で ・子供が二人おり、 
  ・家計的には住宅ローンの返済の他に養育費、教育費のやりくりが最優先され、
                   一家の主人は完全に後回し。
   (字数制限のためカット 09年12月24日)
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2005年12月24日(土)
1726, つれづれに          (。・o・。)ノ こんにちゎぁ♪
ー東京は明らかにバブルの様相ー
 久々に東京に行って、知人と終日都内の要所を回ってみて驚いた!
 高層ビルが彼方此方に建っていること。〔知ってはいたが、実際みた感覚は違うということ〕
 建築中のものが多く、明らかにバブルの様相が見てとれる。この反動で2010年あたりが危ない
 というのも、解るような気がする。それと、新宿近くの大通りに韓国通りとか中国街ができていた。
 何か日本もここにきて、大きな回り角にきているのか!
  世界の首都でスラム街が無いのは、日本だけと聞いていたが。  ○=(≧Σ≦)
ー新潟の大停電ー
 近年、新潟は次々と大きなニュースが起きるものだ。(真紀子のパフォーマンス、拉致、
小学生の長期監禁、水害、地震) たまたま、停電のおこる一時間前に東京に出かけ一泊していたが。
昨日、帰ってきて家内から話を聞いて驚いて会社に電話をしたら、大ごとだったという。家内も諸用で
新潟に来ていて、大風と停電に遭遇してやっとのことで長岡に帰ってきた。新幹線が不通になり、
ホテルの方も50人のキャンセルが出たが、150人の東北電力の宿泊があり差引100室プラスになり、
不幸中の幸いであったという。
                  チャノメ!(・∀)つ且~~ ⊂(´∀` )アリガト         
ー中野ブロードウエイー
 明日のネタになるが、知人に案内された中野ブロードウエイには驚いた。
お宅?を中心にした客層を狙ったレアモノのショッピングモールだが、秋葉原と同じぐらい
全国レベル、いや世界レベルに知れていて観光ゾーンにもなっているという。  
以前のアメ横イカガワシサがプンプンとしていた。                 
                   (^_^)/~~ バイ~
・・・・・・・・
2004年12月24日(金)
1361, ルーブルの一日
  ー夢の美術館
 昨日は、NHK・BSHIの「夢の美術館」で「ルーブル美術館」の6時間生番組を見た。
10時から17時(昼一時間休憩)までのロングランであった。私にとって、「ルーブルの一日」。
NHKの存在に対して疑問を持っている一人であるが、こういう番組みを見ると、その存在も必要かと
思ってしまう。学生時代の旅行でのルーブル美術館とベルサイユ宮殿はカルチャーショックの最たる
ものであった。ミロのビーナスモナリザ、ニケの像、ボナバルドの戴冠式などの絵を見た時の感動は
今も鮮明に憶えている。数日をかけてじっくり見てみたいと思っていたので、丁度よいタイミング。 
昼の一時間は息抜きで、ウォーキングをして効率的に時間を使った。実際に見始めたら非常に内容が濃い。
800年の時間の中で、それぞれの時代に翻弄されながら、皇帝や市民に愛されたプロセス(歴史)を
克明に追っていた。この番組みでは、それぞれの絵などの背景や歴史を克明に追っていた。その時代時代
の皇帝や、その愛人、そして市民の、ルーブルに対する思い入れを、作品の背景を通して追っていた。
フランソワ1世、ルイ13世ルイ14世、ナポレオンの役割をあげることができる。それぞれが思い入れて
収集をしてきた作品群が残っている。これだけ美術に対して思い入れてあるのも、フランスという国柄
。国民が会員になって基金を毎年積み立てて、作品の収集を続けている。まだ、「自然・文明から文化に
戻ってくる」には5年は早いと思っているが。それでも、チャンスがあれば何でも見て知っておかなくて
はならない。それにしても、ハイビジョンは作品を鮮明にリアルに映し出すものだ。人生は、前倒しに
しておかないと。 いや、してきたか?!

・・・・・・・
2003年12月24日(水)
994, 戦死者と犠牲者と殉職者ー1
 「戦死者と犠牲者」は図書館で立ち読みをした「文芸春秋」の塩野七生の寄稿文の「題名」である。
 イタリアでは、イラクのテロで亡くなった兵士を「戦死者」で統一したという。「戦死者」は言葉の通り、
戦争で死んだ兵士をいう。現在の日本は、もし死者が出たところで「戦闘」に参加したことにならない。
首相官邸でさえ「犠牲者」扱いにせぜるをえないのだ。イタリアでは、戦死者として国葬並みの扱いをした。
アメリカ大統領が終戦宣言をした後で、参加したにかかわらずである。ところが日本ではあくまでも「
犠牲者」になってしまうのだ。憲法を変えずに軍隊をつくり、このイラクにも「戦闘でない後方支援」と
言葉を濁して、問題を先送りをしようしている。矛盾が出ることは必定だ。「隣にスターリン主義国家があり、
その脅威に曝されている現実を直視しようとしないで、平和主義を唱えていれば済む問題ではない。
堂々と主権国家の国民を100人以上も拉致をしている現実がある。旧社会党自民党の一部は、それに
間接的に加担しているのである。それにも拘らず、まだ寝ぼけている平和国家日本。その虚構が脆くも
崩壊しようとしている。すでに国家の体を生さなくなっていると言わざるをえない。ここまできても、
自民党の利権屋に牛耳られているのだから、小泉のパフォーマンスに目先を誤魔化されているだけである。

・・・・・・・・・
2002年12月24日(火)
620, パタゴニア旅行記ー7 
 -話しまくる人ー
今回の旅行で面白い人がいた。常に一人話しまくっている人である。常に自分が話をしていないと気が
すまない人だ。アメリ経営学者のドラッガーの本にもこういう人のことが書いてあった。500人に一人
の割合でこれで上手くいく人がいるといっていた。タレントのタモリやサンマや古館一郎あたりの人のこと。
相手の反応を見ながら瞬時に内容を変え続けられる人で、一方的に話をしていても不快さを与えない人だ。
誰かの話している間に割り込んで強引に自分の話題に引き込んでいく。聞いているほうはたまらない。
一種の自閉症に似ている。閉じてしまっている自分の世界に相手を引っ張り込もうとする。三人の
グループであったが、その一人がコッソリト「あの人は悪い人でないが直らない病気!」と教えてくれた。
誰もが持っているが、自分でコントロールしているものである。私など人のことをいえた義理でない、
他人より数倍その要素が大きい。それにしても老年に差し掛かった女性のそれはすざましい。 
人の話を聞けない人は案外と多い。すぐに自分に置き換えてしまう心の癖がついてしまっている。
出羽の守」という人だ。東京では、長岡では、仲間内で、家族ではという自分の世界に置き換えてしまう。
そうあの人のことだー幾らでもいるからこう表現した。この随想日記も一人話しまくっているようなもの?
人間その要素を誰もが持っている。

・・・・・・
2001年12月24日(月)
 279、飲み助考ー隙間風
男の楽しみの一つに「ちょっと一杯」がある。酒を飲みながら‘隙間風’という歌を聴いていて、 
「飲み助の気持ちの本質は隙間風、だから飲みに行くのだ」と感じた。それだけでないが。こういう時代
だからこそ、隙間客という言葉がでてきたと思う。隙間ーこれはどういうことか?ハンドルの遊びか?
竹の節か? 「漠然とした心に満たされない何か」というところか。それを埋めについつい行ってしまう。
特に単身赴任の中年にさしかかった人は、それがないとやっていけないだろ。学生時代に金がないので
寮で月に一回ぐらい酒を買ってきて飲むのが楽しみでだった。サッポロジャイアンツやトリスの大瓶、
それにスルメ。酒の美味さを知った最初といっていい。何ともいえない楽しみであった。知恵で深夜から
飲むのだ。そのほうが酔えるからだ。夏4時ぐらいに陽が昇ってくるくるあたりは陶酔の絶頂になる。
若いから出来たのだろう。人は酒を飲んで大笑いしている時が、一番の幸福の状態だという。それに知的
会話があると、非常にお互いプラスになる。他人の悪口になると、暗い狐になってしまう。サラリーマン
同士のそれは仕方ないか?組織内の軋轢は厳しいからだ。私の金沢時代(25-6才)ある意味で一番つらい
時期であったが、片町や香林坊や武蔵ヶ辻の一杯飲み屋の酒は最高であった。酒の美味しさとストレスは
反比例するのだろう。数百年の歴史のある街、一杯飲み屋にも何ともいえない深みがあった。

・・・・・・・ 
ある時間の断片
 12月24日 火曜日 1968年
9時ごろ、長岡の姉の正子さんから電話。千葉の姉の西村、小林さんの所にクリスマスプレゼントを
届けるように頼まれる。16時に部屋を出て、伊勢丹に行って、犬の玩具と電車を買って東京駅に行く。
西村さんと待ち合わせるが、勘違いで30分待たされる。 その足で独りで銀座に行ってみる。
銀座4丁目から、みゆき通りを歩いてみる。人の数は思ったより少ないようであった。市川さんの
部屋ですき焼きパーテーをしていた。相楽がきていた。私と対立して寮から出て行った男。
少し休んで、面白くないので新宿に出る。23時過ぎまで飲みまわる。
0時に帰寮するが、市川さんが部屋に来て、再び寿司屋に飲みに出る。
明日自分を赤坂の「ムゲン」に案内をしろという。自分のお客に案内するのに丁度よいという。
明日の飲み代は全て自分が持つという。何か毎日、他人に振り回されている。