つれづれに

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今日のYoutube

あと10日余りで、今年も終わる。
比較的安定した一年だったが、これが、まずベース。
身辺では、三番目の姉の連れ添いが亡くなったが、他は…

 もう一つは、朝鮮戦争の勃発が無かった。しかし、段々と
開戦が近づいている感が強くなっている。起これば、日本も当事国。
今までとは違った日常になる。あと一年と数ヶ月で、平成も終わる。

 


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4296, 閑話小題 ー円滑法、終了の、もう一つの難題
2012年12月20日(木)
  * 円滑法終了の、もう一つの難題
 先日ニュースで、円滑法打ち切りで中小・零細企業の他に、23万人の個人の
対象者の存在を報じていた。この不況下で失業や賃金カットで住宅ローンなど
の返済猶予で支えられてきた個人が、円滑法の終了で窮地に立たされるという。
中小・零細の30~40万社の他に、個人の住宅ローンも円滑法に適応されていた
ことを全く知らなかった。ということは、来春の更なる法律の順延の可能性が強く
なったということか。一年間の時限立法が二年も順延したのだから打ち止め!
の理屈もあるが、現実問題として政権交代したばかりの安部政権が、参院選挙前
の打ち止めは、どうだろう。これから先は常に、こういう問題が次々と起こって
くること必定。それにしても、現実に現れてきた津波の現象は凄惨である。
それも洪水が始まったばかり・・
   * 自民一強、ほか八弱!
 朝日新聞の記事に、「選挙結果は、一強八弱に」とあった。参院までは公明と
組み大人しくして、二ヶ月前辺りから、改憲を前提に政界再編製か維新の会との
連立の組み替えになるだろう。この憲法下では、領土問題などで近隣の国と対峙
は不利の状況であるのは周知の事実。これからは紆余曲折があっても相対的に
中国の力が強くなり、アメリカは衰退する。その中で日本は極端なアメリカ依存
からの脱却が必要になる。その為、保守本流に立ち返り、独自の軍事力を持つ
べき時節。また、この政権交代地震対策と称した公共事業の利権争いが露骨に
表面化することになる。民主の自壊とはいえ、自民に議席の与えすぎ。
三年もしないうちに、公共事業過剰自壊内閣として、自壊するだろうが、誰も
責任を取らない。これを繰り返しながら国家は自滅していくのだろうか。 
韓国の大統領選では、政権与党の朴候補が勝ったが。
   * つれづれに
 恐慌か、戦争の可能性が高いと診ていた2012年も、あと二週間足らず。
このまま、何事も起こらず終わるのだろうか?何度も必ず起こると断言して
きたので、このまま何も起こらないと私の仮説が外れたことになるが、それでも
起こらないにこしたことはない。ただ不穏な感じはしてきたが。 クリントン
急性の病気で辞任するが、政治的に何かがあるのだろう。二期目のオバマ構想で
切られる前に辞めるのか、中東で何かが起きようとしているのを知り、急遽、
辞めるのか。時間がたてば分かることだが。

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3921, 精神力ーその偉大な力 ー11
2011年12月20日(火)

  「 精神力ーその偉大な力  ー 」 ダン・カスター著
  * まず、自分を愛すること
【 うまく他人に処するということは、他人を使うのではなく、まず私ども自身を使うのです。その後、相互の
健全な協力を望むことです。他人と協調するには、まず自分自身を愛し、自分を尊く思わなくてはならない。
自分自身を尊ばない人、自分を非難し、自分を蔑む人は、その蔑みや非難を他人に投入するものです。そのために、
他人から抵抗や非難をうけます。誰も、自分自身としっくりいかない限り、自分を尊び、自分を健全に愛さない
限り、他人を愛することはできません。まず、自分を愛し、その上で隣人を我々と同じように愛しなさいと、
キリストは言ったのです。 利己的な人は、自分だけを愛します。彼が他の人を自分と同じく愛することを学べば、
彼はもはや利己的ではありません。 健全の自己愛は他の人と協調します。強い、健康な、活力ある、自尊心に
富む人格が、他人と最もよくやっていけます。 強い人格の人が、最もよく人を助けるのです。・・・  詩人
R・ブラウニングは言いました。
「真理はわれわれの内にある。あなたがなにを信じようとも、外のものから、それが高揚されることはない。
われわれすべてには深奥の中心点があり、そこで真理が完全に住み場を得ている。そしてまわりは壁また壁で
粗雑な筋肉がそれを押し込んでいる」と。
・・・あなたの真の内部自己は、知恵と威力を持っている。一度あなた自身を神性の実在として認めると、
自分の生活に方向をつけられると知られるでしょう。 思考や態度や信念を通して自動的に、体験のなかに善い
ものを持ってくるでしょう。・・・私たちは習癖なしには生きていけないが、その奴隷になることもありません。
習癖こそ召使いであるべきです。私たちの中に建設的習慣を作りあげたとき、宇宙のエネルギーを得ることが
出来るのです。良い召使を多く持ちなさい 】

▼ まず自分を愛することが、人生の基本である。そのためには両親から愛情を充分に受けること。
 良い両親、家庭環境が必要条件になるが、充分条件ではない。その人に両親のことを語らせれば、大方が
分かるはずである。聞くに耐えられないことを言う人を度々見うけるが、自虐でしかないのが分からない。この
「まず自分を愛しなさい。そして同じように他人を愛しなさい」の箇所が、いやに印象に残って私の生き方を変えた。 
聖人を除けば、自愛なくして他愛は不自然になる。ところが多くの人は、自愛なくして、他愛に気持ちが向かうため、
相手に拒否をされる。真の自愛がないのは自立してないということである。 殆どの愛は突詰めれば、自愛の変容。
強すぎるのも問題だが。       自愛のほど!   

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3556, 閑話小題  ―つれづれに                                     
2010年12月20日(月)
  * 朝の瞑想
 同月同日の10年間の随想日記の一部を、数日前から私のブログ「バードウォッチ」に貼り付けている。
字数制限があるので、毎日、カットをしないと字数オーバーになる。これは、現在書いている文章が、
つまらないと将来の自分がカットするぞ!という警告になる。しかし、カットは身を削られる気分になる。
早朝5時過ぎに、前日に書きあげたテーマ日記の添削と仕上げ、そして以前書いた9年分の文章を読み返し、
カットする作業は、ある意味の瞑想になる。独りで10年間の同月同日の自分の文章(エネルギー)に
向きあうのは、自分との出会いでもある。
   * 「自分の人生が嫌になった、終わりにしたかった!」 ー 昨日のニュースより ー
 高校卒業して依頼、10年フリーターで職を変えていた男が、無差別傷害をした動機が自暴自虐の、この言葉。
10年前位まで、ウォーキングをしていると、明らかに精神を病んでいる20歳代半ばの男が自転車に乗って
ブツブツ言っていた。ところが数度に一度、自転車で向かってきて直前で避けたリ、寸止めをする。その間合いが、
絶妙で怒るに怒れないで、一切無視。10年以上、それが続いたが、ある日から突然、姿が消えた。全国的に子供が
襲われる事件が相次いだ時期からである。 その男が、誰かに聞いて欲しいのだろう「俺はジイサン、バアサン
に潰された!」と、呻きながら自転車で通り過ぎていった。いやに、その言葉が心の底に残っている。
数年前の秋葉原の無差別殺人事件が、両親の弄りすぎだった。 知人の多くは、長男の話をしたがらない。 
嫁姑と同じく、人生の永遠の課題である。 旧約聖書にもある。 
  * 勘違い
 自宅の敷地内にある貸家の屋根裏にハクビシンが騒いでいたという話題を、ここで取り上げた。そこで朱鷺
を襲ったのがハクビシンと勘違いをしてしまった。ある人に、あれは「テン」と注意をされ気づいたしだい。
それにしても、何でハクビシンが敷地内に? 雉や山鳩が時々見かけられるのだから、ハクビシンもいても
不思議でないが。そういえば数年前に熊も出た。鷺も、鴨もいる。そうそう、変な布を羽織った類人猿もいる。
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3181、インコの話
2009年12月20日(日)
 私はペット好きだが、家内は大嫌い人間。 子供の頃から家には犬か猫、はたまた猿が家に同居していた。
猿は二代にわたり4年位はいた。 結婚してから10年後に、互いに妥協?をして小桜インコを5代にわたり
飼っていた。しかし子供二人が大学に行ってしまい、誰も居なくなってからは飼わなくなってしまった。 
それと最後のインコを寒さで死なせた罪悪感から飼うのを止めたのこともある。 ところが三ヶ月ほど前に、
スーパーセンターの「ムサシ」のペット売り場で中型インコの「メキシコ・コガネインコ」を衝動買いをして
飼っている。 生後半年で、人に懐いている。近くに引っ越していった長男が、このインコを飼ってから必ず
家に立ち寄り、世話をするようになった。本人に特に懐いていて、家内が言うには長男の車の音を聞き分けるという。 
ここまで人に懐くと情がうつるもの。 
 買った時、インコを送り出す女店員二人が、車まで籠にいれたインコをキャリアカーで持ってきてくれたが、
何か寂しそうな顔をしていたのが印象的であった。「凄く人に懐いていて、寂しがりや。外にでたがるので、
籠の蓋を開けても外にでない臆病なところもある。三ヶ月も皆で可愛がっていたので、愛情がタップリあるので、
可愛がって下さい」という。   (字数の関係でカット 10年12月20日
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2816, 不況景色 -5
 2008年12月20日(土)
貸し剥がしが、全国で吹き荒れ、そして大量倒産が
一昨夜のNHKの「クローズアップ現代」は30分の枠を1時間15分に延期した厳しいものだった。
その中での中小企業への銀行の貸し剥がしを具体的にレポートしていた。一般的には、銀行借り入れは短期と
長期の組み合わせになっている。短期は、半年とか1年で借り換えをするが、まずは、急激に悪化した企業には、
借り換え時期の貸し出しを断る。銀行の立場からすれば当たり前だが、物件持込など銀行が持ち込んだ投資案件
など、銀行に梯子を外されるケースも多い。長期も計画通り返済できない時に、返せなかった部分を銀行が追い
貸しをしながら企業の回復を待つケースが多い。ところが今回の金融恐慌で、銀行も企業も体力が消耗して上に、
日本中は貸し剥がしが露骨に行われているという。レポートは、黒字を長年続けている企業に突然、借り換え時に
返済を要求してきたケースであった。 その経営者は、何で突然返済を迫られたか呆然としていた。 当社の
コンサルティングをしてもらっているH氏が先日の酒席で、「銀行の貸し剥がしについて、どう定義づけますか?」
と問われた。深く意味を考えたことがないので、その時に思いのまま答えたことは「資金の切迫している弱みに
付け込んで強引に資金回収すること」あるいは「自社の都合で、借り換え時に資金を回収すること」と答えた。
H氏曰く、「償却後に利益を出している会社から一方的に資金回収すること」 成るほど思ったが、
「それがホテルや製造業などの設備装置産業にいえることでは」と問い返した。
 (字数の関係でカット 11年12月20日
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2007年12月20日(木)
 2451, 今日を楽しむための100の言葉
 『今日を楽しむための100の言葉』伊藤守著 ディスカバー21
「自分自身の素晴らしさに気づく」ことをテーマとするiBDセミナーを
15年間主催してきた著者が、今まで語ってきた中から100の短い言葉を選び出してある。
若い人はそのまま受け止めればよいが、この歳のためか、その正反対の言葉が出てしまう。
それでは、せっかくの言葉が台無しになるので、書くことは控える。 特に若い人に良い言葉だろう! 
・『 辛いだなんて、格好つけるな。』
・『 嘘がいけないのではない。 問題は、自分がどんな嘘をついているか、知らないこと。』
  *嬉しくもないのに嬉しいと言ってしまったり、だいじょうぶじゃないのにだいじょうぶな
 振りをしたり。わたしたちは、たくさん嘘をついている。そして、そのことに気がついていない。
 まるで、失神したまま生きているようだ。
・『 やりたいことはやっている。やらなかったことは、やりたくなかったこと。」
  *やっていないことを反省するより、いろんなことをたくさんやった方がいい。
 周りの人がどう思うか、そんなことはどうでもいいから。
・『 可能性は、いつもあなたの外にある。したことないこと、やってごらん。』
・『 気球が上がっていくときは、最初に砂袋を捨てるんです。いくらヘリウムガスを入れようと、
 それより重い砂袋をもっていては上がらない。いまもっているものを何ひとつ捨てることなく、
 気持ちだけ軽くなろうだなんて、ちょっとむずかしい。
・『 あぶなくなったら、トカゲは尻尾を切る。タヌキは死んだ振りをする。 
   ヒトは、感じない振りをする。』
・『 誰かがあなたを好きなのはあなたが優しいからじゃない。あなたがあなただから。』
・『 うまくいってる人は うまくいくパターンを使ってる。
 上手いってない人は 上手いかないパターンを使ってる。それだけのこと。』
・『 楽しくない人生は、基本的に意味が無い。」
  *毎日ご機嫌で暮らしている人の前では、業績とか財産とか、
 これまで自分がすがってきたものが、本当に色あせて感じられるものです。
・『 私たちは誰かのために生まれてきたんじゃない』
  *それなのにどうして他人の評価で自分の価値を計ろうとする習慣から抜け出さないのだろう
・『 目標をひとつに決める勇気を持ちなさい 』
  *私たちが目標を持てないのは、目標を決めてしまったら、
 それ以外のものが手に入らなくなってしまうのではないかと恐れているから。
 何かひとつでも、本当に達成できたらすべてが手に入るというのに。
 完全になったから人に認められるわけではない完全になったから人に愛されるわけではない
・『 いちばん問題なのは、問題なんかないという状態に逃げ込んだ人。』
・『 人間はそう簡単に変われるものじゃないって?そう思っている人は,確かに変わらないと思うよ』
・『 天に星が輝いていても、あなたが見上げなければ、ないに等しい
 あなたが自分自身に目を向けなければ、あなたの価値もないに等しい 』
・『 ほかの誰かになろうとしない ほかの誰かにならないようにしない 』
ーー
以上だが、やはり素直に受け止めた方が良い言葉である。考えること、考え続けること、それが
最も大事なことである。そのためには独りになる時間を持つこと、問題から逃げないことである。
今日を楽しむといったら、任せておけ!と言いたいところだが・・・殆ど、私にとって当たり前
のこと?でしかない?? いや、違うか??微妙なところだ!
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2006年12月20日(水)
 2087, 経験についての一考察 -2 
10日ほど前に、「経験」について書いたが、さらに考えをすすめてみよう。歳を重ねるとは経験を重ねる
ことであり、それが成熟することであり、良い人生経験を重ねることが熟年として豊かな心で最後の光と
なる、云々と前回書いた。経験がマイナスの部分から自分の心を苛むことも多くなった。福田和也
「成熟への名作案内」に以下のような一節があったが、自分の心の影の部分をそのまま言い当てている。
ードイツの哲学者ヘーゲルは、経験を「自分の真実を失うこと」だと書いている。自分の真実を失う、
つまりこれが自分なのだ、自分はこういう人間であり、そのように認識され規定を試みた人間として、
この世の中を見ているんだという、自信というよりも、自認と足場が崩壊し、自己が自己として、自分に
対して持っていた信頼感なり当てにする気持ちが胡散霧消してしまうこと、それが経験なのだ。
それは自分というのは、良くも悪くも、この程度の人間、がんばっても、しくじっても、この範囲の人間
であり、どんな窮地におかれても、最低の品位を崩すことはない、というような自信が、具体的な行動の
中で失われる、あるいは変わるということ。 それが、経験だと、ヘーゲルは言っている。
だとすれば、成熟とは、何よりも自分が自分であるということを失い、自分から任じていたような、
立派な人間ではなければ、尊ぶべき個性も独自性も、勇気も持っていないということを知り、その崩壊の
あとになお、自分の姿を見つめて生きていこうと努力することが、成熟をするということに他ならない。
  ーーー
 以上であるが、私の現在の心情はとりもなおさずほぼ同じである。これが「熟年という心象風景」かと、
毎日のように内省する日々である。経験を重ねるということは深い悩みが色濃く蓄積していくことでもある。
ひとり、心の奥の高みにいて、すべてを見下していた自分が、「薄汚れた軽薄な馬鹿な男」と気がついた
ときの衝撃。そのとき、中原中也の詩「汚れてしまった悲しみに 今日も・・」の悲しみが深く響いてくる。
挫折という「心の背骨」の骨折で逃げおおせなくなったとき、見下していた周囲を見上げたときに初めて気づく
真実の光景。そのとき、自分の価値観が根底から変化する。  この繰り返しの中で、人間の成熟が初めて
たらされる。熟年は、深く心の憂いが霧になって取り囲んでくる。その中で独り飲むコーヒーの味も良いが! 
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2005年12月20日(火)
1722, 時代を読み解く「三つの言葉」    才八∋_φ(・ω・`)゜+.
文藝春秋の今月号の<新年特別企画> の特集が面白い。
 (字数の関係でカット 09年12月20日
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 2004年12月20日(月)
1357, 23歳の日記ー7
 1969年 7月17日 神戸・垂水にて
この会社で、もう何人から誘われたが、女の職場は厳しい。一人に振り向けば、
その人以外は全てに無視されるのが女性の職場。地方のせいか、心の綺麗な純粋な人が多い。
 (字数の関係で中間カット 10年12月20日
 8月9日
意のむくまま、文章を書いてみよう。9月になったら、1~5日まで休暇をもらうことにしよう。
最も効率的にすごす為には、学生時代に卒論を書く為に籠った
新潟の六日町の雲屯庵に行くことにした。そこで自分を見直してみるのもよいだろう。
自分を冷静な状態にしておかないと、大きな落とし穴にはまり込んでしまう。自分の目的が何だか
解らなくなってしまう。こう文章を書いていても、この境遇から何も見えなくなりつつある。
同室に堀田君という同期がいるから、気持の中で支えがあるが。
あまりにも4ヶ月は変化が激しいし、刺激が強すぎる。自分を支える為にも、違う視点を持つ為に。
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2004年12月20日
ー感想記
文章に残すということは、良いのか悪いのか。読めば読むほど記憶としての糸口になるが、反省・悔悟の
思いがでてくる。35年前の反省をしても仕方がないだろうに。恐らく死期を悟った時、昔のことが走馬灯
の思い出され、反省と悔悟と、反面喜びなどの、多くの思いが重く軽く、嵐のように吹き荒れるのだろう。
真面目な、世間知らずの?男が、高度成長期の時代背景の中で、あせっている姿がそのまま文章に出ている。
当時の心の傷が、そのまま今も残っている。心のままに書き残すことも大事なことだ。それにしても、
やはり異常な状況での体験であった。20~40歳代は、誰もがこんなものか? 
それとも、やはり? 人生は面白い!
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2003年12月20日(土)
 990, 軽井沢の思い出ー2
軽井沢駅から少し歩いたところに「離山」という小さな山がある。麓から頂上まで一時間もしないうちに
登れる山で、独りで何回か登った。その頂上から見る風情は何ともいえない趣があった。また別荘地の
散策も面白い。歩いているだけで豊かな気持ちになれるのだ。 別荘と、そこの表札を見ているだけでも面白い。
有名人や大手の会社の名前で占められているのだ。それと一歩、別荘地に入ると殆ど人気が無いのもよい。
一時期、都内の若い女性の間で「5千円族」というのが流行ったことがあった。その金額で休日、軽井沢の
日帰りコースとして丁度手軽だからだ。別荘地を散策して、軽井沢銀座のウインドウショッピングをして、
軽く食事をして5千円で済ます。早朝、街を歩いていると小奇麗な喫茶店が開いていて何げなく飲んだコーヒー
が絶品だったことを思い出した。いま考えると、何処の湧き水と最高級のコーヒー豆を使用していたのだろう。
また「万平ホテル」もレトロ調で軽井沢にピッタリの雰囲気。 そこのレストランが美味しい。
ところで私の新婚旅行は軽井沢であった。挙式後、三浦さん夫妻と一緒に帰ったことを思い出した。
丁度30年前のことである。
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2002年12月20日(金)
616,パタゴニア旅行記-3
 パタゴニアの印象といえば、氷河の他に遠くに広がる原野とアンデス山脈である。アルゼンチンから
ペルーへの移動で見た左右の視界が270?もあるアンデス山脈のパノラマが素晴らしい。数千メートルの
山頂なら幾らでもあろうが、少し小高い平地で三百キロに近い景色が見えるのは想像を絶していた。
アフリカで数十キロの視界の景色を見たときの驚きを今もはっきり憶えているが、それがなんと数百キロ
の視界の景色を目の当たりに見たのだ。世界は驚異に満ちていると実感した瞬間であった。秘境系の旅行は
こういうチャンスに満ちているのがよい。世界の果てのマゼラン海峡や世界の果ての町ウシュアイア。
そこから船に乗り、ビーグル水道に埋めつくすアザラシやペンギンの群れをまじかに見たのも鮮烈な記憶に
残っている。人口十万のこの町で見た夕日の美しさも忘れられない思い出だ。 大型の野良犬があちこちに
屯していたのが印象的だ。厳しく貧しく派手さはないが、ある豊かさを感じ取った。ほとんど時代の変化に
翻弄されることなく地道に生きてきた逞しさからくるものであろう。ペルーでは殆ど見ることなかった
コンドルが多く見ることができたのも今回の印象であった。小さいテーブルマウンテンに似ている山の岩壁
に巣が多く作られていた。ペルーで見たリャマの一種の野生のグアナコが身近に多く見れた。それと
ダチョウにそっくりの野生のニャンドウも印象的。両者とも捕獲が禁止されている為に多く繁殖した。
その土地の景色にピッタリの動物が棲んでいるのも自然のなせる業だろう。
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2001年12月20日(木)
275、後回しー我が内なる無能性
 後回しにして忘れ失敗した事を、誰もが数知れず経験しているはずだ。
後回しは半分以上やらないことだ。
 (字数の関係でカット 09年12月20日