つれづれに

他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive

 
  今日のYoutube

雪が降ったり、晴れ間が出たり、
春に向けた気まぐれな天候である。

 暇を見つけて録りだめのビデオをみている日々。
その時間の経過の早いこと。 

 なぜか、思い出されるのが20歳代のことばかり。
そのころは、変化の連続で、辛いことが多かったが、
面白かったことも多い。 人生などアッという間の雷光の如し。


・・・・・・
2531, ウェブ時代 5つの定理 -1
2008年03月09日(日)

産経新聞のトップページに5回にわたって連載さっれた
梅田望夫の【ウェブ時代 5つの定理】が面白い。
梅田の本を読むのは4冊目になるが、今のところ外れはない。

その5つの定理とは、
 その1 アントレプレナーシップ
 その2 チーム力
 その3 技術者の眼
 その4 グーグリネス 自発性に導かれた「時間」
 その5 大人の流儀  になっているが、 

 まずは1と2の概要をまとめてみよう。
第1定理は「アントレプレナーシップ」(起業家精神)。
 新しい物事に対する積極的意欲、 リスクを引き受けて果敢に挑む姿勢、
 不確実な未来を楽しむ精神の持ちよう、飽くなき探究心や冒険心や没頭、
 変化を求める心、自分の頭で考え続ける力、始めたら徹底して勝つまでやりぬく気持ち、
 といった要素がこの言葉には含まれる。
 ≪シリコンバレーの存在理由は「世界を変える」こと。「世界を良い方向へ変える」ことだ。
 そしてそれをやり遂げれば、経済的にも信じられないほどの成功が手にできる≫
 これはアップル創業者兼CEO(最高経営責任者)のスティーブ・ジョブズの言葉である。
 
 「アントレプレナーシップ」を支える「常軌を逸した熱」は、「やりたいことをやる」という気持ちと、
 「社会をより良くしたい」という思いの組み合わせによって持続する。
 お金が最優先事項では長期にわたってそういう熱が持続しない。
 倫理性と経済性が融合したシリコンバレーのそんな独特の論理が、仕事の面白さを倍化させ、
 強い「働く意欲」の源になっている。


第二の定理はチーム力
≪Aクラスの人はAクラスの人と一緒に仕事をしたがる。
        Bクラスの人はCクラスの人を採用したがる≫
 この言葉をシリコンバレーでは格言としてよく耳にする。Aクラスの人は、
 自分を向上させたいと常に思っているから、自分より優れた人と一緒に働きたいと考えるが、
 Bクラスの人は実力に不安があるから自分よりも劣った人を採用してしまう、という意味である。
 チーム編成においてはAクラスの連鎖を作るべし。
イノベーションを生むには、選りすぐりのチームを組成するところから始めなければならない
 という経験則が、この言葉の背後にある。
 ≪世界を変えるものも、常に小さく始まる。
 理想のプロジェクトチームは、会議もせず、ランチを取るだけで進んでいく。
 チームの人数は、ランチテーブルを囲めるだけに限るべきだ≫
 これは、サン・マイクロシステムズ共同創業者のビル・ジョイの言葉である。
 マイクロソフトもアップルもグーグルも、すべては数人のチームによる熱狂的な没頭から始まった。
 「世界を変える」イノベーションを生む一番大切なことは、資金でも設備でもなく、
 情熱を持ったわずか数人の力を結集して爆発させる「チーム力」にある。
 ーー
この二つはソニーの創業時の井深や盛田などと同じである。
日本にも筑波という素晴らしい都市があるが、そこの個性的な創業者の姿は見えてこない。
研究都市だから、少し違うとしてもである。

・・・・・・・・・
2007年03月09日(金)
 2166, 日本の人口動態の推移
                オッ(*^○^*) ハ~ヨウサン!
   「超リタイア法」ー野口悠紀雄 ー読書日記

     解りやすく、面白い本である。その中で人口動態が書いてあったが、
     解りやすく要点がまとめてある。日本の人口が一昨年から減少に転じた。
     それなら、歴史的にみて日本の人口はどのように推移していったのか
     知りたくなるのが人情である。 
  
  人口推移を大雑把にまとめれば、
・1600年(1200万人)から1700年(2769万)までの間に倍増し、
 その後江戸時代の終り(3228万)までの約150年間はほぼ一定だった。
明治維新(3481万人)から昭和の初め(6000万)までに倍増し、
・さらに昭和初めから現在までに倍増した。400年で10倍、140年間で4倍、
 80年間で2倍に増え、今後約100年の間に半分に減ることになる。

   ーまずは、そこを書き出してみるー

   ・江戸時代の総人口は、前半で成長し、後半は停滞した。
    1600年に約1200万人であった総人口は、1700年に2769万人となったが、
    1720年の3128万人から1850年の3228万人まで、ほぼ一定に留まった。

    日本の近代的な人口統計は、1872年(明治5年)から存在する。
    この年の総人口は3481万人である。
    すでにこの頃から、人口増加率は年率0.5%というかなり高い値になった。
    そして、1880年代の終り頃からはさらに高まって、年率1%程度になった。
    江戸時代の停滞社会から脱却し、富国強兵と近代産業国家をめざして
    成長過程に入ったことが人口面にも明瞭に現われている。

    総人口は1891年(明治24年)に4千万人を突破し、
    1912年(大正元年)には5千万人を超えた。
    人口増加率はこの頃からさらに高まって、1.4%程度となった。

 ・1926年(昭和元年)に、総人口は6千万人を突破した。
 明治維新以降約半世紀で、日本の総人口は約2倍に増加したわけである。
 日本が江戸時代とはまったく異質の社会になったことがわかる。
 この頃の人口増加率は年率1.5%程度と、きわめて高い。
 総人口はさらに増え続け、
 ・1936年に7千万人、
 ・1948年に8千万人を突破した。

    終戦直後には、それまでの勢いをさらに越える猛烈な人口増加が続いた。
    1940年代後半の人口増加率は2%を超えている。
    年間の出生児数は、1920年から52年まで、毎年200万人を超えている 
    (39、45、46年を除く)。
    最近の出生児数は年間115万人程度であるから、違いに驚かされる。

 総人口は1967年に1億人を超えた。1%を超える人口増加は、その後も76年まで続いた。
 しかし、これから後、人口増加率は傾向的に落ち始めた。
 86年には0.5%になり、94年からは0.2%台に落ちた。

 現時点(2003年6月)の日本の総人口は、1億2761万人と推計されている。
 昭和の初めから、約2倍に増加したことになる。
 しかし、これがピークであり今後日本の人口は、継続的に減少してゆくものと見られている。

    国立社会保障・人口問題研究所の「日本の将来推計人口」
   (平成14年1月推計)によれば、2006年にピークになり、2010年に1億2747万人、
    20年には1億2410万人になる。その後、30年に1億1758万人、
    40年に1億938万人になる。そして、50年に約1億人となり、2100年には、
    約6413万人になるものと予測されている。
我われは、日本列島に生息する日本人の数が最大になったさまを見ているのである。 

「平均寿命」は、0歳児が何歳まで生きられるかを示すものだ。日本人の現在の平均寿命は、
女性が85.23歳、男性が78.32歳で、どちらも世界一になっている。
明治から大正期までは、女性が40歳代の中頃、男性が40歳代の前半だったから、
その後非常に大きな変化があったことがわかる。
これは、成人した人がどのくらい生きるかを見るには適当でない。
とくに過去の時点では、乳幼児死亡率の高さが平均寿命を大幅に下げていた。
この時期を生き延びたものは、平均寿命より長く生きると期待できるのである。

    この点を補正するには、「平均余命」という概念を使う。
    これは、ある年齢に達したものがその後生存すると期待される年数である
   (したがって、「平均寿命」は、0歳の平均余命である)。
    リタイアという問題を考えるには、平均寿命ではなく、
    60歳程度の人の平均余命を見るのが適切だ。

1891年~98年(明治24~31年)において、60歳の平均余命は、男12.8歳、女14.2歳であった。
60歳になった人は、男なら72.8歳、女なら74.2歳まで生きると期待できた。
現在、この数字は、21.44歳と26.85歳になっている。
現在60歳である人は、男なら81.44歳まで、女なら86.85歳まで生きると期待できる。
60歳の日本人の平均余命は、この1世紀の間に、10歳程度延びたことになる。

  ーーー
   以上だが、成人になった平均寿命は、思ったほどは延びてはいない。
   80年間で二倍になった人口が100年かけて元の6000万人に戻ると思えばよい。
   「江戸初期から10倍、明治初期から4倍、昭和初期から2倍に増えた
   人口が、昭和初期の人口に100年かけて戻る」ということだ。
   これだけでも人口動態に関してチョッとした物知りになる。

   人口減少に対し社会資本は比例しては減らないから豊かさは増える。
   その現象に対し、自らを変えていくシステムを構築すればよいだけである。
   その意味でも州制度をとり、それぞれの地区に州知事か首相を置いて、
   思い切った権限の移譲が必要だろう。
                    (o ・д・)ツ  バイ!
 ーここで気がついたが、去年の同日に、やはり野口悠紀雄
  読書日記だった。
・・・・・・・・・
2006年03月09日(木)
1801, 日本経済改造論   ー読書日記
                   才ノヽ∋―_φ(≧ω≦*)♪             
    またまた野口悠紀雄である。このところたて続き読んでいるが、
    どの本を読んでも飽きさせないから不思議である。

この本では、現在の日本経済の不況の原因が
1940年体制を起点とした戦時体制を引き継いだ1945年体制以降から
 現在まで続いている間接金融による銀行支配にあるとしている。
・また日本企業のリスク回避的な行動にも原因がある、と指摘している。

    従ってそれらを克服するには45年体制から続いている間接金融 から
    直接金融に移行し、リスク回避的な企業が市場から直接資本を集め、
    新しい事業を立ち上げない限り今後の日本経済は立ち行かなくなることを指摘している。

企業がリスク回避的であることを利益率の低さから考察している。
食料自給率の低さこそが日本の食糧の確保を確かなものにしていると看破。
人口問題は、人口減少が問題なのでなく、年齢構造の高齢化が問題であると指摘。
日本企業の資本収益率は国際比較で見てもきわめて低いし、
長期トレンドとしてこれを高めることは容易なことではない。
郵政民営化は不要であり、他にもっとやるべき大事な仕事がある、
それは年金改革と税制改革などである。

第一章では、日本経済の現在を概観
 日本経済はまだまだ巨大であり 2001年の時点では、アメリカの半分
 中国の4倍 ドイツの2倍 ロシアの25倍もある。
 但し、農業とサービス業は生産性が低いとみている。

第二章では、1940年代体制とバブルに書いている。
 その体制がアメリカの間接統制の政策の結果として現在も官僚統制として続いているとみている。
 その一つとして銀行システムもそのまま残った。
 それらの結果として間接金融と民間企業は閉鎖的システムになってしまった。
 世界的なIT化と、共産圏の自由市場への参入に対して
 日本のシステムは成り立たなくなり、現在の大不況を招いてしまった。

第三章では、日本の金融は正常化したかという問題にふれている。

第四章で、日本経済の利益率は何故低いかにふれている。
 世界的な大変革に対して1940年のシステムのため閉鎖システムは
 立ち行かなくなってきている現状を論じている。
 彼の本はほとんど読んでいるが、学者にしてはなかなか目線が
 実態をリアルに表現していてわかり易い。

「日本経済改造論」 ーいかにして未来を切り開くか
 著者 野口悠紀雄  東洋経済新報社
              ( 。・_・。)人(。・_・。 ) ジャ~
・・・・・・・
2005年03月09日(水)
1436, つれづれなるままに

ー面白い日記のコーナー
10年後の私が現在に立ち戻って来たイメージで日記を書いている。
それが書いていて面白い。  実際の日記より書きやすいのである。
それと、現実が良く見える。

なかなか10年スパンで物事は考えにくい。
が,日記で遊びとして書くと、気楽に現在の自分を見つめることができる。
新しい発見である。
我が内なる天使様?か、守護神様か?か、冷静に見つめている良心か?
その目で見ると、いかにつまらない事に日々追われていることに気づく。

ーーー
ーはなまる・うどんーについて

一年ほど前に、「はなまる・ウドン」にFC加入をして、セルフうどん屋
新潟市内に数店開店をしようとした。ところが契約直前にフランチャイズ・ショーに行って、
数社の競合相手の話を聞いて急遽中止をした。

セルフうどん屋の状況が、彼等の言っていることと違うのだ。
6千万の投資をする直前で、あと2~3店舗も出店するはずであった。
その後、社長が