つれづれに

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 昨日も、車で信濃川まで行き、土手の散歩をする。
このところ、腰痛の重いのは、ヨガ効果もあり出てこないが、
歩くのが億劫で、40分が限度。 一月もすれば一時間になる
だろうが、だんだん足腰が重くなる。冬明けなら仕方がないが!

 大相撲が昨日より始まった。最近、人気が戻ってきたようだが、
やはり若手の有望の力士が出てこないと! その意味では、面白い。

 昨日、信濃川の散歩の後、図書館に行ってきたが、そこで、
流通ジャーナリストで、数年前に突然、ガンで亡くなった、
金子哲雄の『僕の死に方』と、『カエル男の末路』を借りてきた。
 これも数日内の読書日記のネタになるが、『僕の死に方』は、
死ぬ一月前から直前までの生々しい記録で、思わず引き込まれた。
 
 三大治療(手術、抗がん剤放射線)をしないで死んでいくことを
選んだ末路は、こういうものと本人が書いているが、余命を告げられたら、
それを私も選択しようと思っているから、そう甘くないことが恐い。
 死ぬことは惨いこと。死に際は、一代イベントになる! 


・・・・・・
2166, 日本の人口動態の推移
2007年03月09日(金)
                オッ(*^○^*) ハ~ヨウサン!
    
 「超リタイア法」ー野口悠紀雄 ー読書日記

     解りやすく、面白い本である。
     その中で人口動態が書いてあったが、解りやすく要点がまとめてある。
     日本の人口が一昨年から減少に転じた。
     それなら、歴史的にみて日本の人口はどのように推移していったのか
     知りたくなるのが人情である。 
  
  人口推移を大雑把にまとめれば、
・1600年(1200万人)から1700年(2769万)までの間に倍増し、
 その後江戸時代の終り(3228万)までの約150年間はほぼ一定だった。
明治維新(3481万人)から昭和の初め(6000万)までに倍増し、
・さらに昭和初めから現在までに倍増した。
 400年で10倍、
 140年間で4倍、
 80年間で2倍に増え、
 今後約100年の間に半分に減ることになる。

   ーまずは、そこを書き出してみるー

   ・江戸時代の総人口は、前半で成長し、後半は停滞した。
    1600年に約1200万人であった総人口は、1700年に2769万人となったが、
    1720年の3128万人から1850年の3228万人まで、ほぼ一定に留まった。

    日本の近代的な人口統計は、1872年(明治5年)から存在する。
    この年の総人口は3481万人である。
    すでにこの頃から、人口増加率は年率0.5%というかなり高い値になった。
    そして、1880年代の終り頃からはさらに高まって、年率1%程度になった。
    江戸時代の停滞社会から脱却し、富国強兵と近代産業国家をめざして
    成長過程に入ったことが人口面にも明瞭に現われている。

    総人口は1891年(明治24年)に4千万人を突破し、
    1912年(大正元年)には5千万人を超えた。
    人口増加率はこの頃からさらに高まって、1.4%程度となった。

 ・1926年(昭和元年)に、総人口は6千万人を突破した。
 明治維新以降約半世紀で、日本の総人口は約2倍に増加したわけである。
 日本が江戸時代とはまったく異質の社会になったことがわかる。
 この頃の人口増加率は年率1.5%程度と、きわめて高い。
 総人口はさらに増え続け、
 ・1936年に7千万人、
 ・1948年に8千万人を突破した。

    終戦直後には、それまでの勢いをさらに越える猛烈な人口増加が続いた。
    1940年代後半の人口増加率は2%を超えている。
    年間の出生児数は、1920年から52年まで、毎年200万人を超えている 
    (39、45、46年を除く)。
    最近の出生児数は年間115万人程度であるから、違いに驚かされる。

 総人口は1967年に1億人を超えた。
 1%を超える人口増加は、その後も76年まで続いた。
 しかし、これから後、人口増加率は傾向的に落ち始めた。
 86年には0.5%になり、94年からは0.2%台に落ちた。

 現時点(2003年6月)の日本の総人口は、1億2761万人と推計されている。
 昭和の初めから、約2倍に増加したことになる。
 しかし、これがピークであり今後日本の人口は、
 継続的に減少してゆくものと見られている。

    国立社会保障・人口問題研究所の「日本の将来推計人口」
   (平成14年1月推計)によれば、2006年にピークになり、2010年に1億2747万人、
    20年には1億2410万人になる。その後、30年に1億1758万人、
    40年に1億938万人になる。そして、50年に約1億人となり、2100年には、
    約6413万人になるものと予測されている。
我われは、日本列島に生息する日本人の数が最大になったさまを見ているのである。 

「平均寿命」は、0歳児が何歳まで生きられるかを示すものだ。
日本人の現在の平均寿命は、女性が85.23歳、男性が78.32歳で、
どちらも世界一になっている。
明治から大正期までは、女性が40歳代の中頃、男性が40歳代の前半だったから、
その後非常に大きな変化があったことがわかる。
これは、成人した人がどのくらい生きるかを見るには適当でない。
とくに過去の時点では、乳幼児死亡率の高さが平均寿命を大幅に下げていた。
この時期を生き延びたものは、平均寿命より長く生きると期待できるのである。

    この点を補正するには、「平均余命」という概念を使う。
    これは、ある年齢に達したものがその後生存すると期待される年数である
   (したがって、「平均寿命」は、0歳の平均余命である)。
    リタイアという問題を考えるには、平均寿命ではなく、
    60歳程度の人の平均余命を見るのが適切だ。

1891年~98年(明治24~31年)において、
60歳の平均余命は、男12.8歳、女14.2歳であった。
60歳になった人は、男なら72.8歳、女なら74.2歳まで生きると期待できた。
現在、この数字は、21.44歳と26.85歳になっている。
現在60歳である人は、男なら81.44歳まで、女なら86.85歳まで生きると期待できる。
60歳の日本人の平均余命は、この1世紀の間に、10歳程度延びたことになる。

  ーーー
   以上だが、成人になった平均寿命は、思ったほどは延びてはいない。
   80年間で二倍になった人口が100年かけて元の6000万人に戻ると思えばよい。
   「江戸初期から10倍、明治初期から4倍、昭和初期から2倍に増えた
   人口が、昭和初期の人口に100年かけて戻る」ということだ。
   これだけでも人口動態に関してチョッとした物知りになる。

   人口減少に対し社会資本は比例しては減らないから豊かさは増える。
   その現象に対し、自らを変えていくシステムを構築すればよいだけである。
   その意味でも州制度をとり、それぞれの地区に州知事か首相を置いて、
   思い切った権限の移譲が必要だろう。
                    (o ・д・)ツ  バイ!
 ーここで気がついたが、去年の同日に、やはり野口悠紀雄
  読書日記だった。
・・・・・・・・・
2006年03月09日(木)
1801, 日本経済改造論   ー読書日記
                   才ノヽ∋―_φ(≧ω≦*)♪             
    またまた野口悠紀雄である。
    このところたて続き読んでいるが、
    どの本を読んでも飽きさせないから不思議である。

この本では、現在の日本経済の不況の原因が
1940年体制を起点とした戦時体制を引き継いだ1945年体制以降から
 現在まで続いている間接金融による銀行支配にあるとしている。
・また日本企業のリスク回避的な行動にも原因がある、と指摘している。

    従ってそれらを克服するには45年体制から続いている間接金融 から
    直接金融に移行し、リスク回避的な企業が市場から直接資本を集め、
    新しい事業を立ち上げない限り今後の日本経済は立ち行かなくなることを
    指摘している。

企業がリスク回避的であることを利益率の低さから考察している。
食料自給率の低さこそが日本の食糧の確保を確かなものにしていると看破。
人口問題は、人口減少が問題なのでなく、年齢構造の高齢化が問題であると指摘。
日本企業の資本収益率は国際比較で見てもきわめて低いし、
長期トレンドとしてこれを高めることは容易なことではない。
郵政民営化は不要であり、他にもっとやるべき大事な仕事がある、
それは年金改革と税制改革などである。

第一章では、日本経済の現在を概観
 日本経済はまだまだ巨大であり
 2001年の時点では、アメリカの半分
 中国の4倍 ドイツの2倍 ロシアの25倍もある。
 但し、農業とサービス業は生産性が低いとみている。

   第二章では、1940年代体制とバブルに書いている。
    その体制がアメリカの間接統制の政策の結果として
    現在も官僚統制として続いているとみている。
    その一つとして銀行システムもそのまま残った。
    それらの結果として間接金融と民間企業は閉鎖的システムになってしまった。
    世界的なIT化と、共産圏の自由市場への参入に対して
    日本のシステムは成り立たなくなり、現在の大不況を招いてしまった。

第三章では、日本の金融は正常化したかという問題にふれている。

第四章で、日本経済の利益率は何故低いかにふれている。
 世界的な大変革に対して1940年のシステムのため閉鎖システムは
 立ち行かなくなってきている現状を論じている。
 彼の本はほとんど読んでいるが、学者にしてはなかなか目線が
 実態をリアルに表現していてわかり易い。

「日本経済改造論」 ーいかにして未来を切り開くか
 著者 野口悠紀雄  東洋経済新報社
              ( 。・_・。)人(。・_・。 ) ジャ~
・・・・・・・
2005年03月09日(水)
1436, つれづれなるままに

ー面白い日記のコーナー
10年後の私が現在に立ち戻って来たイメージで日記を書いている。
それが書いていて面白い。  実際の日記より書きやすいのである。
それと、現実が良く見える。

なかなか10年スパンで物事は考えにくい。
が,日記で遊びとして書くと、気楽に現在の自分を見つめることができる。
新しい発見である。
我が内なる天使様?か、守護神様か?か、冷静に見つめている良心か?
その目で見ると、いかにつまらない事に日々追われていることに気づく。

ーーー
ーはなまる・うどんーについて

一年ほど前に、「はなまる・ウドン」にFC加入をして、
セルフうどん屋新潟市内に数店開店をしようとした。
ところが契約直前にフランチャイズ・ショーに行って、
数社の競合相手の話を聞いて急遽中止をした。

セルフうどん屋の状況が、彼等の言っていることと違うのだ。
6千万の投資をする直前で、あと2~3店舗も出店するはずであった。
その後、社長が例の詐欺で問題になった豊田商事の元社員ということが
週刊誌に暴かれた。
その直後に牛丼の吉野家に株式の33・4?を売却、その系列化に入った。

そして現在、ほぼ出店ストップの状態である。
焦りもあって、調査もしない甘さもあった。
軽い損失で済んだのは、不幸中の幸いであった。
佐渡で一店だけ「はなまる」が開店したが、悲惨な状況という風評が入ってきた。

経営は、ひとつ間違えば舟下は地獄である。

・・・・・・・・
2004年03月09日(火)
1070, 美容整形医師の「美人の定義」

ある月刊誌に書いてあった美容整形医師の「現代美人の定義」が面白い。

ーその文章を書き写してみるー
普通、美人と問われれば「目がパッチリ」「肌がきれい」「鼻が高い」「小顔」
・・・・・と思いがちだが全部間違い。
現代美人とは「顔立ちが整っていること」が絶対条件。
浜崎あゆみの目であろうが、ベッカムの鼻にしても、バランスが悪ければ
立派なブス(ブ男)である。
つまりプロポーションの良いのが美人であり、いくら部品がよくても
組み立てが悪くてはブスなのです。
一点豪華主義の美人は存在しません。むしろ全部地味なほうが美人なのです。
日本の伝統的美人は雛人形に見られるように、目も鼻も口も全て小さく、
平べったい顔をしています。
ヨーロッパの美人はミロのビーナスに見られるように、口も鼻も口も全て大きく、
立体的な顔をしています。
美人に見せるには、全部大きいか全部小さいかどちらでも良いから均一化して、
バランスをとることが重要なのである。日本人は突出することを嫌います。
「出る杭は打たれる」などいって、平均的な小さくまとまった美しさを好みます。
これが美人の基準にもなる。
いま一つは、権力によってその基準は左右される。
北朝鮮では「金正日がいい男の面」になっている。
欧州の貴族は、それだけで顔立ちに係わらず美人美男になる。

ー以上である。

美人バランス論ということか。
中年になってきて、特に45歳を過ぎると急激に体形や顔立ちが崩れるのは
バランスが悪くなる為であったと考えると納得できる。
本来、化粧はそのバランスを直すためするものである。
わざわざ崩している人がいるが。
太りすぎも体形のバランスの崩れを直すため痩せようとするのだ。
固太りの人は、それほど見たほどデブに見えないのはバランスが崩れないからであろう。
西欧的美人より日本的美人の方が歳を重ねた時に美的段差が小さいのは、
チマチマしているからバランスの崩れが小さく済むためだ。
顔は、その人の家系や過去の集約として現れるが、化粧一つで誤魔化しがきくから
恐ろしい。といって品位などは三日も経てば直ぐ見えるが。

・・・・・・・ 
2003年03月09日(日)
704, [つかず離れず]ー群れない為に

「つかず離れず」は人間関係の基本である。
「和して同ぜず」ー和同の精神である。
(仲良くはしても、お互い同じでない事を理解することだ)
「隣の芝生は緑に見えます」「隣の花は赤い」は 同じ意味だ。
「味噌汁の冷えない位の距離」は嫁姑の距離である。

以上は相手が良く見える距離を保つことの必要性をいっている。
人間関係には「親しき仲にも礼儀あり」という基本ルールがある。
離婚した女性を見ていると、この距離感の果たす役割の解ってない人が多い。
スナックや居酒屋のママは離婚経験者がほとんどだ。
フレンドリーで、お互いに距離を置かないのがプラスに働くのが皮肉である。
お客は群れに来るのだから丁度フィットするのか。

 群れといえばこういう話しがある。
私のある姉が東京圏で、サラリーマンに嫁いで団地に住んでいる。
そこで色々な家庭を見ていて、子供の数の理想は3人以上と言っていた。
「3人以上だと群れという感がする」
「家庭は群れの場、その為にはその数が必要と見える」
といっていたのが印象に残っている。
人間は孤独を求めると同時に、何らかの形で群れてないと生きていけない。

 カナダやアラスカで一人で荒野に住んでいる人が街に出てきて人に会うと、
ハイになって話しまくるという。スナックなどでは多く見かけるという。
何か解るような気がする。
都会のスナックの片隅で一人飲んでいる人は、人間の持つ両面を裏表にした姿である。
群れの中で自分を見失わないためには、自分の世界をしっかり持ち距離を保つことが必要だ。

 朝鮮人儒教の影響が非常に強く、家庭の結びつきが日本に比べ格段に強い。
それに比べ日本は幕藩体制を300年続けてきた為か、組織に対する所属意識が
強い。侍は藩に~百姓は5人組に組み込まれていた。
韓国人ー朝鮮人と結婚した人はその文化の違いに驚くという。
基本的には日本人と全くかみ合わない。
とくに男女間の距離感が違うという。韓国では結婚した男は妻以外の女性とはどんな形でも
付き合ってはならないという不文律があるらしい。
夫婦間の愛情は濃密で老夫婦でも小さな布団に一緒に寝る。

 韓国人は情が厚く、寂しさに耐えられないために、家族間の人間関係は深い。
他人同士でも一つの共同体になったときには「親しき仲にも礼儀あり」という日本的習慣は
通用しないという。親しくなったら甘えてもいいという発想があるという。
今でも地方では日本でも強く残っている。韓国人は親しくなればなるほど相手を騙す。
馴染みの店から不景気だから来てくれと電話がかかったら、それはサービスをするという
意味でなく、馴染みだから高い金を払ってくれということになる。
あの北朝鮮金王朝の異様さは、この濃密さを政治体制にくみ込んだためである。

 韓国的濃密さは日本では一番嫌われる。日本人と韓国人の結婚の話が少ないのは文化の
違いがあまりに大きいからだ。
朝鮮人が日本で「つかず離れず」のスタンスで住むには最適であろう。
在日朝鮮人にむしろいえることか。

いつの間にか朝鮮人論になってしまったが、「つかず離れず」とは正反対の文化である。
逆にいえば、「つかず離れず」こそ日本人の文化といってよい。
色いろな社会に属すことを好む日本人は、「つかず離れず」が一番良いスタンスになるからだ。
属している共同体が、それでいて最優先にする。

ーーーーーー
2002年3月9日
西アフリカ旅行中で書き込みなし
・・・・・・・

ーお笑いー
「サンゼルマンの嘘 」

 18世紀に実際にいた大詐欺師サンゼルマンの話。
自分の年は2000歳でキリストとは知り合いだという。
そのふれこみでヨーロッパ中を詐欺をして回っていた。
その従者にある男が聞いた「キリストに会ったというが本当ですか?」
従者「300年しか生きてないので、その頃のことはわかりません」