つれづれに

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  今日のYoutube

 去年暮れの咽喉風邪に続いて、正月明けからの風邪。 何とか治まり、
今日からジムかよいが始まる。 相撲も終わり、普通どおりの生活が始まる。
積雪は半分以下になり、これでは屋根の除雪は必要がない。 当てにした
作業員はこれでは、収入源になる。






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3225, 死もまた愉し
2010年01月23日(土)

  孤高の文士・結城昌治が死の直前に語った「死とどう向かいあったか」の言葉がよい。
 50代には、ハッキリした絶対言明があった。「60歳までに、それ以降の人生の全てを成し遂げること」であった。
 そして、還暦をむかえて一人、「もと、とった!」と、ほくそ笑んだ。今となって本当に良かったと思っている。
 ところが還暦を過ぎてから、次の絶対言明が見つからないのである。 しかし「死もまた愉し」の中の、
 次の言葉が、 これからの私の指標に最適に思えたのである。 
≪ 余生だから、とにかくあくせくしない。5年先、10年先まで考えて計画を立てたりすると、どうしても張りきりすぎる。
 とりあえずは1年だけ考える。あと1年だと思えば、その間の人生を目いっぱい生きることができる。
 1年が無事に過ぎたら、よし、もう1年生きよう、と……。新しい目標を定めてもいいし、前のつづきをやってもいい。
 また1年たったら、つぎの1年を考える。こうすれば、1年ごとに新鮮な人生をくり返すことができる。
 これはうぬぼれをなくすコツでもあるし、人生最後の志として大事なことではないかと思うんです。≫
  若い時に肺結核を患い、肋骨を12本も切るという大手術をうけ、長い療養生活をおくった結城の人生は死と隣り合わせ。
 ーそのような境遇で、会得したことは、
【死を大袈裟に怖がるのではなく、生きている最後に来る愉しみと思えば、寧ろ、日々の人生がずっと気楽なものになる】ということ。
 私には、どうも無理のようだが・・、彼は毎年、誕生日ごとに遺言書を書いていた。 内容は毎年同じで、原稿用紙。
 「通夜、葬式、告別式、無用のこと」
  結核療養所石田波郷福永武彦と出会ったことが、彼の生涯を決定付けた 
・春惜しむ いのち惜しむ 酒惜しむ        ・耀きて 驟雨に落つる 蝶見たり
・風船の まぎれむ雲も なかりけり         ・緑陰に 置かれて空の 乳母車
・降る雪や 余生といふも やすからず        ・來し方の 見わたすかぎり おぼろかな
・花あんず 母と旅せし 記憶なく          ・ぼうふらも 生きるいとなみ 死ぬなかれ
・ゆゑ知らぬ 疲れ金魚を 憎みけり         ・秋風や 逢ひたきひとは みな故人
・いわし雲 どこへゆくにも 手ぶらにて       ・夕虹や 夢はかなはぬ ままがよし
・いくたびも 死にそこなひし ゆかたかな
    ≪ 一句一句が、何とも格調高く、見にしみる ≫
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2850、チベット旅行記 -1
 2009年01月23日(金)
ある人に強く勧められて読み始めた、これ面白い。 6年にもわたるチベット旅行の記録が本になっている。 
内容が臨場感があり、生々しいから自分が経験しているような気持ちになってしまう。
勧めてくれた人が山の手線の東京駅を(内容に引きこまれて)三回も行ったりきたりしたというのも頷ける。
 ー要約をすると
{ 日本に伝わっていない未伝経典を知りたいという思いから、サンスクリット原典が唯一残っている
 チベット国に行くことを思い立つ。 鎖国状態のチベットに、ヒマラヤを越えをして入国する大旅行。
 唐の玄奘三蔵のインドへの旅に似ているが、河口慧海の場合は個人の意志によるもの。 三蔵とは事情が違う。
 明治30年(1897)31歳の時の密入国である。 当然に死を覚悟をしなければならない。
 抜け道の間道を通ってヒマラヤ山脈を逆回りのコース。 僧衣で平均高度4500mのヒマラヤを走破する。
 若い娘に結婚を迫られたり、強盗に出会いながら山中で野宿。 凍りつくような川を裸で渡ったり、
 雪中で進退きわまる時や、右に行くか左かの道を選択しようかという時は、座禅をして知恵を得る。
 食事は、麦こがしをお湯とバターで練ったものを1日に一食。 
 想像を絶した苦難を次から次へ乗り越えた末にチベットのラサ府に到達。
 そこで知遇を得、日本から持参した薬と医学知識で病人を治し、現地の人たちに経を唱えて糧を得る。
 そして大学に入る。その旅で、チベットの生活、習慣、風俗などを細かに観察、貴重な記録になっている。
 目的と動機を以下のように書いている。 「私は世の冒険家にならって、探検の功をあげることを目的にしてはいない。
 我が国未伝の経典を得たいがために出かけたのだ。したがって探検家の資格は私にはない。
 ……ただ、今回の旅行では、宗教に関すること以外にも、社会学、経済学、歴史学、地理学、動植物分布などに
 関する様々なことを観察することができた。」 その観察眼の客観的で冷静な見方に、ただただ驚かされた。
  ーーー
 河口慧海チベット旅行記」:1866年大阪堺生まれの僧侶。チベットに仏教の原典を求めるために僧籍を離れ、
 1897年に船でインドに渡り、ダージリンやムスタンでチベット語の勉強などの周到な準備を整えた末、
 1900年にヒマラヤ山脈を越えて西チベットに入る。マナサロワール湖やカイラスを巡礼した後、
 日本人として初めてラサに入り、セラ寺に入門。漢方薬の知識を生かして人望を集め、ダライ・ラマ13世に
 謁見するまでになるが、日本人であることが露見したために急遽ダージリンに脱出。  その後も中国、
 インド、ネパール、チベットを訪れ、在家仏教を起こすなど、日本のチベット学の始祖として知られる。
  1945年、「チベット語辞典」の編纂半ばにして没。享年80歳――。
              ーつづく
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 2008年01月23日(水)
2485,  「恐慌」が待ち構える黄昏の米国 -2
              オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
  今週に入ってからも、更に日本の株価は下がり続けている。当面は1万2千円辺りが底値か、
それとも更に下がり続けるのか?世界的に広がってきたのが気がかりである。
余りにも悪材料が揃い過ぎている。下手をすると、恐慌の可能性がある! 
 ー前回の「記者の目」ー毎日新聞の、つづき
ローンを担保に次の金融商品を作り、それを担保にまた商品化(証券化)と何度も繰り返されていることが
サブプライムの特徴で、どの商品が焦げ付くのかが見えにくいから始末が悪い。
しかも、住宅価格が上がることで借金が可能となり消費を膨らませるというアメリカ人の消費行動も狂わせた。
減速どころではなく、アメリカのリセッション(景気後退)が現実味を帯び始めている。
原油高騰などからインフレ懸念を引きずっての景気後退となれば、なおやっかいである。
1月7日、経済3団体などの賀詞交換会。「アメリカはスクラップ・アンド・ビルドの国。
うみを出し切れば、あらゆる手を打ってでも、経済を立て直してくる」。
年後半の相場反転を期待する企業トップもいたが、多くは「アメリカ・プロブレム」を気にかけていた。
 90年代以降、同時多発テロで一時揺らいだものの、世界経済を主導し、自らもその果実を満喫してきた
アメリカの黄昏(たそがれ)。一方で、ユーロ高を導いているEU(欧州連合)、今夏、北京五輪を開催する中国、
資源外交を強めるロシア、成長力は中国以上といわれるインド、オイルマネーが勢いづく中東諸国、資源大陸アフリカ等々、
08年経済の担い手は多士済々だ。基軸通貨(ドル)の信頼感からアメリカに還流していた資金は今、原油に向かい、
金を買い、非鉄金属などをめざしている。資源バブルである。バイオエタノール需要を見込んで、穀物にも向かっている。
どれも投機色が強いが、新興国の経済急成長という需要増が背景にあり、世界経済の主役の座がすでに、
アメリカからこうした国々に移っていることも確か。「多元的世界経済」の出現である。
 アメリカ中心経済の終幕--サブプライム問題がとどめを刺した。波乱の深みはどのくらいか。
すでにいたるところに“ウイルス”をまき散らしてしまったようで、うみ出しどころではなく、
恐慌が本当に口を開け待ち構えているかもしれない。(エコノミスト編集部)毎日新聞 2008年1月15日 0時13分
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 私の周辺も急に誰も彼も財布の紐を締め出してきた。TVのワイドショーでは、如何に金を使わないかのノウハウを、
具体的に細かく紹介している。そういえば去年、背広を買い換えようかと思っがた、結局買わなかった。
目先は有合わせで済むからだ。ロシアが、もしユーロ圏にでも入ったら、ドルなど誰も見向きをしなくなる。
米国が風邪をひくと日本は肺炎になるというが、資源のない日本は米国以上の打撃を受ける。全くどうなることだろう。
                    (*´・ω・)ノホンジャ!
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2007年01月23日(火)
2121, 銀行も本格的な競合状態に!
          (^^)/ おはようよっ!
地元の銀行の担当の話によると、「地方銀行も本格的な競合状態に入ってしまった。
都銀や大手信託銀行が、中小企業への本格的な開拓を始めてきた上に、地銀同士がこれまでのテリトリーを
越えて顧客の奪いあいを始めた。
 (字数制限のためカット 2010年1月23日)
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2006年01月23日(月)
1756, サイボーグ   (σ・з・)σオハYO!!
NHK・BSスペシャル「サイボーグ技術が人類を変える」の放映が衝撃的であった。
身体の一部を機械に置き換え、脳が機械と直接つながったサイボーグ。
SFの世界の話だと思われていたサイボーグが、現実のものになろうとしている現状のレポートである。 
脳とコンピューターを直結し、考えただけで身体を動かす研究を実用化しようとしている。 ・∀・)つ(:゚::) ミカンでもドゾ♪       
5年前には世界に殆ど存在しなかったサイボーグ技術が、ここにきて飛躍的進歩にあることを立花隆がレポートしていた。
特にサイボーグを実現可能にする技術として最も注目を集めるのが、脳の情報を利用する技術・神経工学である。
この放送は、立花隆とサイボーグ技術の行方を見つめるため、世界各地での底取材を行ったもの。
自ら進んでサイボーグ化をすすめた人々を紹介している。・アメリカ・テネシー州の男性は、感電事故で両腕を失ったが、
いまでは考えただけで動く「人工の腕」を手に入れている。・完全に視力を失ったカナダの男性。ビデオカメラで撮った
映像を直接脳に送りこみ、光を得ている。医療の分野でサイボーグ技術によって、人々は人生を取り戻し、今までの人類が
体験したことのない新たな感覚を得ている。さらに脳の機能の一部を機械に置き換えるサイボーグ技術も進んでいる。
難病の治療に劇的な効果をもたらした。 この研究は、今、うつ病強迫神経症などにも応用され、/ω\*)ウゥ人の
心に関する部分の調整にまで踏み込もうとしている。               ̄ー ̄;)ニ、ニヤリ 
その急速な発展に注目し、巨額の資金を研究に投じているのが、アメリカ国防総省。手足の力を10倍にするパワースーツ
兵士の重装備の移動を大幅に軽減する。これは首から下が麻痺をして動けない人の歩行も可能にする。
聴力・視覚を格段に向上させるなど、不死身のサイボーグ兵士を作る研究が進む。
圧巻は大型のネズミにヘッドギアを取り付けて、パソコンで動作を直進・左右へとコントロールする「ロボラット」。
頭にミニ映像カメラをつけて目的地まで誘導する一種のサイボーグ。
ー(右(左)の脳に刺激をして右に行くと快楽脳を刺激する。それをインターニットでパソコンと直結してコントロール
さらに頭にカメラをつけて目的地まで誘導して下水とか敵の目から隠れた攻撃が可能になる。こうなるとSF映画の世界である。
サイボーグ技術が人類に光をもたらすのか、それとも単なる人体改造なのか。 見終って、しばし茫然とした。
ここまで、科学が来てしまったのかと!少しオーバーにいえば世界観が変わるほど?である!      
                    (*-ω-*)m バイ~
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2005年01月23日(日)
1391, 危ない格言   
                 ー 読書(毒書)日記 ー
ー新書yosennsya 榎並 重行 (著)
書店で立ち読みをしていたら、鋭いとげのある格言が目についたので衝動買いをしてしまった。私向きの本である。
買って読むと棘が棘に見えなくなってくるから不思議なものだ。ー帯びに『類を見ない猛毒に満ちた格言集!』とあるが、
買ってジックリ読むとやはり毒だらけである。それぞれの章ごとに、毒の強い文章を幾つか書き写してみる。
第6章まであるので、数日の随想日記のネタになる。先ず本の名前を見て、帯を見て、表紙の裏の文章をみて、そして、
前書きを見て、終わりを見て、パラパラと開いて、飛ばし読みをするのが通例だが、どこを見ても毒だらけの珍しい本である。
 ーmy感想は、毒には毒をと毒づいてみた。書かないほうがよいが、それでも書かないわけにはいかないのだ!
 ーーーー
第一章 この変な動物、人間
 ー類型についてー
・どんな人間にも、顔を赤らめ、恥ずかしさにうつむくしかないことがある。
 そんな経験をしたことがないといい放つ者は、これから、手ひどい形でその経験に襲われるまでだ。
(my感想)ー 海外旅行先でトイレにあわやという事態に何度も遭遇した。
 その経験がなければ、回数を重ねているうちに思わない最悪の事態になることは間違いない。
 -- 
・己のなかに俳優を感じて困惑し、たじろぐ者は、まだ自らの誠実さを保っている。
 むしろ笑む者は、すでに自他のために誠実さをも演じているだろう。
(my感想)ー誠実は言葉でなく、人が感じるものだ。以前ごく身近に「自分は性善説である」
 を言葉の癖にしていた人がいた。あまり本の量を読み込んでない人だったが、
性善説とは性悪をカバーする為に使うことが多い」という仮説を自分に立てて考えれば、声高に言えないはずだ。     
(字数の関係でカット2009年1月23日)
                         -つづく
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2004年01月23日(金)
 1024, 22歳の日記-2
何回か書いた事があるが、ゼミについて考えてみる。この時期は、武澤ゼミと寮とクラスメイトなどの
過去4年間の友人が、ほとんど全てを占めていた。特に武澤教授の影響が大きいことが、この日記か窺い知れる。
ゼミでは、まず一週間前に事例(ケース・スタディー)の用紙を渡される。 その間に対処を考えてきて、
それを元に全員で徹底的に議論をする。 その後、その事例研究の答えの用紙を見せられる。
我々の出した結論と、誤差について更に議論をさせる。また二班に分かれて議論した結果を持ち寄って互いに議論もする。
結果的に、知識と体験をもとになっている地言葉で議論をすることになる。教授の意見は、要所要所以外はほとんど話さない。
考える為のヒントを与えるだけで、「考えること」を促すのだ。「考えることは如何いうことか」と、更に一歩踏み込んでいく。
自分の中の知識不足を、冷静に自ら気がつくように仕組んである。いま日記を写しながら気づいたことだが、
ソクラテスの「対話法」による真理の追究を、その中で体験させていた。素朴で深い疑問を常にもって、
社会や世界を見る目を持たせるのが目的であった。その結果、卒業まじかに多くの友人が私に集中してきた。
誰もが転換期にたって、迷っていたからだろう。また社会に出て、事業の組立てに非常に役に立った。
冷静な事実の組み合わせと、仮説の積み上げと崩しの繰り返しの中で計画の練り上げをしていくのと酷似していたからだ。
ようするに地頭で考えることに役立った。 35年前の日記を読みながら、感想を書いていること自体が自分の深耕を
していることになっている。過去の自分と今の自分が向き合って対話しているからだ。
その意味でも、この22歳の日記の写しと公開は良かったと思っている。
ー後記ー
このホームページ内検索で「武澤ゼミ」で出したら、ほぼ同じ内容が出てきた。
こんなものかと呆れてしまった。 以下である!
ーーーーーー
2002/11/01  ケーススタデー  ー1
 字数の関係でカット(2008年01.23)
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2003年01月23日(木)
659, 人間-女心
ー宗親流に書いてみるー
人間の心ほど、いや自分の心ほど面白いものは無いね。単純で複雑で自分でもコントロールが不可能なものだね。
だからノイローゼになるんだろうな。それにさ男女の下が絡んでくるからね。
「女の身体の真ん中辺にシンショぶっちゃる穴がある」という都都逸があるがね。
これを即興でつくりかえるとこうなるよ。「男の身体の真ん中辺に陸釣り用の竿がある」 少し品が無いね!
暇だからさ女という生き物について書いてみるね。あれほど割り切ってみると単純で可愛い生き物はないよ。
姉が4人もいて、女の職場にいた為に鍛えられたね。この単純でかわいい存在に。
要するにエゴの塊、これも生理からきているからね。いつもある姉に言われていたね。
「女なんてね、やられる振りしてやる動物なんだから気をつけな!」ってね。
女を制すれば世界を制することができるというが、性欲がそれを鈍らしてしまうんだよ。
女は知っているんだ人間をね、男と比べたら数倍もね。初めは大人しくしていて、段々図々しくなっていく仕方。
あれは戦術なのか戦略なのか?両方だろうがね。 単独に彼女と接するときは真摯に徹すること。
複数を対象にした時はエテコウー猿のレベルと割り切ることだよ。泣いているときは、一緒に泣いてやるのさ。
笑っているときは、一緒に笑ってやるの。合わせ鏡に自分をしてしまうのさ。 
彼女たちは、長い時間の中で知恵を持っているの。男の甘さの嗅覚を。だから真っ当に相手にしては駄目だよ。
昔からいうだろ「怒れば泣く、甘やかせればつけ上がる、殺せば化けて出る」これ本当だよ。
でもね、あつかう時はね、怒り、甘やかせ、褒め殺しにしなくてはね。
理屈じゃないんだから。でも好きだね女!  まあこんなところが大体の男の視点!
                            - 宗親
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 2002年01月23日(水)
309,壁ー2(言葉の壁)
決断しなくてはならないが、そこに壁があり躊躇するとき「取りあえず、決断を引き伸ばすか回避する言葉」が
「取りあえず」である。思考停止病といっていい。「とりあえず、こおしておこう」「とりあえず、大学にいっておこう」
「とりあえず、就職しておこう」「とりあえず、定年になってから考えよう」
人生の一番大事な事を、その時々に判断をいい加減にさせ、あるいは先延ばしにさせる言葉である。 
この言葉で思考停止の状態になり、決断放棄の一生を過ごしてこなかっただろうか?
そして最後の最後、追い詰められても「取りあえず、今をやり過ごそう」とする。
「取りあえず、取りあえず、取りあえず、・・・・」取りあえずとは、人生を放棄すると同じ事でなかろうか。
この文も「取りあえず」この辺で止めておこうーブラックジョーク似た言葉で「でも」がある。
ある判断をしようとすると、「でも、やめとこかーな」「それはそうだが、でも」。
「でも」と「取りあえず」は何かにている。この川を今渡らなくてはならない、そこで「でも」
という渡ったときのリスクが頭によぎる、「でも、でも、でも」が出てくる。無意識で使っている言葉の壁である。
・・・・・・・
1月23日 木曜日 1969年
 8時起床。登校後、産関論の授業に出席。この授業は、これが最後だった。
その後、川崎と喫茶店に行く。 午後は価格理論に出席。帰寮後、合気道のOB会出席迷ったが、
結局欠席にした。18時から一時間、産関論のレポートを纏める。 21時から勉強を開始。 夜半の2時に就寝。